リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第55話

時間経過で寿命は自然に減っていく。攻撃すればもっと早く減っていく。なら、ただ殴る以上に効率的に寿命を消費させられれば良いのだ。一発一発殴るよりも二発ずつ殴った方が強いに決まっている、という単純な理屈。俺なら、その“同時に放てる攻撃の数”も無限に増やせる。むろん殴る対象に限りがある以上は、俺がどんなに一斉にパンチを繰り出したところで、その限られた範囲にしか当たらないのだから、やり過ぎたって意味はない。大切なのは無限に驕らない節度。できるだけ隙間なく、この箱の魔法に攻撃できる方法。俺はすぐに、その答えを思いついたのだった。
簡単な話だ。“箱の魔法全体に俺が張り付き、包み込んでしまえば良い”。人間の全身に張り付く皮膚が意志を持って内側に殴りかかるようなもので、表面積だけで言えば最大高率だし、何より全方位から完全密着した状態で繰り出される攻撃など防ぎようがなかった。
一様に、等しく、喰らうしかないという悪夢。こんなに完璧な攻撃方法はないのかも、などと自画自賛したくなる。
ともかく、俺は準備を始めた。アールエンたちから見れば、俺が溶け、瞬く間に外側の箱の魔法を伝い、澄んだ水面に絵の具を落としたごとくに広がっていくのが分かったろう。そうやって自らの体積を延ばしていくと、俺の意識もまた肉体の全体に満遍なく行き渡り、いずれはそれらを俯瞰しているような感覚へと切り替わっていくのだ。それは実際に意識が宙に浮いて他人事のように自らを把握しているのではない。全身にくまなく、血管のように張り巡らされた意識が自らを同時に認知することで、自覚する全体像を客観的に自覚できる情報にまで膨れ上がり、結果として疑似的に自分を俯瞰しているようなイメージを描けるほどの精度へと高まっているのだ。これは酷く、不可思議な感覚だった。人間の姿でいる間には思いもよらない、自らが急速に拡大していくという体験。器が巨大になっていくに従って増幅していく自我は万能感でいっぱいになるのと同時に、普段から人間の大きさで留まっているせいなのな、自我の伸展は同時に希釈されているようで強い恐怖を兼ねている。
不死だから、それとも再生力の賜物か、意識の認識範囲にも限界らしい限界はなかった。初めは枝葉の末端までを正確に把握できていなかったような気もするが、今や造作もない操作だ。箱の魔法の全てを覆った俺には、好きなところに物を見る機能を再生して、全方位を見渡すことだってできた。さっきまで人間の形をしていたモノが、生肉の膜となって箱の魔法を覆う異形へと変化するのを、一体アールエンたちがどんな顔で見ていたのかも確認できる。興味はあったが、しかし、わざわざ見てやることまではしなかった。間抜けな顔をしていたら可哀想だし、今はさっさと箱の魔法を消さなくてはならない。
用意さえ整ってしまえば、時間にすると五秒もかからなかった。箱の魔法を割り、削り、砕き、外側から一斉に圧をかけて行く。魔法の箱に予め決められていた寿命、つまりはエネルギーの総量を、絶え間なく隙間なく攻撃することで急激に消費させる。最後の一片までを呆気なく壊した俺は、内側に包んでいたものがなくなって極小の肉の粒となり、石畳の床に転がった。
「リノン……?」
それは、傍目には生物ですらなかった。だから、俺がその、つまむのも一苦労な小石程度の肉片から再生してきた時には、さすがのアールエンも驚いたような顔をしてこれを迎えてくれた。人を驚かす、というのはなかなか気持ちが良い。俺が正体をできるだけ隠そうとする理由の一つには、そういういたずらな思惑が確かにあるのだった。
「終わりだ。先へ行こう」
「いや……待て、何が起こったんだ? ラ・ザクスまほうはどうなった?」
「見てただろう。喰ったんだよ」
「喰った? 吸収したってことか?」
「いや、そうじゃなくて、喰ったってのはモノの例えでな……」
いわゆる、見た目の話である。口の中に物を入れて、咀嚼し、飲み込む。飲み込まれたものは身体の中をすいすいと泳いで行くのだが、全身がスケルトンでもない限り、見かけの上では口の中の物は消えたように見えると、そういう話。
俺がやったのは、それに近いのだ。もっとも、食べてしまったわけではなく、魔法の壁は魔力へと分解されて宙へと溶けていった。言うなら、形も残らないぐらいに噛み砕いてやったという方が、状況をより正しく表しているのかも知れなかったから、俺の例え話にも一定の問題はあったのだろう。
まあ、瑣末な問題である。
「それより、アールエン。魔法を解いたらどうだ?」
「あ? ああ、そうだな」
呆けて俺を見るアールエンは、外側の箱がなくなっても自らの魔法を維持し続けていた。盾を地面から引き抜くと同時に、残っていた輝く箱が粒になって霧散する。消すのを忘れるぐらいに衝撃的だったのなら、驚かしたかいもあったというものだ。
「それにしても、代詠とはいえ、セイバーの魔法を数秒で消すなんて。……聖属性は、マイナーに勝てるようにデザインされてる魔法だぞ」
「勝てないもんには勝てないってことだ」
「そりゃ真理だろうが、……ああ、光聖の連中が落胆するな。聖なる魔法を打ち消された上、相手が無傷じゃあ、何のための兵器なんだか」
話している内に状況が飲み込めてきたのか、少しずつアールエンの口の回りが良くなり、調子も戻ってくる。最後には意気揚々と。
「これで、セイバーとも対等だ」
と、拳を強く握ったのだった。
「何だ、一人じゃ勝つ自信がなかったのか? おまえだって、そんなに弱いわけじゃないだろう」
