忘却の焔

陰東 一華菱

トルバトスの闇

 デルフォスで噂のマーヴェラを見てきたリディルは、その日の夜に上機嫌で自分の国へと帰ってきた。

 これまで色んな女性と付き合ってきたが、彼女は他の女性達とはどこか違う。
 見た目はもちろん、性格も出会ったことが無いタイプだったと言うのは当然だが、一目彼女を見た瞬間の心のざわつきは感じた事が無かった。

 彼女に近づきたい。

 そんな気持ちに包まれ、一筋縄では行きそうにないマーヴェラをどう攻略するか考えながら自室への道を歩いていると、柱の暗がりから一人の男が現れ行く手を阻んできた。

「ゲオ……?」

 男の姿を目の当たりにした瞬間、リディルは酷く不愉快そうに顔を顰めて睨み付けた。
 ゲオと呼ばれた男は、このトルバトス王国の大臣である。
 自分が仕えるべき立場にあるはずのリディルの凄みに臆する事はなく、むしろ不適に笑いながらこちらを見つめてくる。

「おやおや、リディル王子。こんな夜更けにお戻りとは……。またどこぞの女と遊び歩いておいででしたかな?」

 嫌味たっぷりにそう訊き返してくるゲオに、リディルはぐっと声を落として応えた。

「お前がデルフォスに行くように言ったんだろ」
「あぁ……そう言えば確かにそうでしたな。あなたと違ってアルトス様はご多忙の身ゆえ、せっかくの生誕祭に参加は難しかったのでね。あなた様は暇を持て余しておいででしたので、公務の一つでもお任せしてみようかと。ただの気まぐれで申し上げたのに、随分と律儀でいらっしゃったものですな」

 わざとらしく顎鬚を撫で付けながらこれ以上ないほどの嫌味を込めて言った言葉に、リディルは苛立ちを覚える。
 ゲオは顎に手をやったまま睨みつけてくるリディルを見やり、ニヤニヤと笑った。

「それで? デルフォスの姫君はあなた様好みの、噂に違わぬ美姫でいらっしゃいましたかな?」
「別に。お前には関係ないだろ。放っておいてくれ」

 リディルはせっかくの気分を潰された事で、非常に気分が悪かった。
 そんな彼の態度に、ゲオはくっくと肩を震わせて笑い出す。

「えぇ、えぇ。王位を継ぐことも出来なかった出来損ないの王子の事まで気にかけていられるほど、こちらも暇ではございませんのでね。ただ……公務のご報告は義務ですぞ? あぁ、そんな事すらもご存知なかったのですかな?」

 ゲオの悪意の篭ったその口ぶりにカッとなったリディルは、彼の胸倉を掴み上げた。
 突然の事に驚いたゲオだったが、すぐに顔を顰めると持っていた杖の先端でリディルの腹部を思い切り突き上げる。

「うっ……!」

 油断していたリディルは、腹部に走る鈍痛とこみ上げる吐き気にゲオから手を離してその場に蹲った。
 むせこむリディルを冷たい眼差しで見下ろしていたゲオは、襟元を正しながら吐き捨てるように呟く。

「まったく。こんな老いぼれに手を上げるとは……あなた様にはもう一度躾から始めなければなりませんね」
「……っ」
「言葉遣いもマナーも、礼儀でさえもまるでなってない。図体ばかりでかくなって、あなたの知能はまだまだお子様……いや、赤子同然だ。だからあなたは出来損ないと言われるんですよ」

 仕返しと言わんばかりに、ゲオは俯いたリディルの頭に杖を押し付けながら暴言を吐きつつなじる。
 リディルは息苦しさと痛みに反論する余裕も無く、彼のする侮辱行為をただ黙って受け入れるしかなかった。
 ごりごりと頭をなじっていた杖をリディルの顎の下に突き入れ、強引に上を向かせるとぎょろりとした目を大きく見開きながら顔を覗きこんだ。
 不適に口元を歪めながらもう一度質問をしてくる。

