リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第62話

自由落下、ではない。一緒に中空へと突き上げられた男が、自身に刺さったレイピアなどまるで見向きもせずに、ヴィントを力一杯に殴りつけたのである。
ずどーん、と大理石の床に激突しクレーターをつくるヴィント。わずかな時間差で、ヴィントを殴り飛ばした男の全身が右肩を起点にして粉々に爆散した。レイピアの一撃を喰らったということは必然、レイピアの当たった箇所が爆発するあの不可思議な攻撃に晒されるということ。この場にいたのなら散々目の当たりにしてきたであろう因果、それを生身に受ければどうなるかの予想も決して難しいものではなかったはずだが、彼はそれでも、ヴィントに一矢報いることを優先したのである。攻撃を喰らった時点で爆発が回避できないと分かっていた上でなら潔く、後の布石となる正しい選択だったと言えよう。
この死を無駄にせんと、地面に突っ伏すヴィントへ矢継ぎ早にギリアムの部下たちが襲いかかる。まるで、腹を空かしたの獣の群れが一つの肉塊に飛びつくようだ。それを脇に見ながら、アールエンがシスターを抱えて走り出した。こっちの逃走劇もついに幕を上げる。
アールエンたちが動くと、彼女たちを囲む半透明の箱のような防御魔法も追随した。ティアフは担がれることを拒否して、自分の足でついて行くと決めたようだった。足が速いようには見えないシスターと比べれば、飛んだり跳ねたりはティアフにだってできる、鎧をまとったアールエンに合わせるぐらいは何てこともないだろう。
逃げ足については問題なし。ただ、それをギリアムたちが黙って見過ごしてくれるかどうかは別の問題。ヴィントとの戦いが続く中、ギリアムだけがこれを少し離れた位置から静観していた。足の怪我、ヴィントの不意打ちがたたって動けなくなっているなら良いが、もし、もはや自分の出る幕ではないという余裕の表れで手を出していないのであれば、あまり良い状況とは言えなかった。ヴィントを部下に任せられれば、ギリアムの手が空く。俺たちを捕まえるために動けてしまう。
そうならなければ幸い、こればっかりは祈るしかない。
とにかく、種々の心配は置いておき、今はヴィントを囮にして逃げ出すことだけを考えるべきだった。ティアフたちの安全が確保できれば、その時は改めてギリアムたちを全滅させれば良い。俺やアールエンが本格的に戦いに参加するのは、それからでも遅くはない。あるいは、彼らが外まで追ってこないと言うのなら、逃げ切って放置しても良かった。邪魔にさえならなければ、こちらから手出しする理由もないのだ。ティアフに手を挙げたツケを払わせるにしても、そのために彼女を危険に晒しては本末転倒。幸い、ヴィントはにやにやと薄ら寒い笑みを浮かべながら、自分の部下とヴィントとが戦っている様を眺めているのみで、俺たちのことなどまるで気にも掛けていないようだった。
全く、僥倖には違いない。このまま逃げ切ることだって可能なように思える。実際にあっさりとホールを脱出し、追っ手もなく、外へと続く廊下をアールエンらと共に走りながら、しかし、俺はどうにも安堵することができていなかった。この幸運は不自然だ。あまりに簡単に逃げられてはいないか?
「そうだな、あまり、気持ち良くはない」
並ぶアールエンもまた、俺と同じ考えのようだった。ティアフも頷き。
「あの錠剤だ。タイミングと言い、不気味すぎる」
と、顔をしかめる。
単対多、不意打ちに重ねて一人の死を厭わない犠牲によってやっと成り立つ連携だったとはいえ、人間がセイバーにまともな一撃を入れたのは確かだ。彼らが直前に口にした錠剤が、おそらくはその引き金、推進剤になっているのだろう。驚異的なのは、ホールから漏れ聞こえる音から察するに、今でも戦いが続いているらしいこと。つまりは、セイバー相手にいまだ全滅せず、対等未満であっても戦いを続けられていることであった。ヴィントを取り囲んだギリアムの部下たちは、一見すれば追い打ちに成功して彼をリンチにできたように見えたが、その実態は悲惨なもの。ヴィントにパンチが一発入る度に、ギリアムの部下一人が破裂して死んでいく、そんな割りに合わないトレードで、彼らは戦いを挑んでいた。だが、それでもなお、脅威なのだ。かれが死のうとも、全員かれらは瞬殺されていない。攻撃が通っていれば、いずれはヴィントを仕留める機会もあるだろう。なればそれは一方的な虐殺ではなく、立派に戦いとして成り立っている。
ギリアムが今の状況を見越していたとすれば、……そう、あの謎めいた錠剤によってこの状況を作るつもりでいたのならば、一体いつから策を練っていたことになる?
