冬の女王と秘密の春

些稚絃羽

4.女王がゆく

「うちらの出番だな!」
「自分たちで解決してくれたらよかったのですけど」

 そう話しながら塔へと向かうふたつの人影があります。
 前を歩くひとりは、まるで騎士のような装いをしています。緑のベストに細く締まったロングブーツが軽快さを感じさせ、翻る焦げ茶のマントも様になっています。腰には短剣まで差しているようです。
 その後ろをゆったりと歩くひとりは対照的に、派手さはありませんが淑やかな印象を持たせるロングドレスを身に着けています。優しいピンクの色合いが赤い髪色とよく似合っています。つばの広い帽子を手袋をした手でぎゅっと押さえながら、今にも置いて行ってしまいそうな前の人物に声をかけます。

「タイマス、貴女その格好で寒くないのですか?」

 すると濃緑色した短い髪の毛先を振ってこちらを向いたその人が、襟をぴんと弾きながら、にかっと顔全体で笑ってみせました。

「全然大丈夫! 案外冬って好きなんだよな」
「夏の女王なのにですか?」
「好きなもんに力は関係ないよ。もう、アスターは真面目ちゃんだなぁ」

 そのふたりは、夏の女王タイマスと秋の女王アスターでした。
 並んでいると王室の令嬢とそれを護るナイトのようです。ですが、ふたりともれっきとした女王であります。


 夏と秋の女王が揃って塔へと向かっているのには理由がありました。

 王からのお触れが出た後、それぞれの街の民が冬の女王を連れ出すために、連日塔を訪れました。冬の街の者が行き、春の街の者が行き。どちらも冬の女王ハイデの顔を見ることさえできませんでした。
 その翌日には秋の街の者が向かい、薬師としてのハイデの心に訴えかけようと薬が足りないと嘆いてみせました。ですが塔の部屋の窓が開いたかと思うと必要な薬がたんまりと入った袋が下ろされて、それだけ持って帰ることになりました。
 こう寒くては冬の女王も気が滅入るだろうと、夏の街きっての音楽隊は得意の楽しい曲を奏でて関心を誘おうとしました。やはりそれもだめでした。カメリアが持ってきた、音楽隊がミスした箇所を書き上げたハイデ直筆の書面に、怒りと不甲斐なさを背負って塔を後にする他ありませんでした。
 それからというもの、来る日も来る日もあの手この手の作戦を考えて民は行動しましたが、どうやってもハイデの手以上のものを見ることができません。それほどまでにハイデの方も頑なであることを知り、民の間には諦めの気持ちの方が大きくなってきてしまいました。褒美欲しさに必死になっていた者も遂に家から出てこなくなりました。

 王のお触れが出てからもうすぐ二週間がやってきます。リボルブ国はまだ深い冬のままです。
 いつまでも民にだけ任せていてはいけない、同じ女王なら事情を知らないからといって無視しているわけにはいかないだろう、とタイマスに誘われてアスターもやってきたのでした。計画なしの行動でしたが、せめて話だけでも聞けたら、と考えています。


 真っ直ぐ塔へと進むタイマスに、アスターは簡単に引き離されていきます。歩みはゆっくりではありますが、それだけのせいではありません。
 遅れているアスターに気がつくと、タイマスが駆け足で戻っていきます。

「こら、城ばっかり見てるなよ。こんなちんたらしてたら陽が暮れちまう」
「……そんなにお城の方を見ていました?」
「ものすごい凝視してたけど。何だったら帰りに寄っていくか?」
「いえ、公務のお邪魔をするのは嫌ですから」

 行きましょう、と今度は完全に城から目を背けてアスターは歩き出しました。必死に見ないようにしているのがその後ろ姿で分かります。そんなアスターを見つめてからタイマスはふと城に目を向けました。咎めるような声色をその中にいるひとりに投げ掛けます。

「早く気づいてやれよ、この鈍感王子」

 言ってから、今は王様だった、と頭をがしがしと掻いてアスターを追いかけました。


* * * * *


 冬真っ只中に塔の前に来るのはふたりとも初めてです。いつも自分たちが見るのとはずっと雰囲気が違います。ですがそれがハイデらしい雰囲気だとも思っています。

「おーい、ハイデ。生きてるかぁ?」
「タイマス、その言い方は失礼ではないですか? ハイデが死ぬはずないのですから」
「おい、アスターの方が余程失礼だと思うぞ……」

