リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第87話 懼るるなかれ。光はいつも偕に在られる

簡素な魔詞マトだった。磔になった双頭の化け物、その傍らに大柄のセイバーが跪いている。女性らしくもない太く無骨な指先が、すっかりと力が抜け動かない化け物の翼を撫でた。さあ、と言の葉に応えるように光が溢れ、鳥と人を掛け合わせた異形、冒涜された命の所業を包み込んでいく。
「パジカ」
日の出近く、空が白んできた。夜と星たちが陽に呑まれていく。昼夜、という流転は避けようがなく、一方が一方を抵抗も許さず自身の色に染め上げていく様は暴力的ですらあった。
これを、自然の摂理と呼ぶのだろう。抗えないように設計された優劣や、覆すことのできない上下関係。概して“に勝てない”、魔が聖によって無抵抗に破壊されていく光景もまた節理の内輪。まるで、朝という事象が不死という異常に引導を渡しているかのようである。
と、すれば、やはり彼女たちソレは夢だったのだ。
「懼るるなかれ。懼るるなかれ。懼るるなかれ……」
夜の内に冷え固まった氷が、日差しを浴びて溶け出すように、愛した人が彼方へと果てていく。穏やかに、しかし止まることのない聖なる浸食。贈る言葉が、彼女にはそれしかなかったのか。
だとしても、今を逃せば二度と機会には恵まれないのだ、惜しむことなく惜しむ他にできることはなかった。この方法では亡骸すら望めない。引導を渡した本人こそが、それを良く理解していた。
“懼るるなかれ”。誰に向けた戒めか、命が一つ潰えるまで。
“懼るるなかれ”。誰のための戒めか、命を一つ看取るまで。
「――――ああ」
夢が終わるよるがあける
地平線を燃やす炎が、何年にも渡った深い眠りを揺り起こすのだ。
「いったか」
光が晴れ、そこには何もなかった。
俺の触手に全身を貫かれ、宙に磔にされ、ゆるりと死んでいくだけだった化け物は触手ごと喪失し、影も形も残っていなかった。
愛する人を失う悲しみは俺には分からない。愛する人がいて、失うようなことがあったとして、それを理解できるかも分からない。
ただ、目の前の人間がどんなに苦しんでいるかは分かる。
セイバーは泣かなかった。
唇を強く噛み過ぎて血を流す、なんてこともしなかった。
頑強な肉体だ、きっと、噛んだぐらいでは傷つかない。悲しいぐらいでは泣きもしない。耐えるしかないからこそ、その跪いて目をつむる姿は罰を受けるように悲惨で、苦しげなのだ。
「リノン。ティアフ」
ぱ、と目が開く。恰好はそのまま声はしゃんとして、凛々しかった。
「行きたいところがある。それで、この事件の幕引きとしよう」
その横顔にはまだ憂いが張り付いている。
こんな別れで、たったこれだけの時間で整理が付けられるほど、彼女のシスター・アルモニカに対する想いは簡単なものではないのだ。
「どこに行くんだ?」
「病院さ。ベリオール・ベル唯一の」
だから、ティアフはアールエンに気を遣わなかった。彼女の問題には彼女が決着をつけるしかない。余計な世話を焼かず、気を回さず、彼女の助力となっていれば良い。
「さて、何が出てくるかな」
そんなアールエンの提案に、ティアフは楽しそうに応じるのだった。人と魔者の複合体を目の当たりにした後だ、もう何が起きてもそうそう驚くこともないだろうなんて、彼女は気楽に構えていたのである。

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