黒猫と呼ばれた狩人(イェーガー)~三十五歳独身男が相棒の黒猫とがんばります~

愛山雄町

第十五話「拾いものには注意が必要。猫の次は犬でした」

 鎧熊リュストゥングベーアを倒してから二ヶ月ほどが経った。
 中級の魔獣を狩り続け、この間だけで十万マルク、つまり一千万円近く稼いでいる。
 稼いだ金で武器や防具を新調しているため、貯金自体は三万マルクほどとあまり変わっていないが、それでもケガをすることなく順調に強くなっていた。

 魔導マギの方もバリエーションが増え、更に懸案であった治癒の魔導も、治療師に頼みこみ基礎を教えてもらい習得している。
 結果から言えば、治癒の魔導も魔象界ゼーレから魔素プノイマを取り出し、具象界ソーマに作用させるという点では他の魔導と変わるところはなかった。そのため、一度理屈を教えてもらっただけで簡単に使うことができた。その理屈とは魔素によって自然治癒力を加速させるというもので、細胞や体組織の基本を知っている俺にとっては簡単にイメージできたのだ。
 この治癒の魔導だが、治療師は理解していなかったが、老化防止、寿命の延長に使えるものだった。老化のメカニズムに詳しいわけではないが、細胞が分裂する際に元の状態と同じものにならなくなるため老化していくと記憶している。だとするならば、細胞を魔素によって元の状態に戻せれば老化を防ぐことができるはずだ。俺の記憶が間違っていても理屈としては成り立つから、恐らく寿命の延長はできると思っている。

 治癒の魔導を習得したことにより、戦闘の自由度が広がった。多少のケガなら何とかなるという自信が付き、初見の敵はともかく、同じ敵に対し二度目以降の戦闘では積極的に接近戦を狙えるようになった。これは誰かに見られてもいいように、できる限り魔導なしで戦えるようにするための訓練を兼ねている。
 その結果でもないが、現在の能力値は千を超えた。ここノイシュテッターでは能力値的には最強だ。ベルも同様に千を超えており、上級の魔獣とも充分以上に渡り合える。しかし、銅級になって僅か二ヶ月で上級の魔獣を狩ることは異常すぎると思い自重している。もっとも中級をガンガン狩っているからその配慮はあまり意味がないかもしれないが。
 しかし、魔導の研究という点では進捗はよくなかった。能力値が上がり魔導の威力は上がっているが、転移のような特殊な魔導は未だに発動させることができない。
 焦る気持ちがないわけでもないが、今は自分の成長が楽しく、日本に帰るという目的を半ば忘れていた。


 そんなある日、前日まで四日間にわたって嵐が吹き荒れ、森に入ることなく過ごしていた。嵐の翌日、朝から快晴で久しぶりに森に入れると気合を入れていた。
 張り切って森の奥に行こうとしたが、ベルが『今日はブランク明けだから近場で肩慣らしをした方がいいニャ』と言って反対する。
 俺としては訓練場で身体は動かしていたし、問題ないと思ったのだが、金銭的に無理をする必要はなく、森の中がぬかるんでいる可能性があり、無理に深い場所に行く必要はないと考え直した。
「そういえば今までこの辺りの海を見たことがなかったな。見に行ってみるか」と提案する。
 ノイシュテッターの西は海岸からすぐに森になっており、街道からは海が全く見えない。また、ノイシュテッター自体、高い防壁に囲まれているため、海を見ようと思ったら南門から港に出るか、北門からゼールバッハ川の川岸にいくしかない。

『面白そうニャ。もしかしたら何か流れ着いているかもしれニャいし、おいしそうな魚が手に入るかもしれないニャ』

「そうだな」と緊張感なく海岸行きを決めた。

 装備を整えると、狩人組合イェーガーツンフトに顔を出すことなく、西門から海岸に向かった。
 街道を少し進みすぐに海に向かう。深い森だが植生が北の森とは異なり松が多い。何となく日本の海岸の防風林を思い出した。
 街道から十分ほどですぐに切り立った崖に到着する。ベルを背嚢から出し、肩に乗せる。
 海を見ると未だに波が高く、強い磯の香りを感じた。

「久しぶりに海の匂いを嗅いだな」と海を見ていると、ベルが一点を見つめていた。
「何かあったか?」と聞くと、
『あそこに木箱が落ちているニャ。他にも樽や木の破片があるニャ』と顔で西の方を指し示す。
 言われた方向を見ると確かに大きな木箱や樽、ロープなどがあった。

