短編集〜徒然なるままに~

神城玖謡

リ・バースト!

「そうじゃ、貴様に餞別をやろう……」

「餞別ですか……」

「うむ。そうじゃのう、どんな状況下でも事態を好転させる能力、なんかどうじゃ?」

「……すごく便利な力だとは思いますけど、あるんですよね、代償」

「くふふ、分かっておるではないか。……己の命、これが代償じゃ」

「……使えない能力ですね」

「まあそう言うでない。せっかくじゃから、せっかく生まれ変わるんじゃから、誰かのために生きてみるのも良かろう」

「……余計なお世話ですよ」

「他人に心を開かないのも分かるが、どうせ1度死んだ身。違う人生を歩めば良いものを」

「そんなの、私の勝手です。私の人生なんですから……」

「はあ、言っても聞かぬのう。まあ、良い。せいぜい第2の人生を楽しむが良い。……達者でのう」









 ──なにが、“楽しむが良い”だ! そんな余裕、まったくありゃしない!!


「逃げようったって、そうはいかねえぞ!」

「しつ、こい……!」


 背後から浴びせられる怒号はかれこれ5分も聞いていることになる。私は耳が良いんだ。そんなに叫ばなくても聴こえてるっての。
 まあこの世界では正確な時間なんて分からないのだけど。

 全力で駆けるは、大きな建物が立ち並ぶ街──の裏側。税を納めることができないが故に、安全と権利を剥奪された者達が死と隣合わせで暮らす小さな通り。
 舗装もされてなく、砂利が露出した赤錆色の地面が続く通りで、通称「裏通り」。
 そこから、納税者どもの暮らす方を「表通り」と呼ぶ。

 大きな肉切り包丁を片手に小さな少女を全力で追いかける男と、何かの肉の腸詰めを親の形見かのように抱きかかえ、男から逃げる少女。
 そんな"異様な光景"に驚く者は、ここにはいない。異様な光景と呼ぶには日常的に目撃される光景だからだ。


「……もう、おわり」

「待てやクソガキ!」

「まて、いわれて、まつ、いない……!」


 地面に突き刺さった支柱を掴み、軸にして90度回る。小さな軽い身体からできることだ。
 そのまま路地裏に逃げ込んで行く。 
 何度も道を曲がり、さらに逃げる。

 すると、後ろから嘲笑う声が聞こえて来た。


「はっはっはぁ! バカめ、その先は行き止まりだ!!」


 その声を無視し、最後の曲がり角を曲がる。







「嬢ちゃんよぉ、いい加減観念するんだなぁ」


 男はそう言いながら、ゆっくりと角に迫る。というのも、行き場を失った少女がUターンし、飛び出してくるとも限らないからだ。

 ペチペチと愛用の(これしか持っていないとも言う)肉切り包丁を手に打ち付け、角を曲がった男はーー


「い、いねぇだと……!?」


 追い込まれた鼠のような少女の姿がないことに目を見開いた。


「くそう、あのガキ! どこ隠れやがった!!」


 しかし探せど姿は見当たらず、足音荒くその場を立ち去るのであった……。








 ……そう男がいなくなるのを、見送ると、私は立ち上がった。

 道幅が狭いこの行き止まりは、私にとって玄関だ。三角飛びの要領で跳ね上がり、右側の建物ーーたしか表通りの宿屋だったはずだーーの屋根に飛び乗る。
 そうやって姿を眩ませたのである。

 そこから屋根を伝い、時には路地に降り立ち、塀を渡り、一軒の建物の屋根裏部屋の窓の前までたどり着く。
 ここは昔、パン屋兼住宅として使われていた建物だが、そこの主人が裏通りの金貸しからの激しい取り立ての末に夜逃げして以来、廃墟とかしている物件だ。

 すでに金目のものは粗方持ち出され、物乞いの寝ぐらになっていた所を、私が1つ幽霊騒動を起こしてやり、見事勝ち取った安全地帯である。
 なお、1階からは屋根裏への道が見つからないようにしてあるし、見つけられたとしても、物理的に行けないようにしてある。
 よっぽどのことがなければ、ここは一生使えるだろう。

 私はすでに割れた窓の代わりに立てたトタン板をずらし、室内へと身を滑らせた。
 埃が宙を舞い、雨漏れで天井の一部が腐っている。お世辞にも衛生的とは言えないが、テーブルやベッド、クローゼットがあることを考えると、相当住みやすい。

 棄ててあったのを拾って持って来た木箱に腰掛け、テーブルにソーセージを置く。

 くぎゅる、と唸る腹の声に急かされるように、私は肉に、異様に発達した犬歯を突き立てた。


 ーー何の肉を使っているのか分からないが、独特の苦味が鼻に付く。けれど多分大丈夫だろう。生肉でも腹を壊さないんだ。
 それより今は、とにかく腹が減っていた。食べることだけに集中する。
 集中するといっても、まさかこの長いソーセージを全部食べるわけにもいかない。食糧を保たせるといういう意味でもあるし、この小さな身体にはそこまで入らないという意味でもある。
 ともかく、だいたい5分の1程度を腹に収めた時点で、仰け反ることとなった。

