導帝転生 〜仕方ない、世界を救うとしよう。変態の身体だけど〜
3 - 18 「本妻の座を賭けた戦い。セルミア vs 牛」
草と土の香りが、風に運ばれて鼻をつく。
ここは何処だろう?
ちゃんと転移できたのかしら?
風の精霊達に身体を支えられながら、ゆっくりと降下していく。
瞳を開けると、すぐ下に地面が見えた。
ちゃんと降りれる。
海や火口の上とかじゃなくて良かったと、胸をなでおろす。
「一先ず、転移は成功したみたいね。よかった…… って、ホッとしてる場合じゃないわ! あいつは!? あいつはどこ!?」
カッと瞳を見開き、前方を見渡す。
すると、見慣れぬ組み合わせの軍隊がそこに布陣していた。
「野犬に狼? それに…… 樹人に…… 炎の雄牛? 何かの冗談?」
一瞬だけそう考えたが、相手はハイデルト。
常識の通じない男だ。
そこに、普通なら起こり得ない状況が起きているなら、それこそハイデルトが絡んでいる可能性がグッと高まる。
「でも、何で炎の雄牛が?」
目の前にいる炎の雄牛へと視線を向ける。
炎と牛の化身であり、再生を司る神から生まれたとされる大精霊。
契約者には、炎と再生の祝福を与えるとされているが、一部の人族の間では、拷問、処刑の象徴として魔族に分類されることもある。
炎で炙り、祝福で再生させ、再び炎で炙る。
炎の雄牛を怒らせれば、精神が崩壊するまで、終わりのない業火に永遠と焼かれ続けることになるという伝承も残っているほどだ。
逆に、気に入られてしまった者も、炎と再生のループで可愛がられるとも言われている。
そんな厄介な大精霊が――といっても、大精霊は大抵皆厄介だが――一体何故ここにいるのか?
考えても、答えは一向に出そうになかった。
問題の炎の雄牛はというと、蹄で地面をかきながら、鼻からブフンッブフンッと炎と火花を吐き出し、今にもこちらへ向かって突撃して来そうな殺気を放っている。
「なんか嫌な感じだわ…… なによあれ…… もしかして、私とやる気?」
すると、炎の雄牛の背に、見覚えのある人影が目に留まった。
「はぅっ!?」
途端、胸の奥が鷲掴みされたかのようにギュギュゥッと締め付けられ、急に息苦しくなる。
胸を抱きしめるように手で押さえても、その息苦しさは強まるばかり。
その痛みに、無意識に背が丸まってしまう。
顔はみるみるうちに上気していき、むず痒い痛みが全身をくまなく巡る。
そして、出口を求めたその痛みは、自分の意思とは無関係に、口から「はぁはぁ」と艶かしい吐息となって溢れ出ていく。
「く、くぅうう…… お、落ち着け私!」
両手で自分の頬を引っ叩き、緩む顔に喝を入れる。
そして、もう一度、ハイデルトと思わしき男を見た。
再び心臓がドクンッと跳ねる。
また暴れそうになる胸の痛みを必死に抑えながら、少しでも冷静になれと自己暗示を口ずさむ。
「冷静に…… 冷静に……」
視線を戻す。
その男は両耳を手で塞ぎ、燃える炎の雄牛の背中に乗っている。
「間違いない! あの見た目…… それに、この気配! 間違いなく、十中八九、あいつよ! 間違いないわ!!」
だが、その男の頭には、以前にはなかった漆黒の大角が生えていた。
「あの角…… もしかして…… 大精霊の…… マーキング……?」
――大精霊のマーキング。
人族の間では、契約した大精霊の膨大な魔力を保管しておくための補助タンクだとか、契約者と大精霊との力のバランスを取るための応急処置だとか、あるいは、大精霊の契約の代償だとか色々言われているが、人族と違い、身体に大精霊を取り込まずとも契約できるエルフ族にとっては、解釈が大きく変わる。
そもそも、大精霊との契約において、大精霊を身体に憑依させる必要などないことを知っているからだ。
本来、精霊達が行使する魔力は、大地や空気中に多く存在している。
それらを精霊達がかき集め、増幅させることで魔法を行使するというのが精霊術の原理。
更には、元々実体のない精霊達は、空気中に漂ったり、大地に溶け込むだけで存在できる生命体でもある。
つまりは、身体に憑依するのも、その身体に自身の一部を契約の象徴として具現化させるのも、実は契約に必要な絶対条件ではないのだ。
その条件を飲まなければ契約しないよ?
という、大精霊のエゴに過ぎない。
大精霊が人族に対して圧倒的に有利な立場だからできる契約交渉だともいえる。
そのため、エルフ族では、大精霊が気に入った人族に、他の精霊が手出し出来ないようにするためのマーキングだと揶揄されることも多い。
エルフ族の中には、マーキングだと理解した上で、あえて大精霊の象徴を身体に具現化させている変わり者もいるが、それは極一部だ。
これらは、精霊と会話ができるエルフ族だから知り得た事実であり、精霊と会話のできない人族が、大精霊に良いように丸め込まれてそうなったとしても、それは自身の力不足が招いた結果だというのが、エルフ族の認識である。
そして、エルフ族はそうやって人族を蔑み、人族との対話――情報共有を拒絶しているため、人族がその実態を知ることはない。
人族としても、エルフ族は皆傲慢な存在だというのが一般常識であり、そもそも大精霊との契約者など発見するのが難しいほど希少な存在でもあるため、今までその知識が広まらずにきたともいえよう。
「ふ、ふぅー……」
セルミアは一度目を瞑り、心を落ち着かせながら思考に耽る。
大精霊に余程気に入られたエルフであれば、身体にその象徴を付ける代わりに、より有利な契約を結ぶという強かな者もいるが、ハイデルトは大精霊を超える実力の持ち主だ。
大精霊の力を借りる必要などないはず。
過去に一度、ハイデルトの口から大精霊との契約を毛嫌いする発言を聞いた覚えもある。
そんなハイデルトが大精霊と契約して、その象徴を頭につけるだろうか。
考えれば考えるほど、言葉では表現できない違和感が、心の奥底でむくむくと膨らんでいく。
「……どういうこと? ……なんでマーキングされてんのよ」
セルミアからマーキングと言われた禍々しい二本の大角が、その存在を主張するように、メラメラと紅いの炎を巻き上げる。
同時に、セルミアの頭からも、煙が出そうなほどに熱を帯びていた。
「くっ、うぉわあああ! もう! 訳わっかんない! あんな下品な角生やして、一体どういうつもり!?」
そう憤ると、ふと、炎の雄牛と視線が合った気がした。
炎の雄牛の口角が釣り上がる。
それは、まるでセルミアを嘲笑っているかのようだった。
そして、次の瞬間――
男の大角から溢れ出た炎が、炎の雄牛の炎と絡み合うかのように交わった。
まるで手を絡めるように何度も何度も何度も。
「あ…… そういうこと……」
その光景を見て、全てを察することができた。
大精霊は総じて独占欲の強いものが多い。
溺愛故の独占。
となれば、人のものと知っていながら契約した不届きな大精霊が、まともな思考をしている訳がない。
あれは、ハイデルトとの契約者がセルミアだと知った上での当て付け――挑発だろう。
理解と同時に、火山が噴火するが如く、急激に込み上げてくる憤怒の激情。
「わ、わた、わた、私への当て付けかぁああ!? ぐ、ぐぐぉおおお! あったまきたぁああああ!!」
般若の形相で炎の雄牛を睨む。
すると、それに応えるように、炎の雄牛が雄叫びをあげた。
――ブモォオオオオオ!!