「昨日までの嵐で船が難破でもしたのかな。ちょっと見てくるか」といって崖を下りていく。岩が濡れていて歩きにくいが、身体強化を掛けているため、危なげなく岩を伝って下りていく。

 最初に見つけた木箱は一辺が一メートルくらいの立方体で蓋が開いており、中身は残っていなかった。木箱自身はそれほど古いものではなく、最近流された物のようだ。海岸線を漂流物を見ながら歩いていく。この辺りは下級の魔獣、半魚人ミーアマンが出るため油断はしない。

 海岸線を西に進むと徐々に漂流物が多くなる。それも衣類や木製の食器類など日用品が多く、この近くを航行していた船が難破したことは確実だ。
 漂流物を見ながら更に進んでいく。
 衣装ケースのような箱を見つけ、中を検めると金貨が入っている革袋があった。ざっと見たところでは金貨が何枚も入っており、結構な金額になりそうだ。
 ちなみにこの世界では拾得物の横領という罪はない。もちろん盗みは犯罪だが、船の難破や荷馬車が襲われて放棄されていたような場合、見つけた者に所有権が移る。更に宝石などの入った袋も見つけた。

「来てよかったな。結構な収穫だ」と笑うと、ベルも「旦那の気まぐれで大儲けニャ」と頷いている。
 その後、何個か木箱を見つけ、中を検めていく。一つの箱から金属のインゴットを見つけた。それは銀色の延べ板で十キロほどの重さの物が三本手に入った。

 更に漂流物を探しながら西に進んでいく。三十分ほどしたところで突然、ベルが警告を発した。

『魔素の反応があるニャ!』

「どこだ」と聞くと、

『西に九十メートルくらいニャ。上級クラスくらいありそうニャ』

 この海岸で上級の魔獣が出るという話は聞いたことはないが、ベルの索敵が間違ったことは一度もない。より一層警戒を強めながら海岸線を進む。
 別段魔獣を討伐するとかいうつもりはないが、もし、海の魔獣が海岸にいるなら有利に戦える。もちろん海に引き摺りこまれたら厄介だから敵の状況を見て海から離れられるようにはしている。

 ベルが教えてくれた場所に近づくが、魔獣らしい姿は見えない。
「いなくなったのか?」と聞くと、
『まだいるはずニャ。でも、もしかしたら人かもしれないニャ。でも普通の人とは少し違う気がするニャ』と僅かに自信なさげな口調で答える。

 いつでも攻撃に移れるように剣を構えながら進むと、岩の陰から白い人間の足が見えてきた。

「あれか?」と聞くと、『そうニャ』と答えたので更に慎重に近付いていく。岩を迂回するように近づいていくと、そこには一人の女性がマストのような円材にしがみつくように倒れていた。

「まだ生きているんだな」とベルに聞くと、『生きているはずニャ』と言うので、周囲を警戒するように頼み、その女性に近づいていく。近づきながら“偵察アオフクレーラ”の魔導で能力を確認する。
 驚いたことに潜在能力が千五百と普通の人間の三倍、小人族の親方の倍ほどの潜在能力値を示していた。ただし、修行が足りないのか現状値は百程度と銀級と同程度だった。

 更にその女性を見てみると頭に狼かハスキー犬のような三角の耳があり、更に大きな尾が付いていた。
「獣人か。それも犬か狼の……」と独り言を呟くが、すぐに助けるために近づいていく。

 その女性は十代半ばから二十歳くらいで貫頭衣のような粗末な衣服だけを着けている。腕や脚は剥き出しになっており、そこには岩に打ち付けられたのか青痣だらけだった。また、顔も腫れており右目には殴られたような痣がある。
 最も気になったのは鋼鉄製の手枷と足枷が付けられていたことだ。どちらも鎖で左右が繋がっており、更に首には革製の首輪に狩人がつける組合員証ツンフトマルケン、通称犬札フントマルケンと同じようなタグが付けられている。
 一瞬、それらに目を奪われるが、すぐに呼吸を確かめる。顔を近づけると静かだがしっかりとした呼吸を感じた。

「大丈夫か」と声を掛けるものの反応はない。
 とりあえず波が洗う岩場から引き上げる。そして、治癒の魔導をその女性に掛けていく。
 一分ほど掛けて全身をくまなく治療していく。痣は消えたが目を覚まさない。とりあえず、手枷と足枷が邪魔なのでベルに外してもらう。

