リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第56話

洞窟のような雰囲気だった地下道は、閉め切られたドアを強引に突破した先から急に水商売の店内然とした様相へと取って変わった。ともかく、灯りがある。踏みつけるのもためらう滑らかな赤絨毯と、この強烈な赤を中和して雰囲気を穏やかにする乳白色の壁紙。全体に浸透する自然な高級感を阻害せぬよう、控えめに、しかし大胆に、複雑な金の模様がそこかしこに施されている。
通路は狭く、一本道だ。左手側には等間隔で配置されたチョコレートみたいなドアが並ぶ。この地下にある個室の列が何のための部屋なのかなど、今更問うまでもなかった。しかし相変わらず、人の気配はない。今は使われていないのだろうか。先ほどの光の箱の魔法のように、セイバーがトラップを仕掛けていないとも限らないから、俺たちは、先の見える長くもない廊下を慎重に進んだ。何やら抽象的で意味の分からない絵画と統一感のない生け花が、ほとんど色気もなく義務を果たすみたいに飾られている。まるで、富豪の屋敷の一角を切り取ったような、豪奢だが寂しい風景。扉を四つも過ぎたところで、二又に別れる通路の一角を切り取ってある、こじんまりとしたカウンターが見えてきた。
丁字路の足と頭の付け根。俺たちは丁度、頭の左方向から歩いてきたような格好である。直角に折れ曲がったデザインの机に、椅子が二つ。受付が客を迎え案内するはずの場所には誰一人座っていなかった。閉じられて放っておかれた帳簿、羽ペンを立てて置けるインク入りの台座。日常から人だけがすうと消えてしまったかの風である。置いていかれた調度品はどれもがいかにも高級で、小物一つからでも店の隆盛を垣間見ることができた。
受付を過ぎて真っ直ぐ向こうには、また同じような室の羅列。そちらではなく、俺たちは丁字路の足の方へと歩き出した。ほどなく折り返して上階へと通じる階段が現れた。きっと目的地が近いのだという予感が、俺たち二人の間に、にわかに湧き上がって来た。もっとも、シスターやティアフが既に外へと連れ出されてしまっていたなら、追跡劇はまだ終われない。
階段を上り、いくつかの扉と廊下を経て、とうとう最後のそれの前までやって来る。この先、メインホール。ホステスのようにめかし込んだ看板が示すのは、華やかだが重厚で、歓迎の意を込めながらも威圧的な門扉である。一度に何人もの出入りが可能な幅を取り、両開きに縦長のドアハンドルが合わさればいかにも、といった豪奢な風情だ。否応なく、たかが押し開くだけだというのに緊張させられる。この先に、メインイベントが待ち構えている。蛇か、鬼か。そんなものよりもずっと恐ろしいゴングの化け物連中か。それともまだ見ぬセイバーか。うん、と声もなく互いの意思を確認し、俺たちはメインホールへと乗り込んだ。
名を、ペリアスランドという。
かつて美女ばかりの住む国があったが、この内側に女だけを問答無用で魅了してしまう魔法“ネイム”を特質として持った少年が紛れ込んでしまった。その国の女は女であるというだけで、誰一人としてこの少年の魔法に抗えなかった。女は何十万といるのに、彼女たちの愛する少年はたった一人。奪い合いは、いつしか壮絶な殺し合いへと発展し、最後には戦争と淫欲とを極め、とうとう国が滅んでしまう。……ここ、何百人という人間を一度に迎え入れる店の名は、このお伽噺の国から取られているのだ。
曰く、美女ばかりの国。それでいて、たった一人の少年によって秩序が乱され、性欲と愛情の違いも分からぬままに滅んでしまった、儚い国。
ホールの正面奥には巨大なステージがある。そこから一段下がって、手前の方にはずらりと並ぶテーブル席と人いきれ。脳みそを揺らす雑多な喧騒と、嗅いだだけでも酔ってしまいそうな酒の臭いが充満する。酒を喰らい、女を喰らい、この修羅の都で成功した一握りの男たちが今日も己の武勇伝を語っている。
扉を開けて入ってきたところで、それに反応する者はいない。客は愚か店側の人間の誰もが対応に出て来ないのは、俺たちの素性を知ってのことだろうと思われた。
左右に繁盛する酒池肉林を映しながらホールの中央を進んでいく。通路側の人間だけが、何だ、何だと檻の中の珍獣でも眺めるみたいに興味を示していた。しかし彼らもまさか、この見るからに貧相な少年と、妙にがたいの良い女が、この風俗店に打ち入って来た闖入者だとは夢にも思っていないのだろう。
