リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第46話

「おまえらでも難しいってことか?」
「そう。ベリオール・ベルはこの通り、賭博と風俗で成り立っている、都市全体が歓楽街みたいな都だ。必要悪と言えば聞こえはいいが、褒められた話じゃない。ま、それは良いとして、そういう事情があってベリオール・ベルは元々治安が悪い。もし警察や光聖がベリオール・ベルにいたら、こんな商売は成り立たないんだから」
「……ここって、警察も光聖もいなかったのか?」
「いないね。その代わりに、俺たちが暴力で仕切ってる。人権なんて高尚なものは、この都には存在しない。人権って、何だか分かるか? “個人に無条件に保証される最低限の権利”のことだよ。ベリオール・ベルにはそれがない。警察も光聖もいないんだから、自分の危機に駆けつけてくれるヒーローもいないってわけだ」
都市全体を歓楽街として運営する極端な自由が許されている代わりに、個人にかかる負担と責任が極端に増大せざるを得ない社会。どういう形であれベリオール・ベルに関わるのなら、他の都市であれば当然に備わっている“自分を無条件に保証してくれる”システムがないことに納得し、あらゆる事象が自己責任において処理されることを承認しなくてはならない。対価として、個人は他の都市では絶対に受け入れられない最高度の自由を得られる。
だが、その自由は、他の個人全てにも平等に配られるものだ。となれば、自他の自由の衝突は避けられず、故に自分の身は自分で守らなくてはならない。それがベリオール・ベルの不文律、必要最低限に要求される才覚である。
「とはいっても、個人じゃどうしようもないリスクってのはどうしたって存在する。これが理に適わないとなれば、俺たちが出ていって強制的に処理してやる。あるいは、ベリオール・ベルにだって超えちゃならないラインってのがあって、それを無視するような無茶な輩を排除するのも俺たちの役割だ。超えちゃいけないライン、つまりはベリオール・ベルが破綻しかねない行き過ぎた行為に対しては、俺たちという抑止力が働くことで、ベリオール・ベルは成り立ってるんだ」
ある意味で、これは個人主義の究極なのだと、リーダーの男が誇らしげに言った。利己主義ではないただしい個人主義。つまり、ベリオール・ベルに関わる全ての人間が自らの存続のために好き勝手に振る舞うことを許されながら、全体としてはベリオール・ベル存続のために肩を組んで協力するという暗黙の了解が下地にある、利己主義によって成り立つ個人主義である。例外として、もし彼ら個人にはどうしようもない危機が訪れた際には、彼ら全ての権利ベリオール・ベルを守るもの、社会の責任者としてハンドベルやウィンドチャイムといった巨大な組織が現れ、これを排撃する。街や民の守護者としてやっていることは光聖と変わらないようにも見えるが、ただし、権利を守ってもらえる個人は、ベリオール・ベルに何らかの形で資している者、あるいは防衛力を用意できるだけの地位や権力を持っている者だけ、という点においては決定的に別物だ。権利は無条件に保証されないし、保証されるラインも他の都市に比べればずっと厳しい。そこに住んでいるだけで生きる権利を得られる、というスタンダードな社会の在り方とはかけ離れているのだ。
「それは良いんだけど、隠れられると見つけられないって最初の話とは、どう繋がってるんだ?」
「だからさ、俺たちが出る幕じゃない時、ベリオール・ベルの住人は自分で身を守らなくちゃいけないだろ。その内の一つとして社会が用意したのが、“逃げ道”。この逃げ道に完璧に機能されると、俺たちでも到底追いかけられない」
コネ、金、権力。それまでに培ったあらゆる脈を活用して自らの存在を掻き消してしまう、逃げ道とはそういうシステムのこと。公的に個人または組織を裁く機関が存在しないベリオール・ベルでは、悪事を働こうとも逃げ切ってしまえば勝ちである。ライバルを貶めたり、不正な方法で稼ぎを出したり、そんな程度の悪徳などベリオール・ベルでは日常的に横行しているのだ。代わりに、先に言った通り、悪事に関わる全責任は実行した側に降りかかってくるし、貶められた方の損得や怨恨によって行われる追跡には時効も有り得ない。生涯追い回され、逃げ切れなければ終わり。そもそも、まともな財力がなければ最初から使えもしない裏技だが、その“裏技”を商売にする人間が出てくると、これがベリオール・ベルに文化として根付いていった。