漏斗型遠隔砲トリヒターのビームで錠のところを壊してくれ」

 ベルは『了解ニャ』と言ってトリヒターを一基召喚し、枷の鍵部分を器用に溶かしていく。俺がやってもよかったのだが、威力はともかく精度はベルの方がいい。
 伝熱で火傷をしないように周囲を水で冷やすが、ベルの狙いの精度がいいため枷自体が熱くなる前に錠を外していた。

 何とか枷を外したものの、それでも獣人の娘は一向に目を覚まさない。
 よく見ると塩水を飲んだのか唇は干からび僅かに腫れていた。
 声を掛けてみるが目を覚まさないため、口元に水筒の口をつけゆっくりと流し込んでいく。
 僅かに反応があったが、意識は戻らない。そこでようやく外傷だけではなく、内臓をやられている可能性を思い付く。今度は内臓や脳を修復するイメージで治癒の魔導を掛け、更に栄養剤の点滴をイメージした魔導を施したがそれでも意識は戻らない。本職の治療師に診せた方がいいと思い、ノイシュテッターに戻ることにした。

 身体強化を掛けているため、この獣人の娘と背嚢に入れた延べ板の重みが加わっても支障なく動ける。走るように森を抜け、ノイシュテッターの西門に到着した。
 門の守衛に「西の海岸に難破船の漂着物が打ち上げられていた。この娘は生存者なんだが意識がないんだ」と言って入市税を支払って門をくぐろうとした。守衛は臨時の入門証を渡しながら「守備隊の詰め所に行ってくれ。事情を聞かなきゃならんからな」と言ってきた。
「治療師に早く診せたいんだが」というと、「詰め所いる治療師に診せればいい」と言って譲らない。

 仕方がないので詰め所に向かう。詰め所は行政地区の旧教会跡地にあり五分ほどで到着した。
 立哨の兵士に簡単に事情を説明すると、すぐに治療室を教えられる。連れて行くと治療師の男性が「私が診ておく。君はうちの責任者のところに事情を説明しにいってくれ」と言われ、更に別の部屋に行くよう命じられた。
 お役所仕事の手本のような見事なたらい回しだが、仕方がないと思い、守備隊の責任者のところにいく。
 責任者は四十歳くらいの男性で「話の概要は聞いている。場所と何を見たかを教えてくれ」といわれたので、正直に見たことを説明していった。
 五分ほどで説明を終えると、「嵐で座礁したか転覆した船で間違いなさそうだ。君が拾った娘のところでもう一度事情を聞くから付いてきてくれ」と先ほどの治療室に戻っていく。

 獣人の娘は未だに目を覚ましていないが、俺が連れてきたときよりは呼吸が安定しているように見えた。
 治療師が声を掛けると、獣人の娘は切れ長の瞳をゆっくりと開いていく。
「ここは……」と呟いたので、
「ここはノイシュテッターだ。海岸に打ち上げられていたそうだ」と教えられるが、未だに状況が把握できないのか、しきりに目と耳を動かして周囲を確認していた。
 落ち着いたところで事情聴取が始まる。
 俺も同席することになり後ろで話を聞いていた。

 彼女の名前はラウラ・ヤークトフントといい、隣国のレヒト法国で捕らえられた奴隷だった。彼女の話ではレヒト法国では獣人を排除する政策が行われているそうで、彼女の一族、猟犬ヤークトフント族も居留地を聖堂騎士団に襲われ、多くの同族が殺されるか、捕らえられた。捕えられた彼女は東のオイゲンインゼル公国に売られることになった。
 レヒト法国の首都レヒトシュテットからニーゼルレーゲン島を経由して東に向かおうとしたところで嵐に遭い、転覆したらしい。彼女は転覆前に懲罰のためにマストに括り付けられていたため、運よく生きながらえたようだ。

「……仲間がどうなったか知りませんか?……三十人もいたのに……」と嗚咽を交えて切れ切れに聞いてくる。

「俺が見た限り、生きていたのは君だけだった。もしかしたら更に西の方に生存者がいたかもしれないが、そこまでは見ていない。家族なのか?」

「いいえ。でも、奴隷商で一緒に暮らした仲間だったから……」と答えると、そのまま顔を伏せて嗚咽を漏らし始める。
 守備隊の責任者はこれ以上の話を聞いても仕方がないと思ったのか、俺を伴って再び別室にいく。
 そして、端的に事実を伝えてきた。

