三題小説第四十五弾『箱』『電灯』『メニュー』タイトル「Light」

山本航

三題小説第四十五弾『箱』『電灯』『メニュー』タイトル「Light」

 東側のベランダに降り注ぐ雨音を聞きながら自室でネットサーフィンしていると、そこに不躾なノックが加わった。

「怜くーん。ちょっと開けてー」

 僕は舌打ちをするが雨と同じくノック音の止む気配は無い。

「何か用? 姉さん」
「開けてー」

 僕はもう一度舌打ちをし、PCの前から離れる。部屋の扉を少し開けると姉さんがニヤニヤして立っていた。

「……何?」
「電球買ってきたわよ」
「……頼んでないよね?」
「気が利くでしょ? 良いじゃない。どうせ怜君は買いにいけないんだから」
「通販があるし」
「宅配さんから受け取るのは家族任せでしょ」

 姉さんが突き出したビニール袋に電球の箱が入っている。振り返り、部屋の電気を見ると確かにカバーの中の電球三つの内一つが消えていた。

「そもそも何で電球が消えてるって知ってるの?」
「うん?」
「部屋の中に入って電気を点けてみない事には分からないよね? 僕が寝てる時か? 勝手に入って部屋の電気点けて何かしたのか?」

 突然姉さんがそっぽを向いて口笛を吹き始める。

「いや誤魔化せないよ」

 他所の姉がどうなのかは知らないがこの姉はアホだ。ひきこもりの弟にも変わらず接する重度のアホだ。それなりの大学でそれなりの学業を修めるアホだ。
 僕はビニール袋をひったくり扉を閉めようとしたが姉の腕に阻止された。

「お姉ちゃんが電球を付けてあげるわ。お姉ちゃんだからね。任せて」
「それくらい出来るし、出来なかったとしても姉さんには頼まないから早く出ていって」
「え? 出てるけど。部屋にはまだ入ってないけど?」

 僕は無言で姉さんの手を外へ押し出す。姉さんは吸盤のように張り付いて抵抗する。

「ここで電球ジョーク。怜君の部屋の電球を取り替えるのに何人の姉が必要?」
「〇人だよ」

 縁に引っ掛けた姉さんの指を一本一本外していく。他所の姉がどうなのか知らないがこの姉は握力が強い。

「正解は百人。一人が電球を取り替え、一人が怜君の部屋の掃除をし、一人が怜君の晩御飯を準備し、一人が怜君の服を洗濯し、九十五人が怜君を愛でます」

 完全に扉を閉めた。改めて鍵を閉める。今のジョークの笑いどころは分からないが、残り一人が何をするのか気になって仕方ない。

「ちぇー」

 扉の向こうで姉さんが舌打ちの真似をし、ぶつぶつ文句を言いながら一階へと降りていった。
 僕はもう一度PCの前に座り、ビニール袋をベッドに放り投げる。

「パピッ!」
「え?」

 僕は反射的に立ち上がってベッドを見る。今確実に部屋の中で、ベッドの方で誰かが喋った。僕以外の誰かが「パピッ!」と言った。甲高いねずみの鳴き声のような声で「パピッ!」と言った。
 ベッドの上には布団しかないし、ベッドの下には隙間など無い。

「ピキラー……じゃない。開けてくださいー」

 がさごそとベッドの上のビニール袋が動き出す。

「何? 何なんだよ。誰なんだ」

 思わず周囲を見回すがビニール袋以外に異常はないし、武器になりそうなものも見当たらない。
 ビニール袋から電球の箱が転がり出た。動いていたのはビニール袋ではなく電球の箱だった。中からぽこぽこと箱を叩く音がする。

