リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第50話

むろん、彼女の感覚、それに基づく言い分をを全面的に信じるのは危険でもあった。四日しか付き合いのない人間を信用しろというのも無理な話である。しかし、矛盾するようだが、俺には彼女が見栄や意地で嘘を吐いているのではないという確信があった。理由は簡単で、四日前の襲撃で実際に戦った俺もまた、やつらがおおよそ普通の人間とは言い難かった事実を肌身で感じているからである。そう、あの不気味さであれば、アールエンの予想を遥かに上回って強くなる事態さえも、むしろ正常な経過であると言えた。まともに鍛えたところで決して手に入らないだろう膂力を手に入れていた化け物たちなら、自然や常識を超越した時間で強化されていってもおかしくないと、そういう理論だ。前提が初めからおかしい以上、そこに常識を求めても仕方がない。
「言ってみれば、アレはセイバーが持つ強さやマイナーが持つ強さに近い。普通の人間では持ち得ない神がかった強さだった」
的確な表現だろう。才能豊かな者が、ある種の儀式を経てようやく手に入れるというセイバーの強さは、まさに努力や鍛錬では超えられない壁の象徴である。ゴングのやつらが発揮していた強さは、それに近しい類だった。強さの質、次元が違うと表せば良いだろうか。人間ともセイバーとも戦ったことがあれば、その区別を歴然としてつけることはそう難しくない。アールエンに関しても、彼女がセイバーやマイナーと関わりがあるのかは分からないが、この一年、ゴングに襲撃されて人間とはずっと戦ってきたのである。骨身に沁みた人間というものの在り様、その質が急激に変化したように思えたなら、それはおそらく正しい感覚なのだ。
「まるで、マイナーやセイバーと戦ったことはあるみたいだな」
「わたしは普通の人間だぞ。そんなのと戦えば命がいくつあっても足りないよ」
アールエンが苦笑する。彼女の防御魔法も大概な代物に見えるが、セイバーならそもそも苦戦などしないと言われれば、俺にはその通りに思われた。例えば、カナタだったら近づかれる前に一刀両断だ。ゴングが束になろうと勝負にもならない光景がありありと想像できる。
「カナタ・ツーシーランス。噂には聞いたことがある。離れたところを斬る魔法が使える、だったか?」
「ああ。アレの前じゃ身体が強いなんてのは何の意味もない。大体、ガードできるもんなのかも怪しいぜ」
「まるで、戦ってきたみたいな言い草だな」
「まさか。そんなのと戦ってたら命がいくつあっても足りないよ」
危ない危ない、口を滑らせるところだった。マイナーであることを隠している以上、セイバーと戦ったなんて話はするべきじゃない。アールエンの言う通り、普通の人間がセイバーに立ち向かえば生き長らえるはずはないのだ。戦ったなどという話しになれば、今ここにいることに矛盾が生じる。俺は、その危機をぎりぎりで回避できたと思ったのだが、しかし、次のアールエンの言葉には驚きを隠せなかった。
「まさか、ね。わたしはてっきり、アルマリクでの騒動もおまえに関わり合いのある話かと思ってたよ」
ちくり。
棘のある声色だった。この四日間、一緒に過ごしていた間は一切触れてこなかった話題。まさかそこに話が及ぶとは思ってもいなかったので、俺は思わず足を止めてしまった。
同じように足を止め、こちらにゆっくりと振り返るアールエンの表情は厳しく、今から共に戦おうという仲間に向けるものではとてもなかった。目の前に立つ俺への疑惑を隠そうという気がさらさらない。威圧するような視線を、俺は真っ直ぐに受け止めて睨み返すのだった。
もっとも、折を見て問い詰められるだろうと覚悟していたのも事実である。子ども二人組の旅人、どう考えたって訳有りだ。問題は、触れられていなかった話題に触れられたことではなく、むしろこのタイミングで切り出してきたことの方だった。人の良いシスターが俺たちの事情を聞き出そうとせず、その人柄に甘えてティアフも素性を語らず、アールエンはこういう性格だから、シスターに倣って口を噤んでいた。その沈黙をなぜ、よりにもよって今、破らねばならなかったのか。