「レヒト法国の船が難破したことは間違いないだろう。獣人を奴隷にして東に送っていたことは我々も掴んでいたからな。まあ、そんなことは君には関係ないか……」

 そう言った後、

「今回君が手に入れた物の所有権はすべて君のものだ。その魔銀ミスリルの延べ板はそれだけで一財産だ……」

 その言葉に驚きを隠せなかった。

(まさかミスリルだとは……そういえばレオンハルトの実家にあった剣が同じような色だった気も……)

 俺がそんなことを考えている間も責任者の話は続いていた。

「……それにあの獣人族の娘だが、あれも君の所有物・・・になる……」

 さっきのミスリルより衝撃を受け、「どういうことですか?」と話を遮って質問してしまった。
 彼は気にすることなく、「さっきの話で分かっていると思うが彼女は奴隷だ。レヒト法国の教会所有のな」と教えてくれる。

「教会に返還しなくてもいいんですか?」と尋ねると、

「何でレヒトの連中にわざわざ返してやる必要があるんだ? 返してくれと言ってきたら手数料を一億マルクは請求してやる。そうなったら連中も返せとは言わないだろう」

 この国の反レヒト法国感情は強い。元々法国から独立したためだが、特に腐敗した教会に煮え湯を飲まされた話は建国の逸話として誰もが知っている。そのため、法国に意趣返しができるなら喜んでやるほどだ。
 レオンハルトの記憶でも嫌悪感があるから分からないでもないが、俺が奴隷を所有しなければならない理由にはならない。

「どうしても俺が引き取らないといけないんですか? 誰かに引き取ってもらうとかは?」と聞くと、

「この街じゃ奴隷取引は禁じられているんだ。知っていると思うが、奴隷の所有自体は禁じられていない。いらないなら一旦引き取ってから解放して放り出せばいい……」

 グランツフート共和国は金銭での奴隷取引を原則禁止している。しかし、他国では奴隷制度は未だに普通にあること、犯罪奴隷や戦争奴隷を労働力として使うために所有することから、所有自体は禁じられていない。
 奴隷制度についてだが、ファンタジーなどでよくある“隷属の首輪”のような便利な道具はない。そのため逃亡や反乱を起こすことがあり、奴隷自体あまり歓迎されない。犯罪奴隷や戦争奴隷は足枷などによって行動を制限し、更に反抗的な者は徹底的に痛めつけられて反抗心を奪われている。

「……いずれにせよ、君が一度引き取ってくれんと困るのだ。奴隷の解放は商人ギルドでできるはずだ。とりあえず、君の名前で名義を書き換えておくから好きにしたまえ」

 普通の遭難者なら役所なり守備隊なりが面倒を見るのだが、奴隷だったということで厄介払いができると俺に押し付けたようだ。
 反論する間もなく、責任者は「ここで待っていてくれ。すぐに手続きは終わる」と言われてしまい、待つしかない。
 ベルに念話で「どうしたらいいと思う?」と聞くが、ベルは毛繕いしながら、
『旦那の好きにしたらいいニャ。異世界に来たからには奴隷はテンプレだと思っていたんじゃないかニャ? 結構美人だし、ラッキーだったニャ』と真面目に答えてくれない。
「引き取るわけにはいかない。俺たちの秘密が知られてしまうんだからな」と言ってみるが、

『どちらにしても今日は連れて帰らないといけないニャ。明日からのことはこれからゆっくり考えるニャ』

 ベルの言うことはもっともだ。治療を終えたとはいえ、九死に一生を得たばかりの少女を放り出すわけにもいかないし、明日になれば獣人の生き残りが見つかるかもしれない。第一、無一文の状態で放り出しても生きていけないだろう。

『生き物を拾ったからにはきちんと面倒を見ないといけないニャ』

「あの状況で助けないって選択肢はないだろう」と抗議するが、『当たり前ニャ。でも、この状況で放り出すのはそれと同じくらいいけないことニャ』と言われ黙るしかなかった。
 十分ほどで手続きが終わったようで

「これで君が彼女のご主人様だ。もし、生存者がいたら宿に連絡が行くようにしておく」

 俺は異世界で奴隷の主になったらしい。

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