 そんなやり取りをしていると頭上で窓が開く音がします。塔の窓は内側からハンドルを回して開閉をするようになっており、少しずつ窓の下部が外に開いていくのが見えました。
 ハイデが、この冬初めて塔の外に顔を出しました。

「この通り生きてる。それじゃ」
「ちょっと待て、早すぎだろ!」

 最初のタイマスの言葉に対する返答だけして引っ込もうとするハイデを呼び止めます。ただ生存確認をしたかったわけではもちろんないからです。
 アスターがそのおっとりした声で、少しお話できない? と言います。それを受けてハイデが答えます。

「話すことなんてないから。それに今、新しい調合を試してるところで薬草から離れたくないの」
「出てこいって言ってるんじゃないんだし、ケチくさいこと言うなよ」
「でもそっちの話したいことは「塔から出てこい」ってことでしょ」

 それも確かに正しいので、タイマスは苦い表情を浮かべます。
 その間もアスターが何があったのか、どうして出てこないのか、ずっと冬のままなのかと質問を重ねてみましたが、曖昧にはぐらかされるばかりです。少しも答える気はないようです。ハイデの方は珍しくアスターが言い募るので密かに面白くも感じていました。

 そんなハイデの表情ががらりと変わった瞬間がありました。それはタイマスが言った言葉のせいです。

「今までこんなことなかったからどうしたのかって心配してんだぞ? 同じ女王のよしみでさ、話しちゃえばいいのに」

 それを聞くと、ハイデはすっといつもの無表情に戻って、冷たい声を出しました。

「ねぇ、タイマス。あんたは女王になりたくてなったの?」
「は? なりたいも何も突然なったわけだし」
「じゃあ今、女王であることを喜んでる?」
「んー、女王つっても名ばかりだしな。ドレス着なくてもいいし、ちょっと塔で過ごせばいいだけだから、それなりに満足してるけど?」

 ハイデは次にアスターにも聞きます。答えたのに何の反応も返ってこなかったタイマスは不満そうです。

「アスターは? 女王になれて嬉しい?」
「裁縫や編み物が捗るので、塔の暮らしは割と好きです」
「あら、女王になったからあいつに近づけて嬉しい、って言わないの?」
「なっ、カクタス様は関係ないでしょう!?」
「カクタスだなんて一言も言ってないけどね」

 顔を真っ赤にさせて否定していたアスターが、恥ずかしさで一気に萎んでしまいました。ハイデの言葉はほとんどからかいでしたが、今の彼女は少しも楽しそうではありません。
 一呼吸置いたあと、なりたくなかった、と呟きました。それは塔の下のふたりにもちゃんと聞こえました。

「わたしは女王なんてなりたくなかった」
「……何が不満なんだ?」
「自由がないから」
「ハイデ、結構好き勝手やってるよな?」

 アスターがタイマスのマントを引いて制止します。今はそんなことを言ってハイデの機嫌を損ねてはいけない場面です。彼女が塔から出ない理由が知れるなら、いつもの物言いは抑えておかなくてはいけないでしょう。
 ですがハイデはそんなことなど一切気にしていない様子で頷くように顎を引きました。

「女王なんて役職がなければ、ずっと自由でいられた。街にいる時、好きに草に触れて花を愛でている時はただの自分でいられる。
 けど誰も見逃してはくれない。力を授かったその瞬間から“女王”になる。塔に上れば最後、隠すことも叶わない……」

 ハイデの声は切なげで、苦しくて、その思いが深いことを窺わせました。

 ふたりの女王は自分はどうだろうかと考えていました。そのように考えたことがあったでしょうか。
 それは少なからずありました。自分の住む街の者でさえ女王として扱う人がいます。“女王”であることが先に立ってたしなめられることもあります。突然女王であることを義務付けられた窮屈さは他の者には分からないでしょう。
 ですが、だからといって隠したいとは思いません。女王となった以上、仕方のないことで受け入れるべきことだとふたりは思っています。ですからハイデの言い分に同意することはできません。

「隠したいならどうしてそこにいるのですか?」

 アスターが言いました。塔に上ってしまっては、更に長い間閉じ籠もってしまっては、いやでも皆の記憶に残ってしまうでしょう。現にそうなっています。民は口々にハイデについての文句を語り、不安ばかりを口にしています。悪い印象が溜まってしまっています。