「デルフォスの姫君はどんな方だったのか、内情はどうだったか、詳しく教えてもらいましょうか」
「……っ」

 リディルはギリッと歯を噛み鳴らし、目前に迫った彼の顔を睨みつける。だが、これ以上黙っていてもよい事はないと分かっていたリディルは、見てきた事を彼に報告した。
 デルフォスの姫君は、噂に違わぬ美姫だったという事。名前はマーヴェラと言う事。髪色、目の色はどこを探してもまずいないと思われる色だった事。デルフォスの内情はとても安定し、平穏そのものだと言う事……。
 見知った事はすべて報告すると、ゲオはニヤニヤと笑いながら顔を上げた。

「そうですか。ご公務ご苦労様でした」
「……」
「あぁ、あと一点。これはちょっとした興味本位ですがね。リディル様はマーヴェラ王女に惚れましたかな?」
「……うるさい。お前にそこまで言う権利はないだろ」
「……。そうですね。私も別に聞こうが聞くまいがどうでも良い事でした。では王子。お休みなさいませ」

 肩で荒い息を吐きながら睨み上げてくるリディルから、ふんと鼻を鳴らして視線をそらしたゲオは、そのまま踵を返してその場から立ち去っていった。

 静まり返った城内。リディルはよろよろとその場に立ち上がり、壁を伝いながらようやく自室に辿り付くと、部屋の奥から一人の初老の女性が大慌てで駆け寄ってきた。

「リディル王子! 大丈夫ですか?」
「レーニャ……」

 まだ痛む腹部を押さえているリディルを心配し、レーニャは彼を支えながらベッドへと連れて行くと、衣服を解き痛がる腹部を見てみると、そこは赤黒く変色し痛々しい傷が出来ていた。

「またゲオ大臣にやられたのですね。すぐに手当て致します」
「ごめん、レーニャ……」
「いいえ。私はあなたの乳母ですもの。これぐらい何てことありません」

 手早く手当てをするレーニャを見て、リディルは深く長いため息を吐いて目を閉じた。

 一体いつからこの国はこんな風になってしまったのだろう。いや、よく考えれば自分が生まれた時からこうだった。

 今は亡き祖父のアルベルト王も、気性が荒くて女癖も酷く、傍若無人な人だったと聞いたことがある。そのアルベルトの妻であり、リディルの祖母である二レーは、あまりの彼の形振り構わない様子と自分勝手さにやられ、最終的に心労で亡くなった。

 そのアルベルト王の血を如実に受け継いだのは父のトルディで、彼もまた祖父と同じ振る舞いを続けている。その妻である母のグリンヒルデの性格も、決して良いものではなかった。我がままで強欲で、思い通りにならなければ周りに当り散らすありさまだ。

 第一王子として産まれたリディルは、母の「自分に似ていないから」と言う身勝手な理由で育児放棄され、それまで彼らの世話係として仕えていたレーニャが見かねて、自らも攻撃を受け迫害されることを覚悟の上で母親代わりに自分を育ててくれたのだ。

 次に産まれたリディルの弟であるアルトスは、生まれながらに自分に良く似ていた事から、母はいたく溺愛し今日まで来ている。そのおかげでアルトスの性格も素晴らしいほど捻じ曲がった、我がまま放題の荒くれものとなっている。更に、グリンヒルデは本来ならリディルに継承される王位を、「自分の子供ではない」と称して剥奪し、アルトスに授けてさえもいる。

 ここに、自分の居場所などなかった。
 それでも、最終的に戻る場所はここしかなかった。レーニャのいる、この場所に……。

 外を自由気ままに出歩き、色々な女性と遊び歩いているのは、裏を返せば母の愛情をどこかしらで求めているのかもしれない。
 そう思うと、自嘲してしまう。
 あんな親でも、自分の母親である事に代わりは無いのだ。

「レーニャ……。僕の事はもういいから、お前もここを離れた方がいいんじゃないかな」
「リディル様……」
「ここにいたら、いずれお前も殺されてしまうかもしれない……」

 目を閉じたままそう呟くリディルに、レーニャはふっと笑って見せた。

「それはできません。だって、王子はどうあってもここに戻ってくるじゃないですか。王子がここに戻られる以上、私はここを離れたりしません」
「レーニャ……」
「心配せずとも、最後の最後まで王子にお仕えしますよ」

 リディルは閉じていた目を開いてそんな彼女の姿を見つめると、切なげにも弱弱しく微笑んだ。

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