加速する恋心

ノベルバユーザー172401

加速する恋心


ここのところずっと、ふわふわとした気持ちで浮かれている。
朝起きてきちんと髪を整えて、寝癖ひとつないようにして、少しでも可愛く思われたくて雑誌とにらめっこ。夜寝る前は丁寧にケアをして、着信を告げるスマートフォンに一喜一憂する。
――好きな人ができて、その好きな人が私の事を好きでいてくれた。
それだけのことが、なんでもない日常をとびきり綺麗なものに変えてくれる。


「おはよう、千尋くん」
「ん、おはよう」

千尋くん、は、高校生になった時に同じクラスで仲良くなった人。
隣に立って、挨拶をして、電車に二人で滑り込む。それほど多くない人の中で、私たちは二人並んで座った。ぴったりくっつくことはないけれど、それでもいつもより近い距離にいることができるから、電車で隣り合って座るその時間が好きだ。
がたんごとん、時間にして10分程度のその時間は、最初から私にとっていつでも特別な時間だった。

高校生になった時、電車通学を私は友達としていた。けれど、彼女たちはみんな総じて運動部に所属して、私が乗る時間とは合わなくなってしまったのだ。
1人で通学することは苦ではないけれど、それでも初めての高校生活で少しだけ、不安を覚えていたのも確かで。学校に行けば、友人も知り合いもいるのに電車の中は知らない人だらけで私はいつも心細かった。
その日も、いつも通り少しだけ寂しく思いながら電車に乗って、窓際に立って外を眺めていた。
変わらない景色、どんどん通り過ぎていく建物を見送りながら私は視線を感じてふと後ろを振り向く。

――おはよう、笹野さん

あの時、少しだけはにかんだ千尋くんが私に声をかけてくれて、そこから私と千尋くんの二人の通学は始まったのだ。
同じクラスの篠塚千尋くんが、一緒に学校に行く千尋くんになって、私の好きな人になるまで時間はかからなかった。少し悲しそうに乗っているから、気になっていたのだと言った彼に顔を真っ赤にした私、電車の中で周りの人はどんな風に思ったのだろうか。
高校一年生の始まり、私は初めて男の子と友達になって、そしてそれと同時に通学が楽しみになった。

「…穂乃花?」
「え、あ、ごめん。なあに?」
「具合、わるい?」
「ううん、そんなことない。大丈夫」

ぼうっと考え込んでいた私を見下ろす瞳にドキドキしながら首を振った。千尋くん、穂乃花と呼び合うまでに時間はかからなくて、私たちは夏が始まるころには名前で呼び合っていた。
今日は少し寄り道して帰ろう?と笑う千尋くんに、私はうんと頷いた。
左を見上げて話すこと、私の声を聴くために少し体を傾けて耳を近づけてくれるところ、気付いてしまえば当たり前に甘受していたことが胸を苦しくさせる。
歩くペースを合わせてくれていること、頑張った時には頭を撫でてくれること、いつだって歩道を歩かせてくれること、初めて抱きしめてもらった時の事。全部全部、宝物みたいなキラキラが私の胸に貯まっていくことを、きっと千尋くんは知らない。

「本屋さんに行こう、それでアイスを食べたいな」
「穂乃花は、アイス好きだね」
「うん、いくつでも食べられちゃう」

放課後の約束に嬉しくなって、それでも電車の中だからと声を潜めて話す。
くすくすと笑う千尋くんの穏やかな顔が好きだ。ゲームをするときは子供っぽくなるところとか、たまに口が悪いときとか、そんな色んな顔を見れることが嬉しい。
――がたん、ごとん。緩やかな揺れの中で、もう少しこの時間が長く続いてほしいと願う。


***


私が好きだ、と気が付いたのは秋が終わるころ。
そのころには私は千尋くんとのことを友人にからかわれていて、私はいつもどこか困ったように返していたと思う。友達、だと思っていた。けれど、友達にしては距離が近いことも知っていた。
学校の良き帰りも一緒、たまに寄り道をして、休み時間に少し話したり、名前で呼んだり。友達、というくくりに本当に入るのか、考えることがもう気持ちの行方に気が付き始めていたんだと、今になって思う。

私と千尋くんはそのころには一緒に帰ることも日常になっていて、その日は私が日直だったせいで遅くなってしまった。寒くなってきたねと話しながら電車に乗り込む。冬に近づく夕暮れは、ほのかに暗い。
電車は夕暮れの赤さで満ちていて、私たちはその日座ることなく扉の前に立っていた。

「……あ、」
「――ん、どうした?」

横顔が、とてもきれいだと思った。
茜色に照らされた髪の毛も、こちらを見下ろす眼も。私より遥かに高い身長、低い声、私は女で彼は男なんだと意識する。意識してしまったら、もうだめだった。
一瞬で顔が赤く染まったような気がした。きっと、赤い陽射しが私の顔を隠してくれただろうけれど、私は無性に恥ずかしくてどきどきと落ち着かなくてあわあわと忙しなく動いていたように思う。
千尋くんは、少しだけ楽しそうに嬉しそうに、笑っていたのを余裕だなと思いながら私はそわそわとしていたのだ。
それが、私の自覚。想いの始まり。私はそれから片想いを抱いたまま冬を通り過ぎた。
千尋くんが好きだと思いながら一歩踏み出せなかったのは、どうしていいのかわからなかったのだ。
11月の文化祭で二人で空き時間に校内を巡ったときに人ごみに紛れないように手を握られたこと。12月のクリスマス、もしよければと誘われたデートで浮かれながらプレゼントを交換したこと。終業式の後で千尋くんのお家にお邪魔して、ご両親に挨拶をしたこと。冬休みになって電話やメールでやり取りをして、たまに外に出かけて。
そして元旦、新しい年の始まりの日に初詣に誘われた。

