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瀬戸際の証明、囚われたジャンキー

些稚絃羽

1.知り合ったのは有名人

「ぎりぎり届くか? ……よいしょっと、わっ!!」

 伸ばした手に掴んだ感触がした瞬間、視界がぐらりと揺れる。太い枝に巻きつけていた脚に力を込めるも、八月の熱に汗ばんだ身体は言うことを聞かずあっさりと重力に身を任せてしまった。大ぶりの葉の間を突き進むようにして落下しながら少しだけ冷静だった僕は、近付いてきた地面に何とか上手く着地しようと構える。タンッという軽い音と共に硬い土の地面に降り立った姿は、恐らく体操選手さながらだっただろう。全身に電気が駆け抜けるような衝撃があったが笑顔は忘れなかった。

「兄ちゃん、すごい!」
「かっけーな!」
「小さいのにやるなぁ」

 僕の手の中の野球ボールを待ち侘びている少年達が口々に褒める。中には余計なものも混ざってはいたが、脚の痛みをやり過ごしていたから聞かなかったことにしてやろう。

「はい、どうぞ」
「ありがとう! 行こうぜ」

 少年達が駆けていくのを眺めながら、もうひとつ手に残るものを見やる。本当はこちらがメインだ。太陽に光る赤いハート型の石が付いた小さな指輪。――記憶の中の別の指輪が頭を掠めて胸を突いた。
 依頼人の元へと向かうため、まだ違和感のある足先を振るいながら僕は歩き始めた。


 僕は“探し物探偵”神咲歩かんざきあゆむ。依頼人が無くしてしまった持ち物や居なくなってしまったペット等を探す、という仕事をしている。探偵、と呼んでいるのは僕だけで、依頼人や近所の人からは未だ“探し物屋さん”と呼ばれている。この頃は幾つか連続して仕事が入っているお蔭で、そこそこ不自由のなく過ごせている。というのも、半年前に関わったあの事件の後、暫く物思いに耽ることの多くなった僕を心配した高橋さんが、身近で困った人を見つける度に僕の所に連れてきてくれたからだ。何があったかと聞かれても答えることのできない僕を見て、仕事が少ないのが理由だと思ってくれたのは都合が良かった。仕事が少ないのは事実だし、探すために必死になっていれば気が紛れた。今ではふと思い出す程度まで気持ちを落ち着けられている。

 姫井家からの依頼料には手を付けられずにいる。本当に困った時――高橋さんからの依頼さえなくなった時には使おうと思っているが、ありがたい事に当分先の話になりそうだ。


 大通りに面した小さな公園に入ると、奥のベンチで親子が座っているのが見える。日傘を差して困ったような表情を浮かべる母親とその隣に座る四歳の少女。少女は僕の存在に気付くと一目散に駆け寄ってきた。その頬は未だ涙に濡れ目元は擦ったのか赤くなっている。さらさらの細い髪に浮かぶキューティクルが眩しい。

里奈りなちゃん、あったよ」

 地面に膝をつき指輪を差し出すと、その顔に一気に笑顔が広がる。その様子が愛らしく、ありがとう、と囁くように言うシャイな少女の頭を撫でてあげた。
 母親であり依頼人の山本さんが息を切らしながらやって来た。体の強くないらしい山本さんにはこの距離さえ相当なものらしい。

「あぁ、本当にありがとうございました」
「いえ、カラスに持って行かれたならある場所は決まっているので」

 あの大樹はこの辺りのカラスの休み場となっていて、何か良い物を見つける度に枝の間に上手く隠してはまた出掛けていく。だから子供の指輪をカラスに盗られた、と聞いた時すぐにそこだと検討がついた。かなり小さいものだったが、思いの外分かりやすいところに引っ掛けてあって見つけやすかったのは助かった。
 山本さんを見上げて微笑むと微笑みを返してくれる。傍でおにいちゃん、と舌足らずに呼ぶ声がして顔を里奈ちゃんの方に向けた。