「おまえ、俺を戦力と見てただろう。このまま黙っていれば、二人で二人を助けに行けた。それで良いじゃないか」
「だからだよ、リノン。戦力になるってことは、脅威にもなるってことだ。おまえの得体が知れない以上、土壇場でシスターに危害を加えないとも限らない」
「信用ならないか?」
「ああ、少しも。おまえ、何者だ? “普通の人間”じゃないのは、おまえも同じじゃないのか?」
何を根拠に、そう問うことはしなかった。愚かであると分かり切った質問だったからだ。二人の間で“普通の人間じゃない”という意見で一致するゴングを、俺は三人殺している。それは果たして、普通の人間に成し得る戦果だろうかと考えれば、いやそうではないという疑惑が浮かび上がってくるのは当然の成り行きだった。むろん、同じように二人殺しているアールエンが自分を普通だと称するのもおかしな話になってくるが、実を言えばこれも今更な疑問なのである。鎧の下にまとう彼女の肉体、それに触れ、間近で見た俺には、これが明らかに異常なものだとすぐに分かった。鋼を肌色に塗ったような筋肉。ゴング同様、自然に身に着く類のものではないと一目に理解される、そういう身体つきだった。
普通じゃないのは、おまえもだろう? 意趣返しに聞いてやろうかとも思ったが、意味のない問答になるのは火を見るより明らかだった。アールエンはきっと本当のところを話さないだろうし、彼女の場合は正体が何であれ、俺と違って実際に一年間もシスターを守ってきた実績がある。アールエンという人間の本質は疑いようがなかった。それでも、この場にシスターがいれば口を割ったのかもしれないが、だったら何だと言うのか。俺が目の前の女性について委細を知る意味はどこにもない。
だから、その逆。得体のしれない俺の正体を彼女が聞きたがるのは自然な流れだった。後でも先でもなく、今触れてきたのも、次の戦いにおいて俺をどう扱うべきかの材料を揃えるタイミングがここしかなかったからだ。アールエンは、彼女が言った通り、戦闘のどさくさに紛れて俺が裏切る可能性を危惧している。シスターの目がない今なら、彼女は堂々と俺を試せると、そういうわけだ。
俺からすれば、生半な答えは口にできない詰問だった。彼女を怒らせたり、俺は信用ならないと判断されれば、おそらくアールエンは剣を抜く。勝ち負けではなく、こんな場所で無為に時間を消費することはお互いにとって得策ではないが、のこのこと脅威を引き連れて戦場に赴くぐらいなら、多少の時間がかかっても処分しておこうと考えるのは分からないでもなかった。彼女は誠実で、慎重だ。できるだけ、リスクは排除しておきたいのだろう。
しかし、生半な答えを口にせず、かといって俺の正体を隠したまま切り抜けるのは難しかった。だから多分、その線で解決しようと思わない方が良い。要するに、俺がシスターやアールエンにとって無害だと証明できれば、それで良いのだ。
「……まあ、何だ。普通じゃない、ってのを否定はしない」
「否定はしない? じゃあ、やっぱり人間じゃないのか?」
「そりゃ秘密なんだ。ティアフにも口止めされてる。言えないんだよ」
「答えになってない。はぐらかしても良いことはないぞ」
「分かってる。ただ、恩義を理解できる程度の知能はあるからさ」
人差し指で自分の頭を指してみせた。アールエンには一瞬、俺が何を言ったのか理解できなかったようだが、それに思い当たるのはすぐだった。
「……あの娘か?」
「シスターがいなけりゃ死んでた」
「アルは恩人、そういうことか」
「分かりやすいだろ。それが俺の正体、ってのはだめ?」
厳しい表情を崩しこそしなかったが、とりあえず刃が閃く物騒な事態にも発展せずに済んだようだった。アールエンは口元に手を当てて何事かを思案し始めたようだが、その鋭い視線だけはずっと俺に向けられていた。見定めようとしている。一発で納得させられはしなかったが、まあ、切り捨てられなかっただけ及第点だろう。そもそも、最初の質問から答えをずらし、はぐらかしている時点で、そう簡単に納得させられるものではないのだ。
「恩人だから手は出さない、それは情の話だな。だったら、理はどうだ?」
「理? ……手を出さない“理由”ってことか。そうだな、例えば」
