リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第51話

人目がないことを確認し、長かった下水道を抜け出す。そこはどうやら中心街のどこか、店の裏手に通る路地のようだった。喧騒は遠く、灯りもほとんどない。目の前にそびえる大きな建物の種別や名前も、裏から背を見上げただけでは全く知れなかった。まあ、繁華街にある建物だ、風俗関係の何かだろう。それにしては大きいが。
「これだけ大きいとなると、ベリオール・ベルでも限られてくるな。“アルディオン”か、“ペリアスランド”か」
どちらも女性と飲食を楽しむタイプの商店らしい。露骨に性的サービスを行う店というわけではないが、名前が挙がった二つは、その手の中では二大巨塔なのだとか。当然稼ぎも半端ではなく、ベリオール・ベルの財政基盤にして、ベリオール・ベルを占めるギャングの重大な資金源でもあった。
「追跡魔法は中に入っていってるな」
「こんな目立つ場所に連れてくるというのも、変な話だ。……まあ良い、行くぞ」
夜はまだまだこれからである。稼ぎ時の深い時間帯、人目のある風俗店を誘拐犯が使うのは、何やら不用心なように思われた。普通は、もっと寂れた場所を着地点に選ぶはずである。が、そんな程度のことは彼らだって分かって、わざとやっているのだろう。夜の街に長く関わっているのは向こうの方なのだし。そのちぐはぐさには一抹の不安を覚えながらも、俺たちは素直に追跡魔法を辿って、店の裏口から中へと侵入した。
後ろ手に背負った盾の持ち手を握りつつ、先にアールエンが入って、後に俺が続く。不意打ちがあるとすれば、防御魔法を使える彼女の方が対処しやすいために、この順番は自然に決まったものだった。怪我をしないことだけを求めるなら俺が盾になった方が良いのだが、それでは身の上がバレてしまうので得策とは言い難い。俺の正体は隠せるところまで隠しておくべきなのだ。アールエンのなけなしの信頼を維持しておく意味でも、アルマリクと同様、敵が俺の能力を誤認し続けることでぎりぎりまで状況を有利に保っておく意味でも。
裏口は細い通路に続いていた。清掃道具からホステスの衣装らしき煌びやかなドレスまで、あるものは硬紙の箱に詰め込まれ、あるものはそのまま外に放り出され、ともかく雑多に物が積まれた狭苦しい通路だ。巨大な水商売の胎の中にしては貧相に過ぎるが、それはいかにも客の目につくことのないバックヤードといった風で趣がある。とりあえず不意打ちがなかったことに胸を撫で下ろしながらも、アールエンは、扉を閉め切る前に奥まで目を凝らし、危険がないかをさっと確認していた。何しろ、通路には灯りがない。天井にそれらしき照明器具が埋め込まれてはいたが、来客にも知らぬ存ぜぬで沈黙を通している。手元に火を入れるスイッチの類があるわけでもなく、月明かりを採り入れる出入り口を閉めてしまえば視界まで閉ざされることは容易に想像できた。
安全だと判断してドアを閉める。ぱたんと光が遮られると、すぐ側の壁さえ触れなければ確かめられないほどの暗闇がやってきた。月や星の輝きがいかに強いのかを思い知る、そんな瞬間である。
それにしても。
「灯りがつけられないなんて、そんなことあるのか?」
「多分、自動なんだろう。人を感知するタイプだ」
「ポンコツってわけか」
「あるいは、意図的に切ってる」
暗くてアールエンの表情は分からない。が、声は張り詰めていた。彼女の言うように意図的に灯りを消しているとすれば、この暗闇には意味があるということになる。少し考えて、そっか、と俺は答えを導くのだった。
演出わざと
「気を付けろよ。身動きが取りにくいからな」
