リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第53話

「これは……」
「触るなよ、リノン」
頼まれたって触るものか。外側の箱も内側の箱も、俺にとっては天敵なのだ。忌々しくも神々しく煌めく属性の色は“”。セイバーだけが使える、対魔者用の特殊な魔法だった。
カナタらセイバーと戦ってきただけあって、その判別は簡単だった。嫌悪のような、憤怒のような、恐怖のような、自分と相反する属性に相対した際に湧き上がって来るこの感情は何とも説明し難く、故に比較するべき例がなくて、必然目の前の魔法は聖なる魔法なのだと理解させられるのだ。
何ともはや、痛烈な感覚である。
「……でも、なんでそんなもんが?」
確認するまでもないと分かっていながら、俺は問うていた。これを発動したのはアルモニカの偽物で、聖属性を扱えるのはセイバーのみ。つまり、このみすぼらしい偽物の女性が、実はセイバーなのである。してやられた。アールエンが唇を噛んで悔しがったのも分かるというものだ。まさか、自分を繋ぎとめて囮に使うような戦法を取ってこようとは、思ってもみなかった。
アールエンは、ティアフの偽物を見て、俺よりもずっと早くそのことに気付いたと、そういうわけだ。
……ん? ティアフの偽物の少女? どうしてそこで気づくんだ?
普通、アルモニカの偽物を見て気づくものじゃないのか?
「違うよ、リノン。そうじゃない、この女はセイバーじゃないんだ」
光の箱を受け止めるアールエンの表情は苦々しかった。騙されて悔しがっている、という風ではなく、もっと別の問題に気を揉んでいるように見える。
「セイバーじゃない? でも、ラはセイバーしか使えないだろ」
「今のは“代詠魔法”だ。本来の魔詞は“ラ・ザクス・ズィシュ・エリュタ”といったところか」
「代詠……って、別の人間に魔法を託して打たせる魔法、だったか?」
アールエンが頷く。代詠魔法についてはティアフからレクチャーを受けていた。
魔法の発動そのものは他者が行い、これを別の他者へ託す技術、これを代詠魔法と呼ぶ。託す側は魔法と一緒に発動のカギとなる魔詞を授け、託された側はこの発動キーたる魔詞をもって魔法を発動するのだ。例えるなら、完成した爆弾と着火のための道具を渡し、爆弾の使い方を説明しておけば、後は渡された側が自由に爆発させられると、そういうような仕組みである。
発動するだけの状態で魔法を停止させ移譲する、というのは非常に繊細な技術のようで、おいそれとお目にかかれるものではないそうだ。もっとも、セイバーレベルとなれば話は別だが。
「じゃあ、この箱型の魔法はこいつ自身のものじゃない」
「そうだ。イコール、“こいつに魔法を託したやつがいる”。おまえの言う通り、ラを扱えるのはセイバーだけだから、この事件にはセイバーが関わってるってことだ」
「でもここに光聖はいないって、ハンドベルのリーダーが言ってたぜ?」
「それは表向きの話だよ。光聖はベリオール・ベルから完全には手を引いていない。そうとは言わず、けれど結構な数のセイバーが都には潜んでいるんだ。もっとも、この一件に絡んでるのはそういう正規のスパイじゃないだろうが」
「そんなこと、なぜ分かるんだ?」
いや、そうじゃないか。正確に問うのなら。
「どうしてそんなことを知っている?」
という言葉を使うべき。
ベリオール・ベルを長年支配していたハンドベルの知見を“表向き”とばっさり切って捨てられる見識。対して、中央街から離れ隅っこの方でひっそりと暮らしていた彼女が、何の前触れもなくベリオール・ベルの“裏向き”の話を口にするのは不自然極まりなかった。それはそうだろう。どちらが信用に足るかと言えば当然実績のあるハンドベルだし、光聖がいないからこそベリオール・ベルは好き勝手にできている、という彼らの論理にも納得がいっていたのだ。
