黒猫と呼ばれた狩人(イェーガー)~三十五歳独身男が相棒の黒猫とがんばります~

愛山雄町

第三話「異世界三日目。お金だけでは生きていけません。やっぱり仲間は必要です」

 狩人組合イェーガーツンフトから下宿に戻ると、クランの資産を一番に確認する。三段ベッドの下に隠してあった現金は約五千マルク。その額に正直安堵した。
 他にも傷薬や毒消しなどの薬品類、携行食、予備の矢などがあり、十代の若者たちの集団にしてはきちんと管理されていた。リーダーのフランクが真面目な性格だったことが幸いしたのだろう。
 仲間たちの私物を整理していく。仲間たちの衣装箱のような木の箱を開け私物を漁っていくと、少しだけ心が痛む。しかし背に腹は代えられない。
 予想通り誰も遺品の処分方法や実家の住所などを書いた遺書を残していなかった。俺、つまりレオンハルト・ケンプフェルトを含め、全員が何らかの事情を抱えており、実家との関わりを断ち切りたかったのだろう。記憶を探っても幼馴染や故郷の話をしているシーンは思い出せても、家族の話を聞いた記憶がない。

 一つずつ整理しながら確認していくが、思っていたよりも溜め込んでいた。といっても俺と同じくらいで一人千マルク程度だ。それでも全員分を集めると五千マルクを超え、クランの分を合わせると現金だけで一万マルクを超えた。これで何とかなると安堵して床に就く。

 翌朝、朝食を摂った後、フランクたちの死亡の手続きと回収した遺品を受け取るため組合に向かった。
 昨日と同じ組合近くの食堂で昨日と同じ一番安い朝食を摂る。金は手に入ったが、何が起きるか分からない。不味い飯だが、無駄遣いは極力したくなかった。

 狩人は組合に所属しているため、国への死亡届は組合が代行してくれる。そのため、残されたクランメンバーに掛かる手間はほとんどない。報酬記録などが記載されている組合員手帳を受付に出し、組合が用意した死亡届にサインをするだけだ。たったそれだけで狩人の死亡手続きが終わってしまう。改めて人の命が軽い世界に来たことを実感する。

 この組合員手帳だが、魔獣を討伐した記録が記載されており、これにより税金の支払いや組合内での昇級が行われる。狩人側が手帳を持つが、組合側には台帳があり不正は行えない仕組みになっている。

 死亡届を出した後、遺品の受け取りの手続きを行う。
 使えそうな物は剣が大小五本に槍が一本、長弓が一張、矢が十五本と私物として持っていた現金や宝石、薬類だ。防具類は脛当てなどを一部回収しているが、ほとんどが引き千切られるか穴が空いているかしており、回収しなかった物の方が多い。その他の食料や小物類は嵩張る割に大した価値もないから、そもそも回収する気はなかった。

 台車に載せられた遺品を受け取り、目立たない場所で仕分けをする。自分で使いたい物はなく、まずは嵩張る武器を武器屋に持っていく。
 武器屋は組合のすぐ近くにあり、台車ごと運び入れる。すぐに店主である赤ら顔の中年男が出てきたので査定を頼む。

「仲間の遺品です。査定を頼みます」と頭を下げると、「キメラシメーレにやられた奴らのか」とすぐに事情を察してくれる。
 査定に三十分ほど掛かるということなので、台車を返しに行く。
 午前十時くらいになっており、組合のロビーは閑散としていた。しかし、残っている者も僅かにおり、その中の一人、二十代半ばくらいの男が嫌味を言いながら近づいてきた。

「逃げ帰っただけで大儲けだな、兄弟。一杯奢ってくれよ」という言葉に腹が立つが、変に目立ちたくない。
「命懸けだったんです。それに俺たちは駆け出しなんで、大儲けなんてことはないです」と言って足早に立ち去ろうとしたが、更に絡んでくる。
「駆け出しでも千や二千にはなったんじゃないか? それなら一杯奢るくらいなんてことないだろう。あぶく銭なんだからよぉ」と肩に手を回してくる。鬱陶うっとうしいが、ここで奢ればしつこく付きまとわれるだろう。
「すいません。死んだ仲間の家族に渡す分もいるんで。先輩からも弔いのためにいくらかいただけないですかね」と逆に香典を要求してやると、「守銭奴が」と言って離れていった。

