ダーティ・スー ~物語(せかい)を股にかける敵役~

冬塚おんぜ

Extend4 きっと、これが最後の変身


「ようこそ、ビヨンド業界へ。ここがお前さんにとっての、死後の世界だ」

 聞き慣れた声。
 スー先生の声。
 ……とても安心する、低くて、優しい声。

 私は目を開けて、ベッドから起き上がる。
 暗い部屋。
 ステンドグラスから薄明かりが差し込んでいるけど、外の景色は見えなかった。

「じゃあ……私、また・・死んだんですね」

 悲しいこととは思えない。
 けれど、罪は償えたのだろうか?

 サソリの姿になってから、私は死んだ。
 私があの姿を望んだわけじゃないけれど、あれはきっとある種の象徴だったのだろう。
 だから、中学校の時に読書感想文で選んだ本の、主人公の名前が口をついて出た。

「私、まるでグレゴール・ザムザみたいだった……」

 私の部屋はもう無い。
 足は動くし、ベッドから這い出るのも苦じゃない。

 でも確かにグレゴール・ザムザだった。
 “忘れる”という行為そのものが部屋となって、私はその中に閉じこもっていたのだ。
 無実を証明したり、るきなについた嘘を自分の口から暴く事も無かった。

 ……私もまた、生け贄にするのも汚らわしい害虫あるいは害獣――ウンゲツィーファーなのかもしれない。
 何かを失って、周りから疎まれるようになった私にとって、あのサソリの姿はお似合いだったというわけ。

「なのに、どうして、元に戻ったんだろう」

「その変身はグレゴールにとっての救いじゃない。背中にリンゴが当たって、家族が幸せになる? 俺は認めないぜ」

 先生は、私の手を引いて見つめた。
 その眼差しはまるで、私に「立て」と言っているかのよう。

 だから私は立ち上がった。
 こんな重たい足取りで、私はどこへ向かえばいい?

「アンタレスはいつか破裂する。そうして出来上がったブラックホールらしく、お前さんも“深淵”になるのさ。見つめる者を見つめ返す、あの深淵に。
 怪物退治を志す勇壮にして親愛なるバカ共に教えてやれ。俺は、いつでもそうしている・・・・・・

「ああ、先生……私、もう一度やりなおしても、いいんですね」

「二度も殺されたんだ。対価を支払わせてやろうぜ」

 先生が、指をパチンと鳴らす。
 ロナちゃんが、部屋の隅のクローゼットから出て来た。

「ほら、新しい姿ですよ。鏡を見てください」

 ロナちゃんは、そう言って私の背中を押してくれた。
 私は言われるままに、姿見を覗きこむ。

 ……。
 ああ、なんてこと!
 私はまた、臥龍寺紗綾になってしまったの!?

 でも、髪型は微妙にウェーブがかかっている。
 髪の色は、暗くてよくわからないけど、きっとあの子と同じ。
 それでいて、ほくろの位置が違っている。
 何よりあの子の声が、聞こえない……。

 この身体は、紛れもなく私だけのものだという事。
 つまり私は若返った。
 きっと永遠の若さを手にした。

「スーさん、やっぱこの演出、ナシっぽいです。引いちゃってますよ」

「ビヨンドとしての姿は、てめぇが日頃からそうなりたいって願望を反映させるらしいが……どうやらお気に召さなかったらしい」

「多分、部屋が気に入らなかったんじゃないですかね」

 気に入らなかった?
 とんでもない。
 化粧の必要が無いなんて、夢のようじゃないか。

「安くないローンを支払う事になったんだが」

「スーさんがあれこれ持ってくるから、スナージさんが“三回目は無い!”って言い出しちゃいましたしね。日頃の行い、マジ大事」

「まるで俺の根回しが足りなかったみたいな言い草だ」

「だってそうでしょ。スーさん、あんた基本的に媚びないじゃないですか」

「俺の営業スマイルを見た奴はみんなビビって話にならねえ」

「そりゃそうだ。あんたに親愛の情が湧くとしたら、鬼か悪魔か同業者だけです」

「お前さんは違うのかい」

「あたしは、ほら。親愛の情っていうより、ご主人様になって欲しい的な? おぇ、言ってて気持ち悪くなってきた」

 ……ああ。
 いつも通りだなあ、この人達は。
 こんなに嬉しいのに、ちっとも気付いていないなんて。

「ぷっ……ふふ、あっはははは!」

「紀絵さんったら、しまいにゃ笑い出しましたよ」

 ああ、おかしいなあ。
 この人達は、癒される。
 少なくない傷を負ってきた筈なのに、少なくとも一度は死んだ筈なのに。
 きっとそれすら、この人達は笑い話にしてしまう。

 私も、そうなれるかな?

