ふくでん!

夙多史

第一話 歩く不幸中の幸い

 ガラン! ガラン! ガラン!
 軽快に鳴らされた本坪鈴ほんつぼすずの乾いた音が境内に響き渡った。
 高校が夏休みに突入して一週間が過ぎた今日、市内で最も大きな神社――李副りふく神社は多くの人々でごった返していた。
 元旦でもないのになんだこの賑わいと思ったら、今日はひと夏の一大イベント――噂に聞くリア充の祭典『NATUMATURI』の開催日じゃないか。
 彼女どころか友達すらいない非リア充たる俺には関係ないお話です。たとえ夏祭りに行く友達がいたとしても、なぜに好き好んで人混みの海にダイブせにゃならんのだ。まだ午前中だし、欲しい漫画を買いに行ったら当たり前のように売り切れだったし、やることないから帰って昼寝しようそうしよう。
 そう思ってた時期がぼくにもありました。
「……どうしてこうなった?」
 神社の前を何事もなかったかのように素通りしようとしたら、観光ツアーらしきおばちゃん軍団の行軍に巻き込まれて……気づいたら神社の境内で参拝の列に並んでいた。
「不幸過ぎる……」
 なにが楽しくて炎天下の中で行列作ってるのこの人たち? 蟻の行列にでも対抗心を燃やしちゃったの?
 ていうかさっさと行列から抜け出したいのに……馴れ馴れしきことおばちゃんのごとし。最上級捕縛スキル『エンドレス世間話』をその身で受けたら小心者の高校生にはもう逃げ出す隙なんてありません。元気過ぎるだろ、おばちゃんたち。
 ……まあ、これくらいの不幸はもう慣れっこだけど。
 なにせ今日に限ってではないのだ。そういう不幸不運は年中無休二十四時間営業で物心ついた時から高校二年の夏――つまり今現在まで衰えることなく続いている日常だった。
 どんだけ不幸か?
 冬にアイスを買いに行ったら、なぜか局地的な猛暑に襲われてスーパーやコンビニでも売り切れだった。アイスが、だ。
 女の子といい雰囲気になりそうになったら、どこからともなくタライが降ってきて意識を持っていかれた。タライってコントかよ。
 財布を落とした数なんてもう数えられないし、車に撥ねられそうになって避けたら犬のうんこを踏んづけるし、街角でぶつかった食パンを咥えたセーラー服のオネエに三ヶ月ほど付きまとわれたことまである。
 簡単にまとめると、俺は自他ともに認める『超』がつくほどの不幸体質なんだ。真冬に猛暑とかもはや超常現象に匹敵するレベル。
 そんな俺の名前は富海幸多とのみこうた。名前負けし過ぎ、とはよく言われます。
「ほら、あんたの番だよ」
 後ろのおばちゃんに背中を押される。己の不幸を回想して涙しているうちに列が進み、俺の番となったらしい。
「……まあ、神頼みも悪くないか。神様、マジで頼みますよ」
 財布から五百円玉を取り出す。一人暮らしの貧乏学生にとっては大金だが、体質を改善するためだ。どうせならケチらず行こう。
「……よし」
 意を決する。五百円玉を賽銭箱に投入し、鈴尾を握ってガランガランと鳴ら――
 ブチッ!
「ぶち?」
 とっても嫌な音が聞こえた。
 次の瞬間、俺の鼻先を掠めて金色の丸っこい巨大な物体が降ってきた。盛大に響き渡る金属的な落下音におばちゃんたちがざわめく。天上に吊るしていた鈴尾が不幸にも千切れ、本坪鈴が落ちてきたのだと俺が気づいた時には既に大騒ぎだった。
「……神様、俺の願いは却下ってことですか?」
 涙を零して天を仰ぐ俺だった。
 すぐに神主さんやら巫女さんやらが飛んできて、鈴尾が古くなっていたとかどうとか謝り倒していたが、そこはテキトーに聞き流すとお祈りだけ済ませてその場から立ち去った。
「なんでこんな目に遭うんだろうね、俺」
 神社の鈴が落下するなどという経験、普通は人生に一回あるかないかだろう。実は既に五回経験している俺は一体何人分の不幸を背負わされているのか想像するだけで気が滅入る。
 やっぱ帰って昼寝しよう、そう思った時だった。
「あれ? もしかして富海くん?」
 後ろから誰かに呼びかけられた。
 振り返れば、そこには浴衣姿の少女が四人、明らかに俺の方に注目していた。四人のうち三人は這い回るトラブルメーカーを目撃したように顔を顰めていたが、呼びかけた一人――薄い桃色の生地に梅の花が描かれた浴衣を纏った少女は、俺の顔を確認するとぱあああぁと花咲く笑顔を浮かべた。
「あ、やっぱり富海くんだ!」
 カランコロンと下駄を鳴らしながら小走りで駆け寄ってくる。ツーサイドアップに結った髪がぴょこぴょこと跳ねてともて可愛らしかった。
「今城さん?」
 彼女は今城いまきせり。俺が通っている高校のクラスメイトだ。後ろの三人も顔見知りの同級生だが、外出先で偶然異性のクラスメイトを見かけて声をかける人懐っこさは彼女だけの持ち味だろうね。ほら、なんかあの人たちゴミ虫でも見るような目になってません?
「珍しいね、学校以外で富海くんと会うなんて」
「そ、そうかな? けっこう外出はしてるつもりなんだけど」
 くりっとした大きな瞳。整った鼻梁。桜色の唇。それらを内包した小柄な輪郭に健康的な白い肌。街を歩いていれば思わず目をやってしまうほどの美少女に見詰められてはつい素っ気なくしてしまう。ところで、歩いて三分もかからないコンビニへ行くのは果たして『外出』にカウントしてよかったのだろうか?
「富海くんもお参り?」
「あー、まあ、成り行きで。もう帰るとこだけど」
「もしかして一人?」
「残念ながら」
