リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第63話

「どうした、アル。……アル!? そんな、大丈夫かい!?」
驚いて、彼女を下ろすアールエン。シスターの顔は赤く、息も荒かった。いつからそうだったのか、抱えられたままの彼女は運動をしていたわけではないから、この弱ったような様子は息を切らしてのものではない。指先まで鉄に包まれたアールエンに変わり、ティアフが体温を測る。ひたいに手を当てた、その表情が曇った。
「酷い熱……」
「まさか、あいつら!!」
き、と今しがた出て来たホールの方を睨むアールエン。まだ、戦いの音は止んでいなかった。金切り音と、人体の破裂する音がひっきりなしに聞こえてくる。その戦場へと今にも戻って行って噛み付いて回りそうな剣幕の彼女を、ティアフが冷静にたしなめた。曰く、攫われて衣服を剥がれた以外には指の一本も触れられていないのだ、と。
つまりは、今のシスターの体調はやつらのせいではない。すぐ様に納得したアールエンではなかったが、もしそうであれば、同じように誘拐されたわたしに何の異常も現れないのは不自然だろうと指摘されると、返す言葉はないようだった。もちろん、彼女にはゴングの凶行を庇い立てする義理も理由もないから、もっともらしく嘘を吐いているわけでもない。
この説明は信用に値する、アールエンは納得して聞き入れるしかなかった。むろん、だからと言って彼らへの怒りが収まるわけではない。ただ、今からホールへと戻ってやつらを皆殺しにするよりも前にやるべきとこがあると、それぐらいの順序を正しく整理できるぐらいには、かっとなった頭は冷やされたようだった。シスターを優しく抱えて立ち上がるアールエンの目には、もう先ほどの険しさはない。
「進もう。アルを休ませるんだ」
反対する者は誰もいない。しかし、“どう進むべきか”は依然として答えが見えていなかった。
直進、迂回、とんぼ返り。階を上がって屋根伝いに外に出る搦め手もある。
「いや、直進。直進だ」
「正面突破? 罠があるって分かっているのにか?」
「急がば急げ。敵の考えが読めない以上は、回りくどいことをしても裏目に出る可能性がある。アルがいつまで持つかも分からない。だったらここは、愚直に進む方が賢い」
「まあ、罠なんて実はなかった、ってラッキーにも期待できる、か」
「それに、正面から出て行くのが一番教会に近い。都を出るならどこを向いても変わらないが、なら、人気がなくて隠れる場所の多い旧市街を目指しながら、外への脱出を考えるのが得策だろう」
「案外、こうやって疑惑のどつぼにはめて足止めするのが狙いかも知れないしな。うん、直進が一番、まどろっこしくなくて良い。罠なんて、セイバーとマイナーなら真正面から突き崩せる」
自分がやるわけでもないのに妙に自信満々に、ティアフが強硬案に賛成した。だが、そのパワープレイ、考えなしの作戦が、案外と最も正解に近いのかも知れなかった。所詮は人間のやることだ。化け物じみても化け物にはなれないやつらの思惑など、常識の外からつついてやれば脆いものに違いない。
「そうだな。わたしのことは知っていても、こんなマイナーまで付いてくるなんて思ってもいなかったはずだ。なら、この策の穴はおまえ。何の伏線もなく舞台に上がって来たおまえが、この演目を壊す鍵になる」
ギリアムの筋書きで成り立つ大舞台。誘拐を餌にした虐殺の物語。その真の目的はいまだ語られていないが、ゴングの秘めたる計画など俺たちの知ったことではない。今は、このふざけた台本から抜け出して演者から降りることだけを考えれば良いのだ。
「ん。じゃあ、行くか」
全員の意思が固まったところで、俺は扉を蹴破った。観音開きが用を成さずに折れ砕ける。
ひやりとした夜の空気、更けてなお眩い摩天楼の街。騒々しく人々が駆けずり回るベリオール・ベルの繁華街。その、玉石混合のままにざあと地面にぶち撒けたような煌びやかな灯りを背にして、それはあった。
