忘却の焔

陰東 一華菱

心絆されて……?

 私の話に強引に切り替えたリディルの視線から私は僅かに視線をそらし、目の前の風景に目を向ける。
 遠くに見える海面が陽の光を受けて、キラキラと輝くのを見つめながら口を開く。

「……私の事なんて、別に興味ないでしょ」
「やだな。興味がなきゃ、こんな風に誘ったりしないよ」

 そう言いながらリディルはおもむろに手を伸ばし、私の髪に触れてくる。
 突然の事に驚いてリディルの方を振り返ると、彼は私の長い髪を掬い上げ、その髪に唇を寄せて瞼を伏せている。
 ドリーやリーナ以外に触れさせた事がない、想定外の行動に思わず気が動転してしまう。
 ドクリと鼓動が大きく脈打ったのは、不安に思ったからなのか、それとも違う意味でなのかは分からなかったが、私は慌てて彼の手に握られている自分の髪を引き寄せた。

「……や、やめて!」
「何で?」

 するりと離れた髪に気付いて名残惜しそうな表情を浮かべる彼に、私は思い切り怪訝な表情を見せて睨みつける。

「な、何でって……、別にあなたと付き合ったりとか、そんな関係でもなんでもないじゃない」
「……」

 リディルは私のその言葉を聞いて、驚いたように目を見開いた。
 彼がなぜそんな表情をしたのかは分からないが、とても意外そうだった事は間違いない。
 しばらく目を瞬いていたけれど、やがてふっと目を細めて意味深に微笑みながらこちらを見つめてきた。

「ふぅん……なるほど。“そう言う関係”だったらしてもいいんだ?」
「?」
「……じゃあ、“そう言う関係”になってみる?」

 手を私の近くの草の上に着いてぐいっと顔を寄せながら囁くようにそう問われた瞬間、無意識にも顔に熱がこみ上げてくるのが分かった。
 何で顔が熱くなるの? こんな言葉、きっと彼は他の女性にもかけてるはずだ。
 そう思うと、彼が日頃の女性遊びの噂話を思い出して、ムッと顔を顰めた。

「冗談やめて。どうせ他の女性にも同じ事言ってるんでしょ? 私、そんなに軽い女じゃないわ」

 そんなに軽い女じゃない。
 そう言いながらも、すっかり彼に乗せられそうになっている自分に激しく動揺していた。

「……本気だって言ったら?」
「だから、そんなこと軽々しく女性に言えるあなたを、信用なんてできないって言ってるの!」

 私は言っている事や気持ちとは裏腹に真っ赤になっているであろう顔を思い切り背けて目を瞑り、力いっぱい彼を突き飛ばした。

「う……っ」

 その瞬間に、低くくぐもった苦しげなうめき声を上げたリディルに、私はパッと目を開いて彼の方を振り返った。
 彼を突き飛ばした手は、どうやら彼の腹部に当たったらしく、リディルは腹部をぎゅっときつく握り締め、痛々しい表情を浮かべながら痛みに耐えているようだった。

「ご、ごめんなさい! そんなに強く突き飛ばすはずじゃ……」

 まさか、彼が顔を顰めるほどに強く突き飛ばしてまうとは、自分でも思ってなかった。

 大慌てで謝ると、リディルはかすかに脂汗の滲む顔をゆるゆると横に振り、苦しそうな表情のまま薄目を開けて、口元に小さく笑みを浮かべて見せた。

「だ、大丈夫……」
「大丈夫じゃないわ。そんな苦しそうなのに……。本当にごめんなさい」
「……違う。君のせいじゃないよ」
「でも……」

 うろたえている私に対して、リディルはもう一度ゆるゆると首を横に振った。

「君のせいじゃないんだ……」
「どういう、事……?」

 あまりに切実にそう訴えるリディルに、私は彼を見つめた。
 すると彼はようやく痛みが落ち着いてきたのか、それまで浅く吐いていた息を深く吸い込んで、手が小さく震えるほどにきつく握り締めていた腹部からようやく手を離した。

 何かを思いつめているかのような表情で、しばらく地面を見つめていたリディルはゆっくりとこちらを振り返った。その、あまりにも真剣な表情に私は言葉をぐっと飲み込む。

「別に、君には関係ない事なんだけど……」

 迷っている様子ながら、リディルはおもむろに着ている衣服をはぐって、自分の腹部に巻かれている包帯を見せてきた。
 白い包帯に、薄っすらと見える赤黒い物。巻いている包帯の上からでも分かるほどにみぞおち付近が腫れ上がっているのを見た瞬間、私は目を見張った。

