混じりけのない白より好きな色

些稚絃羽

6.優しさのありば

「オレはもう少し残る。お前たちは先に帰れ」
「え、おれも今日はそんなに眠くな……わ、おい、ジャッキーやめろ、やめろって!」

 ジャッキーがシギーの首のところをくわえて連れて行きます。身体の大きさはシギーの方が少しだけ小さく、首をくわえられると小さいのを馬鹿にされているような気がして嫌いなのです。でもジャッキーはそうして連れて行くのが一番早いことを知っているので、シギーがわめくのも無視してそのままねぐらに帰っていきます。めずらしく眠くならない朝焼けに、彼らはきちんと眠れるでしょうか。
 まだ聞こえる声を聞きながら、ウォールは呟きました。

「短い間になついたものだ」
「なつく? そんな風には思わなかったけど」

 チャッカは信じられないと首を振っていましたが、ウォールもまた否定します。

「あいつらは違う群れにそれぞれいたんだが、どちらも群れを飛び出してきた。家族も仲間も捨ててオレのところに来たんだ」
「……何かあったの?」
「要するに群れのはみ出し者だったからな。おしゃべりもかみつきも度が過ぎれば仲間でも毛嫌いされる。それを親も守ってくれなかった」

 自分と似ている、とチャッカは思います。彼女も毛色を馬鹿にされ、自然と他のオオカミの群れから外れていきました。ですが彼らは家族がいて、それなのに一緒にいられないのは、もっと悲しいことに思えました。

「あいつらはオレ以外にはめったに近付こうともしない。レオンは例外だが、他は遠くから見るだけ。ああ見えて怖がりでな」
「それなら、少しはなついてくれてるってことだね」
「自分からここに残りたいと言うくらいだ、十分だろう」

 自分といることを楽しいと思ってくれているだれかがいるのは、チャッカにとってもうれしいことです。
 ウォールはどうでしょうか。ウォールは楽しいと思ってくれているのでしょうか。ですがそれは聞けませんでした。

 少し迷いましたが、別の質問をすることにします。

「ウォールは、シギーとジャッキーが来るまで一匹だったの?」
「あぁ」
「……それは、どうして?」

 ウォールがちらりと視線を向けて、それからそらしてしまいました。聞いてはいけなかったのかもしれません。何も答えなくていいと示すようにチャッカは身体を地面に横たえました。
 けれどウォールは背筋をぴんと伸ばして座ったまま、静かに話し始めます。

「オレには家族がいた。父と母と、それから妹も。だが、みんなしんでしまった」


 その頃、森はこれまでにない厳しい冬を迎えていました。泉は凍り、木の実は枯れ果て、気づかない内に周りの動物たちがぱたりぱたりと動かなくなっていきます。ウォールやその家族も、経験したことのない寒さといつまでも満たされない空腹に、今にも息を絶やしてしまいそうでした。

 父は森を統べる主でした。だれよりもこの森を愛し、この森に生きる動物たちを愛していました。そしてその力は強く、森を丸ごと守れる強さがありました。どうすればこの冬を乗り越えられるか、少しでも多くの動物たちを守るためには何をすべきか。そのことばかりを考えて、森じゅうを走り回っていました。
 父の帰らないねぐらで、ウォールとまだ生まれたばかりの妹を守っていたのは母でした。とはいっても自然からの攻撃に何ができるでしょう。子どもたちをその腹に抱き、硬く筋張った葉を爪や牙で割いて与えてやることしかできませんでした。
 初めての冬に妹は泣いてばかりいました。寒い、痛い、お腹すいた、父ちゃんがいない……。ウォールにも、また母にさえどうすることもできないことで妹は泣いていました。その瞬間もどこかを駆けているはずの父にすがりたくても、ただ待っていることしかできませんでした。
 そうしてある日、妹は泣かなくなりました。

 ウォールと母のふたりで過ごす日々が始まります。父はまだ帰ってきません。
 意を決した母は、ウォールに食べさせるための食料を探しに出かけました。何度も引き留めましたが、すぐに戻ってくると約束して母は出ていきました。

 それから数日が経ち、かすみ始めたウォールの視線の先に父が帰ってきました。やせ細ってケガをしており、それに一匹だけです。母はどこでしょう、出て行った日から母はまだ帰ってきていませんでした。
 父はウォールにわずかばかりの乾いた肉を差し出すと、木の根元を掘ってこれからはそこで寝るようにと言いました。まだ柔らかな土の中は外よりも少し暖かく、風やこわい気持ちから守ってくれるようでした。
 父が言うにはあと数日すれば冬が終わるそうです。信じてそれまで眠っているよう言われたウォールは、久しぶりの肉の味をかみしめながら、言いつけ通り眠ることにしました。

 太陽の光のまぶしさに目を覚ますと、季節は春を迎えていました。
 それまで毎日、何度も目が覚めましたが父を信じて土の外に出ることはしませんでした。暖かくなればそこには父と、母がいることでしょう。妹にもう会えないのはさみしいですが、その分いつも妹のことを思い出してあげたいと思います。

 ですが飛び出した春のねぐらには、ウォールが一匹きりでした。
 ふらふらと歩きだすと、妹を隠した穴の近くで母は倒れていました。いつからそこにいたのかは分かりません。舐めた舌先に母は冷たく、もう起き上がることもないのだとウォールは気づきました。
 父が見つかったのはその次の日です。父を探し歩き、たどり着いた小川の中に横たわっていました。水浴びをしているのではありません。小川の中で凍った魚をとろうとして入ったのでしょう、ケガをして弱った身体では何をするのも難しいことでした。

 本当にウォールは一匹きりになってしまいました。
 春を迎え、生き延びた動物たちが、父に助けられたと口々に言うのをウォールは聞き流していました。そんなウォールの様子を見る度、どんな言葉をかけたらいいか、どんな風にそばにいてやればいいか、森の動物たちは考えて考えて、考えきれなくなって自然と少し離れたところから見守るようになりました。
 父は強いオオカミでした。多くの動物たちは倒れてしまいましたが、いくつもの命を助けました。けれど、母も妹も、自分自身も守ることができませんでした。その中でウォールだけが生きていました。



「父はオレを助けた。だが、それを喜ぶ気にはなれなかった。もっと早く帰ってきてくれていれば、まず家族の元にいてくれていれば。……父は優しすぎた」

 ウォールが雪の降り出しそうな重い雲を見上げます。今日の太陽は森を照らすのをためらっているようです。
 彼はいつもの口ぐせをチャッカの前で言いました。

「オスは強くなければいけない。そこに少しの優しさがあれば、なおいい。
 そうであれば多くのものを守っていけると、オレは信じている」

 そうでなければ、すべてを失ってしまうのだから、と彼は続けました。
 口ぐせの言葉の意味を話したのはこれが初めてでした。彼のことを知ろうとしたのが、彼女が初めてだったからではありますが、強がりな彼女を見ていたのでそんな話をしたくなったのかもしれません。
 チャッカは無意識に彼の名前を呼んでいました。

「ウォール……」
「なぜ、そんな悲しそうな顔をしている」
「分かんない、だけど、あんたが悲しそうな顔をしてるから」
「それはお前が悲しそうだからだ」

 チャッカはウォールを思って悲しくなり、ウォールはチャッカを思って悲しくなりました。
 それがどんな種類の気持ちなのか、二匹は考えることもせず、互いのことを見つめていました。

  

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