やるなら相手してやる、かかって来いよとでも言わんばかりの咆哮に、セルミアの堪忍袋の紐がブチ切れた。
「この泥棒牛がぁあああっ! 私に喧嘩を売った事を後悔させてやるぅううう!!」
◇◇◇
大小様々な竜巻が、土や草葉を巻き上げている。
それを口を開けて呆然と眺めていた元帝国騎士団副団長のクダンフが、我に返って叫んだ。
「だ、団長! あ、あれ! 青い光から現れたのって、セルミアさんですよね!?」
「ああ、セルミアだ」
「団長が呼んでくれたんですか!?」
「そうだ…… が……」
「きたきたきたぁああ! 聖霊魔導騎士のセルミアさん最高ぉおお! これで勝機が見えてきましたよ! ですが、何で急に決意を覆したんですか?」
顔に生気を取り戻したクダンフが、嬉しそうにローデスへと顔を向ける。
「ん? 団長?」
だが、顔を向けられたローデスは、正直焦っていた。
「何故、セルミアはあれほどの精霊術を行使しているのだ…… あれは…… 殿下ではないのか……?」
「殿下……? 団長、今なんて?」
「あの炎の雄牛に、殿下が乗っているのが見えたのだ。だからセルミアへ緊急連絡を入れた」
「えっ…… うえぇっ!?」
クダンフがこぼれ落ちそうになるくらいに目を見開いて驚いた。
「そ、それ、確かですか!? 殿下がここに!?」
「あれは確かに殿下だった。私が見間違えるはずは……」
「じゃ、じゃあどうしてセルミアさんは全力で応戦しているんですか!?」
「う、うむ……」
ローデスが答えに詰まり、黙る。
元々、殿下とセルミアの仲はお世辞にも良好とは言えなかった。
会えば必ず喧嘩する仲――よくよく考えてみれば、セルミアが殿下へ一方的に突っかかっていただけだが、穏便に済んだことなど一度もなかったからだ。
だが、ここまで大規模な喧嘩は初めてだった。
いつもは、セルミアから逃げるように殿下が退散するか、セルミアの猛攻を殿下が軽くいなして終わるのが常だった。
それが、今は真正面からやり合っている。
ローデスには、それが引っかかっていた。
「今はセルミアに任せるしかできん。あの大規模な精霊術の応酬へ不用意に参戦すれば、大勢の仲間が犬死にするだけだ」
「確かに、大精霊クラスの戦いに混ざるのは無謀と言えますが…… せめてセルミアさんへの支援を考えては?」
「下手にヘイトを集めて、攻撃の矛先がこちらに向いてしまっては、今度はセルミアが満足に戦えなくなる。セルミアと炎の雄牛が一騎打ちを継続している限り、それを見守るのが騎士道だろう」
「それはそうですが……」
「無論、セルミアが危機的状況になれば我らも討って出る。皆に覚悟するよう伝えておいてくれ」
「はっ!」
クダンフが納得した表情で頷く。
目の前には、多重展開された竜巻が、同じく多重展開された炎の竜巻とぶつかり合い、その衝撃で発生した熱風が、遥か後方に布陣したローデス達まで届いてきている。
前線では、魔術師達により魔法障壁が張られているが、それでも完全に遮断できていない。
あの攻撃に狙われれば、一瞬で何百人もの仲間が焼け死ぬことになる。
実力の差は歴然だった。
「これが聖霊魔導騎士の実力か…… 大精霊と互角にやり合うほどとは…… しかし、この状況…… どうにかせねば……」
この現状に悩むローデスだったが、ふと、とある考えが浮かんだ。
「もしあれが本当に殿下なら…… うむ…… これは使いたくなかったが…… 止む終えんか……」
ローデスは、部隊の指揮をクダンフに預けると、自身は一人殿下のいる最前線へと馬を走らせた。
クダンフの悲痛な叫びを背に受けながら駆けるローデスの手には、黒色の煙が充満した禍々しい雰囲気の結晶が握られていた。
◇◇◇
目を瞑り、耳を塞いでいても、肌を叩くようにぶつかる突風や、身体の芯へ響く爆発の振動までは防げない。
気になって少し目を開けようとするものなら、炎の雄牛が頭の中で怒鳴るので開けられず、先程から状況が一向に掴めないでいる。
(任せたとは言ったけど、本当にこうやって丸くなってるだけでいいのか……? いや、でも少しでも動こうものなら炎の雄牛めっちゃ怒るし…… でもなぁ……)
せめて炎の雄牛から降りた方が炎の雄牛が戦いやすくなるのでは?と提案もしたが、触れていた方が魔力を引き出しやすいらしく、離れれば戦力が落ちると言われた。
だが、何か引っかかるのも事実。
そうやってもんもんと考えながら耐えること数十分。
状況は変わっていないはずなのに、急に胸騒ぎがし始めた。
(なんだ……? この胸騒ぎは……)
心拍数が上がり、呼吸が早くなる。
少しずつ指先が震え、その震えは足にも伝播し、ついには身体全体が震え始めた。
(な…… なんだよこれ!? ふ、震えが止まらない!?)
『どうした!? 何を怯えている!?』
(わ、分からない! 急に胸騒ぎし始めて…… それが徐々に大きくなって…… もしかして…… この身体の反応は…… ハイデルトに関係してる!?)
『何…… もしやあれか! 原因が分かったぞ! あれはワシが対処する! お主は目と耳を塞いでしっかり背に乗っておれ!』
(んなこと言っても身体が勝手に…… あっ)
ハルトの身体が寝返りをうつように無意識に反転すると、炎の雄牛の身体から転げ落ちた。
咄嗟に目を開け、両耳から手を離して体勢を戻し、地面へと着地する。
すると、炎の雄牛の叫びとともに、質の違う二つの叫びが耳に飛び込んできた。
『ハルト!? すぐワシの背に戻れ!!』
「ハイデルトぉおおおおお!!」
「殿下ぁああああ!!」
怒気を含む女性の叫びと、必死に何かを懇願するような野太い声。
「ハイデルトを呼ぶ声……? ハイデルトの知り合いか!?」
白と赤の竜巻がぶつかり合うその地表面付近に、白く光る半球体が見える。
声はそこから響いてきていた。
その光の膜の中には、顔を真っ赤にしたパンツの美女と、渋い顔をした全身甲冑の壮年男性が。
パンツ美女は地上から1mくらい上を飛行し、海を二つに割ったモーセの如く両手を左右に掲げ、進路を塞ごうと迫る炎の竜巻を退けている。
一方、壮年の男は、騎馬に乗りながら右手を掲げている。
その右手には、黒色に濁った水晶のような物が見える。
それが視界に入った途端、鼓動が更に早まり、震える全身からブワッと嫌な汗が流れ始めた。
「な、なん、何なんだよ!? 俺の身体は何に怯えてんだ!? あのおっさんが手に持っている奴が原因なのか!?」
『あれは封印石だ! 何かが封じ込められている気配を感じる!』
「封印石!? じゃあハイデルトは、あれに封じられている何かに怯えてるってことか!? 魔王でも恐れないあのハイデルトが!?」
そう話す間も、震えはより強くなっていく。
『ぐっ! あの小娘、大精霊であるワシの力を上回るか! どこにそんな力が…… もしや……』
炎の雄牛が、脇でガタガタと震える俺を一瞥する。
すると、パンツの美女の高笑いが耳に届いた。
「アハハハッ! ハイデルトの無尽蔵の魔力を使えるのは、あなただけじゃないのよ! この盗っ人がぁあああ!」
『厄介な! ええいっ! 漆黒の巨狼! 月白の大狼! 何をしてる! 早く戻ってこい!』
『煩い牛め。言われなくとももうすぐ着く』
『若、もう少しご辛抱ください』
焦る炎の雄牛に応じる漆黒の巨狼と月白の大狼。
彼らには、ヘズリードとともに連合諸国側の対処に向かってもらっていた。
魔導大帝国イシリスの軍隊が攻めてきたタイミングで、北東からは連合諸国側の軍が攻めてきたのだ。
偶然にしては出来過ぎだとは思う。
恐らく、連合諸国としても突如現れた魔王国を攻めあぐねていたのだろう。
そんな状況下で、イシリスが魔王国に再び軍を差し向け、そのイシリスに対して魔王が軍を率いて迎撃に向かったとあれば、連合諸国としても魔王に占領されたユーリカを取り戻せるとでも思ったのかもしれない。
『ま、不味い!!』
「ど、どうした!?」
炎の雄牛が怯み、次の瞬間、炎の竜巻が霧散し、正面から火の粉とともに熱風が吹き荒れた。
「う、うおっ!?」
『ワシの炎が弾き飛ばされただと!?』
炎の雄牛の苦々しい声が頭の中に響く。
どうやら、炎の雄牛がパンツの美女に押し負けたようだ。
「げっ!? 一人相手に大精霊の炎の雄牛が押し負けるなんてあるの!? そ、それなら俺が代わりに…… って、この震えどうにかならないのかよ! まともに集中できないんだけど!?」
震えが酷くて手や足に力が入らない。
まともに掌を開くことさえできない。
「ぐぉおお! 本当になんだよこれ!? 止まれ! 震えるな! 俺!!」
だが、震えは治るどころか益々酷くなるばかり。
原因と思わしき二人組は、着実に近付いてきている。
「ど、どうする!?」
焦って思考がまとまらない。
するとその時、黒と白の影が視界に入り込んだ。
「漆黒の巨狼! 月白の大狼!!」
◇◇◇
――ウォオオオオオン!!
