忘却の焔

陰東 一華菱

下手な誤魔化し

「じゃあどこへ行こうか? お姫様」

 心底嬉しそうに訊ねて来るリディルに、私はやや訝しい表情を浮かべて見つめる。
 彼にしてみれば、自分の得意とするであろう口説き文句で口説き落とそうとした人間が近くまで降りてきたのだから、さぞご満悦だろう。ほくほくとした笑顔を浮かべている。

 どこへ、と言われても特別思いつくことは無い。

「……あなたが色々見せてくれるんでしょ」

 チラリと横目にそう言うとリディルは瞬間的に目を瞬いたものの、すぐにニンマリと微笑みおもむろにギュッと私の手を掴んだ。
 あまりに急に掴まれたものだから反射的に手を引いてしまったが、今度ばかりはその手を振り解くことができないくらいしっかりと握り締められていた。

「それじゃ、あそこに行こう」
「あそこって? あんまり遠くへは……」
「大丈夫、すぐ戻ってこられる距離だからさ」

 気後れする私の事などお構いなしに、彼は上機嫌で手を引いて裏門へと歩いて行く。
 私は手を引いたまま前を歩く長い金髪を見つめながら、強引過ぎる彼のペースに知らず知らずの内に飲まれてしまっている自分に驚きを隠しきれない。

 初対面でもこんなに普通に喋れる人って、他にいるのかしら?
 そんな事に考えを巡らせていると、裏門近くの茂みの影に彼が乗ってきたのであろう馬の姿を捉えた。

「ちょっと待ってて」

 そう言って手を離したリディルがその馬を連れて出てくる。
 真っ黒な馬。初めて見るその漆黒の馬に驚いて呆然と見つめていると、リディルは不思議そうにこちらを見つめてきた。

「あれ? どうしたの?」
「あ、いえ……。そんなに真っ黒い馬は初めて見たから」

 するとリディルは馬の首を撫で、

「綺麗な馬だろ? 彼女、ナーディって言うんだ」
「えぇ、本当にとても綺麗だわ。それに、とても優しい目をしているのね」

 何気なく手を伸ばし、ナーディの鼻面を撫でると彼女はブルル……と小さく鼻を鳴らして鼻先を摺り寄せてきた。随分人に慣れているのだろう。とても人懐っこい子だ。主であるリディル以外にもすんなりと心を許してくれるだなんて。
 大きな目を伏せて大人しく鼻先を撫でさせてくれる彼女に、リディルはひょいと飛び乗った。そしてすっと私に向かって手を差し伸べてくる。

「え?」
「乗って」

 そう言われて、瞬間的に身構えてしまう。
 いきなり男性と同じ馬に乗るのは、さすがに気が引ける……。
 私は固い表情を浮かべたままブンブンと首を横に振りその誘いを断った。

「馬なら私一人で乗れるから」
「知ってるよ。見てたからね。でも、また君の馬を厩舎から連れて出たら怪しまれない?」
「それは……」
「だろ? 大丈夫だって。すぐのところだから」

 彼は強引だ。でも、言っている事に強くノーと言えない自分が居る。
 何にしても、確かに彼の言うとおりまた馬を出すとなると世話係の兵士に色々面倒な事を聞かれることがオチだ。あれこれと言い訳を考えるのも手間と言えば手間だけど……。

 そう思いながらチラリと彼を見上げると、彼は笑みを浮かべたままこちらを見下ろしている。

 この人の馬にイキナリ乗るのは、正直、ちょっと……。

「ほら。あんまりグズグズしてると帰りが遅くなるよ。早く乗って」

 気を揉んでいる私の事などお構いも無く、リディルはぐいっと私の手を掴んで引き上げてきた。
 流されるままに馬に乗せられた私はすっぽりと彼の腕の中に横座りで納まり、暖かな感触に不覚にも胸の奥に何か疼くものを感じて落ち着かなくなる。

「じゃ、出発するよ。掴まって」
「ちょ、え? ま、待って……!」

 リディルは馬の腹を蹴り、手馴れた様子で手綱を裁いて走り出した。
 本当に強引だ。凄く不躾だし、こっちの事などまるでお構いなし。普通だったら失礼この上ない非常識だとも言える相手だと言うのに……これは何だろう?
 自分でも理解しがたい胸の疼きに、無意識にも手を当てると首を傾げた。