例えば、俺がルーフェンに取り入ろうとしているのなら、これはシスターに手を出す理由がある、ということになる。ルーフェンがゴングの裏で糸を引いていて、なおかつルーフェンがシスターを疎んでいるという情報が真実だとすれば、シスターを手土産にルーフェンを訪ねれば良い思いができるはずなのだ。これを狙って、俺が密かに策略を練っている可能性は、アールエンからすればゼロではなかった。
実際、それは可能だろう。このままアールエンと一緒にシスターの居場所を突き止め、協力する振りをして裏切り、シスターを浚ってしまう。あるいは、この場でアールエンをさくっと殺してしまい、シスター誘拐の障害を取り除いた後、悠々シスターを引っ提げてルーフェンを訪ねる。ゴングはベリオール・ベルの現在の元締めで、ルーフェンはそれを操っているのだから、彼に取り入ることは即ち、ベリオール・ベルの中でも上位に位置するステータスを手に入れるということに他ならない。なるほど、身よりのない子ども二人が裏切るには十分な材料である。
で、俺はこの機会を伺って教会に潜り込み、彼女たちを観察していた、と。よくできた話だが、問題点が一つ。
「俺がそのつもりなら、もっと前におまえを殺して、シスターを献上してたよ」
教会への潜入が成功していた以上、ゴングが動くまで待つ必要はどこにもない。何となれば、ゴングさえ出し抜いて俺とティアフだけがルーフェンに取り入ることも可能な状況ができあがっていたのである。本当に裏切り者だったなら、どうしてその期を逃そうか。ゴングと一緒にアールエンの下に行けば、それはゴングと同等の扱いを受けるだけ。どうせ狙うならもっと上を目指すべきだ。
「大体、俺がルーフェンに取り入る理由もない。多分、一人でだってゴングには勝てるぜ。そうしたら、俺がベリオール・ベルの支配者だ。ルーフェンの野郎を上からいくらでもこき使ってやる」
目的のために密かにターゲットに近づいて……なんていう話の後では、何とも単純でばからしい筋書きだった。しかし、あるいはそういう物語いきかたも悪くないのかも知れないと、俺は少し、自分の不埒な考えに感心するのだった。人類に敵対し、これを粗方殺して回った後には、生き残りを従えて自分だけの王国を築く。もし、マイナーというものの存在意義がそうだというのなら、俺はためらうことなく暴虐の王にもなれるのだろう。
まあ、王様になるつもりは今のところ、ないのだが。
「ふ、くく」
アールエンが笑った。俺の妄想を読み取ったわけではなく、ベリオール・ベルに君臨してやるという妄言の方がおかしかったようだ。
「笑うなよ。ちょっと良いかもと思ったんだぜ」
「やっぱり、おまえは普通じゃないよ。でも、嘘は言っていないみたいだな」
どうも、そういう回りくどいことに頭を使うような賢いやつには見えないと、彼女は声を押し殺して笑うのだった。他人を疑っておいて、最後には笑ってばかにする。全く、失礼極まる顛末じゃないか。
「信用するか?」
「今の話で信用を勝ち取れると?」
「割には」
「そうか。あいにく、それほどうまい話じゃなかったよ。だから、ここで誓ってくれ」
「誓う? 誰に?」
「おまえの信じる何かで良い。シスターを取り戻すと、口に出して宣誓してくれ」
アールエンはもう緊張を解いていた。信じていないというのは本当なのだろうが、疑うことはやめてくれたらしい。宣誓は、多分儀式のようなものだ。言霊なんて言葉もあるように、思いを口に出すということは、心の中で繰り返すよりもずっと強い効果を生む。声にせず言い訳するのと、声にして嘘を吐くのとでは、どちらがより大変かは言うまでもない。だから、彼女は口に出せと要求してきたのだ。
無意識に姿勢を正して、俺はアールエンに面と向かった。
「誓おう」
この世界には教会があって、神様がいる。シスター・アルモニカは一日に三度、起床の後、昼食の後、就寝の前に、欠かすことなく御御堂の女神像の下にひざまずき、祈りを捧げていた。俺は神様というものを少しも信じてはいなかったが、けれど、シスター・アルモニカの祈りを受け取っていた神様なら、この誓いを捧げるに相応しいだろう。
「シスターを取り戻すために、力を尽くす」

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