覚悟していた通りの、“罠”である。
「あははは! ウソだろ、正面から出てきやがった!」
その内の一人、真向かいに立っていた男が笑った。すると、これに呼応していくつもの嘲笑が湧くように起こる。彼は一人ではなかった。罠は一つではなかったのだ。
というよりも、彼ら全てをひっくるめて、罠であるらしかった。
「単純だな」
アールエンの感想は、おそらくこちら側の全員が抱いたものだったろう。しかしながら、捻りがないと侮った者は誰もいなかった。単純な手を打ってくる者の心理は二つ。考えることを止めたか、考える意味がないか。一目見れば、目の前に広がる罠がどちらであるのかは簡単に判別がついた。
それだけ強烈で、瞭然な、堂々とした罠だったのだ。俺たちが勘繰ったあれこれは下衆も下衆、隠す必要などハナからなかった。ギリアムはただ、己の立てた道筋プロットに沿って、自信をもって、忠実に進行していけばそれで良かった。
例えイレギュラーが行の隙間から顔を出そうとも、“ベリオール・ベル最強にして最大の組織が誇る数の前には無意味である”と、理屈を知らずに重力を信じる世界中の人間のように、安心しきって委ねていれば良かった。
「上等だ。そうこなくっちゃ」
そんな想定外の設定イレギュラーが一人、罠の前に立ちはだかる。男が笑って、男たちが笑った。ばかにしたような調子で、たった一人の無謀な子どもの勇敢を、数百人にもなるだろう大の大人たちが笑った。
嘲られるのは心地良く、侮られるのは甘美だった。事態の深刻さを把握している者と、そうでない者の差がはっきりと表れる。遠くの空から迫り来る暗雲に雷雨の予感を覚えるように、彼我の有り様から遠くない未来を予測する。
理は解して初めて意味となり、力となるのだ。彼らが数で勝るが故に驕るのは当然、何もおかしくはない。ただ、それが通用するか否かの見極めが彼らにはできなかった。土台、不可能な話だった。想定外の設定イレギュラー非常識な設定イレギュラーと知らないのだから、……当然、何も、おかしくはなかった。
「リノン、行けるのか?」
「この人数を一度に殺すのは無理だ。だから、突破して逃げながら戦う。用意しとけよ、ティアフ、アールエン」
いくら笑おうと、彼らの目に映る子どもはひるまなかった。両手を突き出して、戦う意思を示す。すると、笑い声が少しだけ、波のように引いていった。戦力の差は歴然。誰が見たってこちらの不利は動かない。単純な数の問題なのだから、それは専門的な知識の有無に関係なく理解されなければならない現実だった。それでも戦う気でいる……戦えるつもりで構える子どもの姿が、彼らの内の何人かには不快に映ったようだった。
滑稽を通り越して、既に度し難い。不遜であるということは、侮っているということ。こんな子ども相手に数まで用意して舐められたとあっては、チンピラでなくたって頭に来るだろう。
そういう経緯で、彼らはようやく、俺を排除するべき敵と見做したのだった。もう遅かったが。
ばこん。
突き出した両腕が破裂する。血と肉が飛び散る。けれど、舗装された地面へと落ちていくのは血液だけ。弾けた肉の粒の一つ一つからは四方八方へと“指”が伸びて、宙に散らばった他の肉と結合し、成長していく。点が線で繋がって、面と言うほどの密度ではないにせよ、無数な点を頼りに網の目を構成していく。それは俺たちを守るように広がりながら、同時に彼ら、俺たちを待ち構えていた数百というゴングのチンピラ連中の方へも急速に触手を伸ばしていく。俺を甘く見ていた……いや、そうじゃない、甘く見るか否かという以前に、全く俺というイレギュラーを理解できていなかった彼らには、このあまりにも突発的な事象に対応するだけの余裕がなかった。あらかじめ、俺がどういう存在で、故にどういう風な攻撃を仕掛けてくる可能性があるのかと、頭の隅にでも置いておければ、これぐらいの奇襲は奇襲にもならず、単なる牽制で終わったのに。

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