「出してくださいー。私に自由と光をー」
「何なんだよ」

 僕は恐る恐る近づき、そっと腕と手と指を伸ばし、電球の箱を開けて飛び退いた。

「いやっふううううう。自由だ光だ天国だああ。あれ?」

 箱から飛び出したのはいかにも妖精と形容されるような姿形と大きさの女の子だった。鏡面のような一対の羽根が背中にあり、瑞々しい肉厚の木の葉を編んだような服を小麦色の肌に纏っている。豊かなコバルトブルーの髪を三つ編みにして前に垂らしていた。身長は十cmくらいだろうか。顔は、よく分からない。小顔にもほどがある。
 僕は空腹の鯉のように口をぱくぱくするばかりで何も言えなかった。

「何だか暗いですね。ねえ人間さん。何でこうも暗いんですか? ここは人間界ですよね。珍しい光に溢れたグルメの楽園と聞いていたのに。眉唾だったのですか? どうなんですか?」

 妖精はベッドの上でくるくると回りながらねずみのようなキーキー声で一気にまくし立てた。

「とうとう幻覚を見るまでになったのか僕は? あまりに人に接さないから空想の話し相手を? やばいやばいやばいこれはやばい」

 妖精は酔っ払いみたいに上機嫌に笑っている。

「幻覚じゃないですよー? ちゃんとここに実際に存在します。それで何で暗いんですか!?」
「え、いや、もう夜だし……。天気も悪いし、電球も一個消えてるし……」

 妖精が僕の近くまで歩いてくる。小顔な上に可愛らしい顔立ちだ。大きな、つまり顔に比して大きな瞳で僕の目を覗き込み、微笑む。

「あなたも暗いですね。あっと怜君さんでしたっけ? もっと明るくいきましょう?」
「怜次だよ。っていうかお前何なんだよ」
「ルクシーと呼んでください。見ての通り光の妖精です。人間の世界には美味しい光がたくさんあると聞いてやってきました」
「ルクシー? 光の妖精?」

 この非現実的な状況を説明無く受け入れなければならないのか?

「もうお腹ぺこぺこなんです。とりあえず怜君さん、この光いただいてもいいですか?」

 そう言って天井の電灯を指差す。

「食べるってどうやって?」
「どうもこうもお口から摂取するのですよ。人間は目から食べるのでしたっけ?」

 妖精はベッドの縁に座り、電灯を見上げた。そして口をもぐもぐし始めた。

「それだけ? それで食べてるの?」
「そうですよ。しかしこの光、なかなか美味しいですね。甘くて喉越し爽やか。つるんといけてしまいます。こうも清涼な甘味は妖精界にはないですよ。お抹茶が欲しくなりますね」
「とりあえず、食べたら出てってくれる?」

 ルクシーが僕を見つめる。

「こんな雨の中ですか!?」
「いや、あの……」

 僕は目をそらした。天井とか床とか、妖精のいない方向に目を泳がす。

「こんな闇の中ですか!?」
「えっと、それは……」

 ルクシーは光を咀嚼しながらこちらを見つめている。

「こんなに可愛らしくも儚げで愛らしさの中にも意志の強さを秘めた妖精の女の子をですか!?」
「意思の強さは秘めきれてないよ……。朝には出ていってよ」

 そちらを見なくても笑顔になったのは分かった。

「確か人間の言葉だと……ありがとうございます!」

 人に感謝されるのは久しぶりだ。人じゃないけど。

「あと、食べ終わったらその電球の箱の中で寝てくれる?」
「何故です? 暗いところでは寝たくないですけど」
「あんたが見つかったらどうなるか分からないからだよ。この部屋に僕に断りなく勝手に入ってくる奴がいるかもしれないし、そいつは妖精を取って食う奴かもしれないからね」

