混じりけのない白より好きな色

些稚絃羽

5.知らないから知りたいこと

 また来る、と言ってウォールたちが帰っていったのは明け方のことです。
 朝のにおいがして、眠たくなって、シギーとジャッキーが今にも寝てしまいそうなのを叩き起こしながら、ウォールは帰っていきました。
 チャッカはそれを見送り、自分も寝ようと思います。ですがたくさん寝た後なので眠たくありません。それで眠たくなるまで考え事をすることにしました。

 ウォールが助けてくれたのはどうしてでしょうか。
 ウォールの群れがたった三匹なのはどうしてでしょうか。
 “また”というのは本当に来るのでしょうか。

 どれもチャッカがいくら考えても答えの出ない疑問です。ですが考えてしまいます。冬は考え事をするのにぴったりな季節だと思っていますが、それだけが理由ではないようです。チャッカにもそれがどうしてかは分からずにいます。

「また、はいずれ分かるか」

 チャッカは自分にしか聞こえないような声で呟きます。

「また、が来て。それで少しだけ仲良くなれたら、聞いてみようかな」

 仲良くなる。それが自分にもできるだろうか、とチャッカは考えてみます。
 だれかと仲良しになったことはありません。彼女はいつも一匹きりで過ごしてきました。そういえば一日にこんなに話をしたり、笑ったりしたのは本当に久しぶりなことです。自分以外のだれかにあきれたり、いらいらしたのもです。

 ウォールが来て、そして色々なものを連れて来てくれたからでしょう。冷たいはずの冬の夜が少しだけ暖かく思えたのは。
 では、陽の注ぐ天気のいい朝の方がずっと寒く思えるのはどうしてでしょう。 

 思い返せば、ありがとうを言いそびれていました。ですがそれは今度、一度では食べきれないくらいの肉をお礼としてあげる時にしようと決めました。
 その頃、チャッカはまぶたを閉じました。


* * * * *


 ウォールは目が覚めました。
 いつもより早い時間です、散歩に出るには早すぎるでしょう。いつ散歩をしていても注意されることはありませんが、オオカミである自分が早くに動いていると他の動物たちが自由に過ごせないということを、ウォールは知っています。
 チャッカの様子を見に行くにもやはり早すぎます。行って、起こしてしまったらかわいそうです。彼女の元へは狩りの後に向かうのがいいでしょう。

 寝転んだまま、ウォールは考え事を始めます。あまり眠ってはいませんが、頭はすっきりしています。彼が考えるのはチャッカの言った言葉の意味です。

『どれをとっても、あたしがあんたにお礼をしなきゃおかしいってくらいじゃないか』

 ウォールがチャッカにしたことを、彼女はそんな風に言いました。
 お礼、とは何でしょうか。たらふく食べさせてやることなのでしょうか。チャッカがそうしなければおかしいほど、自分はやせ細って見えるのでしょうか。
 ウォールはそんな、少し的はずれなことを考えています。それは彼がその言葉を教わらなかったからです。彼はありがとうという言葉も知らないのです。

 なので、ウォールはチャッカにもっとお礼をしようと思います。もっとたくさん食べさせて、少しでも早く彼女が元気に走る姿を見てみたいと思います。それはきっと、自分まで走り出したくなるような姿でしょう。
 今日は何を食べさせられるでしょうか。真上から下り始めた太陽を見て、ウォールは立ち上がりました。


* * * * *


「だからもう大丈夫だって!」

 チャッカの声が聞こえてきます。シギーとジャッキーは、先に来ているはずのウォールはどうしたのかと、草を割って近づいていきます。
 ウォールはそこにいました。何やらチャッカに怒られているようです。

「しかしお礼をしなければ」
「はぁ? あんたがどうしてあたしにお礼をする必要があるって言うのさ? あたしは何にもしてないじゃないか」
「お礼とは食わせてやることなのだろう?」
「違うよ!」

