リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第85話

「好きって……」
……え? 女同士で?
確かにアールエンの身体つきは女っぽくない。むしろそこらの男など裸足で逃げ出すような屈強っぷりだが、しかし身体上の性別は間違いなく女である。俺は、その裸を間近に見ているから断言できるし、人格の上でだってアールエンは立派な女性だろう。その彼女が、同じ女であるアルモニカを好きになる、だって?
いわゆる同性愛者、ってことか?
「何驚いてるんだよ。亜人の元だって人と獣だって言うじゃないか。種を超えた愛があるのなら、性を超えた愛があったって何ら不思議じゃない」
「いや、それとこれとは……」
「一緒だよ。常識から外れた愛情が何だって言うんだ。大体、人殺しを楽しんでいる一番の非常識おまえに言えた義理じゃないぜ」
すぱーん、と。
何だか、木刀で殴り合っているところに真剣で斬り掛かって来られたみたいに一足飛びの、しかしぐうの音も出ない指摘だった。その上、だてにマイナーと一緒にいるわけではないのか、俺にとってみればそんなに分かりやすい例え話がないのも事実だった。こんなマイナーばけものと一緒くたにされたアールエンを含む全世界の同性愛者、それに過去、獣と番となった誰かさんには同情するが、なるほど、人殺しを楽しむ非常識が人様の非常識にとやかく口を挟もうなんてことは全く筋が通らなかった。
なぜなら、“殺してはならないものを殺して楽しむ非常識”を認めるのなら、“愛してはならないものを愛して楽しむ非常識”もまた認めなくてはならないから、である。
その、“殺してはならないものを殺して楽しむ非常識”だって、別に俺のようなマイナーに限った嗜好じゃない。人間同士の中にも通常忌避される大量殺戮や猟奇殺人を好んで行う者はいるわけで、そうであれば、同じく忌避されがちな“人間同士の異性愛以外の愛”を好き、実行する者が一定存在していても、何もおかしくはないという話になる。
少なくとも、俺に異論を唱える資格はないわけで。
むろん、同性愛と殺人嗜好を比べれば、その異常性は段違いであって同列に比べられるものではない。が、どちらもが“異常であるふつうでない”という意味において、そこには何の差異もないのだ。
「それでも殺人がより強く忌避されるのは、人が命をより重く受け止めているから。生殺与奪に関わる嗜好に比べれば、誰を愛するかなんて違いは些末な問題だとすぐに分かるだろう? 他人の色恋なんだ、騒ぎ立てるほどのことじゃないのさ」
「うーん」
「はは……」
一時は納得しかけたが、どうも言い包められているような気がしてならず、俺は首をかしげて唸ってしまう。どこそこから仕入れてきたような……ティアフの知った風な論弁は一見すれば道理適当である。しかし俺とアールエン、殺人と同性愛とではあまりに極端、まともな比較になっているとは言い難く、一方の是をもってもう一方を是とする論法は詭弁、無理があるようにも聞こえた。
ならば、これに力なく笑ってみせた当の本人はどう受け止めていたのだろう。
ティアフひとが異常に寄り添い、リノンまものが異常にうろたえる。まるであべこべだ。けれど、わたしもリノンと同じ考えだったよ」
意外というべきか、アールエンはティアフの論に楯突かず、これを呑み込んでいた。その微笑は感心とも呆れとも取れたが、あまりにはっきりとせず意図を探ることは不可能だった。
「愛に形はないが、自由だからこそ責任を伴う。個人が背負あつかえる責任じゆうの限界のことを、わたしたちは常識と呼んで尊ぶんだ。身勝手な同性愛せいへきに他人を……よりにもよって聖女と呼ばれた人を巻き込んだ時の責任は、わたしにはとても背負えるものではなかった」
同性愛者、というレッテルを聖女に貼ってしまう。それは間違いなく聖女の権威を失墜させて光聖の基盤を崩し、結果として世界の命運を閉ざしかねない悪行だった。
が、アールエンはそうした罪悪に怯えたり、後ろめたさを感じていたわけではない。光聖や世界の行く末など、燃え滾る愛を前にすれば踏み台にも等しかった。
そうではなく、自分の愛した女性を自らの手で汚す。潔癖ノーマルと信じていた彼女の足に堕落の縄をかけて引きずり落とす。金泥精描の彫像に考えなしの色を撒き、刃を入れ、その人の築き上げてきた輝かしい歴史と実績を穿つ。
アールエンの想いの先にはつまり、そういう暗闇が澱み、待ち受けていた。叶えば同時に相手の価値を根こそぎ剥奪し、結果として自らの欲の行き場所さえ消し去ってしまう諸刃の剣だった。アールエンは良く知っていたのだ。清廉なる聖女おとめの真価とはまさしく、“自分のような愚昧の者と関わっていないからこその価値である”という真実を。
故に、封じ、律しなければならなかった。
近づいてはいけない。
言葉を交わしてはいけない。
指先一つだって触れてはならない。
腐ったリンゴは、側のリンゴまでをも腐らせてしまうのだ。
だから、遠くからそっと見守って、この醜悪な感情を独り慰めるだけが唯一、外道じぶんに許されたせめてもの代償すくいであると信仰していた。
「だが、そんなわたしの目の前にアルが現れた。気高さを失わず、けれどまっさらになって」
夢のようだったと、その時ばかりはアールエンの白んだ顔にも紅が差した。
記憶を失くしていたこともそうだが、アールエンにとって大きかったのはむしろ、アルモニカが聖女であった頃の自分さえ忘れて、その身を幾重にも積み重なっていたしがらみから解放していたことだった。
聖女の価値は、光聖の内で渦巻き彼女を押し上げていた“信仰”にこそあったと言って良い。
それを失うようなことがあったのなら、まさしく、心身ともにまっさらな“アルモニカ・ヤナシン”が再誕する。豪華絢爛の花壇にすっくと立っていてこそ美しかった大輪ではなく、小さな鉢植えにそっと咲いているだけの頼りのない一輪として、手の届く場所に降り立ってくれるのだ。さながら、子の親が生娘に戻るかの如き奇跡。色のない絹。手の入っていない原石。見上げるばかりだった鳥が人と同じ高さを無防備にも飛んでいる。緩慢な飛行は弓矢も網もなく、捕まえることは容易に過ぎた。後は自由だ。彼女を一番に見つけたわたしの指先一つ。清らかな唄を贈ることも、淫らな言の葉をささやく事も、記憶喪失キセキに恵まれた者の特権であった。
恋い焦がれた宝物を目の前にぶら下げられて、抗えるわけがない。抑圧され続けた愛情は膨れ、歪み、ついには劣情にも近く、潔白や気高さとは正反対に自らがいると自覚すればするほどに無視することが困難だった。
汚してはいけないと自らを律することはつまり、“汚してしまいたいと欲する自らを曝け出していること”に他ならない。自覚は理性で、理性は内実で、内実は自我で。
「それでも、出遭わなければ隠していられた。最悪、拒絶してくれれば身を引けたのに……!」
そうはならなかった。
「だって、おかしいじゃないか! 彼女を信奉していた人間はごまんといた! でも、アルはわたしの前に現れたんだ! 他の誰でもない! 最も薄汚れていたわたしの前に!」
打ち明けずに想い続けた一途さが報われたと考えるのか。
いや、それはあまりに前向きだろう。呪いとなって彼女を貶め、こんな場所まで引きずり込んでしまったと考える方がよっぽど。

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