 ルクシーは声を立てて笑った。

「知ってるんですよ。人間は妖精を空想の存在だと思ってるんですから。いきなり取って食ったりしないはずです」

 僕は真剣な表情を崩さず黙ってルクシーを見つめ続ける。

「え、えっと、でもまあ怜君さんのお部屋にご厄介になるわけですし、ご忠告に従うのはやぶさかではありません」

 妖精はそそくさと電球の箱の中に戻る。しばらくして顔をひょこっと出してまたもぐもぐし始めた。

「可愛らしい妖精さんね」

 姉さんだ。

「ちょっと! どうやって入ったんだよ!」
「えっと、開いてたわね」

 手の中に針金を握ってるのを僕は見逃さなかった。

「ひいっ! 食われる!」

 ルクシーが必死に箱の中に逃げるがもう手遅れだ。逃げ場は無い。



 結果的に姉さんは妖精を食わなかった。他所の姉はどうなのか知らないがこの姉は妖精を食べない。僕もルクシーも一安心だ。
 姉さんが言うにはあの電球の箱は何の変哲も無い普通のスーパーで普通に棚に並んでいたのを買ってきたらしい。ルクシーが言うには人間界へ繋がるレポティオンをシプルスタンする事でコリンペン状態の電球の箱内部に閉じ込めイプオペペられたそうだ。
 次の日目が覚めるとルクシーが部屋の電灯の光を食べていた。時間的にはもう昼食のようだ。

「それでルクシー。君はこれからどうするの?」
「妖精一匹光料理巡りをします! 怜君さんに挨拶してから出かけようと思って」
「そう。じゃあこれでさよならだね。送ってくよ。部屋の外まで」
「ありがとうございます!」

 渾身の自虐ネタは華麗にスルーされた。廊下への扉を開けると、ルクシーは意気揚々とスタスタと歩き去ろうと……。

「ねえルクシー?」
「はい。何ですか怜君さん。もう寂しくなりましたか?」
「いや、歩き?」
「ええ。人間界に来た事で力を使い果たしてしまって。しばらくは日光でも食べて力を回復しながら」
「無謀だよ!」

 ルクシーが鈴の音のようにころころと笑う。

「大丈夫ですよー。私はこう見えてもかなりの健脚でして、最近の妖精は羽根にかまけて歩くのを面倒がるのですが私は……」
「いやいやいや前向きにもほどがあるよ。そうじゃなくて車とか猫とかカラスとかどうするんだよ。そもそも全ての人間が僕みたいに面倒を見てくれるわけじゃないよ。中には悪い人間もいるんだ。というか今日も雨だし。体力回復しないし」
「人間界の交通事情は大体勉強してきましたし、野生動物はこう物陰から物陰へと……。え? 雨ですか?」
「うん。雨自体は小雨だけど曇ってるから日光も弱いよ」

 僕からすれば何もかもを露にされそうで晴れた日のほうが嫌いだ。

「そうですか。では体力が回復するまでご厄介になっても良いですか?」

 そこまで考えてなかった。しかし外の危険性を説いておいて今更外に追い出すわけにもいかない。

「うん。まあ、適当に光食べて回復していきなよ」

 ルクシーは大げさな笑顔で大げさにお辞儀をして言う。とても小さいなりに分かりやすくしたのだろう。

「ベグゲドバビー」

 感謝の言葉だよね?



「飽きました」

 夕方ごろ、雨は一向に降り止まず、ふとルクシーを見て、ずっと同じ光で飽きないのか、と思った時に彼女はそう言った。

「そうなんじゃないかと思った」
「美味しいは美味しいんですけどね。単調というか大味というか。調味光はないんですか?」
「あるわけないだろ」
「何でもいいので他に光はないんですか?」

 僕はPCの画面を指差す。

「光量が弱すぎます」

 何でも良いんじゃないのか。あとはケータイやテレビ等、画面ばかりだ。

「光って案外無いもんだね」
「そうでした! 火は無いんですか? 人間界といえば火ですよ! 火!」
「うちオール電化だからね。ガスコンロすらないよ」
「そんなー」
「いや、そういえば防災グッズにライターが入ってたかもしれない」
「ライター! 何だか素敵な響きですね。どこにあるんですか?」
「残念だけど一階だよ」
「……とってきてもらえませんか?」
「ひきこもりって知ってる?」
「まあ、アバウトに」
「そういう事だよ」
「そこを何とか」