それが、ティアフの口にしたタイミング、不気味の正体なのだ。
思い返して見ると良い、明らかに不自然なやり取りがあったではないか。それを俺は、ギリアムの余裕や誇りの表れ、故の失敗だと決めつけていたが、単にそういう風に見えていただけで実際は違ったのだとすれば、どうだ。
余裕も誇りも確かにあった。だが、取り繕ったように見えていた俺の目が節穴で、本当は、その自信は強固に裏打ちされたもの、中身の詰まった鋼だった。思い上がった態度さえ演技だったのかも知れない。俺はすっかりと騙されて、人間がどれだけ化け物じみた力を手に入れようと、セイバーになど勝てるはずもないと高を括った自らの感覚を疑いもしなかった。俺たちがギリアムたちとの勝負などそっちのけでティアフとシスターの救出に全力を注ぐ、これに対したギリアムが、それでも俺たちの阻止に全力を傾けなかった事実を、俺は簡単に受け止め過ぎていたのだ。
足を止める必要はなかったとしても、走りながら考えておくべきだった。“俺たちを止めたいはずの場面でどうして、ギリアムは包囲陣形を崩さず、易々と突破を許す形を取ったのか。”
「簡単な話だ。あいつにはわたしたちを止める気など最初からなかった。それよりも、自分たちの戦力を削られる方を嫌ったんだ」
「それは、つまり……」
「そう。わたしたちに部下を殺され過ぎると、ヴィントに太刀打ちできなくなる。あの錠剤を使った上で、数の力がなければセイバーには敵わないと分かっていたんだろう。だから、わたしたちが一点突破すると判断できても包囲陣形を崩さなかった。“手を抜いたように見せずに被害を抑えるには、アレが最善だった」
「戦力の分散はリノンたちを止めるためじゃなくて、リノンたちの攻撃の対象を限定するため、か」
「けど、ヴィントを倒せてないことはギリアム本人が良く分かっていたとしても、乱入して来るかどうかなんてのは分かりようがないんじゃないか?」
「だから、迫から飛び降りての蹴りで分かりやすく隙を晒してみせた。もし、それでもヴィントが出て来ないようなら、錠剤と数の力はわたしたちを潰すのに使えば良かっただけ。どっちにしたって、わたしを孤立させて、戦力を分断する作戦には変わりなかっただろう」
「二度も勝ってるアールエンならいつでも倒せる。人質を持っていかれても取り返せる、てことか」
「でも、変じゃないか? ヴィントが出てくれば戦力は全部そっちに注ぐ。それじゃ、わたしたちがホールから逃げるのを止める余裕がなくなっちまう。実際、こうして逃げ出せたわけだし。戦力を分断しても取り逃がしたんじゃ、世話ないぜ?」
「逆だよ。そこまで織り込み済みなら、当然、わたしたちが逃げ出す場合のケアもしてる。むしろ、そっちが本命と考えるべきだ。ギリアムの手は空いていたのに、わたしたちをまんまと見逃したのが良い証拠」
もう既にホールからは遠く、このまま数秒も走れば外に出られるところまで来ていた。障害はなく、邪魔もなく、ホールを出てしまえば呆気ないほどにスムーズに、俺たちは敵の本拠からまんまと抜け出すことに成功しようとしていたのだ。
その、快調な駆け足が止まる。
エントランスホール、外へと繋がる豪奢な扉を前に、アールエンがぴたと走ることをやめてしまったのだ。
少し遅れて、彼女にならって足を止める俺とティアフ。
外への出口を閉ざすのは、焦げたチョコレートみたいに深い茶色と扉だった。黄金に輝く取っ手の装飾は半裸の女性で、そこらの彫刻なんか顔を真っ青にして逃げ出しそうなぐらいに作りが細かく、握ることさえためらってしまうような精巧さだ。
俺たちはこの、一体どれだけの値がつくのだろうか想像もつかない細工の取っ手に畏れを成して足を止めてしまった……のでは、むろんなかった。
アールエンの予想が正しければ、俺たちがこうして逃げてくることは想定済みで、既に手を打ってある、ということになる。ギリアム以下ゴングのメンバー全員がホールに残ってヴィントとやり合っていても問題ない、俺たちに追っ手をかける必要なんて少しもない、そういう策を張っていたからこそ、彼らは俺たちをみすみす逃し、追いかけても来なかったのだ。
その策とやらは未だ、明らかになっていない。こうして外へと通じる扉の手前に到達してなお、片鱗も見せていない。
巧妙に隠されているのだ、察知されないよう念入りに秘されている。
いや、しかし、もはや戸に手を当てれば外に出られるというところまで何の妨害もなかったのは、不自然ではないだろうか。もしかすると、罠とやらは不発だったのでは? ホールから外へと敷かれた一直線の廊下に隠されていた仕掛けが、うっかりと動作せず俺たちを素通りさせてしまったのではないか?
…………、まあ。
ないとは言えない。
が、あれほど自信満々に俺たちを見逃しておいて、そんな粗末な罠しかなかったなんて笑い話にもならなかった。
とすれば、罠はまだ作動してないと見るべきで、それは間違いなく、この扉の向こうにあるはずだった。
何らかの張り巡らされた策略が、今か今かと扉が開くのを待っている。その豪奢な取っ手に愚かな獲物の指がかかるのを待っている。
この嫌な予感を、今や皆が共有していた。自然と足が重くなる。当然だ、予想できている落とし穴に、真っ正直に飛び込んでいくバカがどこにいるというのか。これに気づいたなら、裏をかくべき。他の道を探して安全に外に出れば良いだけ。あるいは、踵を返してギリアムたちを殲滅しておく手もある。前門の策略、後門のギリアム、挟み撃ちにされてもおもしろくない。
考え込む内に、予感は砂のように積もっていって俺たちの足を埋めてしまった。そうやって動かなくなった背中を押したのは、誰あろう、シスター・アルモニカの一声だった。
「アル……」
か細い声。アールエンの脇に抱えられるシスターが、熱に浮かされたような様子で彼女の名を呼んだ。

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