(今回は何とかなったが面倒だな。この町にいる理由はないし、頃合を見て都会にいった方がいいかもしれない……)

 レオンハルトがこの町にいた理由は初心者でも比較的安全に魔獣を狩れるからだ。安全といっても強い魔獣が出にくいというだけで危険であることには変わりない。今回のようなことは異例中の異例だが、普段でも月に数人は死ぬか大怪我を負って引退している。
 つまり、この町にいる明確な理由はないのだ。それにこの町は小さく、噂が広まるのは早い。更に俺が欲しい情報も少ないため、俺がここにいるメリットはほとんどない。

 これ以上絡まれるのは勘弁して欲しいため、目立たないように組合の建物から出て、武器屋に向かう。
 少し早かったが既に査定が終わっており、総額で八千マルクと言われる。予想より高かったが、これは最近買い換えた物が多かったためらしい。一応、値段の交渉してみたが、一ペニヒ=一円も上げることはできなかった。

(生まれてから一度も値段の交渉なんてやったことがないからな。レオンハルトの記憶にもほとんどないし、諦めるしかないな)

 八千マルクを五百マルクの大金貨で受け取った後、昨夜仕分けた仲間たちの私物を処分していく。
 元々大したものはなく、数時間掛けた割にはほとんど金にならなかった。それでも死んだ仲間の私物がなくなったことで、何となく落ち着くことができた。
 適当に入った食堂で夕食を食べ、下宿に戻る頃にはすっかり日が落ちていた。

(これで一人になれたって思えるな。何となく死んだ人の物があるっていうのは落ち着かない。それも俺が直接言葉を交わした人でもないしな……)

 真っ暗な部屋で蝋燭に火を灯す。
 この世界には電気はもちろんランタンもなく、照明器具は蝋燭か、油に灯心を入れた簡単なランプしかない。蝋燭は比較的高価な物であり、もったいないのだが、明かりがないと落ち着かない。

 ベッドに横になり、これからのことを考えていく。

(最優先事項は元の世界に帰る方法を探すことだ。何で俺がここに来たのかは分からないが、魔法があるなら帰る方法もありそうだ。問題はどうやって探すかなんだが……)

 調べるといってもこの町には図書館はなく、本を貸す貸本屋が一軒あるだけだ。その貸本屋に行ったことがないため、どの程度本があるかは分からない。
 面倒なことにレオンハルトの記憶は俺、玲於奈れおなが経験したものではないため、いちいち頭の中で検索しないと思い浮んでこない。誰かと話ができればすぐに思い出すのだが、この世界では常識的なことから思い出せない。そのため、俺の事情を知らない人間と迂闊に話をすることすら難しく、非常に厄介だ。

(レオンハルトの知識を信じるなら、この世界の魔法は万能というか制限が少なそうだ。元の世界の知識を使って無双できそうなんだが、それ以前にまともに生活ができる気がしない……今一番欲しいのはこの世界で生きていくための知識を与えてくれるサポートだな。もう少し魔法のルールが分かれば、サポートキャラというか使い魔みたいなものを呼び出せるんだが……)

 俺が欲しいと思っているのは対話型のヘルプ機能だ。レオンハルトの知識はあるが、使い勝手が悪いことと、彼自身十七歳の若造であり、武術や魔獣に関する知識はあっても一般常識すら危ういレベルで、いつボロが出るか分からない。
 この世界の地理や歴史に関する情報を探すが、地理はこの国の主要な街と近隣の国の名前程度しか知らず、歴史も御伽噺おとぎばなしに近い神話とここ数年のことしか知らない。そもそもこの世界では教育自体まともに行われていないようで、レオンハルトも寺小屋のような私塾で数年学んだ程度だ。彼の記憶を探る限り、これでも教育を受けている方らしく、読み書きすらまともにできない者が結構いる。

(まあ、無い物をねだっても仕方がない。明日は貸本屋にでも行って本でも探すか……)

 まだ早い時間だったが、仲間の遺品の整理や死亡届などで精神的に疲れており、すぐに眠りに落ちていった。


 翌朝、木窓の隙間から差し込む光で目を覚ました。
 窓を開けるため起き上がろうとした時、真横に二つの怪しい光があった。突然のことに「うわぁ!」と声を上げてベッドから転げ落ちる。

(何だ! 魔獣か!)