「何……? どうしたの、それ……」
「……色々あって。ちょっとしたお仕置きみたいなもんだよ」
「ちょっとしたお仕置き? これ、ちょっとなんて物じゃないわ。誰がこんな酷い事……」

 悲壮な顔を浮かべてリディルを見ると、彼はどこか落胆したかのように表情には暗い色を見せているが、相変わらず気丈に振舞っているせいかその口元は小さく微笑みを見せていた。

「色々、複雑でね。今は詳しく話せないけど、とりあえず僕は自分の国の人間から良くは思われていない、ってことは言えるかな」
「何で……」
「さぁね。悪いけど、あまり自分の事話すのは得意じゃないんだ。それに、こんな話をして君の気分を悪くしたくないし。だから、気にしないで」

 ニッコリと微笑みながら衣服を正す彼を見つめ、私は眉をひそめた。
 気にしないでと言われても、素直に「はいそうですか」とは言えない。彼に何らかの事情があるのは分かっていたが、それはとても根深くて、暗い物を感じさせる。
 このまま黙って見過ごしてしまっていいのかどうか、悩んでしまった。

「王子……。私……」
「お願いだよ、マーヴェラ。今は何も聞かないでくれないかい? 君を……傷つけたくないんだ」
「……」

 小さな子供のように困った笑みを浮かべるリディルに、私は何も言えなかった。ただ出来たのは、彼のその言葉に小さく頷き返す事が精一杯だった。
 本当は、自分の中に押し込めてしまうより吐き出してしまった方が余程楽に違いない。でも、彼自身がそれを拒んでいるなら、無理強いをするわけにはいかなかった。

 気まずい空気になってしまったのを払拭するように、今度は私が話題を変える事にする。
 だからと言って、特に話題があるわけじゃない。それでも、この空気を変える為に他の話をしなければと考え、彼から視線をそらして前を向く。

「……私、あなたも知ってるように今まで外に出た事がなくって、城の人以外の人とまともに会話したの、これが初めて」
「うん、そうだろうね」
「それに私、基本的に凄い人見知りで、よく見知った人としかまともに話せなかったはずなんだけど……。でもなぜか、あなたにはそう言う事無いみたい。自分でもビックリするぐらい普通に会話が出来てるもの」

 未だにそれは分からない。ただ、あまりにも自然に話せている事に驚いているのは間違いがなかった。
 なぜ、彼には壁を作ることも感じることもないまま、自然体でいられるのだろう。
 彼が言葉巧みなのも原因の一つであるのかもしれないし、女性慣れしているから扱いが上手いと言うのも、理由としてはないとは言えない。

「ねぇ、マーヴェラ……。それって、僕に心を許してくれてるって事だよね?」
「許してるって言うか……私にも良く分からないんだけど……」

 静かに訊ね返されたその言葉にどう答えて良いのか分からず、私は視線を下げる。するとふっと視界が翳った事に気がついて顔を上げると、リディルの顔が目の前にある事に僅かに驚いた。そして、あれよあれよと言う間に、彼の顔が更に近づいてきて……。

「!」

 ふっと唇に暖かい吐息がかかった瞬間、私は咄嗟に彼の肩を思い切り押し返して顔を背ける。

「や、やめて。別に、そんな事まで許したわけじゃ……」

 自分でも驚くほど動揺した声でそう呟いた。
 顔がとても熱い。まるで日焼けをした後のようなジリジリとした熱さを感じる。鼓動は早鐘のようになり、指先がジンと痺れるような感覚があった。
 実際に唇が触れ合った訳ではないのに、触れそうになったと思うと落ち着かない。

「……マーヴェラ。君が知ってるように、僕はこれまで沢山の女性と関係を持ってきた。それは否定しない。でも、心から惹かれたのは君だけだよ」
「そ、そんな事、他の人にも言ってるんでしょ」
「信じられないかもしれない。でも、信じて欲しいんだ。君に信じてもらえない事が僕は今、とても怖いと思ってる……」

 背けていた視線をおそるおそる彼に戻すと、リディルの表情はとても真剣だった。同時に、まるで泣き出してしまうのじゃないかと言うような表情を見せ、とても余裕のある表情には見えなかった。
 地面の上で握られている手は固く閉じて、微かに震えているようにも見える。

 これは演技? それとも、本当に……?

 まだ少し疑わしく思ってしまうが、彼の飾らない言葉を信じてみたいような気持ちにもなった。
 私はもう一度視線を下げると、ゆっくりと口を開く。

「そんな事言われても……。少し、考えさせて……」

 ようやく、口から突いて出たのはその一言だった。

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