ダーティ・スー ~物語(せかい)を股にかける敵役~

冬塚おんぜ

Result 05 軛、断たれず


 主人と奴隷という関係でありながらも、ナターリヤ・ミザロヴァとジョジアーヌ・エヴァン・ドラクロワの両名は決して険悪ではなかった。

“皇帝派と宰相派の派閥争いから救い出したのだから、裏切る事は無いだろう”

“放っておけば死ぬようなところをわざわざ奴隷にしたのだから、生かしてはもらえるのだろう”

 両者ともに消極的とはいえ、それが却って程よい距離を保っていた。

 様々な魔人や亜人の混血でありながら、衝動を自制できる奴隷。
 この上ない逸材だった。
 一切の記憶を失い、人間の魂を異世界から取り込むまでは。


 発端は数ヶ月前、衝動を抑制する薬が切れた事だ。
 ドラクロワ家当主の密命により、ジョジアーヌのメイドが本人にも内密で食事に混ぜていたのだ。
 その事実は、ナターリヤの情報収集をもってしても知り得ぬものであった。

 ゆえに上質な“素材”を仕入れるまでは綺麗な状態を保っておきたいと考えていたナターリヤは大いに焦った。
 日に日に精神の均衡を欠いていくジョジアーヌに対して、ナターリヤは抑制剤の製造方法を探した。

 雪ヘビの内臓が原料であるという事を突き止め、辛くも入手。
 しかし、直後にジョジアーヌは失踪した。
 更に悪い事に、奴隷の脱走を聞き付けたルーセンタール帝国の皇帝派がジョジアーヌの暗殺を計画。
 対抗派閥たる宰相派も、保護の名目で捜索を開始する。

 頼りになるのは、かのダーティ・スーだけであった。
 もはや一刻の猶予もない。
 ナターリヤは緊急依頼をビヨンド用の依頼書に記した。
 藁にもすがる思いで、各地の協力者にも奴隷の流通ルートの割り出しを依頼した。

 ダーティ・スーが呑気に“風の解放者”を自称する冒険者もどきからの決闘を受けた事には、流石のナターリヤも少なからず苛立ちを覚えた。
 だが、まさかその“風の解放者”が当のターゲットそのものだったとは。

 クラサス・リヴェンメルロンの介入などのイレギュラーはあったが、結果は申し分ない。
 後は当初の予定通りに事を運ばせるだけである。


「……ホムンクルスの材料集めに貴殿が必要だった。貴殿の腹の中に赤色晶石を入れ、受精させる。
 行為自体は、その身体が酸素と同じように渇望しているもの。拒めば、いずれ死に至るでしょうな」

 拘束衣に包まれたサイアンを、ナターリヤは鉄格子越しに見下ろす。

「死ぬのは、ボクの本意じゃない」

「では、ご協力頂けますな?」

「うん。ただし、条件はある。ボクが今まで救ってきた人は、そのままにしておいてくれるかな」

 ジャキンッという金属音と共に、サイアンの頬を何かがかすめた。
 ナターリヤのステッキが伸びたのだ。

「救ってきた? 冗談はその憑依現象だけにして頂けますかな?」

 怒気を孕んだナターリヤの冷たい声が、地下室に響く。

「ジョジアーヌ殿……いや、今は、サイアンと呼ぶべきでしょうな。貴殿が救ってきた者達は実質、貴殿の魅了によって奴隷になってしまった。
 我輩が貴殿を手元に置いている限り、彼ら彼女らも我輩の奴隷と同義ですぞ」

 サイアンは既に、無意識下において魅了の能力を行使していた。
 助けた者達に。
 数多の敵対者達に。

「魅了の訓練は日々の救出活動でやって頂くとしましょうかな。
 奴隷は多いほうが作業も捗る。肉や骨もタダ同然で仕入れられる! みんな、お前の為に働いてくれるでしょうぞ」

「キミも、奴隷だ……欲望の奴隷だ」

「……まずはご自身の欲望との付き合い方でも考える事ですな? “風の解放者”」

 ナターリヤは嫌味を吐き捨てながら、片手を振って地下室を去っていく。
 “繋がれた解放者”サイアンは、不敵な笑みでそれを見送った。

「魅了、か……」

 サイアン本人が今まで関わってきた者達に自然体で接したつもりでいたのは、全くの皮肉でしかなかった。
 変身を遂げると同時にそれを自覚してしまったサイアンは、絶望に囚われかけた。
 だが……。

「キミの為には、やらない」

 それはある種の宣戦布告だった。
 そして、身体の持ち主ジョジアーヌとの決別でもあった。

「ボクはボク自身の為に、それをやるよ。ダーティ・スーが、欲しくなった」

「戯れ言を。我輩の同志ですぞ。奪うつもりですかな?」

 背を向けたまま、ナターリヤは足を止める。

「キミも欲望の鎖から解き放ってあげる。似ているんだ。キミは、ボクと……」

 サイアンの自嘲げに放たれた言葉と共に、鉄格子が砕け散る。
 高度な術式を施した防衛装置が備え付けられていた、直径30cmの鉄の棒が等間隔で並ぶそれを、粉々に破砕したのである。

 ナターリヤはドアを開けながら、鋭い金属音に振り向いた。

「何故……!」

「なんでだろうね」

 その出来事は、どちらにとっても理解の範疇を超えていた。
 拘束から解き放たれたサイアンは、右手を繰り返し握っては開く。

「けれど、どんな理由でもいい。一度できてしまったなら、何度でもやるだけだよ」


 ……地下室に怒号と絶叫が飛び交う。
 脱走したサイアンの攻撃を受けた者達は全員が生存していたが、同時に全員が負傷していた。

 後に “マロースブルクの暴風”と名付けられるこの事件の最大の被害者であるナターリヤ・ミザロヴァは、激痛にうずくまりながらサイアンの背中を見送った。



 ―― 次回予告 ――



「ごきげんよう、俺だ。

 次の依頼は良家のご令嬢から。
 何でもその世界では魔法少女が戦い合うらしい。
 魔物の親玉がいないと言っても、人の心にこそ魔物は住まうものさ。

 お嬢さん、力が欲しいかい?
 だったら特訓だ。
 俺のコーチングは厳しいぜ。

 罪を背負う覚悟って奴を、俺が教えてやる。

 次回――
 MISSION06: 黒幕の華麗なる奮闘

 さて、お次も眠れない夜になりそうだぜ」



コメント

コメントを書く

「現代アクション」の人気作品

書籍化作品