 何がいるのか確認するため、恐る恐るベッドの下から覗き込む。
 そこには真っ黒な物体があり、二つの目がこちらを見つめている。徐々に目が慣れてくると、小さな黒猫であることが分かった。

「ネコ? どこから入ってきたんだ?」と独り言を呟くと、
『おいらは旦那に呼ばれただけニャ』と頭の中に子供のような幼い感じ声が響く。
「今しゃべったのはお前か?」と恐る恐る声を掛けると、俺の方に向かって座り直し、『そうニャ』と答えた。
 俺は混乱していた。

(ネコがしゃべっている……異世界だからありなのかもしれないが……俺が呼んだ? そんな記憶はないぞ……それにしてもアニメじゃないんだから“ニャ”をつけなくてもいいんじゃないか?)

 混乱しながらそんなことを考えていると、再び頭の中に声が聞こえてきた。

『おいらがしゃべれるのはサポートキャラだからニャ。異世界補正と考えてくれてもいいニャ。夕べ旦那はサポートキャラが欲しいと考えたニャ。だから、おいらがやってきたニャ。“ニャ”と付くのは旦那がそう考えたからニャ。ネコがしゃべれば“ニャ”と付くのは基本仕様だと思っているニャ』

 口に出していないのに、すべての疑問に答えてくれた。

(お前がサポートキャラなのか……まあ、ありがちなパターンだな。ネコがしゃべれば“ニャ”と付ける。我ながらベタ過ぎる……いや、普通にしゃべられる方が違和感はあるな。うん、確かに基本だ……)

 なぜか自然に納得できた。そして、黒猫を抱き上げる。まだ子猫のようで温かく柔らかい毛並みが心地いい。
 子猫は俺を見上げながら『では登録するニャ。まずはおいらの名前をつけるニャ』と言ってきた。耳には「ニャー」と鳴いているように聞こえる。

「名前か……ネコなんて飼ったことがなかったからな。どんな名前がいい?」と子猫に聞いてみた。

『それを決めるのが主人の務めニャ。まあ、かわいい名前じゃニャく、かっこいい名前の方がいいとだけ言っておくニャ』

 かっこいい名前と言われても全く思いつかない。

「クロじゃ当たり前すぎるし、タマは某長寿アニメのイメージが強過ぎるし……」

『どっちもかっこよくないから却下ニャ』とジト目で俺を見つめながら駄目出しをする。
 何となく機嫌が悪くなったようなので背中を撫でる。柔らかい毛並みをゆっくりと撫でると子猫も気持ちがいいのかゴロゴロと喉を鳴らしている。

「黒いからブラック。これじゃ残業代を払わない会社みたいだな。ここの言葉はドイツ語っぽいからシュヴァルツ。悪くは無いがベタだな。ドイツ語系で思い浮かぶのは……シュレジンガーか……こいつも駄目だ。箱に入れたくなる……」

 いろいろと考えるが、なかなか思いつかない。その間も無意識で撫で続けていた。

「いい手触りだな。ベルベットみたいだ……ベルベットか。そうだ、ベル! ベルがいいな。どうだ、ベルって名は?」

 子猫は細めていた目を開け、「ベル……いい響きニャ」と気に入ってくれたようだ。

「それじゃ、お前は今からベルだ。ベル、お前にできることを教えてくれ」

 そう言うと俺の腕の中から飛び降り、

『おいらは旦那と記憶を共有しているニャ。つまり、旦那の記憶にあることはすぐに答えられるニャ』

「俺が望んでいたとおりの機能だな。つまり、レオンハルトと歌枕かつらぎ玲於奈れおなの両方の記憶にアクセスできるということか」

『そうだニャ。今はそれだけしか情報はニャいけど、この先はおいらが覚えたこともデータとして残っていくニャ』

 ベルは学習型のようだ。

「他にできることは? 例えば変身できるとか、火を吹くとか?」

 ベルは僅かに首を傾げ、上目遣いで俺を見つめる。

『こんなかわいい子猫に何を期待しているニャ? 対話型のヘルプ機能が欲しかったんじゃニャいのか? それ以上のことを期待されても困るニャ』

「……」

 正論を言われ、絶句するしかなかった。
 いずれにせよ、遠慮なく会話できる相手ができて良かった。

 その後、ベルといろいろなことを話していく。
 昔に聞いた話など既に忘れていることも記憶しており、思った以上に役に立つ。

『……“魔導マギ”は“魔象界ゼーレ”から“魔導器ローア”を通じて、“具現界ソーマ”にエネルギーを導く技術ニャ。“魔素プノイマ”っていう特殊な物質を取り出して、様々な物質や現象に変換するニャ。ここで大事なのは“イメージ”ニャ。イメージさえ固められれば大抵のことができるはずニャ』