「新しい名前を聞かせてくれ。お前さんは、どう名乗る?」

「私は……いえ、わたくし・・・・の名前は、臥龍寺紀絵。これでいかがですこと?」

 字面も悪くないし、何より半分は残しておきたい。
 私が私であった事を、忘れたくないから。
 いつでも、生前を思い出せる気がするから。

「上出来だ。心臓が赤く輝きそうな苗字だぜ」

「心臓、えっと、心臓……?」

 駄目だ。
 この前の“歯抜けのワニ”は何とか理解できたけど、今度のは解らん。
 スー先生、ちょっと難易度高いですよう!

「ロナさん、今のは?」

 困った時の、ロナ頼み!
 ロナちゃん、ここは一つお願いします。

「はい、来ましたいつものクソポエム解説。お任せ下さい、あたしは良き理解者です。
 サソリ座は中国だと青龍に例えられたらしいから、その心臓にアンタレスが含まれているのと紀絵さんの新しい苗字を掛けた天体ジョークですね」

「文句なしの満点だ」

 いつの間にか、スー先生はベッドに寝転がっていた。
 その姿勢のまま、親指を立てる。

「自由研究で論文やってたから詳しいんですよ」

「それ以外でもお詳しいように見受けられますけれども?」

「……前世での経験が活きたんでしょう。あー、スーさん? 正解の報酬として、紀絵さんに扇子と日傘をプレゼントできます?」

 ロナちゃんは、気だるげに人差し指を振った。
 心なしか、耳が赤いように見える。

「あいにく金欠気味だ。扇子だけで我慢してくれ」

 スー先生もそれに応えるようにして、指をパチンと鳴らす。
 こういう関係性、羨ましいなあ。
 私も、混ぜてもらえるのかな。
 ロナちゃん、初夜は済ませたらしいし……。

「そうと決まればお金稼ぎですね。さて、紀絵さん。あたし達の拠点に行きましょう。
 ビヨンドのあれこれ、お教えしますよ。そこのぐうたらクソ野郎の代わりに、ね」

 ――!
 笑った……。
 割と無表情気味だったロナちゃんが、笑った。
 ロナちゃんってば、ホントどうしちゃったんだろうか……。
 ホテルにいた時もそうだけど、表情豊かになったというか、柔らかくなった?
 前より、感情表現に躊躇いが無い。

「ロナさん、前より笑うようになりましたのね」

「心のかさぶた、だいぶ剥がれてきましたから」

「わたくしも、早くそうなりたいものですわ」

 今はまだ、無理だ。
 口元が自然と下に降りる。
 黙っていると、すぐに泣きそうになる。

「泣きたきゃ幾らでも、泣いていいんです。必死に首を振って、自分は悪くないって、ダダをこねたっていいじゃないですか……白と黒で分けられるほど、世の中は単純じゃないわけですから」

 ……そう、だね。
 ロナちゃんも、優しいね。
 こんな私を、見捨てないでくれている。

「あ! ああ、そうそう! バーのマスターがですね、下ネタばりばりかましてくるんですよね。
 あのアホオヤジ、ちょっと枯れ系のイケオジだから調子ぶっこきやがって。あたし達のガールズトークでドン引きさせてやりません?」

「いいですわね。ふふ……お酒の力さえあれば、無敵でしてよ」

「呑んで酔える体質ならいいんですけどね。ちなみに、そこのベッドで寝転がってるバナナの悪魔はザルでした」

「だが深酒しても道に天の川を作らなくて済むぜ」

 ベッドに座り直した、スー先生。
 いつの間にか取り出していたポケットサイズの角瓶を、一気に呷る。

「へ……へえ~……」

 いい事聞いちゃった。
 私は、酔えるほう?
 それとも、へっちゃら?
 果たしてどっちかな。



 ―― ―― ――



 私は、酔えないほうだった。
 酒で辛いことを忘れようとしたって、そうは行かないって事だね。

 でも、これなら酒にまみれながら過労死するなんて最期にはならない。
 記憶が飛ぶ気配が無いなら、私は酒に溺れない。
 過去の二の舞いにはならない。
 今は、少しでも前向きに考えていこう。

 もうスー先生だけを悪者になんてしない。
 私も“悪”で在り続けたい。
 時に人を誘惑し、堕落へと誘うのだ。

 或いは環境的要因でそうなった人達を背後に追いやり、彼らを追及する人達に、こう言ってやるのだ。
 ――それも、わたくしの計画通りですわ。


 泥をかぶっても、高笑いをしてみせよう。
 今の私になら、それができると自分に言い聞かせなきゃ。
 そうでもしないと、私はまた・・押し潰されてしまうから。



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