リノンくんが世界を滅ぼすまで
第49話
「これが、足跡か」
「行くぞ。これを辿ればティアフちゃんの下に着く。多分、同じ場所にアルもいるだろう」
踵を返し、アールエンは正面の扉へと向かった。筋の示す通り……つまりは、襲撃者が逃げていった道順を真面目になぞろうとすれば、高い位置にあるステンドグラスまで跳び上がらなくてはならない。すると、筋がそう示しているように、女神像の肩を経由して跳び移る形になるが、アールエンはそれを嫌ったようだった。教会に従事する者として、女神像を足蹴にするのは気が引けるのだろう。そもそも、彼女ほどの重装備では女神像の肩に跳び乗ることだって難しいかも知れない。まあ、逆に言うなら、歩く要塞みたいな装備を軽々と使いこなしている筋力を持ってすれば、むしろ簡単なのかも知れなかったが。
「しかし、準備が良いな。追跡魔法なんて、まるで連れ去られるのが分かってたみたいだ」
「わたしたちがグルだとでも言いたそうだな?」
「まさか。ただ、そんな素振りはなかったってだけの話さ」
「唐突だと思うか? そんな、魔法みたいに都合の良い話があるわけないだろう」
どこかに伏線があったのだろうか。ともかく、これで足取りは掴めた。教会を出た俺たちは、その筋が教会の裏手から真っ直ぐ中心街の方へと向かっていることを確認した。ただし地上をそのまま行ったのではなく、廃墟を横断した襲撃者たちは、その後下水道に通じる潜孔に降りていったようだった。女性と少女、二人の人間を抱えては大手を振って歩けまいから、その経路は当然と言えば当然だった。
地獄に通じていそうな暗黒へと消えていく梯子を下りると、やがて底に足がつく。採光窓も灯りもない下水道は真っ暗闇であり、月明りが差す梯子の付近以外は足元も見えないぐらいだった。
「ベリオール・ベルの下水道は迷路になってる。どうしてそんな迷惑な造りにしたかは知らないが、ハンドベルが都を纏め上げていた頃に、彼らは下水道の全容を調べ上げたんだそうだ。以降、下水道はハンドベルによって使われてきた」
「使うって、下水の処理以外に使い道があるのか?」
「例えば、地上を通せないモノを運んだり、密かに誰かを逃がしたり。一度潜られれば追跡は容易じゃないからね。何をするにも使い勝手の良い抜け道・裏道になるんだよ」
下水道の全容はハンドベルだけの秘密だが、彼らがそういう秘密のルートを持ち、管理している事実は公にされていた。それは、条件さえクリアされれば下水道を使わせる用意があるという宣伝であると同時に、ハンドベルの縄張りである下水道には手を出すなという警告でもあった。そうやってハンドベルがベリオール・ベルにおいてあらゆる者から優位であるために使ってきた生命線が、今は襲撃者の逃げ道として活用されている。彼らを辿る手がかりとなる光の筋が下水道の更に奥へと繋がっているのが、その良い証拠だった。
「つまり、ここの構造は把握してるってことか」
アールエンがまた何事か唱えて、空中に光源を生み出した。同時に生まれた別の光が、俺とアールエンとを包み込む。ふわふわと浮かぶ光源は灯りの役割で、俺たちがまとった光は臭い消しなのだそうだ。下水道を抜けた先で隠密行動を取るとなった時、下水の臭いをぷんぷんさせていては意味がない。まあ、おそらくすぐに戦闘になるだろうと踏んでいたが、この汚臭に付き合わなくて済むのはありがたかった。人も化け物も、その辺りの感覚はあまり変わらないらしい。
人の頭ほどもある光源が前に出て、下水道の先を照らす。ぱっと目に入っただけでも、奥の方は闇に沈んでいるし、あっちへこっちへと分岐も多かった。追跡魔法がなければ確実に迷子になる。……すると、俺は不死の迷子となるわけだ。タチの悪い都市伝説みたいな話である。
「ベリオール・ベルの面積と同じだけあるんだからな、この下水道は広大だ。構造を知らずに入れば容易に遭難する。帰って来なかった、なんて話も当然ある。それが、ハンドベルの手によって殺されたのか、本当に遭難して行方知らずになったのかはともかく」