 僕は返事をせずPCに向き直った。

「何でひきこもったんですか? 妖精なんて空想の存在だと思って言ってみてください」
「……学校での人間関係が上手くいかなくてね。他人に会うのが嫌になって……。まあ、アバウトに言うとそんなところ」
「じゃあ家の中なら良いですね。学校の人達はいませんから。部屋ではなく家に引きこもっていると思えばいいんです」
「ポジティブなようなネガティブなような……」
「そろそろ次の段階に進むべきです」
「まるで今までに段階を進んだ事があるみたいな言い方するな」
「ありますよ」

 ルクシーのその表情は真剣そのものだ。

「今も昔もひきこもりなんだけど」
「今こうして他人と面と向かって話してるじゃないですか」
「それは……」

 何というか人というよりは人形と話しているような感覚なんだ。

「だから次の段階なんです。そして偉そうな事を言いましたが火の光を食べたいのです!」

 ルクシーは頭を下げつつ、はにかんで言った。

「……分かったよ。感謝してよ」
「もちろんです。感謝感激雨あられです」
「調子良いね」

 いざ扉を開けてみると少し足がすくんだ。正直別に部屋を出る事など大したことではない、やらないだけだと思っていたが、思いのほか体は引きこもり生活に順応していたらしい。

「さあ、その一歩が全ての始まりです。既にそこには困難へと立ち向かう偉大な男の背中が見えます」
「むしろ馬鹿にされてるような気がするなあ」

 そうして一歩を踏み出す。
 防災グッズはキッチンの棚の奥にあった。水とか乾パンとかの他にライターもあった。チャッ○マンもといユーティリティーライターを持って二階に戻ろうとした時、誰かが帰ってきた。

「ただいま」と、誰ともなしに行ったのは姉さんの声だった。

 僕は何となく急いで自分の部屋へ走って逃げた。
 ルクシーがベッドの上で正座をし、目を輝かせて待っている。今にもよだれを垂らさんばかりの勢いだ。

「そんなに火の光が楽しみだったの?」
「はい! 火は妖精界では珍しいんです! 三大人間界に行った時は一度は見ておくべき光の一つです」
「残り二つは?」
「蛍とサイリウムです」

 どちらもこの家には無い。

「じゃあ点けるよ」

 ライターを点火するとルクシーは猛烈な勢いで咀嚼し始めた。ちょっと怖い。今にも飛んで火に入りそうだ。

「こ、これは、思っていたより小さな火なので、はふはふ、正直拍子抜けだったのですけど、中々美味しいですね。じゅるじゅる。上品な辛味が舌の上にじんわりと広がって、スパイシーな熱が鼻腔をくすぐると同時に、もぐもぐ、隠された酸味がとろりと溢れてきます。しかし期待していたほどでもないような、話に聞いたのはもっと弾けるような……」
「そりゃ残念」と、言ったのは姉さんだった。

 今度は確かに僕が鍵を閉め忘れていたようだ。

「また勝手に……それどうしたの?」

 姉さんは両手に雨に濡れたビニール袋を抱えていた。

「ふっふっふ。ルクシーちゃんの為にありとあらゆる電球を買ってきたのよ」
「何ですってー!?」

 ルクシーの食いつきは飢えた狼のようだった。

「まあちょいとばかし待ってなさい。お姉ちゃんが最高のフルコースメニューを作ってあげるわ」
「わああああああい! さすがですわ! お姉さま!」

 昨日は食われると怯えていたのに華麗な手のひら返しだ。ルクシーはライターの火を放り出して姉さんの方へ駆けていった。後には釈然としない気持ちだけ残った。



「二時間経ったら降りてきて」と、姉は言い残して下に降りていった。

 二時間の間、ルクシーは光を食べることなく目覚まし時計の前でうろうろしていた。

「ねえ怜君さん。一体どんな光料理だと思いますか?」
「どんなって言われても光料理なんて食べた事ないよ」

 そもそも姉さんは本当に光を料理しているのだろうか。確かに姉さんは料理が得意ではあるし、ある種の才能のようなものを持っているけれど、光料理は作った事などないはずだ。たぶん。