 チャッカがため息をつきました。ウォールは彼女がどうしてそんな態度をしているのかさっぱり分かりません。
 そんなウォールを見て、子分である二匹は驚いています。あのウォールを怒る動物は今までだれもいなかったからです。そしていつもは厳しくも頼もしい自分たちのボスが、子どものように不思議そうな顔をしているのも初めて見ました。立ち上がれるようになってもウォールよりずっと小さいチャッカというあのメスのオオカミは、実はすごいオオカミなのかもしれません。怒らせないようにしようと思いました。

 チャッカは後ろでながめていたシギーとジャッキーに気づくと、二匹を呼び寄せました。

「シギー、ジャッキー。ちょっと来て」
「どうしてあいつに呼ばれて行かないといけないんだ?」
「何か言った?」
「なんでもナイ」

 そそくさとチャッカの前に進みます。するとチャッカは二匹に尋ねます。

「あんたたちは、お礼ってどういう意味か分かる?」
「何だそりゃ?」
「うまいカ?」
「食べ物じゃない。じゃ、ありがとう、は?」
「あり? ありは……虫だな!」
「虫はカユカユ。キライ」

 虫でもないし、あんたたちの好みも聞いてない。あきれたチャッカの身体から力が逃げていきます。このオオカミたちはどうしてこんなことを知らないのでしょう。それとも知っているのは自分だけなのでしょうか。チャッカは少しだけ不安になりました。
 そんな気持ちを隠して、三匹に向き直ります。

「いい? お礼っていうのは、優しくしてもらった時にそのお返しにするもの。ありがとうっていうのは優しくしてもらってうれしいって気持ちを伝える言葉なんだ」

 だから、とチャッカはウォールを見上げます。予定は変わってしまいますが、立てるようになったお礼を今言いたいと思います。

「ウォール。この傷の手当のために走ってくれて、たくさん肉をとってきてくれて、ありがとう」

 ウォールの胸の中に、今まで感じたことのない感情が生まれました。どんな言葉でそれを言い表すことができるでしょう。ぴったり合う言葉をウォールは知りませんでしたが、これがほしかったもののように思えました。ありがとう、という言葉がでしょうか、それとも星の灯る夜空のような色をしたチャッカの眼差しがでしょうか。ウォールにはそれも分かりませんでした。


「なぁ、チャッカは何でそんな言葉知ってんだ?」

 シギーが質問します。チャッカはさみしそうに目を伏せて答えました。

「あたしはさ。親はいないし、この毛色のせいで他のオオカミの輪から外されて育ったんだ。でも一匹で生きてきたってのは少し違う。オオカミの仲間はいなかったけど、他の動物がみんなで助けてくれた。いつかはあたしに食べられちゃうかもしれないのに、困ってる子を助けない方が悪いことだって言って、ずっと助けてくれた」

 森に住んでいるのはオオカミやライオンのような大きくて強い動物ばかりではありません。オオカミを見つけたら逃げなくてはいけないような動物たちもたくさんいます。そうした動物たちは力はとても弱いですが、とても物知りです。

「みんなが色んなことを教えてくれた。狩りの仕方も「こんな風におそわれた・・・・・んだ」って言いながら、下手くそだったけどあたしがちゃんと生きていけるようにしてくれた。
 そのことを感謝してるのにそれを伝える言葉をあたしは知らなくて。そうしたら「ありがとう」って言いなさいって教わったんだ」

 うれしい気持ちや喜んでいること、今度はあたしがあなたを喜ばせるね、そんな思いも全部こめてチャッカはありがとうという言葉を使います。オオカミの群れでは決して使わない言葉ですが、それは幸せな言葉だと思います。
 それは残る二匹にも伝わったようでした。

「なんか楽しい感じがするな!」
「ダナ」

 チャッカも教えることができてうれしそうです。ウォールがここぞとばかりに言いました。

「チャッカ。教えてくれて、ありがとう。お礼をしたいからこれを食え」
「もう……。でもそういうことなら今日はもらっとく。ありがとね」

 四匹は笑って、仲良く何度目かの食事を始めるのでした。



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