リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第57話

「アルは僕のモノだよ。君と出会うよりもずっと前からね。アールエン・セイルグリュン。喜ぶと良い。無駄足だよ」
か、とアールエンの目の色が変わった。ためらいなく両手剣バスターソードを抜き、横薙ぎに斬りかかる。敵の横腹を一刀両断しようとする刹那、彼の細剣レイピアが割って入ってこれを防いだ。見かけの体格から分かる膂力の差、扱う武器の重量差、これらを鑑みて、力いっぱいに振られたバスターソードをレイピアごときで受け止めるなど不可能のように思われたが、しかし、弾かれたのはアールエンの方だった。
ぴいいいいいいいん。
刀身が触れ合うと、耳鳴りのように甲高い音をかき鳴らす。明らかに金属の斬り合う音ではなかった。一秒も続かなかった異音は、鳴り止んだ直後にアールエンのバスターソードを跳ね返す。まるで、レイピアが頑丈なゴムか何かでできていたみたいに、およそ金属同士で打ち合ったとは思えない不自然な吹き飛び方だった。
大きく剣を外側に逸らされたアールエンの懐が開く。必然、男がこの隙を見逃すわけがない。ひゅん、と軽見のレイピアが引き絞られた矢のように彼女を襲った。だが、アールエンも崩れた体勢のまま、即座に構えた凧盾カイトシールドでこれを受ける。方や盾というにはあまりにでかい鉄の塊、方や女の指のように細くもろそうな幅狭の刀身。普通に考えれば、レイピアがシールドを貫けるはずなどなく、無理に力を込めれば突いた方が砕けてしまってもおかしくない差がある。かん、と小気味良い音を立てて、男の細剣がアールエンの凧盾に突きつけられた。すると、ぴいいいいいん、と、またしても異音。金属をやたらめったりと引っ掻いたような不快で不可思議な音。もしやともやはりとも思う間もなく、たった一本の細剣に小突かれたアールエンの方が盾ごと吹き飛ばされてしまった。
豪快に客席に突っ込むアールエン。そこらの男どもなど比較にもならないような巨躯に、総重量の全く計り知れない防具類。これの下敷きになっては男も女も関係なく溜まったものではないはずだった。女の悲鳴、男の怒号。料理の盛られた皿の数々、色とりどりの酒が注がれた種々のグラス、これらを豪勢に積み込んだテーブルからソファーまで、何もかもが彼女一人に薙ぎ倒され、ホールに充満したお祭り騒ぎの空気。さあと引かせた。打って代わりに押し寄せてくるのは、怒涛のような混乱と喧騒だ。だが、こういう時のためにホール中にひっそりと待機しているはずのガードマンたちは、客の悲鳴の一つさえ聞こえていないかのように微動だにせず、ただただ俺たちを眺めていた。
「おい、てめえら、さっきから何なんだ!!!」
勇敢にも文句をつけにきたどこぞの男の首が跳ぶ。レイピア使いのセイバーは容赦がなかった。アールエンに対しても、最初から一撃で終わらせるつもりだったのだろうことが分かる。それを防げたから、アールエンは死んでいないだけで。
破裂の魔法ツレアか? いや、それにしては……」
アールエンが立ち上がった。下敷きになった身なりも顔立ちも良い優男は生きているかも怪しい状態だったが、むろん、彼女には傷一つなかった。威力は殺し切れずとも、攻撃は無力化できていたようだ。これを見て、男は悔しがるどころか、更に顔を歪め、笑って見せるのだった。
「そうさ、そうでなくっちゃ!」
始めは。
突然始まった戦闘に驚く者がいれば、余興か何かと思ってか気にせず呑み続ける者もいた。けれど、客の一人と思わしき男の首が宙を舞って落ちると、これが只事ではない、パフォーマンスや余興の類ではなく、本当の殺し合いなのだと理解したようで、後は我先にとホールから逃げ出すのだった。それを追う者も、遮る者も、また誘導する者もいない。この騒然とした空気の中で一人、祈りを捧げるように両手を上げ笑う男の姿は尋常ではなかった。
「僕を追って来たんだ、僕らを引き裂くためにね、釣り合いが取れないってもんさ!」
芝居がかった所作で、男が指を鳴らす。すわ何かの攻撃の合図かと思って身構える俺とアールエンだったが、この予測は的外れであった、ごうごうごうごう、ホール全体が振動し始める。足元の床よりも下の方で何か大掛かりな仕掛けが作動し、その駆動が伝わってきているようだった
「相応しい舞台を用意してある! 僕の決意を示す大舞台さ! 邪魔が入っちゃいけないからね、万が一にも、念には念を入れて、君みたいな無粋なセイバーは彼女の目の前で叩き潰してあげるよ!!」