「どうかな。この際だから白状するが、わたしの魔法の本分は事態の停滞や維持にあるんだ。最初から自分の下にあるものを守ることは得意でも、何かを奪ったり、追いかけたりすることは苦手なんだよ」
もっとも、その本分さえわたしは満足に果たせなかったのだけど。
自戒を込めて、アールエンが哂った。反省は大いに結構だが、折角障害を取り除いたのである、偽物がいるばかりの牢屋に立ち止まって反省会を開く必要もないだろう。
一先ずの危機を脱し、次への足掛かりを無事に見つけられた俺たちは、晴れ晴れとした気持ちでいよいよこの場を後にすることにした。
納得がいかないのは、残される二人の方である。
「セイバー! このダメ騎士、あんたもセイバーなら、マイナーを殺しなさいよ!」
仲良く去って行くことがどうにも許せないようだった。少女の方は、相変わらず何を考えているのか分からない目をしているが、こちらを凝然じいと映している以上、何の興味もないわけではないのだろう。
部外者があーだこーだと、この後に及んでは余計なお世話である。しかしながら、その言い分はやはり、至極真っ当でもあった。セイバーならマイナーを殺せ。許すな。見逃すな。アルマリクでの戦闘で、カナタ以下、大勢のセイバーが身を以て俺に示した守護者としての矜持。俺の横を歩こうとしたアールエンは、この長い間に積み重ねられて来た矜持を踏みにじっているに等しかった。その事実は彼女がセイバーとしてあるまじき姿を晒しているだけに留まらず、彼らを信じ頼っていた無辜の民かのじょたちさえも裏切る行為に違いなかった。
セイバーがマイナーと手を取り合ってしまっては、セイバーに頼るしかない弱き者は何を信じれば良いのだろう。偽物二人が心細く思うのも無理はない。
アールエンは誠実で、だから、この救いを求める哀れな声を捨て置くような真似はしなかった。
きっと、アルがここにいたら、君達を助けたろう。見捨てるわたしをどやして、手伝わせたに決まっている、と。
がしゃん、がしゃん。アールエンは二人を繋ぐ手錠の鎖を解いてやった。頑丈そうな鉄の鎖を、まるでりんごでも潰すみたいに素手で握り砕くのだから、末恐ろしい握力である。
「好きに逃げろ。行く場所がないなら教会にいると良い。アルは君たちだって受け入れるよ」
「は……? なに、何を言ってるの!? わたしはソレを殺れって言ったのよ! 助けて欲しいなんて言っていない! わたしたちはあんたたちを騙して、殺そうとしたのよ!?」
「はは、月並みだ」
吠えるアルモニカの偽物をそよ風みたいにやり過ごして、アールエンが笑う。朗らかな笑みは、今が戦場の只中であることを忘れているかのように穏やかだった。
「まだ、わたしを殺す気でいるのかい? もしシスターだって殺すというのなら、その時は許しはしない。けど、そうでないのなら、もう戦う理由はないんじゃないのか」
「何よ、聖人振るつもり!? その大好きなシスターの誘拐に協力したあたしたちを!」
「分かりやすく言おう。君たちが逆らうのなら、そこのマイナーが相手になる」
「なっ……」
アルモニカの偽物はきっと、あらゆる反論を用意していたことだろう。その捲し立て方は素人のそれではない。いかにも気が強く、上から押し潰す形の口喧嘩で多くの人間を粉砕してきた人間のそれだった。
しかし、彼女は彼女を侮っていたわけだ。まさか、そんな隠し球を用意していたなんて、いや、その隠し球を使ってくるような人間だなんて、きっと思いもしていなかったのだ。
「ば、ばかなことを! マイナーが協力するはず……」
ない、とは声に出せない。その可能性も有り得ることは、これまでの俺の言動を観察していれば当然考えられたのだ。
アールエンが続ける。
「あるいは、もし既にシスターが死んでいたなら、わたしは君たちをどこまでも追いかけて殺すと思う。怪我をしていたら、何倍もの報いを受けてもらう。辱められていても。そうじゃなければ、それで良い」
「……」
ひたすらにアルモニカ本位。滅私に徹し奉公を尽くすその態度は、理解し難く、それ故に理解し易かった。単純で、純粋。自らを極限まで抽象化した人間像は、もはや超人的にも見える。
これを前に、偽物はとうとう反論せず口を噤んだ。意味がないことを悟って、無言以外の抵抗を思いつかなかったのだ。アールエンという人間はアルモニカのために自らが在ると信じており、この信仰は彼女の生き方を支配する唯一の指針にして、彼女を構成する唯一の要素となっている。手段も、目的も、この名の下に統一されているのだ。これに口喧嘩で打ち勝たんとするならば、まずは当然、彼女に巣食うアルモニカ信仰をばらばらに崩してやらなければ話が先に進まない。
可能か不可能かで言えば可能だろう。この世に壊れないものなど存在しない。心だって、存在する以上は摂理からは逃れられない。だが、そうやってアールエンの全存在を否定して、後には一体何が残るだろう。腑抜けのアールエンと、論破してやったという達成感か?
アールエンが動かないには、きっと変わりのない結果だ。そんなものに、何の価値がある。
「……意味が分からない」
「ああ。理解される必要はどこにもない」
それで、済ませておくべき全ての会話が終わった。背中を向けたアールエンのマントを惜しそうにぎゅっと掴んだ少女にも、アールエンは何も言わず、その頭を撫でてやるだけだった。
少女もまた、声を発しない。しかし、マントから手を離して、後は静かに、精巧な人形めいて立ち尽くし、展開についていけず俯いているのが精一杯の道連れに変わって、俺たちを最後まで見送ってくれるのだった。

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