遠吠えとともに、二匹の巨狼が姿を現した。
突然の巨狼の登場に、セルミアとローデスが歩みを止める。
「巨狼!? 二匹も!? でもこの感じ…… あの二匹からもハイデルトの魔力を感じるわ」
「あの巨狼も殿下の…… 殿下ぁあああ! 私です! ローデスです! 攻撃を止めてください!!」
「ローデス、言っても無駄よ」
「セルミア! 何故だ!? 何故殿下は応じない!?」
「私だって知らないわよ! こっちが聞きたいくらいだわ!!」
「こちらの声は殿下に届いているはず…… もし殿下に不都合があるなら、殿下なら即座に逃げるはずだが…… 逃げる訳でもなく、ただそこにいるのは、何かおかしい…… 何か理由があるのか……? 何か……」
「ローデス! 来るわよ!!」
セルミアとローデスの元へ、二匹の巨狼が牙をむき出しにして駆けてくる。
「ええい! 邪魔よ! 番犬はどっか行ってなさい! 旋風!!」
迫る巨狼の足元に、間欠泉から水蒸気が噴出すように旋風が無数に発生。
だが、巨狼はそれを難なく躱し続け、着実に距離を縮めてくる。
「ええ!? あれを躱すの!?」
セルミアが巨狼の迎撃に手間取っている。
ローデスは、それを見て決意した。
「殿下ぁあああ! 攻撃を止めなければ、この封印を解きますぞぉおおお! 殿下ぁあああ!!」
ローデスの叫びも虚しく、巨狼がすぐ間近まで迫り――
「ローデス! 衝撃に耐えて!!」
ドッという音とともに、周囲が白に染まった。
気圧の急激な変化で耳がツーンと詰まる。
急いで耳抜きをすると、ローデスは苦渋の表情を浮かべながら、周囲を囲う竜巻へと突っ込んでくる巨狼を見つめ、溜息を吐いた。
「止む終えんか……」
そう呟くと、ローデスは右手に持っていた封印石を叩き割った。
◇◇◇
漆黒の巨狼と月白の大狼がパンツ美女へと特攻を仕掛けると、突如として極太の竜巻が発生。
美女と壮年男は竜巻の中へと消えていった。
「主人! 気を付けろ! 何か来るぞ!」
漆黒の巨狼が竜巻に怯まず突っ込みながら吠える。
だが、その危険を知らせる声よりも先に、身体が警鐘を鳴らしていた。
寒気とともに尻の穴が急にむず痒くなり、無意識に手で尻を隠してしまう。
「な、な、なんだか、凄く嫌な感じが……」
理解できない不安感に包まれる。
すると、極太の竜巻から黒色の光が溢れ出し――
竜巻ごと爆散した。
近くにいた漆黒の巨狼と月白の大狼が吹き飛ばされ、キャインと悲鳴をあげる。
その衝撃波は、土埃を巻き上げて物凄い勢いで迫ってきたが、炎の雄牛が吼えると、突如噴き上がった炎の壁に相殺されて消えた。
爆音と暴風から一転。
場が静寂に包まれる。
目の前は茶色一色。
だが、舞い上がった土埃が風に流され、少しずつその色を落としていく。
薄っすらと上空の方から視界がクリアになると、平原の中央に、黒色の長髪を靡かせた美丈夫が、妖艶な微笑みを浮かべながら天を仰いでいるのが見えた。
「ああ! ようやく! ようやく解放された! 自由! 自由だ! これでもう我慢せずに済むんだね! 一人で済ます日々も終わり! これからは欲の赴くままに発散できる! ああ! こんな気持ちは久しぶりだ! 早く誰かを無茶苦茶に犯してやりたいよ!」
何やら物騒な叫びが聞こえてくる。
だが、その美丈夫が放つ威圧は、人のそれとは全く違った。
「な、なんだよあれ……」
俺の呟きに、炎の雄牛が苦々しい声で答えた。
『奴はアナスキン。色欲の魔神とも呼ばれる魔族だ。嫌な奴が解き放たれたな』
「アナスキン? 魔神? 色欲? あいつが、魔王ですら恐れないハイデルトの天敵?」
『天敵か。天敵といえば天敵かもしれん』
「ど、どういうこと?」
『あやつには、魔法や精霊術の類いが一切効かん。魔法による付与魔法や強化魔法も、奴が触れただけで無効化される』
「んな馬鹿な…… ガッチガチの天敵じゃないですか……」
心の様子とは裏腹に、視界が開けていく。
先程までは美丈夫の首から下を隠していた土埃も、少しずつ下がり、ぷるんぷるんと揺れる二つの豊満な乳房を曝け出していた。
「ぶぅーーーーーっ!!」
おっぱい見えた!!
「って、女かよっ!!」
無意識のツッコミに、遠く離れているはずの美丈夫――否、美女――アナスキンが反応し、ゆっくりと振り向く。
「この感じ…… ダーリンかい? ああ! ダーリンじゃないか! 何年振りだろう! 会いたかったよ! 僕をこんな窮屈な石に閉じ込めるなんて酷いじゃないか! お陰で石に閉じ込められている間、何千、何万回と、君を妄想の中で犯し続けたことか!」
全裸の美女が、人には理解し難い言葉を発している。
どこの国の言葉だろうか?
いや、人じゃないんだった。
魔神だ。
そう、魔神。
黒髪で長髪で乳首も下の毛も黒い絶世の美女魔神。
全裸の。
全――
ぜ、ぜぜぜ全、ゼハーーーー!!
「だめだめだめだめ…… 落ち着け落ち着け落ち着け……」
突然視界に入ってきた魅惑的な裸体に、意識が飛び掛ける。
なんとか踏み止まれたのは、先程からケツに不快感を感じているからだ。
身体の前半分は快楽が、身体の後ろ半分は不快感が支配し、気持ち良いのか悪いのか、もうよく分からない。
だが、確信めいたものはある。
「あいつに…… あいつに背後を取られたら犯られる…… 女だけど…… なんか猛烈に嫌な予感がする…… そ、それだけは阻止しなければ……」
あの痴女の言動と、ケツの警鐘。
考えたくもないが、そういうことだろう。
「そこで止まれ! 俺はお前を知らない! これ以上近付けば、ただじゃ済まさないぞ!!」
アナスキンが目を丸くして立ち止まる。
「僕を知らない? ダーリン、本気で言ってるのかい?」
「誰がダーリンだ! 悪いが俺はお前を知らない! 俺の名はハルトだ!」
視界がより開ける。
もう土埃は完全になくなった。
俺の名乗りに、後方で状況を見守っているパンツの美女と壮年の男も、心なしか驚いているように見えたが、今はそれどころじゃない。
まずは目の前の全裸をどうにかせねば……
「ハルト? 知らないな。でも、ダーリンはダーリンだよ。ダーリンは、僕の穴友達で、穴友達 で、僕の穴友達。名前なんてどうでもいいよ」
「駄目だ…… こいつ何言ってんのかさっぱり分かんね……」
「あははっ! その苦悩に歪むダーリンの顔、好きだよ。もっと近くで見せてよ。ねぇ」
歩みの幅は変わらないのに、まるで地を滑るようにして急激に距離を詰めてくるアナスキン。
揺れる二つの大きな果実。
揺れる肉付きの良い太もも。
揺れる足元まで伸びた黒く美しい髪。
その挑発的な瞳の奥には、見るものを怖気させるほどの狂気の炎が燃え上がっている。
「ま、まずっ…… 漆黒の巨狼! 月白の大狼!」
――ガルゥウウア!!
――――ガゥッガゥガゥッ!!
二匹の巨狼がアナスキンの両サイドへと迫る。
そして、その鋭い牙のついた顎で、アナスキンを捉えようとしたその刹那。
パチンコの玉が弾かれるように、二匹の巨狼が左右に弾き飛ばされた。
遅れてキャィンッと悲鳴があがり、地面を何度もバウンドして転がっていく。
「なに!?」
「後で無茶苦茶に犯してあげるから、大人しくそこで寝てなさい。まずはダーリンが最初。ダーリンが壊れたら、次は君達の番。順番は守ろうね?」
何をしたのか見えなかった。
魔法が効かないのに、奴は魔法を使えるのか?
