忘却の焔

陰東 一華菱

禁断の逢瀬

 私が城に辿り着いた時、ラディスは遥か遠方にいて一生懸命手綱をさばきながら馬を走らせる姿が見えた。
 いつも通っているルートだから、ラディスでも迷わずに帰って来られるはず。ただ問題は、彼の馬が言う事をきちんと聞いて、真っ直ぐに帰って来られるかと言う問題はあるけれど。
 こちらから見ている限り相性が良くないのか、それとも信頼関係がまだ出来ていないのか、走ったかと思えば歩いたり止まったりを繰り返していた。その度にラディスは馬を宥めたりすかしたり、一生懸命な姿が見て取れる。

「ほんと下手ねぇ……」

 私はそんな彼の様子を見守りながら、呆れたように苦笑いを浮かべた。
 ラディスが馬に乗り始めてからもうしばらく経つと言うのに、相変わらずこの有様。もう一人前に乗りこなしても良いはずなのに……。
 そう言うところは、リーナに似ているのかもしれない。
 リーナも決して器用とは言えなくて、色々失敗をすることがある。それでも皆が笑って許してくれるのは、皆との信頼関係が出来ていて愛嬌があり、少しの事では挫けず前向きに善処しようとする彼女の特権だと思う。

 城の裏門で悪戦苦闘しながら頑張っているラディスを見守っていると、ふいに後ろの茂みからガサリと音が聞こえ咄嗟に振り返った。

「……!」
「あれ?」

 振り返った先には、頭に葉っぱをつけたリディルがいた。
 彼もまさかここに私が居ると思わなかったのか、バッチリ視線がかち合った瞬間驚いたように目を瞬いてその場に固まっていた。でも次の瞬間、パッと表情を明るくして心底嬉しそうに微笑みかけてくる。

「まさかここで君に会えるなんて! 凄いな、今、運命を感じたよ!」
「……」

 ガサガサと茂みを掻き分けながら出てきたリディルは、体中に付いた葉っぱを乱雑に叩き落としながら、いかにもな言葉をかけてきた。

 運命を感じたって、そんな容易い運命がどこにあると?

 私は思い切り冷めた眼で彼を睨むようにして見ると、リディルは私の前に立ちすっと手を差し出してきた。
 私が訝しみながらその手を見つめると、彼はこちらの警戒心剥き出しな様子など気にも留めずにっこりと微笑んだ。

「もう知っていると思うけれど、僕はリディル・トルバトスと言います。以後お見知りおきを」

 そう言って私の手を取ると、手の甲にキスを落とす。
 私は咄嗟にその手振り払い、キスされた手を握り締めて眉間に深い皺を刻む。

「何するんですか」
「何って、挨拶のキスだけど?」
「勝手にしないで下さい」
「何で? 普通会ったらするでしょ?」

 ああ言えばこう言う……。
 いや、別に彼の切り返しが間違っているわけじゃないのだけど……。
 ぎゅっと口を引き結んで不機嫌に顔を顰めて睨みつけるのに、彼はそんなのまるで気にしてない。

 不機嫌に黙り込んだ私を見て、リディルはあっと声を上げた。

「もしかしてこう言うの慣れてない? 今まで一度も人前に顔出さなかったもんね?」
「だったら何ですか。ほっといて下さい」
「ねぇ。何で今まで一度も人前に出てこなかったのさ? 噂通りの美人なお姫様なのに勿体無い」

 ズケズケと色々踏み込んで聞いてくるのはこの人の癖なのだろうか?
 あまり詮索されるのは好きじゃない。一刻も早くこの状況から逃げ出したくて仕方がなかった。
 ふと視界の端にようやく帰って来れたラディスの姿を捉えて、リディルに背を向ける。

「何をしに来たのか知りませんけど、どうぞお帰り下さい」

 そう言うと、私は彼の返事を待たずにラディスの元へと歩いていく。
 一瞬、後を追いかけようとする足音が聞こえたけれど、ラディスの存在に気付いて諦めたようだった。
 チラリと背後を盗み見ると、もうすでにそこには彼の姿はなかった。

 良かった。素直に引き下がってくれたみたい……。

 ホッと胸を撫で下ろし、ラディスの方を振り返ると彼はまたも半分泣きそうな顔をしてこちらを見つめていた。

「お疲れ様」
「今の、誰ですか?」

 そう訊ね返されて、やはり見ていたかと思いつつもニッコリと笑って首を横に振った。

「さぁ? 何だか道に迷ってたみたいよ」

 何となくそう言っておく。
 別に彼の正体を言っても構わなかったのだろうけど、ラディスの事だ。きっとムーやリーナに報告をするに違いない。もしそこで彼の名が出たとしたら、何となくマズイような気がして伏せておこうと思ったのだ。

「そうですか……」

 ラディスは道に迷っていたと言う言葉を、すんなりと受け入れてどこかホッしていたが、それでもやはりどこか落ち込んでいた。
 そんな彼を、私は明るく笑って肩に手をかけた。

「また次に頑張りましょう。ね?」
「……はい」

 馬を上手く扱えなくて、勝負に勝てずにしょげてしまっているラディスと共に馬を厩舎に預け、午後のレッスンが残っている彼と別れた私は、部屋へ戻ってくるなり盛大なため息を吐きソファに腰を下ろした。

「まさかあんな場所で会うと思わなかったからビックリした。すんなり引き下がってくれたから良かったけど」

 やれやれ……と背もたれに背を預けた時、窓の外から聞いた事があるコツン、と言う音が聞こえてきた。
 私はそれが誰の仕業なのか、もう分かっていただけにそのまま無視を決め込んでいた。それでも執拗にコツンコツンと響いてくる音に半ばうんざりして、苛立ちながらバルコニーへと出た。

「いい加減にしてください! 一体何なんですか!」

 声を荒らげながら下を覗き込むと、リディルはへらっと笑いながら手を振ってくる。

「そんなに怒らないでよ。僕は君と話がしたいだけなんだから」
「だったら真っ当な手順を踏んでいらしたらどうですか」
「真っ当な手順を踏んだら、多分君には会えないよ。分かってると思うけど、僕はトルバトスの人間だからね」

 にっこりと微笑んだまま言った彼の言葉にハッとなる。
 そう言えば、トルバトス王国はかつてあった世界大戦を仕掛けてきたマージ王国に継いで注視されている国だと聞いた事がある。良い印象が持たれていない暴君が王座に着いていると。
 注意深く見ていないと何をしでかすか分からないから、気をつけるようにと前にムーが言っていた。
 そう考えるとやはり、関わるべき相手ではない人物だ。

「じゃあ、聞きますけど。そのトルバトスの第一王子であるあなたが、無断でデルフォスの敷地に侵入して私に会っていると知れたら、問題があるんじゃないんですか」
「そりゃあまぁ、否定はしないけど……。でもこうでもしないと君は会ってくれないだろ?」
「人呼びますよ」
「ちょ、待ってよ! 何でそんなに人を遠ざけるんだよ。いつも同じ場所にいて、自分の見知った人間とだけ付き合っていくのは、つまらなくないのかい?」

 そう言われて、思わず口を噤んでしまった。
 誰よりも自由な事を望んでいて、外の世界にも興味がないわけじゃない。いつも同じ場所に留まって、気心の知れた相手とだけ付き合って、そのまま一生城の中だけで暮らすのは正直嫌だと思った。

 黙って彼を見下ろすと、リディルはふっと柔らかな笑みを浮かべた。

「話だけでもしようよ?」

 なぜだろう。その一言が妙に魅力的に思えたのは、この時が初めてだった。

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