 同じ馬に乗せられて、野を駆け、林を抜けることおよそ一時間。小さな野花が揺れる小高い丘の上に辿りついた。
 デルフォスも丘の上に建っているが、今立っている場所とは見える景色が全然違う。
 丘の裾野には広い草原がどこまでも広がり、遠くにはキラキラと輝く海が見える。そのすぐ傍にはとても栄えているであろう港町が小さく見えた。

「……」
「どう? いい眺めだろ?」

 馬を降り、思わず言葉も無いままその景色に見入っていると、近くの木の幹に馬を繋いで戻ってきたリディルが隣に立った。
 何気なく彼に視線を向けると、僅かに見上げるような格好になる。長い金髪を緩く縛り、異国の服を纏ったリディルは目の上に自分の手でひさしを作り、眩しそうに目の前の景色に目を向けている。
 真っ青な瞳の色と空の青が似ていて、見ていると吸い込まれそうな気がした。

「ん? 何?」
「べ、別に……」

 こちらの視線に気がついて振り返ってくるのと同時に、私は彼から視線をそらした。

「ここはさ……。むしゃくしゃした時とか、気分的に塞ぎがちになった時に来る場所なんだ」

 そう呟きながらまた前を見つめる彼の横顔がどこか沈んで、寂しそうにしているのに気がつく。
 普通なのを装っているように見えて、その瞳の奥には暗い影を潜ませている……。
 私は眉間に皺を寄せ、そんなリディルに向き直った。

「今も、そんな気分なの?」
「……え? いや、そんな事無いけど? ただ何となくここを見せたいなって思って」
「……」

 上手く誤魔化そうとしているように見えるが、表情から陰りが消えない。
 何か抱えてるのに、平気な顔をしようとするのはリーナやラディスのようだった。
 人は、何でもない時に限って「大丈夫」と言ってしまう時がある。大丈夫と言う事で必死に強がろうとするのは、自己防衛であったり、虚勢と言う物もあると何かで読んだ。
 彼は虚勢を張っているのだろうか? それとも何かから自分を守ろうとしている?

「嘘ね」
「え?」

 私の口から、咄嗟にそんな言葉が出た。
 驚いたリディルがこちらを振り返り、僅かに真剣な表情を浮かべてこちらを食い入るように見つめてくる。だから私も、そんな彼を真っ直ぐに見据えて言葉を続けた。

「あなたの言ってる事。嘘でしょ? さっきまでと表情が全然違うもの」

 真面目な顔をして彼を見ると、リディルは途端に眉間に皺を寄せて顔を顰めた。

「……まぁ、とりあえず座ろっか」

 先ほどまでの元気はどこへやら、僅かに声のトーンを落としてそう言うと、リディルはその場に腰を下ろし、隣に私が座るようわざわざハンカチを敷いてくれようとした。

「いいわ。気にしないから」

 別に気を使ってもらわなくても、私はそこまで上品なお嬢様じゃない。
 さらりとそれを断って少しばかり彼に距離をとって地べたに直接腰を下ろすと、リディルはとても意外そうな表情を見せてきた。

「へぇ……」
「な、何よ?」
「いや。お姫様なのに地べたに直に座る事に抵抗ないんだなと思ってさ」
「それ言ったらあなただって同じでしょ」
「僕はいいの。いつもこうだから」

 へラッと笑う彼に、私は呆れたように顔を顰める。
 いつもこうって……。人のことが言えた義理ではないけれど、この人は紛いなりにも王子であるのに、一般市民のように地べたに座る習慣があるとか? それとも、トルバトス王国とはそう言う風潮だのだろうか?

「……それより、マーヴェラの事聞かせてよ。君のことが知りたいんだ」

 一人色々と考えている内に、自分の立てた膝の上に肘を置き、頬杖をついたリディルがニッコリと話の矛先を変えて微笑んでくる。その表情は、先ほどの憂いを込めた彼のものとは違う元の表情だった。

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