『アナスキンはただの武闘派だ。だが、恐ろしく強い。故に、魔神と呼ばれている。あやつと目が合えば最後、ボロ雑巾になるまで犯され続け、動かなくなればそのまま捨てられると言われている。それこそ、男も女も種族も関係なく襲う悪魔だ』
「どこの強姦魔だよそれは」
そんなやばい奴の封印を解くとか、あの二人はどうかしてる!
――いや、俺も大概有り得ないことをしているので、その俺対策に、同等レベルの危険な奴を当てるというのは一つの手段なのかもしれない。
同等レベルというか天敵?
ん?
やっぱり不味いじゃんこの状況!
「森よ! 奴を拘束しろ!!」
木の根や草の根が、アナスキンの足やら腰やら首に巻きつき、その動きを止めようと無数に飛びかかる。
だが、アナスキンは止まらなかった。
少しの速度も落とさず、ぶちぶちと木の根を引き千切って進んでくる。
「お、おいおい…… マジもんのヤバい奴やん……」
『一旦退くぞ。足止めは犬達と樹人に任せ、ワシらはあやつの対策を練……』
最後まで告げ終わる前に、脇に居た炎の雄牛が消える。
いや、爆散した。
すぐ目の前には、挑発的に笑うアナスキンが、左拳を突き出した状態で止まっている。
「ただいま。ダーリン。今まで溜まりに溜まった僕の鬱憤。勿論、ダーリンが全て受け止めてくれるんだよね? その可愛いお尻で」
背中をサァーと何か冷たいものが走り、尻の穴がキュッと締まる。
「ほ、他を当たってください。お尻は貸せません。無理。無理無理無理無理無理」
全裸が目の前に全てを曝け出しているのに、快楽センサーが何も反応しない。
感じるのは恐怖と不快感だけ。
だが、スローモーションにならないということは、まだ生死の猶予があるということ。
一刻も早く、この強姦魔神の攻略法を考える必要がある。
魔法が効かない相手を倒すには――
倒すには――
倒す――
うぉおおお!
駄目だ!
おっぱいが気になって考えがまとまらないぃいい!!
「なんだい? ダーリンも興奮してるの? へー。僕の身体に欲情するなんて、僕が封印されている間にダーリンも変わったんだね。良いよ。特別に触らしてあげる」
「な、なんだって……?」
「ほら、遠慮しないで? なんなら吸ったり、舐めたり、入れてもいいんだよ?」
「ど、どういうことだってばよ……」
「もう、ダーリンもだらし無いなぁ。女の喜ばせ方を知らないの? 僕は知ってるよ。男の喜ばせ方を、ね」
アナスキンの手が股間へと伸びる。
だが、その刹那、時が止まった。
――いや、スローモーションだ!!
アナスキンの手が、俺の股間を触ると俺が死ぬ?
絶頂死?
いや違う。
このスローモーションは、絶頂死には反応しない。
それはミーニャのにぎにぎで経験済みだ。
であれば、これは絶頂死ではなく、ただの死。
アナスキンが俺の身体に触れることで訪れる肉体の死?
物理的に息子が握り潰されて死ぬとか?
ぐっ……
どちらもありそうだから怖い!
く、くそ!
こうなったら転移で逃げ…… たとして、俺の民がこいつに蹂躙されるのも嫌だな……
だとすればこいつを転移させるか!?
ま、待て待て……
こいつは魔法が効かないんだったよな?
じゃあ転移もできないだろ。
どうすれば……
どうすれば……
どう……
くっそぉおおお!
駄目だ!!
取り敢えず一時離脱!!
俺は力を振り絞って手の平に超高濃度の魔力を圧縮させる。
そして、目の前のアナスキンへと、一気に放出した。
スローモーションが終わると同時に、視界を埋め尽くす白の閃光。
牢獄要塞の時にぶっ放したハイメガ粒子砲もどきだ。
その反動で後ろに飛び退き、窮地を脱した。
視界が元に戻ると、大きく楕円形に抉れた地面に、ポツンと足場が残っている場所があった。
その足場には、右手を前に突き出し、掌を強く握りしめているアナスキンの姿が。
「無傷か…… やっぱり魔法効かないってのは本当だったのかよ」
「ダーリンなんで逃げたの? せっかく股に付いてる邪魔そうな棒を取ってあげようと思ったのに」
「……ん? 馬鹿なのかな? それ取られたら死にますけど? 普通に死にますけど? 逆に聞くけど、なんで逃げないと思ったのかな?」
「だって、その程度じゃダーリンは死なないでしょ? それに、男だけがその棒を女に突き刺すのは不公平だと僕は思うんだ。だから、男の硬くなったそれを見たら、引っこ抜いてお尻の穴に入れてあげるの。そうしたら、突き刺される者の気持ちも少しは分かるでしょ?」
「ごめん、超理論過ぎて全く分からない」
「いいよ。謝らなくても。僕がそうしたいだけなんだから。自分の物を突き刺されて泣き喚く男の顔は、何度見てもそそるよね。でも結局は、段々とエスカレートしちゃって、木の棒やら剣やら槍を突き刺して殺しちゃうんだけど。ダーリンは、不思議とそれでも死なない気がするだよね。だから、僕はダーリンが好きなんだ。僕の壊れない唯一のおもちゃ」
「狂気的過ぎぃ!!」
アナスキンの黒い瞳が、獲物を逃すまいと大きく見開かれる。
だが、その首筋へ、光輝く剣がピタリとつけられ、アナスキンはその動きを止めることを余儀なくされた。
「そこまでよ、アナスキン」
「誰だい? 僕の首にこんな物騒なものを突き付けるのは」
「あなたが殺そうとしている男の契約者よ」
「へぇー。良いね。その度胸は賞賛に値するよ。じゃあ、その勇気を讃えて、ダーリンの次は君にしてあげよう。ダーリンから切り取った肉棒で、無茶苦茶に犯してあげるからね」
「その前に、あなたをズタボロになるまで切り刻んであげるわ」
「君にできるかな?」
「できるわ。この剣ならね。あなたが先程から動いていないのが、何よりの証拠よ」
「はぁ〜…… 残念。せっかく盛り上がってきたのに、萎えちゃったよ。ごめんね、ダーリン。お楽しみはまたの機会にしようね」
「いやいやいや、未来永劫、その機会は来ねーから!」
「アナスキン、下がりなさい」
「はいはい」
アナスキンが両手を上げて横へと移動する。
膨よかで形の良い安産型の尻に視線が吸い込まれるも、自分の尻から来る不快感と自制心でその欲を相殺し、何とか視線を引き剥がすことに成功する。
アナスキンの挑発的な流し目と、パンツ美女の咎めるような鋭い視線を同時に浴びたが、不可抗力なのだから仕方がないだろうと心の中で抗議した。
「君は? ハイデルトの契約者って言ってたけど?」
質問を投げかけたが、返事はなく、無言。
返ってきたのは鋭い視線のみ。
すると、壮年の男が馬を走らせてやってきた。
すぐさま馬から降りると、俺の前で跪き、こう述べた。
「で、殿下! よくご無事で! 探しましたぞ!!」
「あー、ハイデルトの知り合いか…… 知り合いというか、家臣の人かな? じゃあこっちは…… あ、もしかしてセルミアさん?」
パンツの美女がセルミアと呼ばれて目を大きく開き、頬をほんのり赤く染めた。
「セルミア……さん?だと? お前はハイデルトではないのか?」
「……殿下? このローデスをお忘れに……? 一体何が」
「あー、説明するよ。取り敢えず、この全裸女に服を着せて拘束してからね」
「全裸女とは酷い。ダーリン、僕にはアナスキンという名前があるんだよ? でも、ダーリンなら愛を込めてアナスキとか、アナキンって呼んでも良いかな?」
黒い長髪に最高にエロい身体をした美女が、悩ましいほどの切ない流し目で何か言っているが、あまり相手にしない方が良さそうだ。
「こいつ、拘束できる? むしろ、もう一度封印できない?」
「あれは殿下が施した封印術。殿下しか知りませんが……」
「あー、そっか……」
「私がこの剣で脅している限り、この魔神は動くこともできないはず。このままでいい。全て説明しろ」
セルミアとローデスに促され、俺はこれまでの事を簡単に説明した。
のだが――
その中で生じた一瞬の隙を突かれて、アナスキンにセルミアとローデスが殴り飛ばされ、再び絶体絶命のピンチに陥ってしまう。
裸にローブを羽織ったアナスキンが、俺に馬乗りになりながら妖艶に笑う。
「さて、ダーリン。仕切り直しといこう。身体はダーリン。でも魂は別人。うん、それはそれでどんな味がするのか楽しみだよ。さ、二人で楽しもうね。ダーリン」
ここは何処だろう?