ただ、ホールにいる全ての人間が俺たちを気にしていないのかと言えば、むろんそうではなかった。賑やかな雰囲気に紛れて、ホールを監視する目がちらほらと見受けられる。こんな場所では、酒に酔い、女に酔い、気の大きくなったバカな男が乱闘騒ぎを始めるなど珍しくもないはずである。そういう、相応しくない客を摘み出すための武力が、あちこちに過不足なく待機させられている。
そして、彼らはこちらの正体にも目的にも気づいている。
店を牛耳る闇の勢力、ベリオール・ベルの今の支配者たち。だが、 彼らもまた俺たちに手は出してくる様子はなかった。なすがままにして、見守っている。
真正面、ステージには一人の男が立っていた。年は二十そこそこ。年齢のほどはアールエンとあまり変わらないように見える。表情に物憂げな影を落とす、少し長めの金髪。目は細く、切れ長で、視線を追いにくい顔立ちだが、その奥に湛えられる黄金の瞳は遠目にも、やたらに輝いて見える。
何と言っても、軽装ながら鎧をつけている時点で、その男は俺たちと同様に異質だった。
芸をするわけでも、何か話術を操っているわけでもなく、男はただステージに立っている。そんな、何のおもしろみもない見世物に気を取られる客はいないようで、誰もがこれを視界の端にも入れず、店のサービスを楽しんでいた。無害だからなのか、その男は黒服のいかつい監視たちにも無視されていた。
とうとうステージの前に立つ。一段高い足場から、男がこちらを見下ろして、にやりと笑った。
「ようこそ」
何百人という人の立てる雑音に溢れるホールにあって、張るでもない男の声はいやにすんなりと鼓膜を打った。
「見立ては正しかったようだね。僕の魔法を抜けてきたんだろう? それなりに優秀なセイバーらしい」
男は笑っている。せっかくの端正な顔立ちを台なしにするほど、口角も、目尻も、一目に尋常でないと分かるように歪んでいた。
「そう、分かっているよ。君たちの目的は、ゴングが盗み出した宝物の奪還だ。もちろん、僕はきっと、君たちよりもずっと、その宝物の尊さを理解している。だから安心して。そう、怖い顔で睨まないでおくれよ。宝物は無事だ。余興のために服は剥いだけど、傷はつけていない。安心して」
服を剥ぐような乱暴な真似をしておいて無傷だよ、とは信じ難い話である。けれど、彼がその無理を通して“安心して”と繰り返すのは、どうにも俺たちを騙し、油断させようという意図で行われているようには見えなかった。アールエンの信用を勝ち取れはしないと諦めたところから信用しろと言って聞かせる少し前の俺の心境と、少し似ているのかも知れない。どこが、と問われれば直感でしかないが、落ち着き払った声色と、腰に下げた細剣に手も付けない戦意のなさから伺える、一種の無気力感。これが演技なら大したものだ。
「中にはね、逸ったバカもいたんだよ。あいつら、ゴングは、今やまるでコングさ。そういうやつは、僕がぶち殺した。傷一つ、血液の一滴だって降りかかっていないよ。感謝して欲しいものさ、僕にとっては小さい方はどうでも良かったんだけど、アルが助けて欲しいって言うから、そっちには血が降りかかるだけの損害しか出していない。別に、立ってのお願いじゃなきゃあ、猿の檻に放り込んだって良かったんだ。彼らは別にね、児童性愛そういう趣味じゃなかったとしても、ほら、脳みそが縮退してるから、メスだったら何でも良いんだよ。ふふ、やつらにはヤギをあてがったって喜ぶに違いない。知っているかい? ヤギってのは、境界線なんだって」
聞いてもいないことをべらべらと、まるで酔っぱらって見境がなくなったかのようだ。実際、男は熱に浮かされていた。本当に酒をあおっていてもおかしくないほど、目つきが蕩けている。話の中身だって、どうにも取り止めがない。けれど、彼の顔は陶器めいて蒼白で、らんと輝く瞳だけが正気を失っていなかった。ぎらぎらと、こちらを睨んでいる。楽し気に話して聞かせる声色とは裏腹に、一歩でも動けば殺してやると、そんな殺意を隠そうともしていない。
「無事なら返せ」
アールエンが短く、しかし鋭く、鎧の隙間にナイフを衝き通すように命じた。
「何で?」
対する男の返答は、全く身に覚えのないことを命じられた子どもが、その意図を聞き返すように無邪気だった。

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