「そういえば人間は光を食べられないのでしたね。お可哀想に」

 何だか知らないけど同情された。それに階下から光は漏れず、代わりに匂いが漂ってきている。キッチンがフル稼働している音も聞こえてくる。

「二時間経ちました! 怜君さん! もう降りても良いんでしょうか? 呼ばれるまで待ちますか? どうしますか? 勝手に降りたら怒られちゃいますかね。どうしましょうどうしましょう」
「興奮しすぎ。もう降りても良いと思うよ」

 僕はルクシーのために扉を開けてやった。

「何してるんですか? 怜君さん」
「ん?」
「降りましょうよ」
「僕の晩飯は姉さんが持ってきてくれるよ」

 それがいつも通りだ。

「もう! 今更ですよ。さっき部屋の外に出たんですから良いじゃないですか、家の中なら。それにご飯は皆で食べると美味しいんですよ」

 ルクシーが僕の背中、じゃなくてアキレス腱を押す。

「……分かったよ」

 僕はルクシーを拾い上げて部屋を出た。



 姉が用意していたのは肉じゃがにポテトサラダ、金平牛蒡に味噌汁、それと……。これは何だろう。
 何だか禍々しい機械の化け物のような、スチームパンクディストピアの模型のような、えもいわれぬ造形物が机の半分を占めていた。様々な形の電球、張り巡らされたコード、スイッチが複雑に絡み合っている。

「父さん母さんが帰ってきたら怒られるんじゃない?」

 というか呆れるだろう。

「帰ってくるまでに食事を済ませればいいのよ」
「お姉さま! これは一体!?」

 ルクシーが目を輝かせて機械の周りをうろちょろしている。

「私がとっても良い塩梅に調整した光のフルコースよ。ルクシーの席はここね」

 そう言って机の上に椅子の模型を置いた。ルクシーは勢いよく椅子に座り、足をパタパタさせる。

「まだですか? まだですか?」
「ちょっと待ってね。ご飯はよそったわね。じゃあ怜君も席について」と、言って姉は部屋の電気を消す。そして手探りで席に着く。

 見えないけれどルクシーが暗闇に慌てているのが分かる。

「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」

 この真っ暗闇ではいただきようがない。僕は手探りで茶碗を掴み、姉は機械の方に手を伸ばしスイッチを入れた。
 光を食べない僕にとっても中々の見ものだった。
 豆電球やナツメ球の他にも多種多様な白熱電球に蛍光灯、様々な色のLEDが時に瞬き、閃き、輝く。一定のリズムで、僕には分からないタイミングで明滅し、モーターで上下左右に移動し、ダイニングを色彩豊かな光と影を投影させた。時に機械の如く、たまに生物のように、そして風や波みたいに刻々と装いを変えた。
 ルクシーは一つ一つの変化を目で追いつつ、咀嚼し、歓声をあげつつ姉さんを褒め称えた。その光の、そして味の大洪水に見舞われて言葉で表現するのを早々に諦めてしまったようだ。
 それでも光の味の分からない僕にさえ、その光の芸術の風味豊かさが伝わってくるような気がした。それに肉じゃがもポテトサラダもとても美味しい。
 スイッチを切らない限り永遠に続くのかと思ったが、丁度僕たちが食べ終えると同時に機械は動くのをやめた。
 改めてルクシーは歓声を上げ、ありとあらゆる古今東西の賛辞と感謝を姉さんに述べた。