ちゃんと転移できたのかしら?
風の精霊達に身体を支えられながら、ゆっくりと降下していく。
瞳を開けると、すぐ下に地面が見えた。
ちゃんと降りれる。
海や火口の上とかじゃなくて良かったと、胸をなでおろす。
「一先ず、転移は成功したみたいね。よかった…… って、ホッとしてる場合じゃないわ! あいつは!? あいつはどこ!?」
カッと瞳を見開き、前方を見渡す。
すると、見慣れぬ組み合わせの軍隊がそこに布陣していた。
「野犬に狼? それに…… 樹人に…… 炎の雄牛? 何かの冗談?」
一瞬だけそう考えたが、相手はハイデルト。
常識の通じない男だ。
そこに、普通なら起こり得ない状況が起きているなら、それこそハイデルトが絡んでいる可能性がグッと高まる。
「でも、何で炎の雄牛が?」
目の前にいる炎の雄牛へと視線を向ける。
炎と牛の化身であり、再生を司る神から生まれたとされる大精霊。
契約者には、炎と再生の祝福を与えるとされているが、一部の人族の間では、拷問、処刑の象徴として魔族に分類されることもある。
炎で炙り、祝福で再生させ、再び炎で炙る。
炎の雄牛を怒らせれば、精神が崩壊するまで、終わりのない業火に永遠と焼かれ続けることになるという伝承も残っているほどだ。
逆に、気に入られてしまった者も、炎と再生のループで可愛がられるとも言われている。
そんな厄介な大精霊が――といっても、大精霊は大抵皆厄介だが――一体何故ここにいるのか?
考えても、答えは一向に出そうになかった。
問題の炎の雄牛はというと、蹄で地面をかきながら、鼻からブフンッブフンッと炎と火花を吐き出し、今にもこちらへ向かって突撃して来そうな殺気を放っている。
「なんか嫌な感じだわ…… なによあれ…… もしかして、私とやる気?」
すると、炎の雄牛の背に、見覚えのある人影が目に留まった。
「はぅっ!?」
途端、胸の奥が鷲掴みされたかのようにギュギュゥッと締め付けられ、急に息苦しくなる。
胸を抱きしめるように手で押さえても、その息苦しさは強まるばかり。
その痛みに、無意識に背が丸まってしまう。
顔はみるみるうちに上気していき、むず痒い痛みが全身をくまなく巡る。
そして、出口を求めたその痛みは、自分の意思とは無関係に、口から「はぁはぁ」と艶かしい吐息となって溢れ出ていく。
「く、くぅうう…… お、落ち着け私!」
両手で自分の頬を引っ叩き、緩む顔に喝を入れる。
そして、もう一度、ハイデルトと思わしき男を見た。
再び心臓がドクンッと跳ねる。
また暴れそうになる胸の痛みを必死に抑えながら、少しでも冷静になれと自己暗示を口ずさむ。
「冷静に…… 冷静に……」
視線を戻す。
その男は両耳を手で塞ぎ、燃える炎の雄牛の背中に乗っている。
「間違いない! あの見た目…… それに、この気配! 間違いなく、十中八九、あいつよ! 間違いないわ!!」
だが、その男の頭には、以前にはなかった漆黒の大角が生えていた。
「あの角…… もしかして…… 大精霊の…… マーキング……?」
――大精霊のマーキング。
人族の間では、契約した大精霊の膨大な魔力を保管しておくための補助タンクだとか、契約者と大精霊との力のバランスを取るための応急処置だとか、あるいは、大精霊の契約の代償だとか色々言われているが、人族と違い、身体に大精霊を取り込まずとも契約できるエルフ族にとっては、解釈が大きく変わる。
そもそも、大精霊との契約において、大精霊を身体に憑依させる必要などないことを知っているからだ。
本来、精霊達が行使する魔力は、大地や空気中に多く存在している。
それらを精霊達がかき集め、増幅させることで魔法を行使するというのが精霊術の原理。
更には、元々実体のない精霊達は、空気中に漂ったり、大地に溶け込むだけで存在できる生命体でもある。
つまりは、身体に憑依するのも、その身体に自身の一部を契約の象徴として具現化させるのも、実は契約に必要な絶対条件ではないのだ。
その条件を飲まなければ契約しないよ?
という、大精霊のエゴに過ぎない。
大精霊が人族に対して圧倒的に有利な立場だからできる契約交渉だともいえる。
そのため、エルフ族では、大精霊が気に入った人族に、他の精霊が手出し出来ないようにするためのマーキングだと揶揄されることも多い。
エルフ族の中には、マーキングだと理解した上で、あえて大精霊の象徴を身体に具現化させている変わり者もいるが、それは極一部だ。
これらは、精霊と会話ができるエルフ族だから知り得た事実であり、精霊と会話のできない人族が、大精霊に良いように丸め込まれてそうなったとしても、それは自身の力不足が招いた結果だというのが、エルフ族の認識である。
そして、エルフ族はそうやって人族を蔑み、人族との対話――情報共有を拒絶しているため、人族がその実態を知ることはない。
人族としても、エルフ族は皆傲慢な存在だというのが一般常識であり、そもそも大精霊との契約者など発見するのが難しいほど希少な存在でもあるため、今までその知識が広まらずにきたともいえよう。
「ふ、ふぅー……」
セルミアは一度目を瞑り、心を落ち着かせながら思考に耽る。
大精霊に余程気に入られたエルフであれば、身体にその象徴を付ける代わりに、より有利な契約を結ぶという強かな者もいるが、ハイデルトは大精霊を超える実力の持ち主だ。
大精霊の力を借りる必要などないはず。
過去に一度、ハイデルトの口から大精霊との契約を毛嫌いする発言を聞いた覚えもある。
そんなハイデルトが大精霊と契約して、その象徴を頭につけるだろうか。
考えれば考えるほど、言葉では表現できない違和感が、心の奥底でむくむくと膨らんでいく。
「……どういうこと? ……なんでマーキングされてんのよ」
セルミアからマーキングと言われた禍々しい二本の大角が、その存在を主張するように、メラメラと紅いの炎を巻き上げる。
同時に、セルミアの頭からも、煙が出そうなほどに熱を帯びていた。
「くっ、うぉわあああ! もう! 訳わっかんない! あんな下品な角生やして、一体どういうつもり!?」
そう憤ると、ふと、炎の雄牛と視線が合った気がした。
炎の雄牛の口角が釣り上がる。
それは、まるでセルミアを嘲笑っているかのようだった。
そして、次の瞬間――
男の大角から溢れ出た炎が、炎の雄牛の炎と絡み合うかのように交わった。
まるで手を絡めるように何度も何度も何度も。
「あ…… そういうこと……」
その光景を見て、全てを察することができた。
大精霊は総じて独占欲の強いものが多い。
溺愛故の独占。
となれば、人のものと知っていながら契約した不届きな大精霊が、まともな思考をしている訳がない。
あれは、ハイデルトとの契約者がセルミアだと知った上での当て付け――挑発だろう。
理解と同時に、火山が噴火するが如く、急激に込み上げてくる憤怒の激情。
「わ、わた、わた、私への当て付けかぁああ!? ぐ、ぐぐぉおおお! あったまきたぁああああ!!」
般若の形相で炎の雄牛を睨む。
すると、それに応えるように、炎の雄牛が雄叫びをあげた。
――ブモォオオオオオ!!