「ここ、いたくない? ……だいじょうぶ?」

 そう指を指された左の頬に手をやるとピリッとした小さな痛みを感じる。どうやら落ちる時に枝の先で切ったらしい。触れた手を見ても血は出ていないようだし、傷の感触もごく僅かなものだ。山本さんが不思議そうに見ているからよく見ないと分からない程度らしい。それをさも大きい傷を見たように心配そうな視線を向けてくるから、この幼さでも女性だなとしばし心を捕らえられたことに苦笑した。

「大丈夫、痛くないよ。その指輪、よく似合っているね」
「……ありがとう」

 照れて母親のスカートを小さく握る彼女に、赤いハート型のガラス玉は本当によく似合っている。

「あの、お代は……?」

 少し不安げに見下ろす山本さん。見上げた二人の顔は繊細な感じがよく似ていた。愛おしそうに指輪をつけた手を眺めている里奈ちゃんも将来お母さんのようになるのだと思うと幾らかときめくものがある。

「今回は結構ですよ」
「え、でも」
「里奈ちゃん、もう無くさないって約束できる?」
「うん、ぜったい、なくさない……!」

 意気込んで手に力を込めるその姿を見ると、お金を取る気になんかならない。依頼料はこの約束で、と言うと山本さんは申し訳なさそうな、それでいてほっとしたような曖昧な表情を浮かべてもう一度深く頭を下げた。

「では僕はこれで。また何かお困りでしたらいつでもいらしてくださいね」
「本当にありがとうございました」
「おにいちゃん、ありがとう!」

 最後に手を振って公園を出て行く。とても清々しい気持ちだ。思わず鼻歌交じりに歩いてしまうくらいに。
 しかしそれも排気ガスの煙たさですぐに終わってしまう。夏休み真っ只中でいつもより交通量が多いように思う。反して、当然のように真夏日を記録しているためか歩いている人は少ない。皆、家や店の中で涼んでいるのだろう。僕も早く帰ってこの汗に濡れたジャージを脱ぎたいものだ。


 ぐいっと何か大きな力が僕の左腕を掴んだ。驚きのあまり声も出ないまま路地へと引っ張り込まれた。その勢いにふらふらとバランスを崩すと、白い壁に頭をぶつけた。
 ぶつけた割に痛くなく一歩離れて見上げると、それは壁ではなく白いポロシャツを着た大柄な男性の胸板だった。そこでようやくその人の手が僕の腕を掴んでいることに気付いた。

「ど、どなたですか?」

 まずは率直に聞くことにした。カツアゲ目的の学生でないことは確かだ。
 見たところ四十代くらいだろうか、背が高く袖から出ている腕は適度に引き締まり、良い体つきをしている。力強い目をした男らしい顔をしているのにどこか柔和な雰囲気があり、黒々とした髪は少しウェーブがかかっていてこの人のためにある髪型にさえ思えた。

「すまない、乱暴なことをしてしまって」

 他に思い付かなくて、と手を離しながら続けるその男は自身に呆れるような表情を浮かべる。容姿も雰囲気もその低く渋い声も、男女問わず好かれる人なのだろうと感じさせる。こんな状況でありながら羨望の眼差しを向けていることに気が付いて、わざと警戒した風に何ですか、と重ねた。

「“探し物探偵”というのは君かな?」
「え、どうしてそれを」
「そうなんだね? 良かった、見つかった」

 僕の問い掛けを無視して嬉しそうに笑う男から、依頼の匂いがする。“探し物探偵”の名を知っていることに加え、この様子からすると僕を探していたのだろう。そんな人の期待に応える準備はいつでもできている。