 僕が寝る段になっても僕の部屋に持ち込まれた機械は延々と動き続けていた。布団をかぶって眩しさから逃れても、モーター音が喧しくて中々寝付けなかった。どれだけ文句を言ってもルクシーは機械に夢中で口をパクパクさせていた。妖精には満腹という概念がないらしい。結局僕が寝付いたのは日が昇ってからで、目を覚ましたのは昼過ぎだった。そしてやはり今日も雨だった。
 機械は動きを止めていて、その鉄の塊の前で丸まってルクシーも眠りについている。徹夜で食べるほど夢中になる料理とは一体どれほどのものなのだろう。

「もう食べられないです……」

 どれほど眩しい夢を見ているのだろうか。
 ルクシーの様子を覗き込む。それは明らかに様子がおかしかった。汗を掻き、息遣いが荒い。とても平常な姿ではない。そっと、ルクシーを揺さぶる。

「おい、どうした。食べ過ぎたのか?」

 ルクシーは目を開いて瞳だけこちらを向いた。

「ううう。怜君さん。食べても食べても力が回復しないのです」
「何でだよ。あんなに食べてたのに」

 そもそもどれくらいの量を摂取できているのかよく分からないけど。

「もしかしたら電灯には妖精にとっての栄養がないのかもしれません」
「たしかに何だか栄養無さそうな気はする」
「太陽は出てますか?」

 カーテンを開けるが雨が降っていて窓の外は薄ぼんやりしている。

「生憎今日も雨だ。他に何かない?」
「ライターをください」

 机の上においてあったライターを点し、何にも燃え移らないようにセロテープで固定化して機械に取り付ける。

「どう?」
「やっぱりこんなに小さくても電気の光よりは栄養があるみたいです。でも小さいですね」

 もう他に火は無い。この家の中には。
 つまり、外から持って来る他にルクシーを救う方法は無いという事だ。
 僕は携帯電話を取り、姉さんにメールを送る。ライターやマッチをありったけ買ってきてくれ、と。しかしうんともすんとも返事が無い。待っている余裕は無い。緊張しいしい姉さんに電話をかける。しかし電話に出る様子も無い。僕は悪態をついてベッドに放り投げる。
 点けっぱなしのライターはどれくらい持つのだろうと考える。本来一瞬だけ点けるから長持ちするのであって連続で点火していたら、一時間も持たないかもしれない。

「怜君さん。私は間違っていたのかもしれません」
「突然何を言い出すんだよ」
「実際のところ妖精界には溢れるほどの光があるんです。それを人間界の珍しい光に誘われて、欲望に負けて飛び出したばかりにこのような事になって、怜君さんにも迷惑をかけて」
「待ってくれよ。そんなネガティブな事を言うキャラじゃないだろ。何かあるはずだよ。何か、何か」

 ルクシーの返事を待つが、その瞳はライターの炎を見つめ続け、口を動かしているが何も答えない。
 何か、じゃない。この期に及んで僕は何を言っているんだ。何をすべきか、何をなすべきか。そんなもの決まってる。

「買い物言ってくる」

 やっぱりルクシーの返事は無い。
 扉を出ると少し動悸が早まったが何とかいけそうだ。階段を降り、玄関で傘を掴む。すると玄関扉に鍵を差し込み、ぐるりと捻る音に続いて扉が開いた。姉さんだった。