やるなら相手してやる、かかって来いよとでも言わんばかりの咆哮に、セルミアの堪忍袋の紐がブチ切れた。
「この泥棒牛がぁあああっ! 私に喧嘩を売った事を後悔させてやるぅううう!!」
◇◇◇
大小様々な竜巻が、土や草葉を巻き上げている。
それを口を開けて呆然と眺めていた元帝国騎士団副団長のクダンフが、我に返って叫んだ。
「だ、団長! あ、あれ! 青い光から現れたのって、セルミアさんですよね!?」
「ああ、セルミアだ」
「団長が呼んでくれたんですか!?」
「そうだ…… が……」
「きたきたきたぁああ! 聖霊魔導騎士のセルミアさん最高ぉおお! これで勝機が見えてきましたよ! ですが、何で急に決意を覆したんですか?」
顔に生気を取り戻したクダンフが、嬉しそうにローデスへと顔を向ける。
「ん? 団長?」
だが、顔を向けられたローデスは、正直焦っていた。
「何故、セルミアはあれほどの精霊術を行使しているのだ…… あれは…… 殿下ではないのか……?」
「殿下……? 団長、今なんて?」
「あの炎の雄牛に、殿下が乗っているのが見えたのだ。だからセルミアへ緊急連絡を入れた」
「えっ…… うえぇっ!?」
クダンフがこぼれ落ちそうになるくらいに目を見開いて驚いた。
「そ、それ、確かですか!? 殿下がここに!?」
「あれは確かに殿下だった。私が見間違えるはずは……」
「じゃ、じゃあどうしてセルミアさんは全力で応戦しているんですか!?」
「う、うむ……」
ローデスが答えに詰まり、黙る。
元々、殿下とセルミアの仲はお世辞にも良好とは言えなかった。
会えば必ず喧嘩する仲――よくよく考えてみれば、セルミアが殿下へ一方的に突っかかっていただけだが、穏便に済んだことなど一度もなかったからだ。
だが、ここまで大規模な喧嘩は初めてだった。
いつもは、セルミアから逃げるように殿下が退散するか、セルミアの猛攻を殿下が軽くいなして終わるのが常だった。
それが、今は真正面からやり合っている。
ローデスには、それが引っかかっていた。
「今はセルミアに任せるしかできん。あの大規模な精霊術の応酬へ不用意に参戦すれば、大勢の仲間が犬死にするだけだ」
「確かに、大精霊クラスの戦いに混ざるのは無謀と言えますが…… せめてセルミアさんへの支援を考えては?」
「下手にヘイトを集めて、攻撃の矛先がこちらに向いてしまっては、今度はセルミアが満足に戦えなくなる。セルミアと炎の雄牛が一騎打ちを継続している限り、それを見守るのが騎士道だろう」
「それはそうですが……」
「無論、セルミアが危機的状況になれば我らも討って出る。皆に覚悟するよう伝えておいてくれ」
「はっ!」
クダンフが納得した表情で頷く。
目の前には、多重展開された竜巻が、同じく多重展開された炎の竜巻とぶつかり合い、その衝撃で発生した熱風が、遥か後方に布陣したローデス達まで届いてきている。
前線では、魔術師達により魔法障壁が張られているが、それでも完全に遮断できていない。
あの攻撃に狙われれば、一瞬で何百人もの仲間が焼け死ぬことになる。
実力の差は歴然だった。
「これが聖霊魔導騎士の実力か…… 大精霊と互角にやり合うほどとは…… しかし、この状況…… どうにかせねば……」
この現状に悩むローデスだったが、ふと、とある考えが浮かんだ。
「もしあれが本当に殿下なら…… うむ…… これは使いたくなかったが…… 止む終えんか……」
ローデスは、部隊の指揮をクダンフに預けると、自身は一人殿下のいる最前線へと馬を走らせた。
クダンフの悲痛な叫びを背に受けながら駆けるローデスの手には、黒色の煙が充満した禍々しい雰囲気の結晶が握られていた。
◇◇◇
目を瞑り、耳を塞いでいても、肌を叩くようにぶつかる突風や、身体の芯へ響く爆発の振動までは防げない。
気になって少し目を開けようとするものなら、炎の雄牛が頭の中で怒鳴るので開けられず、先程から状況が一向に掴めないでいる。
(任せたとは言ったけど、本当にこうやって丸くなってるだけでいいのか……? いや、でも少しでも動こうものなら炎の雄牛めっちゃ怒るし…… でもなぁ……)
せめて炎の雄牛から降りた方が炎の雄牛が戦いやすくなるのでは?と提案もしたが、触れていた方が魔力を引き出しやすいらしく、離れれば戦力が落ちると言われた。
だが、何か引っかかるのも事実。
そうやってもんもんと考えながら耐えること数十分。
状況は変わっていないはずなのに、急に胸騒ぎがし始めた。
(なんだ……? この胸騒ぎは……)
心拍数が上がり、呼吸が早くなる。
少しずつ指先が震え、その震えは足にも伝播し、ついには身体全体が震え始めた。
(な…… なんだよこれ!? ふ、震えが止まらない!?)
『どうした!? 何を怯えている!?』
(わ、分からない! 急に胸騒ぎし始めて…… それが徐々に大きくなって…… もしかして…… この身体の反応は…… ハイデルトに関係してる!?)
『何…… もしやあれか! 原因が分かったぞ! あれはワシが対処する! お主は目と耳を塞いでしっかり背に乗っておれ!』
(んなこと言っても身体が勝手に…… あっ)
ハルトの身体が寝返りをうつように無意識に反転すると、炎の雄牛の身体から転げ落ちた。
咄嗟に目を開け、両耳から手を離して体勢を戻し、地面へと着地する。
すると、炎の雄牛の叫びとともに、質の違う二つの叫びが耳に飛び込んできた。
『ハルト!? すぐワシの背に戻れ!!』
「ハイデルトぉおおおおお!!」
「殿下ぁああああ!!」
怒気を含む女性の叫びと、必死に何かを懇願するような野太い声。
「ハイデルトを呼ぶ声……? ハイデルトの知り合いか!?」
白と赤の竜巻がぶつかり合うその地表面付近に、白く光る半球体が見える。
声はそこから響いてきていた。
その光の膜の中には、顔を真っ赤にしたパンツの美女と、渋い顔をした全身甲冑の壮年男性が。
パンツ美女は地上から1mくらい上を飛行し、海を二つに割ったモーセの如く両手を左右に掲げ、進路を塞ごうと迫る炎の竜巻を退けている。
一方、壮年の男は、騎馬に乗りながら右手を掲げている。
その右手には、黒色に濁った水晶のような物が見える。
それが視界に入った途端、鼓動が更に早まり、震える全身からブワッと嫌な汗が流れ始めた。
「な、なん、何なんだよ!? 俺の身体は何に怯えてんだ!? あのおっさんが手に持っている奴が原因なのか!?」
『あれは封印石だ! 何かが封じ込められている気配を感じる!』
「封印石!? じゃあハイデルトは、あれに封じられている何かに怯えてるってことか!? 魔王でも恐れないあのハイデルトが!?」
そう話す間も、震えはより強くなっていく。
『ぐっ! あの小娘、大精霊であるワシの力を上回るか! どこにそんな力が…… もしや……』
炎の雄牛が、脇でガタガタと震える俺を一瞥する。
すると、パンツの美女の高笑いが耳に届いた。
「アハハハッ! ハイデルトの無尽蔵の魔力を使えるのは、あなただけじゃないのよ! この盗っ人がぁあああ!」
『厄介な! ええいっ! 漆黒の巨狼! 月白の大狼! 何をしてる! 早く戻ってこい!』
『煩い牛め。言われなくとももうすぐ着く』
『若、もう少しご辛抱ください』
焦る炎の雄牛に応じる漆黒の巨狼と月白の大狼。
彼らには、ヘズリードとともに連合諸国側の対処に向かってもらっていた。
魔導大帝国イシリスの軍隊が攻めてきたタイミングで、北東からは連合諸国側の軍が攻めてきたのだ。
偶然にしては出来過ぎだとは思う。
恐らく、連合諸国としても突如現れた魔王国を攻めあぐねていたのだろう。
そんな状況下で、イシリスが魔王国に再び軍を差し向け、そのイシリスに対して魔王が軍を率いて迎撃に向かったとあれば、連合諸国としても魔王に占領されたユーリカを取り戻せるとでも思ったのかもしれない。
『ま、不味い!!』
「ど、どうした!?」
炎の雄牛が怯み、次の瞬間、炎の竜巻が霧散し、正面から火の粉とともに熱風が吹き荒れた。
「う、うおっ!?」
『ワシの炎が弾き飛ばされただと!?』
炎の雄牛の苦々しい声が頭の中に響く。
どうやら、炎の雄牛がパンツの美女に押し負けたようだ。
「げっ!? 一人相手に大精霊の炎の雄牛が押し負けるなんてあるの!? そ、それなら俺が代わりに…… って、この震えどうにかならないのかよ! まともに集中できないんだけど!?」
震えが酷くて手や足に力が入らない。
まともに掌を開くことさえできない。
「ぐぉおお! 本当になんだよこれ!? 止まれ! 震えるな! 俺!!」
だが、震えは治るどころか益々酷くなるばかり。
原因と思わしき二人組は、着実に近付いてきている。
「ど、どうする!?」
焦って思考がまとまらない。
するとその時、黒と白の影が視界に入り込んだ。
「漆黒の巨狼! 月白の大狼!!」
◇◇◇
――ウォオオオオオン!!
