忠犬彼氏とのある一日

ノベルバユーザー172401

忠犬彼氏とのある一日



「だーれだ?」

後ろからがばりと覆いかぶさるように体を密着させて、大きな手を私の顔の前にかざす、そんなことをしてくる人間は私の知っている限りでは1人しか知らない。

「……樹」
「当たり、秋ちゃんよくわかったね」
「あのね、わからないとでも思ってるの?こんなこと樹しかしないわ」
「こうしてれば、秋ちゃんに虫はつかないし秋ちゃんは俺だけを見てくれるし他のやつも秋ちゃんに手を出せないってわかるから、いいかなって」
「何言ってるんだか」
「あのね、飼い主を守るのも、俺の役目なんだよ?」
「…見上げた心意気ね、感心しちゃうわ」

呆れたようにため息を吐けば、どうとらえたのか、ぱああと顔を輝かせた樹が抱き着いてくる。暑い、苦しいと言えていた夏も終わり肌寒い季節になっているから暑苦しいと言って引きはがすことも出来ない。
高校の昼休みは喧騒であふれていて、音を遮断するような音楽室であっても窓からは元気な生徒たちが見えている。お昼は音楽室で、というのがなんとなく日常になってきているのは、樹の容姿への視線だったり行動への生ぬるい視線だったりを避けるためなのだけれど私の自称忠犬本人は「秋ちゃんが二人っきりになりたいって言ってる」と解釈をしたらしい。訂正は面倒なのでしていないけれど。
授業が早く終わった私が先に来て、そうして樹が冒頭の行動をしてきたのだ。別に真剣に外を見ていたわけではないのに気配に気づかせない身のこなしはどこで覚えてきたのか。忠犬とか番犬とか自称しているけれど、あながち間違っていないのでは、と最近とみに思う。

「あーきちゃん、会いたかったよ」
「授業の合間の休み時間に会いに来てたじゃない」
「足りないんだよそれだけじゃ!だって5分だよ?そんなの無理、やだ、死んじゃう」
「授業中離れてても死んでないんだから大袈裟に言わないの」
「…だって授業中は秋ちゃんがダメって言うから」
「当たり前でしょ、少しくらいは堪え性ってものを身に着けて。いつまでも私が中心で生きてくわけにはいかないでしょう?」

まだ、学生だからいいけれど。
大学生になって社会人になって、そうして大人になっていくたびに私たちは守る物も背負うものも増えていく。そこまで一緒にいられたらとは思うけれど、いつか来る別離ももしかしたら、とたまに思う。
そうしたらそっと体を離した樹が目をうるうると潤ませて私を見下ろしてきた。耳としっぽが見える。そしてそれが震えている錯覚に陥るというか、本当に見えてきて目をこすった。私がすごく悪いことをしているような気になってくるからそんな風に悲しい顔をしてほしくないんだけども。
というか、男の子ってのはもっと友達との関係とか一人を好むとかそういう性質じゃないのかと。この男は四六時中私に引っ付いているし、休みの日だって学校が終わってからだって私の家に来たりしているのだ。大半は樹の家に私が引きずって行かれるのだけれど。

「いつまでもずっとずっと、俺の中心は秋ちゃんなんだよ。変わらないし、それが揺らいだらもうそれは俺じゃない。
ねえ、秋ちゃんはそういうの嫌い?俺の事面倒になった?おねがい、置いていかないで」
「あのねえ…、ほんとに馬鹿」

はああ、と思いため息をつく。
うう、と泣きそうな顔に手を伸ばして近寄せた。
面倒くさいし、本当はあまりべたべたするのは好きじゃないし、一人の時間が欲しい人間だったのに。それが変わったのはこの私の可愛い愛おしい忠犬になつかれた時から。

「面倒だけど、それもひっくるめて好きよ。知ってるでしょ?」
「…っ、うん!うん、大好き!秋ちゃんぎゅってして頭撫でてキスして抱いて!」
「あーはいはい、気が向いたらね。お腹すいたからお昼にするよ」
「えへへ、秋ちゃんが好きって言ってくれた」
「そーね、大好きよー」
「棒読み!でも嬉しい好き!」

さっき泣きそうだったくせにもう満面の笑みだ。
心なしか幻の犬耳もピンと立ち上がっているような気がする。尻尾は言わずもがな。
全くどうしてこうなったかなあ、と思いながら抑えきれなかった笑みが唇に乗った。こうして私がしない代わりに樹がしてくれる激しいスキンシップも、私は嫌いじゃなくなった。

「秋ちゃん、髪の毛伸びたねえ」
「…そう?なら切ろうかな」
「それなら俺に切らせて!それで、髪の毛ちょうだいお守りにする」
「気持ち悪いこと言わないで」
「えー?そうしたら秋ちゃんとずっと一緒にいられるし」

こいつの怖い所は、本当にそう思っている所と絶対に実行しそうなところにある。
自分の彼女の髪の毛を持ち歩く男子高校生がどこにいるというんだ、ヤンデレ属性もほどほどにしてほしい。犬属性だけで十分だって言うのに。
さっき吐いたため息よりも深く息を吐き出して、私は樹の額を指でぴんとはじいた。
いたい!でもうれしい!と反射的に言うので作ったしかめっ面は失敗してしまう。

「そんなもので満足できるの?会えない時間があった方が、会えた時に嬉しいと思わない?」
「う、そういうもの?」
「それに、私の髪の毛はこんな風にしてあげられないんだから」