むろん、その成立にはハンドベルやウィンドチャイムも関わっていたのである。法外な要求を呑むのなら、完璧に逃がしてやる。ギャングは正義の味方ではないから、それがベリオール・ベルの崩壊に繋がらないのなら、彼らはどんな悪人だって逃がして来た。
ゴングの裏にいるだろう何者かは、このシステムに守られている。つけ入る隙のないように組み上げられたシステムが、いよいよアダになっているというわけだ。
「しかし、自分たちで作ったものを制御できてないってのは、あんまりじゃないか?」
「今はもう、俺たちの管理下にはないからな。力を失っちまった俺たちにはどうにもできない。ったく、情けない話さ」
彼らが強制してきた実力主義の弊害。自分たちがトップにいる間は良いが、そうでなくなった瞬間にあらゆる権利がはく奪される。それは、元トップであるハンドベルやウィンドチャイムといった組織も例外ではなかった。皮肉にも、ベリオール・ベルは誰にも平等であると、彼らは身をもって証明した形なのだ。
「それで、自分たちの手を縛ってるんじゃ、なあ」
世話のない話だ。
彼らが少しでもずる賢かったなら、落ちぶれても復活する手段をいくつも用意していただろう。もしかしたら、たったそれだけの用意があったなら、ゴングの隆盛を今ほどは許さなかったかも知れない。しかし、ハンドベルもウィンドチャイムも、そういう抜け道を自分たちには用意していなかった。たかだかギャングのくせに、そういうところがいやに潔癖なのだ。ベリオール・ベルに関わる人間の全てが自由の代わりに責任を負う、という不文律。都を仕切る彼らもまた、自らを例外とせず、大きな力を振るう責任を負い、これに真っ正直に生きてきたわけだ。
それぐらいのリスクに押し潰されるようでは都を仕切ることなどできやしない。自分たちばかりが特別では誰の信頼も得られはしない。
「ともかく、ゴングについては何も分からない、か。……ただ、実際に戦って気づいたことはあったな」
ゴングの連中やつらの力の強さは、どう考えても鍛錬や修行で身につけられるタイプのものじゃない、ということ。俺の意見には、リーダーもうんうんと頷いて賛成した。
「そうだな。あのアールエンにまで“勝ち損ねた”って言うんだから、もう普通の人間じゃなくなってる。魔者か、あるいはセイバーみたいな、……そう、戦士としての格が違うんだ」
さらりとアールエンまで化け物扱いされてしまったが、彼らハンドベルが、それだけアールエンを高く買っているという話である。それもそのはず、自分たちを圧倒したゴングを相手取って、およそ一年前から一人で教会とシスターを守り続けて来たというのだから当然だった。教会を襲う者以外には手を出さない平和主義のアールエンは、脅威と認識されてこそいなかったものの、その戦力が驚異であることは周知の事実だった。
そして、暴力を嫌い、賭博を嫌い、淫蕩を嫌い、これらを取り仕切るギャングを嫌っていたことも。
何にせよ、ゴングの連中は格が違うのだ。魔者でないことは確かながら、その強さが魔者じみているには違いない。そういう意味で、彼らが人間ではなくなった、魔者を相手にしているようだったと感じたハンドベルの連中の話は大げさでも何でもなく、的を射ているのだった。
「とりあえず、ゴングについてはそんなもんか。意味不明な強さを手に入れた気味の悪い集団。……で、こっちの教会について何だけど、これはもっと意味が分からん」
ゴングが何のために教会を襲っているのか。彼らがどういう存在なのかは上述した通りだが、これらの情報の中には一片たりとも教会にまつわる話が出てこない。つまるところ、両者に関わり合いはないはずなのだ。
例えば、教会やシスター、アールエンといった存在がベリオール・ベルを支配する上で邪魔になるというなら、関わり合いの如何に関わらず教会にちょっかいを出すのは頷ける。今になってハンドベルとウィンドチャイムの残党狩りを始めたことも合わせて、体勢を盤石にするために障害を排除しておこうという意図、一本の筋が通して見えるからだ。しかし、あんな辺鄙な場所に住んでいる二人がベリオール・ベルの根幹に関わっているとは到底思えなかった。ベリオール・ベルの心臓足る中心街から離れた廃棄区画の教会に居着いているだけで、ゴングの邪魔になることもないはずだ。彼女たちが狙われる理由なんてどこにも……。
「あるんだよ、それが。疑問に思わなかったか?」

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