遠吠えとともに、二匹の巨狼が姿を現した。
突然の巨狼の登場に、セルミアとローデスが歩みを止める。
「巨狼!? 二匹も!? でもこの感じ…… あの二匹からもハイデルトの魔力を感じるわ」
「あの巨狼も殿下の…… 殿下ぁあああ! 私です! ローデスです! 攻撃を止めてください!!」
「ローデス、言っても無駄よ」
「セルミア! 何故だ!? 何故殿下は応じない!?」
「私だって知らないわよ! こっちが聞きたいくらいだわ!!」
「こちらの声は殿下に届いているはず…… もし殿下に不都合があるなら、殿下なら即座に逃げるはずだが…… 逃げる訳でもなく、ただそこにいるのは、何かおかしい…… 何か理由があるのか……? 何か……」
「ローデス! 来るわよ!!」
セルミアとローデスの元へ、二匹の巨狼が牙をむき出しにして駆けてくる。
「ええい! 邪魔よ! 番犬はどっか行ってなさい! 旋風!!」
迫る巨狼の足元に、間欠泉から水蒸気が噴出すように旋風が無数に発生。
だが、巨狼はそれを難なく躱し続け、着実に距離を縮めてくる。
「ええ!? あれを躱すの!?」
セルミアが巨狼の迎撃に手間取っている。
ローデスは、それを見て決意した。
「殿下ぁあああ! 攻撃を止めなければ、この封印を解きますぞぉおおお! 殿下ぁあああ!!」
ローデスの叫びも虚しく、巨狼がすぐ間近まで迫り――
「ローデス! 衝撃に耐えて!!」
ドッという音とともに、周囲が白に染まった。
気圧の急激な変化で耳がツーンと詰まる。
急いで耳抜きをすると、ローデスは苦渋の表情を浮かべながら、周囲を囲う竜巻へと突っ込んでくる巨狼を見つめ、溜息を吐いた。
「止む終えんか……」
そう呟くと、ローデスは右手に持っていた封印石を叩き割った。
◇◇◇
漆黒の巨狼と月白の大狼がパンツ美女へと特攻を仕掛けると、突如として極太の竜巻が発生。
美女と壮年男は竜巻の中へと消えていった。
「主人! 気を付けろ! 何か来るぞ!」
漆黒の巨狼が竜巻に怯まず突っ込みながら吠える。
だが、その危険を知らせる声よりも先に、身体が警鐘を鳴らしていた。
寒気とともに尻の穴が急にむず痒くなり、無意識に手で尻を隠してしまう。
「な、な、なんだか、凄く嫌な感じが……」
理解できない不安感に包まれる。
すると、極太の竜巻から黒色の光が溢れ出し――
竜巻ごと爆散した。
近くにいた漆黒の巨狼と月白の大狼が吹き飛ばされ、キャインと悲鳴をあげる。
その衝撃波は、土埃を巻き上げて物凄い勢いで迫ってきたが、炎の雄牛が吼えると、突如噴き上がった炎の壁に相殺されて消えた。
爆音と暴風から一転。
場が静寂に包まれる。
目の前は茶色一色。
だが、舞い上がった土埃が風に流され、少しずつその色を落としていく。
薄っすらと上空の方から視界がクリアになると、平原の中央に、黒色の長髪を靡かせた美丈夫が、妖艶な微笑みを浮かべながら天を仰いでいるのが見えた。
「ああ! ようやく! ようやく解放された! 自由! 自由だ! これでもう我慢せずに済むんだね! 一人で済ます日々も終わり! これからは欲の赴くままに発散できる! ああ! こんな気持ちは久しぶりだ! 早く誰かを無茶苦茶に犯してやりたいよ!」
何やら物騒な叫びが聞こえてくる。
だが、その美丈夫が放つ威圧は、人のそれとは全く違った。
「な、なんだよあれ……」
俺の呟きに、炎の雄牛が苦々しい声で答えた。
『奴はアナスキン。色欲の魔神とも呼ばれる魔族だ。嫌な奴が解き放たれたな』
「アナスキン? 魔神? 色欲? あいつが、魔王ですら恐れないハイデルトの天敵?」
『天敵か。天敵といえば天敵かもしれん』
「ど、どういうこと?」
『あやつには、魔法や精霊術の類いが一切効かん。魔法による付与魔法や強化魔法も、奴が触れただけで無効化される』
「んな馬鹿な…… ガッチガチの天敵じゃないですか……」
心の様子とは裏腹に、視界が開けていく。
先程までは美丈夫の首から下を隠していた土埃も、少しずつ下がり、ぷるんぷるんと揺れる二つの豊満な乳房を曝け出していた。
「ぶぅーーーーーっ!!」
おっぱい見えた!!
「って、女かよっ!!」
無意識のツッコミに、遠く離れているはずの美丈夫――否、美女――アナスキンが反応し、ゆっくりと振り向く。
「この感じ…… ダーリンかい? ああ! ダーリンじゃないか! 何年振りだろう! 会いたかったよ! 僕をこんな窮屈な石に閉じ込めるなんて酷いじゃないか! お陰で石に閉じ込められている間、何千、何万回と、君を妄想の中で犯し続けたことか!」
全裸の美女が、人には理解し難い言葉を発している。
どこの国の言葉だろうか?
いや、人じゃないんだった。
魔神だ。
そう、魔神。
黒髪で長髪で乳首も下の毛も黒い絶世の美女魔神。
全裸の。
全――
ぜ、ぜぜぜ全、ゼハーーーー!!
「だめだめだめだめ…… 落ち着け落ち着け落ち着け……」
突然視界に入ってきた魅惑的な裸体に、意識が飛び掛ける。
なんとか踏み止まれたのは、先程からケツに不快感を感じているからだ。
身体の前半分は快楽が、身体の後ろ半分は不快感が支配し、気持ち良いのか悪いのか、もうよく分からない。
だが、確信めいたものはある。
「あいつに…… あいつに背後を取られたら犯られる…… 女だけど…… なんか猛烈に嫌な予感がする…… そ、それだけは阻止しなければ……」
あの痴女の言動と、ケツの警鐘。
考えたくもないが、そういうことだろう。
「そこで止まれ! 俺はお前を知らない! これ以上近付けば、ただじゃ済まさないぞ!!」
アナスキンが目を丸くして立ち止まる。
「僕を知らない? ダーリン、本気で言ってるのかい?」
「誰がダーリンだ! 悪いが俺はお前を知らない! 俺の名はハルトだ!」
視界がより開ける。
もう土埃は完全になくなった。
俺の名乗りに、後方で状況を見守っているパンツの美女と壮年の男も、心なしか驚いているように見えたが、今はそれどころじゃない。
まずは目の前の全裸をどうにかせねば……
「ハルト? 知らないな。でも、ダーリンはダーリンだよ。ダーリンは、僕の穴友達で、穴友達 で、僕の穴友達。名前なんてどうでもいいよ」
「駄目だ…… こいつ何言ってんのかさっぱり分かんね……」
「あははっ! その苦悩に歪むダーリンの顔、好きだよ。もっと近くで見せてよ。ねぇ」
歩みの幅は変わらないのに、まるで地を滑るようにして急激に距離を詰めてくるアナスキン。
揺れる二つの大きな果実。
揺れる肉付きの良い太もも。
揺れる足元まで伸びた黒く美しい髪。
その挑発的な瞳の奥には、見るものを怖気させるほどの狂気の炎が燃え上がっている。
「ま、まずっ…… 漆黒の巨狼! 月白の大狼!」
――ガルゥウウア!!
――――ガゥッガゥガゥッ!!
二匹の巨狼がアナスキンの両サイドへと迫る。
そして、その鋭い牙のついた顎で、アナスキンを捉えようとしたその刹那。
パチンコの玉が弾かれるように、二匹の巨狼が左右に弾き飛ばされた。
遅れてキャィンッと悲鳴があがり、地面を何度もバウンドして転がっていく。
「なに!?」
「後で無茶苦茶に犯してあげるから、大人しくそこで寝てなさい。まずはダーリンが最初。ダーリンが壊れたら、次は君達の番。順番は守ろうね?」
何をしたのか見えなかった。
魔法が効かないのに、奴は魔法を使えるのか?
『アナスキンはただの武闘派だ。だが、恐ろしく強い。故に、魔神と呼ばれている。あやつと目が合えば最後、ボロ雑巾になるまで犯され続け、動かなくなればそのまま捨てられると言われている。それこそ、男も女も種族も関係なく襲う悪魔だ』
「どこの強姦魔だよそれは」
そんなやばい奴の封印を解くとか、あの二人はどうかしてる!