 俺には夏祭りのついでに神社でお参りするような友達はいないんですよ! 
「あー、それは寂しいね。よかったら私たちと一緒に……って、もう帰るとこだったっけ」
 少し残念そうに眉をハの字にする今城さんだったが、すぐになにかを思いついたように顔の横で人差し指を立てた。
「じゃあじゃあ、おみくじだけ一緒に引かない? ほら、みんなで見せ合いっことかすると楽しいよ」
「いや、遠慮しとくよ。元旦じゃないし、どうせ俺が引いても大凶だから」
「引いてみないとわからないよ?」
「俺、生まれてから大凶以下しか引いたことないんだ」
「そ、それはある意味すごい強運……え? 大凶『以下』って?」
「小五の時だったかな、『絶凶』ってのを引いたことがあったり……中一の頃に別の神社で引いたら『破滅』って書いてあったり……」
「あはは、なにそれ恐い」
 冗談だと思ったのか、口元に手をやって可憐に笑う今城さん。……くっそ、かわいい! その友好的な笑顔の眩しさでうっかり灰になっちゃうよ俺?
「芹菜! いつまでそいつに構ってるつもり? 不幸が感染るよ」
「この前なんて空からタライが降ってきたもんね。それも富海の周りだけに。近所で竜巻でもあったのかな? なんにしても近寄らない方がいいよ」
「今日も神社の鈴が落ちたらしいよ。それで怪我人が出なかったのは、流石は〝歩く不幸中の幸い〟ってところだけどね」
 後ろの三人が関わりたくないオーラを全開にしながら今城さんを俺から引き離した。
「ちょ、ちょっとみんな……」
 今城さんは抗議の声を上げるが、これが普通の反応だ。彼女たちの一人が言った『不幸が感染る』は比喩でも冗談でもない。
 富海幸多の不幸は伝染する。
 俺を取り巻く環境では有名な話だ。とはいえ、それは基本的に後で笑い話にしかならない些細な不幸ばかりだった。消しゴムを使えばノートが破れる。なにもないところで転ぶ。携帯を水に落とす。嫌がらせにしては充分な威力だが、もし不幸レベルに際限がなければ俺はとっくに交通事故かなんかで死んでるんじゃね?
 どんなに激しく転んだとしても、骨が折れたりするほど重傷にはならない。
 携帯を水に落としても、故障したりデータが消し飛んだりはしない。
 神社の鈴が落ちたとしても、誰も怪我をしない。
 そういう類の不幸だ。だからたとえ俺の住んでいるアパートが火事になったとしても、死傷者は決して出ないだろうな。俺しか住んでないボロアパートなのは秘密。
「〝歩く不幸中の幸い〟か……」
 小学校の時からつけられた不名誉な二つ名は、俺自身、自虐的な意味を抜きにして受け入れている。だから今さら不幸についてなにを言われようと怒りなんて沸かない。苦笑するしかないんだ。
「もう、みんな自分のよくないことを富海くんのせいにしすぎだよ」
 だが、誰にでも優しいと評判の今城芹菜さんは友人の中傷的な発言をよしとしなかった。
「ごめんね、富海くん」
「い、いや、別にいいよ慣れてるから」
 友人たちに代わって頭を下げる今城さんに、俺は慌ててそう返すしかなかった。こんな良い娘とこれ以上一緒にいて不幸な目に遭わせるわけにはいかない。さくっと立ち去る旨を伝えようとした矢先――
「ほら、行くよ芹菜」
「あ、待って――ひゃっ!?」
「今城さん!」
 不幸が伝染しないうちに退散を始める友人たちを追いかけようとした今城さんが、慣れない下駄で走ろうとしたためか危うく転倒しかけた。俺がほとんど反射的に彼女の腕を掴んでいなければ、今ごろは綺麗な浴衣が土で汚れていたことだろう。
 もっともこれも、俺の不幸のせいなのかもしれないが。
「あ、ありがとう、富海くん」
「ああ、どういたしまして」
 転びかけたのが恥ずかしかったのだろう、かぁあああ、と今城さんは一気に頬を紅潮させた。友人たちは今の事故を見ていなかったのか、わいわいギャハハと騒ぎながら歩き去っていく。
「えっと、じゃあ私、行くね」
 少し崩れた浴衣を直し、今度は慎重に早足で友人を追っていく今城さん。
「――あ、富海くん」
 その途中、彼女は思い出したように足を止めて振り返った。
「今夜の花火大会だけど、富海くんも来る?」
 李福神社の夏祭りの目玉は、なんと言っても二千発もの打ち上げ花火だ。夜になれば出店も増えて毎年大盛況らしい。あ、俺は行ったことはないよ。体質上、人ごみは苦手なんだ。
「さあ? どうだろ? 今のところ予定はないけど」
 ここは曖昧に答えておくことにした。
「もし来るなら、またばったり会えるかもしれないね♪」
 ふわっとした笑顔でそれだけ言うと、今城さんは今度こそ友人たちを追ってカランコロンと駆け出した。
 俺はそんな彼女の姿が見えなくなるまで立ち尽くし――
「ふうぅぅぅ」
 大きく、なにかから解放されたように息を吐き出した。
 ――くううう! 今城さん可愛すぎるだろ! 今さらだけどなんで俺の不幸体質知ってて普通に接してくれるんだ? いや今城さんは誰にでも優しいけども! 勘違いしちゃうよ?
 ダンダンダン! と両拳を握ってニヤケた笑みで地団太を踏む不審者Aがそこにいた。ていうか俺だけど。
 もしかして今年は割と幸運に恵まれてるんじゃないか? 
 ついている。今年はきっとついている。五百円も払って神様に祈ったおかげかもしれないから、この場でもう一度お願いしてみよう。
 両手を合わせ、目を瞑って天を仰ぐ。
 ――神様、どうか今城さんが俺の彼女になりますように!