「それが、今はゴングの管理下にある、か。待ち伏せも有り得るかもな。一応聞いておくけど、襲撃者はゴングで間違いないんだよな?」
「ああ。……多分」
アールエンが断定しないのは意外だった。確かに予想の内の一つとして、ゴング以外の第三者が、ゴングやその裏にいるらしいルーフェンに取り入ろうとして教会を襲い、シスター・アルモニカを抑えに来るという可能性は、俺でも考えついていた通り有り得ない話ではなかった。が、そのためにはアールエンに喧嘩を売らなければならず、並大抵の人間にとって、このアールエンという壁の突破は絶望的なはずである。やるより前から結果の見えた喧嘩。こんなものに命を張る猪は、いかにベリオール・ベルと言えどそうはいないだろう。
だから、今回の襲撃は十中八九ゴングが本命。教会の中の壊され方を見ても、そこで暴れたのが常人でないことは明らかだった。……という予想をしていたから、アールエンが言い淀むとは思っていなくて、俺は少し面食らったのだった。
「多分、ってのは? 違うやつらだったかも知れないって?」
「いや、あんなのはゴングだけのはずだが……そう、四日前とは比べ物にならない強さだったんだ。あれはもう、獣ですらない」
うっかり足場を外してしまわぬよう、加えて待ち伏せや奇襲にも気を配りながら、水の流れる音と俺たちの足音に乗せて会話が木霊する下水道を進む。アールエンは教会を襲った連中を思い出しつつ、困惑したようにそう説明してくれた。
普通の人間であれば、たかだか四日で劇的に強くなることはない。四日前に教会を襲撃した連中は死んでいる以上、今回は別の人間が来たはずだが、同じ組織の中でそれほどの差が生まれるとも思えない。そういう意味では、四日前と今夜とでは襲撃者の内容を分けて考えるのが常識的だが、しかし一方で、この非常識、奇妙な差も“ゴングなら有り得る”ために、アールエンは言葉を濁さざるを得なかったのだ。
「そもそも、四日前の襲撃から異常は異常だったんだ。その前まではわたしに手も足も出なかった連中が、その日にはわたしを殺しかけた。あまりの豹変に平静を失ってしまったわたしの不明はあるとしても、あんなに手酷くやられるなんてことは夢にも思っていなかった」
アールエンが最初から気を抜いていた、油断していたというのは有り得ない。シスター・アルモニカに万が一のことがないよう、彼女は常に慎重で、真剣だったはずだ。そうまで気を張っていたとしても、あまりに予想外のことが起これば多少のパニックは起こしてしまう。ゴングの変わり様はそれだけ衝撃的で、また、“例え不意を衝かれたとしても負ける要素のなかった差”がいつの間にか埋まっていたために、四日前には追い詰められてしまった。
「で、今回はそれよりも酷かったわけだ」
「守りに徹すれば抜かれない自信があった。四日前に攻撃を受けた時点では、それは間違いない見立てだったんだ。だから、わたしはおまえを外に出した。守るだけならわたしの方が良いと分かっていたからだ」
が、その見立ても外れ、シスター・アルモニカとティアフが連れ去られてしまった。アールエンの感覚がずれていたのか? おまえの目は節穴だったのだと、俺は彼女を責めるべきだろうか? いや、もしそうだとすれば、彼女は自分が圧倒されるほどの力量差を見誤っていたことになる。四日前の襲撃では少なくとも、五人の猛攻に耐え、その内の二人を斬り伏せている彼女が、そんなに大それた勘違いを起こすものだろうか。一対一なら勝てていた、その程度の敵の実力を見誤るなど。
「有り得ない」
アールエンはそう、言い切るのだった。彼女は誠実だ。自分に過失があればきっと、一も二もなく認め謝ることだろう。その彼女が、今回の二つの過失を“予想外だった”と評している。想定しようのない異常が波のようにやって来て、備えもろとも打ち流してしまったのだと。いや、もし万全に備えていたとしても、それら全部を無意味にするほどの超常が急に目の前に現れてしまったのだと、そう表すべきか。