「まさか、貴様……!」
「あは! あははははははは!!!」
逃げ惑う人々の足元をすくうほどの振動、段々と大きくなるそれは、地下から、この地上へ向かって上がってきているようだった。がん、がん、がん、がん。ステージの中央、床に設置されていた仕掛け扉が開いてとうとう姿を現したのは、周囲よりも数段高くなった小さなステージだった。
床をくりぬいて取り付けた昇降装置、“せり”と呼ばれる舞台機構である。床下に作られた空間ならくから人を押し上げたり、逆に引き下ろしたりするために使われるもので、おそらくは、初めからステージに備えられていたのだろう。
男が見せたかったのは、むろん装置そのものではなく、その壇上に生贄のように乗せられた何者かの姿であった。
「アル!!」
「ああ、アル! アルなのね!」
ここまでのお膳立て、呼び出されるのに相応しいのは誰かなど考えるまでもない。シスター・アルモニカとティアフ・ケイ・エコン。どちらも一切の衣服を身に着けておらず、両手首をステージの床から生えた鎖に繋がれ、座らせられている。
シスターはアールエンを見るなり、涙を浮かべてその名を叫んだ。ティアフの方は相変わらずの気丈振りで、涙の一つも見せていない。耐え忍ぶように静かであるのも、俺の方をじいと見つめるのも、隣のシスターとは対照的だった。
男はひとしきり、シスターとアールエンのやり取りを楽しんだ後で、ひひ、と薄気味悪く笑いながら、二人の間に割って入った。
「彼女の前で殺してあげるよ、君は相応しくないって証明するためにね! あはは! あはははは――」
「そうだな。ここで皆殺しだよ、ヴィントくん」
「は?」
ぴたり、男の心底、楽しくてたまらないという笑い声が止まる。全く予期していない声が耳に入った、そういう様子だった。
ステージには、シスターとティアフ以外にも三つの影があった。上半身の筋肉が異様に発達して逆三角形のシルエットになっている男二人が両脇に立ち、シスターたちの側には、深い紫色の長髪をなびかせる細身の男がいた。シスターとアールエンを見て笑う細剣使い……ヴィントと呼ばれた男に水を差したのは、この内の一人、細身の男だった。
ヴィントが振り返って、その姿を認める。発した声は、これまでの陽気なものとは打って変わって、氷のように冷ややかだった。
「なぜここにいる、ギリアム」
「良い機会だと思わないかい? セイバーが二人もいる、まさに、絶好、大チャンスだ」
「話が違う」
ぎりぎり、歯軋りをするヴィントのレイピアが、ギリアムに向けられた。両者の間は四、五メートル。近接武器で攻撃するには絶望的な距離だが、セイバーの身体能力を持ってすれば一息に詰められる程度の間合いだろう。ある種の魔法であれば近づく必要さえないかも知れない。その、あってないような見かけの距離を飛び越して、レイピアは実質、ギリアムの喉元に突きつけられているにも等しかった。
だが、ギリアムは少しも怖気づいた様子を見せなかった。彼の殺意などどこ吹く風、セイバーに相対しようが関係ない、と涼しそうな笑みを崩さない。
「正義の味方ってのは、お利巧さんだ。影を選んで歩く俺たち、ゴングの言うことを真っ向信じるんだから」
たんと床を蹴る音がかすかにして、ヴィントの姿が消えた。そうと分かった頃にはもう、彼はギリアムに肉薄していた。目にも留まらぬ突貫、しかし、ギリアムはあらかじめ分かっていたみたいな最小限の動作で、これをかわしてしまう。わずかに半身になってそらした上半身の脇を通り抜ける、一本の剣となって飛び出したヴィント。その隙だらけの腹にギリアムの膝が突き刺さった。
「こんなものか!」
くの字に曲がって浮いたヴィントの身体にすかさず、回し蹴りの追撃。宙を滑るように真っ直ぐ飛んだヴィントがホールの壁に激突して、めり込んでしまった。
数メートルを一瞬で駆け抜けるヴィントの脚力が尋常でないなら、これを見切り、的確に迎撃して見せたギリアムの実力はいかほどか。神業の応酬を制しながら、ギリアムの表情には少しの達成感もなく、かえってつまらなそうなのだった。
「こんなものなのか」
待ちに待ったおもちゃを買い与えられたのは良いけれど、いざ遊んでみると存外おもしろくなくて、すぐに飽きてしまう。そんな肩透かしにあった子どもみたいに、自らが蹴り飛ばしたヴィントの方を見る彼の目は濁っていた。

「リノンくんが世界を滅ぼすまで」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く