――いや、俺も大概有り得ないことをしているので、その俺対策に、同等レベルの危険な奴を当てるというのは一つの手段なのかもしれない。
同等レベルというか天敵?
ん?
やっぱり不味いじゃんこの状況!
「森よ! 奴を拘束しろ!!」
木の根や草の根が、アナスキンの足やら腰やら首に巻きつき、その動きを止めようと無数に飛びかかる。
だが、アナスキンは止まらなかった。
少しの速度も落とさず、ぶちぶちと木の根を引き千切って進んでくる。
「お、おいおい…… マジもんのヤバい奴やん……」
『一旦退くぞ。足止めは犬達と樹人に任せ、ワシらはあやつの対策を練……』
最後まで告げ終わる前に、脇に居た炎の雄牛が消える。
いや、爆散した。
すぐ目の前には、挑発的に笑うアナスキンが、左拳を突き出した状態で止まっている。
「ただいま。ダーリン。今まで溜まりに溜まった僕の鬱憤。勿論、ダーリンが全て受け止めてくれるんだよね? その可愛いお尻で」
背中をサァーと何か冷たいものが走り、尻の穴がキュッと締まる。
「ほ、他を当たってください。お尻は貸せません。無理。無理無理無理無理無理」
全裸が目の前に全てを曝け出しているのに、快楽センサーが何も反応しない。
感じるのは恐怖と不快感だけ。
だが、スローモーションにならないということは、まだ生死の猶予があるということ。
一刻も早く、この強姦魔神の攻略法を考える必要がある。
魔法が効かない相手を倒すには――
倒すには――
倒す――
うぉおおお!
駄目だ!
おっぱいが気になって考えがまとまらないぃいい!!
「なんだい? ダーリンも興奮してるの? へー。僕の身体に欲情するなんて、僕が封印されている間にダーリンも変わったんだね。良いよ。特別に触らしてあげる」
「な、なんだって……?」
「ほら、遠慮しないで? なんなら吸ったり、舐めたり、入れてもいいんだよ?」
「ど、どういうことだってばよ……」
「もう、ダーリンもだらし無いなぁ。女の喜ばせ方を知らないの? 僕は知ってるよ。男の喜ばせ方を、ね」
アナスキンの手が股間へと伸びる。
だが、その刹那、時が止まった。
――いや、スローモーションだ!!
アナスキンの手が、俺の股間を触ると俺が死ぬ?
絶頂死?
いや違う。
このスローモーションは、絶頂死には反応しない。
それはミーニャのにぎにぎで経験済みだ。
であれば、これは絶頂死ではなく、ただの死。
アナスキンが俺の身体に触れることで訪れる肉体の死?
物理的に息子が握り潰されて死ぬとか?
ぐっ……
どちらもありそうだから怖い!
く、くそ!
こうなったら転移で逃げ…… たとして、俺の民がこいつに蹂躙されるのも嫌だな……
だとすればこいつを転移させるか!?
ま、待て待て……
こいつは魔法が効かないんだったよな?
じゃあ転移もできないだろ。
どうすれば……
どうすれば……
どう……
くっそぉおおお!
駄目だ!!
取り敢えず一時離脱!!
俺は力を振り絞って手の平に超高濃度の魔力を圧縮させる。
そして、目の前のアナスキンへと、一気に放出した。
スローモーションが終わると同時に、視界を埋め尽くす白の閃光。
牢獄要塞の時にぶっ放したハイメガ粒子砲もどきだ。
その反動で後ろに飛び退き、窮地を脱した。
視界が元に戻ると、大きく楕円形に抉れた地面に、ポツンと足場が残っている場所があった。
その足場には、右手を前に突き出し、掌を強く握りしめているアナスキンの姿が。
「無傷か…… やっぱり魔法効かないってのは本当だったのかよ」
「ダーリンなんで逃げたの? せっかく股に付いてる邪魔そうな棒を取ってあげようと思ったのに」
「……ん? 馬鹿なのかな? それ取られたら死にますけど? 普通に死にますけど? 逆に聞くけど、なんで逃げないと思ったのかな?」
「だって、その程度じゃダーリンは死なないでしょ? それに、男だけがその棒を女に突き刺すのは不公平だと僕は思うんだ。だから、男の硬くなったそれを見たら、引っこ抜いてお尻の穴に入れてあげるの。そうしたら、突き刺される者の気持ちも少しは分かるでしょ?」
「ごめん、超理論過ぎて全く分からない」
「いいよ。謝らなくても。僕がそうしたいだけなんだから。自分の物を突き刺されて泣き喚く男の顔は、何度見てもそそるよね。でも結局は、段々とエスカレートしちゃって、木の棒やら剣やら槍を突き刺して殺しちゃうんだけど。ダーリンは、不思議とそれでも死なない気がするだよね。だから、僕はダーリンが好きなんだ。僕の壊れない唯一のおもちゃ」
「狂気的過ぎぃ!!」
アナスキンの黒い瞳が、獲物を逃すまいと大きく見開かれる。
だが、その首筋へ、光輝く剣がピタリとつけられ、アナスキンはその動きを止めることを余儀なくされた。
「そこまでよ、アナスキン」
「誰だい? 僕の首にこんな物騒なものを突き付けるのは」
「あなたが殺そうとしている男の契約者よ」
「へぇー。良いね。その度胸は賞賛に値するよ。じゃあ、その勇気を讃えて、ダーリンの次は君にしてあげよう。ダーリンから切り取った肉棒で、無茶苦茶に犯してあげるからね」
「その前に、あなたをズタボロになるまで切り刻んであげるわ」
「君にできるかな?」
「できるわ。この剣ならね。あなたが先程から動いていないのが、何よりの証拠よ」
「はぁ〜…… 残念。せっかく盛り上がってきたのに、萎えちゃったよ。ごめんね、ダーリン。お楽しみはまたの機会にしようね」
「いやいやいや、未来永劫、その機会は来ねーから!」
「アナスキン、下がりなさい」
「はいはい」
アナスキンが両手を上げて横へと移動する。
膨よかで形の良い安産型の尻に視線が吸い込まれるも、自分の尻から来る不快感と自制心でその欲を相殺し、何とか視線を引き剥がすことに成功する。
アナスキンの挑発的な流し目と、パンツ美女の咎めるような鋭い視線を同時に浴びたが、不可抗力なのだから仕方がないだろうと心の中で抗議した。
「君は? ハイデルトの契約者って言ってたけど?」
質問を投げかけたが、返事はなく、無言。
返ってきたのは鋭い視線のみ。
すると、壮年の男が馬を走らせてやってきた。
すぐさま馬から降りると、俺の前で跪き、こう述べた。
「で、殿下! よくご無事で! 探しましたぞ!!」
「あー、ハイデルトの知り合いか…… 知り合いというか、家臣の人かな? じゃあこっちは…… あ、もしかしてセルミアさん?」
パンツの美女がセルミアと呼ばれて目を大きく開き、頬をほんのり赤く染めた。
「セルミア……さん?だと? お前はハイデルトではないのか?」
「……殿下? このローデスをお忘れに……? 一体何が」
「あー、説明するよ。取り敢えず、この全裸女に服を着せて拘束してからね」
「全裸女とは酷い。ダーリン、僕にはアナスキンという名前があるんだよ? でも、ダーリンなら愛を込めてアナスキとか、アナキンって呼んでも良いかな?」
黒い長髪に最高にエロい身体をした美女が、悩ましいほどの切ない流し目で何か言っているが、あまり相手にしない方が良さそうだ。
「こいつ、拘束できる? むしろ、もう一度封印できない?」
「あれは殿下が施した封印術。殿下しか知りませんが……」
「あー、そっか……」
「私がこの剣で脅している限り、この魔神は動くこともできないはず。このままでいい。全て説明しろ」
セルミアとローデスに促され、俺はこれまでの事を簡単に説明した。
のだが――
その中で生じた一瞬の隙を突かれて、アナスキンにセルミアとローデスが殴り飛ばされ、再び絶体絶命のピンチに陥ってしまう。
裸にローブを羽織ったアナスキンが、俺に馬乗りになりながら妖艶に笑う。
「さて、ダーリン。仕切り直しといこう。身体はダーリン。でも魂は別人。うん、それはそれでどんな味がするのか楽しみだよ。さ、二人で楽しもうね。ダーリン」
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