 ーーはぁ、久しぶりに碌なもの食べた……。

 あそこの店主は、すでに人を数人殺っているらしい。あのでかい包丁でぶった切ったとか。
 しかし、殺っちゃってる点を除けば、裏通りに生きる人の中では割とまともな人間だ。
 というのも、なんと妻がいて、店を経営しているのだ。物を盗んだりもしないし、盗人客以外には暴力を振るうこともない。
 噂によると、肉を解体するのが好きすぎて、人を殺っちゃったことをきっかけに裏通りに来たとか。

 まあ、私には関係ないけど……。

 この世界……特に裏通りでは、自分の身は自分で守らなければならない。それが出来ない者は、見てみるがいい。壁に寄りかかって息もしない、あの成れの果てを。ああいう風になるのだ。

 そんなの、ごめんだ。


「へえ、こんな所があったんだ」

「!?」


 自分しかいないはずのこの室内で、いきなり声をかけられる。一体何者? どこから?  いつの間に? なぜ気付けなかった?!
 一瞬、頭の内を様々な疑問符が飛び交うが、それと同時に体は動いていた。

 木箱から跳ね上がるように降り、すぐさま声のする方ーーすなわち窓の方へ向く。手は腰に着けた短剣を掴み、刹那もなく構えられる。


「だれ……!」

「おいおい、そう警戒するなよ」


 そんなふざけたことを言う声の主は、トタン板によって見ることが叶わない。
 しかし声からして若い男だろう。

 そしてその予想が外れていないことが分かった。軽い足音を立てて、部屋に入って来たのだ。


「ほう、これは驚いた。随分と幼いが、なんと可憐なんだろうか」

「……」


 男は、裏通りの住人の服を着ていた。しかし明らかに質が良い。まるでわざとボロい服を作ったかのようだ。
 それに髪は毎日洗われているのか、艶やかな金色に輝いているし、白い肌は土汚れもない。
 十中八九、表通りの人間だろう。


「君があの『灰猫』か?」


 灰猫……それは私の通り名である。裏通りの連中なら誰でも知っている名だ。
 して、この名の由来は……


「幼く、美しい少女で、灰色の髪の猫獣人……スラムでそんな人物は1人しかいない、そうだろう?」

「……あなた、おもてどおりの、やつ」

「あれ、なんでバレたのかな……」


 この男、バカなんだろうか。


「ふくに、いわかん……かみも、はだも、よごれ、ない。なにより、こっちのれんちゅうは、スラムなんて、よば、ない」

「なるほど! 次からの参考にしよう」


 この男、嘗めているんだろうか。


「……で、なんの、よう?」


 表通りの人間が、わざわざ裏通りに来るとすれば、人探しや情報、裏取引が目的だろう。


「うんうん、話に聞いていたより美しいし、賢いみたいだ……よし」

「なに、ブツブツ、いってる」


 捕まえて売りとばすつもりだろうか。


「ぜひ、僕の妻になってくれ」

「……は?」


 長らくの栄養失調のせいで耳がおかしくなったのか。もしくは脳が錯覚を起こしたのか。


「ごめん、なさい……もっかい、いって」

「僕の妻になってくれ」

「おかえりください」


 どうやら、おかしくなっていたのは私の方ではなく、この男の方だったらしい。


「っと、すまない。自己紹介もなにもなしじゃ混乱もするよね」

「や、そういう、もんだいじゃ……」





 この勘違い男は私の声を遮って、ボロ切れを脱ぎ始めた。
 その下から出て来たのは、明らかに高価な衣服だった。そしてなにより目に止まったのは、胸のあたりで鈍く輝くブローチ。


「……きぞくさまが、スラムのがきに、いったいなんのようでしょうか」

「さっきから言ってるじゃないか……まあいい、自己紹介しよう。シュバルツ公爵家長男、リオン・シュバルツだ。君を、妻として迎え入れたい」
「おかえりください」


 ひどく平坦な声で答えてやった。


「なぜだ!?」


 なんだ、この世間知らずのボンボンは。そんな初めてあったやつから求婚されて、それを受けるわけないだろう。

 というか、こっちが喋り慣れていないのはすぐわかるだろうに、たくさん喋らせようとする……最低ヤローだ。


「妻になれば、いい暮らしができるぞ? 毎日腹いっぱい食べられるし、危険な目にもあわない……暖かい部屋で過ごして、病気になれば医者にもかかれる。それに僕なら、君を幸せに──」

「かえって」

「──え、しかし」

「かえって」


 こいつはダメだ。なんにも分かってない。


「わたし、ひとりで、いきる。だれ、も、たよら、ない。だれも、しん、じない」


 これは、この生き方は、前世で学んだことだ。

 誰かを信じれば、裏切られる。
 誰かに頼れば、必ずしわ寄せが来る。
 誰かと繋がれば、身動きが取れなくなる。

 人と関わるということは、それだけでリスクになりうるのだ。


「なんで──なんで、そんなこと……」

「あなた、には、わからない」


 酷く痛ましい表情目を向けてくるが、こちらからしたら愚かでしかない。
 こういう連中に説明することほど、無駄なことは無い。
 自身の人生で、その絶望を味わって来ていない奴らには、共感はおろか理解することも不可能だろう。


「……とに、かく、きょうは、かえって」

「……分かった。今日は一旦引こう」


 私の目を見て、頑なであることが分かったのだろう。不満げながらも1歩その足を引いた。


「……また来る。いつか、君の心を開いてみせるよ」

「……」


 2度と来ないで欲しいのだが。

 ともあれ、男はボロきれを再び着込むと、窓枠に足をかけ、すぐにその姿を消したのであった。

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