「行くぞ。これを辿ればティアフちゃんの下に着く。多分、同じ場所にアルもいるだろう」
踵を返し、アールエンは正面の扉へと向かった。筋の示す通り……つまりは、襲撃者が逃げていった道順を真面目になぞろうとすれば、高い位置にあるステンドグラスまで跳び上がらなくてはならない。すると、筋がそう示しているように、女神像の肩を経由して跳び移る形になるが、アールエンはそれを嫌ったようだった。教会に従事する者として、女神像を足蹴にするのは気が引けるのだろう。そもそも、彼女ほどの重装備では女神像の肩に跳び乗ることだって難しいかも知れない。まあ、逆に言うなら、歩く要塞みたいな装備を軽々と使いこなしている筋力を持ってすれば、むしろ簡単なのかも知れなかったが。
「しかし、準備が良いな。追跡魔法なんて、まるで連れ去られるのが分かってたみたいだ」
「わたしたちがグルだとでも言いたそうだな?」
「まさか。ただ、そんな素振りはなかったってだけの話さ」
「唐突だと思うか? そんな、魔法みたいに都合の良い話があるわけないだろう」
どこかに伏線があったのだろうか。ともかく、これで足取りは掴めた。教会を出た俺たちは、その筋が教会の裏手から真っ直ぐ中心街の方へと向かっていることを確認した。ただし地上をそのまま行ったのではなく、廃墟を横断した襲撃者たちは、その後下水道に通じる潜孔に降りていったようだった。女性と少女、二人の人間を抱えては大手を振って歩けまいから、その経路は当然と言えば当然だった。
地獄に通じていそうな暗黒へと消えていく梯子を下りると、やがて底に足がつく。採光窓も灯りもない下水道は真っ暗闇であり、月明りが差す梯子の付近以外は足元も見えないぐらいだった。
「ベリオール・ベルの下水道は迷路になってる。どうしてそんな迷惑な造りにしたかは知らないが、ハンドベルが都を纏め上げていた頃に、彼らは下水道の全容を調べ上げたんだそうだ。以降、下水道はハンドベルによって使われてきた」
「使うって、下水の処理以外に使い道があるのか?」
「例えば、地上を通せないモノを運んだり、密かに誰かを逃がしたり。一度潜られれば追跡は容易じゃないからね。何をするにも使い勝手の良い抜け道・裏道になるんだよ」
下水道の全容はハンドベルだけの秘密だが、彼らがそういう秘密のルートを持ち、管理している事実は公にされていた。それは、条件さえクリアされれば下水道を使わせる用意があるという宣伝であると同時に、ハンドベルの縄張りである下水道には手を出すなという警告でもあった。そうやってハンドベルがベリオール・ベルにおいてあらゆる者から優位であるために使ってきた生命線が、今は襲撃者の逃げ道として活用されている。彼らを辿る手がかりとなる光の筋が下水道の更に奥へと繋がっているのが、その良い証拠だった。
「つまり、ここの構造は把握してるってことか」
アールエンがまた何事か唱えて、空中に光源を生み出した。同時に生まれた別の光が、俺とアールエンとを包み込む。ふわふわと浮かぶ光源は灯りの役割で、俺たちがまとった光は臭い消しなのだそうだ。下水道を抜けた先で隠密行動を取るとなった時、下水の臭いをぷんぷんさせていては意味がない。まあ、おそらくすぐに戦闘になるだろうと踏んでいたが、この汚臭に付き合わなくて済むのはありがたかった。人も化け物も、その辺りの感覚はあまり変わらないらしい。
人の頭ほどもある光源が前に出て、下水道の先を照らす。ぱっと目に入っただけでも、奥の方は闇に沈んでいるし、あっちへこっちへと分岐も多かった。追跡魔法がなければ確実に迷子になる。……すると、俺は不死の迷子となるわけだ。タチの悪い都市伝説みたいな話である。
「ベリオール・ベルの面積と同じだけあるんだからな、この下水道は広大だ。構造を知らずに入れば容易に遭難する。帰って来なかった、なんて話も当然ある。それが、ハンドベルの手によって殺されたのか、本当に遭難して行方知らずになったのかはともかく」
「それが、今はゴングの管理下にある、か。待ち伏せも有り得るかもな。一応聞いておくけど、襲撃者はゴングで間違いないんだよな?」