一方で、もしアールエンの話が本当なら、これは由々しき問題だった。光聖はベリオール・ベルの現状を肌身で知りながら放置している、という事態になってくるのだから、手を引いて外から傍観しているよりも悪質なのである。アルマリクの一件を鑑みるに、光聖が決して正義ばかりの組織ではないのは分かりきったことだが、アレだって表向きはきちんと都を運営していた。それと、都の健全ではない在り方にちっとも異議を唱えず、潜伏と監視だけを続けているベリオール・ベルとでは問題の次元が違う。
前者は裏でこそこそとやっていただけ。後者はもはや、公に悪行に手を貸しているに等しい。
仮にこれが真実だとすれば、両者の関係性はトップシークレットだろう。無法が通り淫蕩に沈むベリオール・ベルが、本当は光聖の支配下にあったなど、世に喧伝されれば彼らの清廉なイメージ、築き上げてきた信用に大きな傷がつく。そういう体質……つまり、都合が悪ければ封殺することもあるという光聖の裏の正義が懸念されたから、アルマリクでの反乱だっておいそれとは起こらなかったのである。
それほどの秘密を、ベリオール・ベルに積極的に関わって来なかった一人の人間がおいそれと知り得るとは思えない。
俺がそう聞くのは分かっていたのだろうが、しかしアールエンは答えなかった。難しい顔をしているのは、魔法の維持に気を取られているからばかりではあるまい。むろん、そちらの方も気を抜けはしないだろうが、今さっきまでべらべらと喋っていたのだから、俺の質問に答えるぐらいの余裕はあるはずだった。
答えは、意外なところから差し込まれてくる。
「そんなもの、そいつがセイバーだからよ! ねえ、節穴の騎士様!?」
アルモニカの偽物だった。相変わらず、鎖に繋がれてなければ噛み付いて牙を立て、爪を喰い込ませそうな激しさである。
「…………どうして、そう思う?」
「魔法を置いて行ったやつが言ってたわ。“教会の騎士は普通じゃない。ゴングの化け物に襲われて生き残るなんざ、普通の個が持つ戦力を遥かに超えている。あれは、化け物じゃなければセイバーだ”ってね」
「化け物って可能性も残るじゃないか、それなら」
「あんたの使っている魔法、それが聖なる魔法だってことぐらい簡単に分かるわ。“ラ・ザクス・デイカン”。事象デイカン以外を省略して聖なる魔法を使う人間がセイバーでないなら、今すぐに舌を噛み切って死んだって良い」
すらすらと魔法についての知識を口にするアルモニカの偽物。迷いのない口振りから察するに、こんな役に身を落としている彼女だが、本来はある程度魔法に精通したまともな人間なのかも知れなかった。ティアフ曰く、魔法の運用に関する知識は一般常識らしいが、彼女の場合はそうした一般常識をただ当てはめているというよりもずっと実感がこもっているように聞こえる。自分で良く使い、良く見てきたからこそ知っている、そういう自信だ。
アールエンは、これにも真っ向から答えなかった。ただし否定はせず、俺に話を振る。
「リノン。おまえはどうなんだ?」
「箱がどっちも聖属性だってことにはすぐ気付いたよ。でも、そうするとさ、ちょっと腑に落ちないことになるんだ」
「何が気になる」
「おまえ、俺の正体に気付いてないだろ」
「……正体?」
魔法を発動してから初めて、アールエンが俺を見た。まるで、今まで見たこともなかった異形を目の当たりにし、訝しむような、油断ならない鋭い意気の内に戸惑いを孕んだ瞳。きいきいと二つの箱の魔法が凌ぎ合っている。状況は変わっていない、おそらく結構な時間、そうしているのだろう。
「もし気付いていたなら、おまえは多分、最初の最初から俺をシスターに近づけはしなかったよ」
「……何だ、殺し屋とかか? それとも、セイバー? 名の売れた殺人鬼? 確かに、おまえの強さはわたし以上かも知れないが……」
「違う、違うよ、良く考えろって。俺は、“おまえなら気付いたはずだ”と、そう言ってるんだぜ」

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