 ハイデは唇だけで笑ってみせたので、タイマスにもアスターにも遠すぎてよく分かりませんでした。

「日陰に咲く花が日の目を見る時、日向の花は一時の休息を得る。いつも日向にいたんじゃ、疲れちゃうよね」

 気を付けて帰るのよ、と締めくくって窓は閉じられてしまいました。塔にはまた静寂が帰ってきました。

「今のどういう意味?」
「分かりません。でも……ヴィーシュナに会いに行きましょう」

 タイマスは首を捻り、アスターは帽子を握る手をいっそう強めながら、春の街へと向かうことにしました。


* * * * *


「アスター、それにタイマスまで。訪ねてくるなんて珍しいね。えっと……入る?」

 春の女王ヴィーシュナはふたりを見ると驚きつつ、半端な笑顔を見せました。
 それに対しタイマスはお構いなしに声を上げます。

「入れて入れて! そんでヴィーシュナ特製ハーブティが飲みたいぞ!」
「少しお話ができないかと思って。都合が悪いようなら帰りますけど」

 白いブラウスに橙のスカートという姿のヴィーシュナはエプロンをしており、赤い手はまだ少し濡れているようです。水仕事でもしていたのでしょう。アスターが言うと、一度自分の後ろを気にしてから、首を横に振りました。

「ううん、大丈夫。洗い物を終わらせたところだから。どうぞ入って」

 促されて入ったヴィーシュナの家は、愛らしい花の装飾でいっぱいです。それでもほどよく配置されているので、とても好感の持てる内装をしています。
 すでに用意があったのか、ヴィーシュナはふたりが座ると同時にハーブティの入ったカップを配りました。家中に甘い香りが漂います。
 さっそく火傷をしたらしいタイマスを尻目に、アスターは正面に腰かけたヴィーシュナを見据えました。

「貴女はどうして塔に行こうとしないのですか?」

 単刀直入な物言いに居心地悪そうに身体を揺らすと、ヴィーシュナは組んだ指先に視線を落としました。

「行っていないわけじゃないのよ。でも行ってもハイデは出てこないし……」
「それは表向きでしょう、貴女は本当は一度も塔に赴いてはいないんじゃありませんか?」
「どうして、そんなこと」
「春の街の人が誰も貴女が出ていくのを見ていないようでしたので」

 ヴィーシュナの家に来る途中、会う人会う人にヴィーシュナのことを聞いてみたのです。するといつ家を出ていっているのか知らないと誰もが言いました。彼女が早朝や夜半といった非常識な時間に出ていくはずもないでしょう。ですからきっと、一度も出ていってはいないのです。

 ハイデが冬を終わらせたくないように、ヴィーシュナも春を迎えたくないのではないか。アスターはそのように考えていました。


 ヴィーシュナの心に悲しい影が差します。言う通り、塔には一度も足を運んでいません。王への文には毎度嘘を書いています。
 彼女にも理由がありました。ですがそれは咎められるべきことです。こんなことで季節を止めてはいけないと誰もが責め立てるでしょう。そんなことは分かりきっていました。すべては自分の我儘、こうしていてはいけないことも分かっています。
 それでも、この家を出て塔で過ごす日々を怖いと思います。今年ばかりはとても怖いのです。

「……ごめんなさい。何も、言えないわ」
「そうですか」

 アスターはそのヴィーシュナの表情を見てこれ以上は聞けないと思いました。何だか鏡の中の自分を見ているような気持ちになったからです。どうしてでしょう、アスターにもその理由は思い至りませんでした。一口飲んだハーブティはいつもより少し苦く思えました。
 話に入っていなかったタイマスがふと窓の外に目をやると、動く人影が見えました。

「ヴィーシュナ、外で雪かきをしてるあの男は誰だ? 見覚えがないんだけど」

 明らかに動揺したヴィーシュナが立ち上がるとテーブルが揺れて、小さな悲鳴と共に彼女のカップが倒れてしまいました。近くに置いていたぞうきんで零れた液体を拭き取りながら、ヴィーシュナが言います。

「さぁ、誰かしら。あ、最近来たっていう旅の方かもしれないわ。でも名前までは知らないの、全然、全然知らないのよ?」

 あまり見ないヴィーシュナの慌てた様子に、ふたりは顔を見合わせていました。

   

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