空間を限られれば、それだけ動作にも限りが出てくる。彼女は俺を気遣うようなことを口にしたが、真に気を付けなくてはならないのはむしろ彼女の方だった。すれ違いもできない一本道では先頭を歩くアールエンが先に狙われる場合がほとんどに違いないし、そもそも一本道に入った時点で、俺たちは罠にかかっているも同然なのだ。真正面から敵が殴って来るにせよ、飛び道具の類で狙い撃ちにされるにせよ、避ける余裕のない単純な構造体に潜ってしまった段階で、これは格好の的以外の何者でもない。加えて、アールエンはただでさえ身体が大きい上に、大仰な鎧をまとい、盾を背負い、剣を提げている。身をよじることさえ許されない中で、罠に飛び込んだことを自覚しつつも、これに真正面から対峙する他に追跡魔法をなぞる方法は存在しなかった。
その点で、彼女には突っ立ってても発動できる盾、防御魔法がある。敵にとって予測しやすい状況は、逆手に取ってみれば“それぐらいしか選択肢がない”とも言えるのだ。気を付けるべきは前面だけ、これに対する防御魔法を展開するなど朝飯前。彼女は自らのそうした利点を最大限に活用するために、通路で邪魔になる実際の盾を構えず、あえて背負ったまま敵地へと入ったのだった。それに、盾を構えれば剣を抜けないが、魔法を展開しながらなら剣を振れる。アールエンは、より自由に動ける方を選んだのである。
一度ならず二度までもやられているだけあって、アールエンはかなり慎重に歩を進めた。無用に音を立てたり足場を散らかさないよう、まるでそういうトラップめいて積み上げられた雑貨の山にも極力触れないように気を払った。だが、抜き足差し足の二人を嘲笑うみたいに、暗闇はただ鎮静で、ホラーらしい不気味さを孕みながらも、いかなるスリルとも無縁であり続けた。何も起きないまま、ふと、開けた場所に出る。暗闇に慣れ始めていた目が、その空間の輪郭をたどたどしく描き出した。
概要は、それまでの通路と変わらない。細いか広いか、四角か丸いか。後は、机や椅子、巨大な照明、満席のハンガーラックなど、空間が広がった事実に合わせてもう少し大きな物が捨て置かれていた。ここは物置で、溢れ出した細々が通路に並んでいたと、そういう理屈らしい。
相変わらず、照明は天井に見えるが、それを点ける手段はないようだった。
「アルは……階段か?」
物置は、今自分たちが入って来た方を合わせて四つの通路に分岐している。真っ直ぐは、おそらく店のメインホールへと繋がっているのだろう、かすかに灯りが見える。後ろは今来た方角、つまりは外だ。残りの左右がどこに続いているかは不明だったが、その内の向かって左、追跡魔法が示す先には階段があった。
二階ではなく、地下に続くそれ。ここまで何の支障もなかったことと同様に、階段もまたあけっぴろげだった。不用心、いや、これはもう無関心の類だろう。どうせ誰も入ってくることなどない、という安心、あるいは慢心がありありと見て取れる。故に、それはあからさまに怪しかった。
「こういう店って、地下があるもんなのか?」
「特別な客のためのサービス、ってのはあってもおかしくはないだろうな」
いかにも汚らしいものを吐き捨てるように、アールエンが答えた。
雑に放置された小道具類から察するに、この店は風俗業の中でも接待メインの店だと思われる。だとすれば、特別なサービスが何を指すかは聞き返すまでもない。通常営業が接待メインなら、通常でない営業は別のていを取っていなくては意味がないのだ。今回なら、風俗業のもう一つの顔である性的サービスの方、ということになる。
「じゃあ、この地下は……」
その可能性を、アールエンは自ら口にしておいて、あまり考えないようにしているらしかった。もし本当に、この店が表向きは水商売を、裏で性風俗を営んでいるとすれば、それはメインホールに堂々と構えられていたり、そのすぐ隣に見えるように設置されているものではないはずだ。目立たない場所で隠すようにして営んでいるに違いない。そっちの方が、特別待遇V.I.Pとしては分かりやすい。して、どこにどうやって隠すのがベストだろう。