「大抵のこと?」

『そうニャ、魔素は何にでも変えられるニャ。御伽噺には転移の魔導も出てくるニャ』

 レオンハルトの記憶に昔読んだ童話に出てくる魔導師が山脈を一瞬にして飛び越えたという話がある。

「しかし、魔導を極めるには魔導師マギーアトゥルムで修業しないといけなかったんじゃないのか?」と疑問を口にすると、ベルはミャーと鳴いて同意する。

『旦那の記憶ではそうなるニャ。でも、その記憶が正しいとは限らないニャ。いくつも矛盾があるから、必ずしも塔で修業しなくてもいいと思うニャ』

「矛盾?」と俺が聞くと、得意げな顔で説明を始める。

『そうニャ。旦那の記憶を整理すると、塔で修業していない魔導師が出てくるニャ』

「塔で修業していない魔導師マギーア? 魔導使いツァオバラーのことか?」

 “魔導使いツァオバラー”とは塔で修業していない能力の低い魔導師のことだ。この町の狩人にも何人かおり、火の球ファイアボールを放つことができる。もっともこのファイアボールは矢より殺傷力がなく、単なる虚仮脅しにしかならない。

『違うニャ。最も強力な魔導師ニャ』

 ベルは焦らすように答えを言わない。先を促すと、

『エルフのことニャ。この世界では森人エルフェと呼ばれているニャ。森人は人間、つまり普人族の魔導師より強い魔導が使えるニャ。森人たちは塔で修業していないニャ』

「それは村で教えるからだろ? 全員が魔導師なら指導は出来るはずだし」

『そうニャ。だとしたら、旦那も自分で修業が出来るんじゃニャいかニャ? 日本にいる時に読んだ本やアニメを参考にすればイメージはできるはずニャ』

 確かにそうかもしれない。
 魔導がイメージで使えるなら、コミックやアニメ、映画を見ていた俺はこの世界の人間より有利なはずだ。

「しかし、本当にそれだけで使えるようになるのか? 呪文とか特殊な呼吸法とかいらないのかな」

『旦那は既に魔導を使っているニャ』

 ベルの言葉に衝撃を受ける。

「えっ? いつ使っていたんだ!」

『キメラから逃げる時に転移の魔導を使っているニャ。さっき転移の話をしたのはこれを思い出してほしかったからニャんだが、旦那は意外と鈍いニャ』

 軽く毒舌が入っているが、それより転移の魔導のことの方が気になった。

「あれは本当にテレポートだったのか? 全く記憶がないんだが……」

『記憶はきちんと残っているニャ。あの時のことを忘れようとしているだけニャ』

 そう言われてもう一度キメラに襲われた時のことを思い出してみる。

「夢なら覚めろって考えたことは覚えているな。でも、逃げようと考えたかは覚えがない。この状況を何とかしろって考えたような気もするが……この状況を何とかするっていうのがテレポートに繋がったのか?」

 ベルは得意そうに顔を上げ、

『そうだニャ。旦那はあの状況でキメラに勝てるとは全然思っていなかったニャ。だから、自然と逃げようと考えていたのニャ』

「つまり、魔法、いや、魔導が使えたということなんだな。だから、これからも使えるはずだと」

 ベルは俺の問いに小さく頷く。

『おいらがサポートすればきっと使えるようになるニャ』

 その話を聞き、安堵していた。
 魔導が使えれば剣でやりあう必要がなくなる。遠距離から魔導を使って攻撃できれば本当に“狩り”と同じになる。

『魔導で魔獣を狩るなら、ソロしか無理ニャ。その点は認識しているニャ?』

 ベルの問いに「ああ」と答える。
 魔導は魔導師だけが使える特殊な技術であり、剣士である俺が魔導を使うと悪目立ちする。だから、目立たないようにソロでやっていくしかない。

「とりあえず、今日はこの町の近くで魔導の研究だな。俺の知識とレオンハルトの知識でどこまで使い物になるのか。それを確認しないことには何も始まらない」

 当面の方針が決まり、朝食を食べに食堂に向かった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品