「どこに行くの?」
「買い物」

 脇を抜けて外に出ようとすると腕を掴まれる。

「メールの買い物? 今さっき気づいたのよ。ごめんね。姉さんが今から買ってくるわ」

 他所の姉がどうなのかは知らないがこの姉は優しい。とても優しい。だけど……。

「僕が買いに行かなくちゃ駄目なんだ」
「何で? 誰が行っても同じよ」
「次の段階に進むんだ」

 姉さんの手を振りほどいて家を飛び出る。降りしきる雨の中商店街の方へ走った。途中で雨に気づき、傘を差す。
 雨が降っていて、そして傘を差していることは助けになった。人の目線から隠れる事ができて緊張が和らいでいる気がする。しかし時間帯は不利に働いた。今日は平日なので今まさに下校する学生たちを時折見かける。知人に会ってしまったらどうなってしまうだろう。想像するのも恐ろしい。しかしいざ誰に会う事も無くスーパーにたどり着いてしまうと一抹の寂しさを感じた。
 ライターとマッチ以外にも火のつくものを買って店を出た。既に雨は止んでいるが雲の量は変わらない。だけど雲の合間から見える沈み行く夕陽は西の空から町を赤く照らしている。夕陽を見るのも久しぶりだ。光の妖精でなくてもその光の美しさに感じ入るものがあった。
 今頃姉さんがルクシーにこの西日を食べさせているだろうけれど、僕は片手にビニール袋を握り締めて帰路を急いだ。



 ルクシーはすっかり良くなっていた。まだ飛ぶ力までは回復していなかったが、歩き回れる程度には力を取り戻している。部屋に戻るとルクシーが胸に、ではなく脛に飛び込んできた。

「怜君さん! 私のために火を手に入れて来てくださったというのは本当なのですか!?」
「何だかどこかの神話にありそうな話だな。単に近所で買ってきたんだよ」
「何でも私は嬉しいです! さあ火を! 火を!」
「とりあえずベランダに出よう」

 よくよく考えたらライターを点けっ放しで出てきたのはかなり危ない事をしていた。姉さんですら僕を叱り飛ばす案件だ。一階で料理をしていたのを僕はスルーして部屋に戻った。

「太陽ならもう沈みましたよ? 雨は止みましたが月も星も見えないですし」
「火を使うからベランダに出るんだよ」

 ベランダに足を放り出して床に座る。

「ライターと、それは何ですか?」
「これは、まあ見てのお楽しみだ」

 ビニール袋から取り出した薬筒に着火する。火は火薬に燃え移り勢いよく火花を噴射した。

「美味しいいいいいいいいい」

 そういう反応なのか。そりゃそうか。ルクシーは僕の膝によじ登り、出来るだけ近くで見ようとする。

「何ですか何ですか何なんですかこれは!」
「花火だよ。火薬に火をつけて飛び散る火花を観賞するんだ。ルクシーなら味も楽しめるんだろうね」
「とっても美味しいです。えもいわれぬ味わいです。話に聞いていた火というのはこれなのかもしれません。深い甘みに透き通るような苦味、濃厚でいてそれでいて渦巻く嵐のような旨みが私の舌を蹂躙するのです!」
「よく分からないけど美味しいならよかったよ」
「こらこら」と、やはりノックもせずに部屋に入ってきた姉さんが言った。

 そして水の入ったバケツをベランダに置いた。

「ありがとう。姉さん」
「どういたしまして。ルクシーちゃんはすっかり夢中ね」

 ルクシーは一緒に買ってきたマッチを使って花火を楽しんでいる。それから極彩色の色々な花火を味わいつくし、最後に線香花火で締めくくった。

「しっとりとした芳醇な甘味を繊細でありながらしっかりした酸味が包み込み一体となって舌で、喉で、食道で、胃で、全身で味わいつくされました。怜君さん、本当にありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして。こちらこそ家を出る勇気をくれてベグゲドバビー」

 ルクシーは腹を抱えて笑い始めた。どうやら使いどころを間違えたらしい。でも怒ってはいないようなのでよしとすることにしよう。



 あれから僕はまた学校へ登校するようになった。授業についていくのは大変だけれど友達も出来てとても楽しい毎日を過ごしている。
 今朝もまた僕は喜びに満ちた朝日の輝きに目を細め、すっかり花火ジャンキーになってベランダから出てこなくなったルクシーを尻目に部屋を出る。

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