「何かご依頼ですか?」
「あぁ、そうなんだ。お願いできるかな」
「勿論です。少し歩きますが事務所でお話を伺えますか?」

 男の返事を聞いて僕は颯爽と歩き出す。運良く依頼人を捕まえたことに内心打ち震えながら。



 築六十一年の二階建ての小さなビル。その全体的に欠けてきたコンクリートの階段を上がっていくと、正面に簡素なアルミのドアが現れる。ここが僕の探偵事務所だ。<只今捜索中!>と書かれた輝く銀色のプレートを裏返して<只今待機中。ようこそ!>にすると男を招き入れた。

「それで僕達の話を聞いて確信した訳ですね?」

 冷たいお茶をグラスに注ぎながらソファに座った男――北川さんに問うと、彼は頷いた。
 事務所までの道中、自己紹介を交わし“探し物探偵”を知った経緯を聞いた。彼の名は北川廉太郎きたがわれんたろうといい、隣県で画材店を営んでいるらしい。隣県とは言っても、県の端に位置するこの街とは県境を隔てただけのお隣の市にあるそうで、下手をすれば姫井家に行くよりも安いタクシー代で行くことができる距離だ。先日、その店の客からこの辺りに“探し物探偵”という奇妙な仕事をしている奴がいるらしいと聞き、ここまで足を伸ばしたのだと北川さんは話した。そしてたまたま山本親子と僕が話しているのに遭遇し、話の内容から僕がその人ではないかと思い捕まえたということらしい。
 遂に僕の噂が隣の県まで轟いているとは思いもよらなかった。奇妙な仕事、というのは即座に撤回させたいところだけれど。

「それで、ご依頼というのは?」

 二つのグラスを置いて僕も正面のソファに腰掛けると、本題に入る。わざわざここまで来たのだからかなり重要案件なのだろう。正式な契約をする前から僕の胸は高鳴っている。

「神咲君は凉原奏という名前を聞いたことがあるかな?」
「すずはら……? あれ、どこかで見た気が」

 突然向けられた名前に、記憶を辿って一冊の雑誌をラックから取り出す。最新号の週刊誌だ。捲っていくと後半の方でその名前を見つけた。見出しに『今や日本の画家を牽引する凉原奏』と記されている。生憎絵に興味のない僕は知らなかったが、かなり有名な風景画家らしい。記事の内容はこれまでの実績や代表作などを紹介したものだった。

「この記事の人ですよね。何でも、誰も顔を知らないっていう謎の多い画家だとか」
「あぁ、そうだね」
「この画家さんに、何か関係が?」
「依頼というのは、凉原奏のアトリエでこの絵を探してほしいんだ」

 北川さんはそう言うとジーンズのポケットから一枚の写真を取り出した。受け取って見ると、どこか懐かしさの漂う夕日の沈む海岸の風景画がそこには写っていた。右手から空を覆うように照らす夕日は、広大な紺碧の海と左手にずっと伸びる白い砂浜さえも飲み込むように染めている。それでもそれぞれの色を失うことなく、まるで共存するように光を落としている。その光の色の所為だろうか、優しく朗らかで知らない筈なのに既視感を覚える、そんな絵だった。
 カタリと音がして我に返った。顔を上げると北川さんがテーブルにグラスを置いたところだった。彼の存在を忘れるほどに写真の中の絵に見入っていたらしい。向けられた満面の笑みに居た堪れなくなって、とりあえず一番に浮かんだ質問をぶつけてみる。

「北川さんは凉原氏とどういうご関係なのですか? どうしてこの絵がアトリエにあると?」

 この疑問は当然のものだと思う。誰も顔を知らない謎に満ちた画家のアトリエなんて知っている者が居る筈もない。それなのにこの人はその絵が確実に凉原氏のアトリエにあると信じている。探せる探せないは一先ず後にして、その根本的な部分の事情を知らなければこの依頼を引き受けることはできない。
 逃さないと伝えるように鋭くした視線の先で、彼は平然と柔和な笑みを湛えて言ってのけた。

「凉原奏は、僕なんだ」

 

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