す、と顔を近づけて触れるだけのキスをする。
今日は出血大サービスである。素早く離れようとする前に腕を掴まれてそのまま深く重なった。空気を求めて割れた隙間に容赦なく舌先が突っ込まれて、そうして優しく次第に強引に呼気が奪われていく。

「…っ、いい、加減にして!」
「これは秋ちゃんが悪いと思うんだけどね」

はあはあと息を乱している私と、しれっとしている樹。こういう時ばかり余裕そうな口ぶりになるのが解せない。そのまま私の額に口づけて、髪の毛にも同じことをする。

「…あげないわよ」
「うん、やだけど、しょうがないから諦める。でもその代わりにいっぱいキスして傍にいて。そうしてくれないと、勝手に貰ってっちゃうよ」
「…………」

私と同じ年齢かと思うほどに色っぽい表情で、まるで獣が舌なめずりしているかのように迫ってくる樹を前にして、私はと言えばやり過ぎたと少し後悔していた。どうも飴を与え過ぎたようである。傍に置いていたペットボトルをむんずと掴んで振り下ろす。
ポカ、という音と共にきょとんとした顔の樹が面白い。さっきまでの男の顔は鳴りを潜め、私の気に入っている犬のような可愛い樹に変わる。

「ご褒美はもうちょっと我慢したらね。私の忠実な番犬なんでしょう?ドアの外で聞き耳たててるアンタの友達何とかしてきてからにして」
「ううん、やっぱり秋ちゃんもわかってた?見せつけてやろうかなーって思ってたんだけど」
「今日一日接触禁止にしてあげましょうか」

それはやだ!すぐ捨ててくるから待ってて!そうしたら撫でてねキスしてね?!というや否や、さっと立ち上がった樹がドアの前で聞き耳を立てていた樹の唯一の友達・新藤君に容赦なく蹴りを入れている声を聴きながらぐっと体を伸ばした。
新藤君はどうも私と樹の事を面白がっている所があるようで、気が付くと見ていたり聞いていたりするので私のなけなしの羞恥心がピークに達するのだ。
ほどなくして、ぱんぱんと制服を叩きながらやってきた忠実な番犬は、私の隣に座ると顔を見てにっこり笑った。そうして次に予想される言葉を吐き出す前に、その口におにぎりを詰め込む。

「ご飯、食べてからね」
「…ごはん、おいしい」
「それはよかった」

むう、としながら、それでも次の瞬間にはにへらっと笑う樹が面白い。こんな風に表情が変わる人だとは所見では思わなかったというか、こんなに変化するとは思わなかったけれど。
その間に私がいるということは、少しばかり優越感があるというのは、調子に乗るから絶対に樹には言えない私の秘密だ。
そうして食べ終わるころには昼休みも終わりに近づいていたので、私はさっさと片付けて教室に向かう。後ろからついてきた忠犬が、ひどい撫でてもらってない!と駄々をこねるのを聞きながら。

「帰るまで我慢して、ご褒美には早いって言ってるじゃない」
「でも、俺は堪え性がないみたいだから飴をもらえないと我慢できなくなるかもしれないんだよ?それでもいいの?」
「じゃ、そうね、教室までデート」

隣に並んで腕を組んで歩く。このくらいなら、学校でもしたっていいかなと思うあたり、忠犬であり彼氏である樹に毒されてきているようだ。
デートという言葉が気に入ったのか、満面の笑みで歩いている。素直な子供のようであり、性質の悪い大人になりかけで、それでもそのどれもが私の大切な人だ。大切な人に、なった。

「じゃあ、また放課後ね」
「あ、待って秋ちゃん」

するりと腕を離して歩き出そうとすれば、離したはずの腕をまた掴まれて唇のごく近く、触れるか触れないかのぎりぎりの場所にかすめるように口づけを落とされた。

「うばっちゃった」

語尾にハートマークが付いているような口調で言われる。私が何かを言うより早く身を離した樹に、何も言えなくなって唇が触れた場所を抑える。不意打ちは、不意打ちだからこそ威力がある。
最近、待てが出来なくなりつつあるのでもう少し厳しくした方がいいのか、それとも忠犬の枠を超えて暴走モードに入りつつあるのか計りかねていたけれど、コレは暴走モードだ。あれだけべたべたしておいて、これ以上を望むとは。

「秋ちゃん、ごめんね、我慢できなかった」
「……知ってる。最近甘やかしすぎたのかな、もう…」
「ううん?俺はもっと甘くてもいいよ秋ちゃん、俺の事どろっどろに甘やかして?」
「いやよ。甘いモノばっかりじゃ胸焼けしちゃうでしょう」
「そういうとこも大好き!秋ちゃん、あきちゃん、俺の事好きって言って!そうしたら午後もちゃんとするから」

ああもう、とこめかみを抑えた。こいつはどうして学習をしないんだ、と。
けれども、それ以上に。私は樹に無邪気に秋ちゃんと呼ばれることに弱い。きっと笑ってしまっている顔で、私は背の高い彼の額をぺちんと叩いた。

「当たり前のことくらい、ちゃんとして」

またあとでね、とこれくらいならしてやっても大丈夫だというラインで、そっと指を伸ばして樹の唇をなぞり私の唇に触れる。
それをみた樹が顔を赤くしてしゃがみこんだのを尻目に満足して歩き出す。それでもやっぱりちょっと後悔したのは、周りの視線がすごく痛いというのを自覚してからだった。







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コメント

  • ノベルバユーザー601499

    くすっと笑えるシーンもありとても大好きな作品になりました。
    クスッとかブハッとか思わず笑えて面白かったです。

    0
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