「ふむ、その願い、しかと聞き届けたぞ」

 返事があった。
 そんな馬鹿な。
「誰だ?」
 周囲を見回す。が、無関心に往来する人々だけで俺に声をかけたと思われる人物は見当たらない。
 気のせいだろうか?
「どこを見ておる。こっちじゃ、こっち」
 声は、上から降ってきた。
 見上げると、すぐ傍に生えていた背が高い桜の木の枝に、一人の女の子がニヤニヤと笑いながら泰然と腰かけていた。
「……誰?」
 見覚えはない。まだ幼さのあるあどけない顔立ちに、腰よりも長い艶やかな黒髪。頭には赤い簪を差し、黒地に金の刺繍が施された高級そうな浴衣を身に纏っている。背は低い。俺より年下――十二・三歳くらいかな。
 可愛い子だ。きっと将来は美人になる。俺が保証する。
 うん、でもやっぱどれだけ注視してもこんな娘知らない。
「えーと、俺の遠い親戚の子……だっけ?」
「阿呆か。そんなわけなかろう。おんしと妾は今この時が初対面じゃ」
 適当に予想を言ってみたが、どうやら見知らぬ誰かさんが一方的に話しかけてきただけらしい。まだ子供のようだし、たぶん俺にはもう理解できない思考回路をしているのだろうね。
「……なにやら失礼な勘違いをしておるようじゃの」
 少女は木の枝に座ったまま足を組む。浴衣がはだけて生足が露わになったが、子供がそうしたところで妖艶さは皆無だった。

「妾は〝福天ふくでん〟――おんしにもわかりやすく言うならば『福の神』じゃ」

「へ?」
 福の神。ていうとつまり、日本の民間信仰において幸福をもたらす神様……だよな?
 この少女が。
 そんな馬鹿な。
「ごめんな、俺、神様ごっこに付き合ってる暇ないから」
「ごっこではないわ!? おんし、神に向かって無礼じゃぞ!?」
「そのジジ臭い喋り方もやめないと、ロリババアって言われるよ?」
「言われるか!? ええい! そんな可哀想な子を見る目をするでない!? どこまで無礼なのじゃおんしは!?」
 ギャーギャーと喚く自称神の少女は、どうやらその役に並々ならぬ拘りやらプライドやらがあると見える。こんなのに絡まれるとは…………やはりさっき感じた幸運は気のせいだったようだ。よく考えたら今城さんとは学校でたまぁ~に話しているし、冷静になったらさっきまで浮かれていた自分が馬鹿に思えてきたぞ。
「じゃあ俺、帰って昼寝するっていう大事な用事があるから。君も親御さんが心配しないうちに帰った方がいいよ」
「超絶的に暇ではないか!? ああ待て! 待つのじゃ! 何事もなかったように立ち去るでないわ! ……あ、あれ? ここけっこう高い……お、おんし妾をここから下ろせ! 下ろしてくれなのじゃあぁあっ!?」
 下りられないなら木登りなんてしなければいいのに。
 そう心の中で嘆息しつつ、しぶしぶ助けてあげることにした。

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