「ああ。……多分」
アールエンが断定しないのは意外だった。確かに予想の内の一つとして、ゴング以外の第三者が、ゴングやその裏にいるらしいルーフェンに取り入ろうとして教会を襲い、シスター・アルモニカを抑えに来るという可能性は、俺でも考えついていた通り有り得ない話ではなかった。が、そのためにはアールエンに喧嘩を売らなければならず、並大抵の人間にとって、このアールエンという壁の突破は絶望的なはずである。やるより前から結果の見えた喧嘩。こんなものに命を張る猪は、いかにベリオール・ベルと言えどそうはいないだろう。
だから、今回の襲撃は十中八九ゴングが本命。教会の中の壊され方を見ても、そこで暴れたのが常人でないことは明らかだった。……という予想をしていたから、アールエンが言い淀むとは思っていなくて、俺は少し面食らったのだった。
「多分、ってのは? 違うやつらだったかも知れないって?」
「いや、あんなのはゴングだけのはずだが……そう、四日前とは比べ物にならない強さだったんだ。あれはもう、獣ですらない」
うっかり足場を外してしまわぬよう、加えて待ち伏せや奇襲にも気を配りながら、水の流れる音と俺たちの足音に乗せて会話が木霊する下水道を進む。アールエンは教会を襲った連中を思い出しつつ、困惑したようにそう説明してくれた。
普通の人間であれば、たかだか四日で劇的に強くなることはない。四日前に教会を襲撃した連中は死んでいる以上、今回は別の人間が来たはずだが、同じ組織の中でそれほどの差が生まれるとも思えない。そういう意味では、四日前と今夜とでは襲撃者の内容を分けて考えるのが常識的だが、しかし一方で、この非常識、奇妙な差も“ゴングなら有り得る”ために、アールエンは言葉を濁さざるを得なかったのだ。
「そもそも、四日前の襲撃から異常は異常だったんだ。その前まではわたしに手も足も出なかった連中が、その日にはわたしを殺しかけた。あまりの豹変に平静を失ってしまったわたしの不明はあるとしても、あんなに手酷くやられるなんてことは夢にも思っていなかった」
アールエンが最初から気を抜いていた、油断していたというのは有り得ない。シスター・アルモニカに万が一のことがないよう、彼女は常に慎重で、真剣だったはずだ。そうまで気を張っていたとしても、あまりに予想外のことが起これば多少のパニックは起こしてしまう。ゴングの変わり様はそれだけ衝撃的で、また、“例え不意を衝かれたとしても負ける要素のなかった差”がいつの間にか埋まっていたために、四日前には追い詰められてしまった。
「で、今回はそれよりも酷かったわけだ」
「守りに徹すれば抜かれない自信があった。四日前に攻撃を受けた時点では、それは間違いない見立てだったんだ。だから、わたしはおまえを外に出した。守るだけならわたしの方が良いと分かっていたからだ」
が、その見立ても外れ、シスター・アルモニカとティアフが連れ去られてしまった。アールエンの感覚がずれていたのか? おまえの目は節穴だったのだと、俺は彼女を責めるべきだろうか? いや、もしそうだとすれば、彼女は自分が圧倒されるほどの力量差を見誤っていたことになる。四日前の襲撃では少なくとも、五人の猛攻に耐え、その内の二人を斬り伏せている彼女が、そんなに大それた勘違いを起こすものだろうか。一対一なら勝てていた、その程度の敵の実力を見誤るなど。
「有り得ない」
アールエンはそう、言い切るのだった。彼女は誠実だ。自分に過失があればきっと、一も二もなく認め謝ることだろう。その彼女が、今回の二つの過失を“予想外だった”と評している。想定しようのない異常が波のようにやって来て、備えもろとも打ち流してしまったのだと。いや、もし万全に備えていたとしても、それら全部を無意味にするほどの超常が急に目の前に現れてしまったのだと、そう表すべきか。
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