裏。サブ。隠されたメニュー。往々にして、メインストリームから外れたモノは地下に隠すと相場が決まっている。
つまり、この階段は風俗店に繋がっている可能性が高かった。その奥を追跡魔法が示している以上、“連れ込まれた二人がどういう扱いを受けているかも”察しがつこうというものだった。
「くそ」
毒づくアールエンだが、ここで足を止めているわけにもいかない。ぼうと突っ立っていればいずれ誰かに見つかるだろうし、行動は早々に起こさなくてはならなかった。騒ぎになってゴングに気づかれた時、彼らが二人をどう扱うかも知れない。言われるまでもなく、アールエンだってそんなことは承知の上であり、憂う時間があるのならさっさと二人の下に向かうのが最善だとも理解しているはずだった。ただ、アールエンは一歩を踏み出さない。踏み出せない。憂慮すべき事態に直面した時の心構えを、彼女はつくっておかなくてはならなかった。
その点、俺は気楽なものである。どんなひどい目に遭っていようと、生きてさえいれば良いとしか考えていない。それはティアフにしてもシスター・アルモニカにしても、だ。仮に、もしティアフが死んでいたすれば行動方針が変わるだけ。誘拐犯は全員殺す。それが見せしめなのか、憂さ晴らしなのか、リノンというマイナーの根源的な衝動なのかは分からない。
時間にすると十秒もなかったように思う。それでも、敵地に入って棒立ちしているには長い時間だったはずだ。アールエンがゆっくりと歩き出す。
当然のように、階段の照明も動いてはいなかった。足元はほとんど伺えず、少し気を抜けば踏み外してしまいそうだ。きっちり一階分、それぐらいの段数を下り切ると、細い通路が待っていた。地面をくり抜き、石のブロックで補強したままの景観。その先に待っていたのは、水商売にも性風俗にも似つかわしくない鉄格子の牢屋だった。アールエンはこの格子の向こうに人の影を見つけるなり、駆け寄ってその名を叫んだ。
「アル!」
女性が二人。大人の方がシスター・アルモニカで、子どもの方がティアフだろう。二人は奥の壁から生えた手錠に繋がれて、ぺたりと座り込んでいた。風俗嬢の真似事をさせられていなかっただけでも僥倖だが、意外にも彼女たちは全くの無傷であった。服装は浚われるよりも前のままだし、ぱっと見たところでは怪我をしている様子もない。ただ連れ込まれ、ただ繋がれている。本当に誘拐だけが目的で、それ以外のいかなる蛮行も行われていないようだった。言ってみれば、最悪の場合も覚悟していた俺たちの予想を裏切った、“清廉な”誘拐の現場だった。
……いや、本当にそうなのか? 待ち伏せはなく、トラップもなく、容易に辿り着いた敵のアジトで見つけた二人は無事。あまりにうまくいき過ぎていないか?
「アル? アル!」
呼びかけても反応がない。両腕を頭の上で手錠にかけられているから座っているような恰好になっているが、手錠がなければ石の床に倒れていたことだろう。あのぐったりとした様子、二人とも意識がないのか。あったとすれば、こちらの掛け声を無視する理由がないのだ。それに、意識がないだけなら特に問題はなかった。このまま連れて帰るには何の支障もない。障害と言えば、彼女たちを閉じ込める鉄の格子と鉄の手錠。しかし、尋常ならざる怪力のアールエンからすれば、それらは紙に閉ざされ布で縛られているにも等しい無意味な拘束だった。筋力だけでへし折った格子を抜け、アールエンがシスターの前にひざまずく。まるで、お姫さまを助けに来た騎士のよう。なるべく優しく声をかけると、シスター・アルモニカはやっと、その声に応えたのだった。
「残念でした」

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