「新しい年になったから、もういいかなと思って」
「…?」
「穂乃花、好きなんだ」

少しだけ緊張したような千尋くんが初詣の帰り道でそういった時、私は手に持っていたお守りの袋を落とした。ついでに言えば、鞄も落とした。
その私をみてお腹を抱えて笑いながら、落としたものを拾ってくれた千尋くんは、さっきの緊張もかくやという様にマフラーに口をうずめてる私の顔を覗き込む。

「穂乃花も、俺の事好きだろ?知ってるよ」
「…っ、!」

バレバレだった、ということもだけれど。なによりも耳元で響いた声がひどくあまくて余計に私は挙動不審になっていた気がする。
それでもやられっぱなしは気に食わなくて、私だってちゃんと好きなんだぞという思いを込めて千尋くんの顔を勢いよく見上げたのだ。

「わたし、も、あなたが好きです…!」

あの時の、とびきり嬉しそうな笑顔を、私はいつだって思い出せるようになってしまった。
思い出すたびにきゅんと心臓がはねる、私たちの始まりの日。



***


「千尋くん、私ずっと考えていたことがあったんだけどね」
「なに?」

改札を出て、流れるように手を掬い取られて握った手を揺らしながら、私たちは歩いている。
学校までは歩いて10分ほど。ゆっくり歩いて15分。全部で25分くらいの通学時間は、今では当たり前のものになってしまった。
他の生徒たちも歩いている中で、高校二年生になった私たちは今も同じクラスで過ごしている。
お友達期間、一年間。そして恋人として、一年目。
――穏やかな千尋くんは最近入ってきた一年生に憧れを持たれているのを知っているから、少し複雑に思う日もあるけれど。
それでもいつだって私を大切にしてくれるから、それ以上に私も彼を大切にしてあげたい。


「千尋くんは、いつから私の事を好きだったの?」
「いつからって、最初からだけど…気付いてなかった?」
「………最初って」
「電車であいさつした時から」

絶句、と。ぼんと顔が赤くなるようで、そしてそれを見ていたらしい千尋くんに笑われた。だって、そんなの知らない。そんな爆弾を落とされるなんて思ってもみなかったのだ。正直、今聞くことではなかったかもしれないと思ってももう遅い。

「入学式の時に一目ぼれして、すごく緊張しながら話しかけて。穂乃花が俺に慣れてくれるまで一年は一番近い位置をキープして意識してもらおうと思ってたんだけど」
「は……え、あの」
「穂乃花が、俺の事好きになってくれたんだろうなって思ったのは秋くらいかな。そこからは長かった」

爆弾発言のオンパレード。私の脳内キャパシティは崩壊して、はくはくと言葉にならないままに口を動かしながら、手を引かれるまま歩く。
無理、ダメ。もうこれ以上聞いてたら心臓が破裂して死んじゃうかもしれない。

「顔真っ赤だけど、大丈夫か?」
「…だい、じょうぶじゃない…」
「うん、でも、事実だから。受け止めて」

意外と、私って愛されてるんだなあと思って、いまだにドキドキとうるさい心臓のあたりを抑える。千尋くんは、いつも穏やかに笑っているくせに、こうして意地悪するところがある。私をおたおたさせて、喜ばせて、どきどきさせて喜んでるのだ。
前にそう訴えたら、可愛いんだもんとあっさり言われてしまった。なにそれ、そんなこと言う千尋くんが可愛い。

「千尋くん、しんぞうにわるいよ…。ドキドキして、止まるっちゃったらどうするの…?」
「うん、それは困るな。もっとどきどきさせたら、耐性付くんじゃない」
「…むり!むりむり、これ以上やられたらだめ!」
「あはは、力いっぱい否定された」
「だって、これ以上ドキドキしちゃったら、私もっと千尋くんの事好きになっちゃうじゃない!」

きょとん、と目を見開いた千尋くんは、次の瞬間花がほころぶように嬉しそうに笑った。
なにそれ、何それ。ずるい、そんな風に私にしか見せない一番輝いてる顔を簡単に見せてしまうなんて。
いたたまれなくなって俯いた。千尋くんは、上機嫌で私とつないでいる手を揺らしている。

「いいよ、もっと好きになって。俺、穂乃花が思ってるより執着する方だし、嫉妬するし、穂乃花が俺の事見てくれないと死んじゃう」
「………うそ」
「ウソじゃないよ。だから、今はまだ見逃してあげるけど、もう少ししたら全部貰うから。それまでに俺の事もっともっと好きになってて。俺は上限超えるくらい、穂乃花の事好きだよ」

もう少ししたらっていつ、とか。全部貰うってどういう事、とか。そういう事全部聞きたいような聞きたくないような言葉にするりとほどけた手を口元にやる。破裂しそうなほど高鳴っている心臓が飛び出しそうで口を押えた。
千尋くんは、にっこり笑って私を見ていて、そしてクラスメートたちがにやにや笑いながら通り過ぎていく。気付かないうちに下駄箱についていた、らしい。

「バカップル、爆発しろー」
「しないよ、うらやましい?」

そんな風に、やり取りしている千尋くんと私の友達の言葉も耳に入らないくらいに、私の頭は混乱していたし、そもそも初心者には千尋くんの愛は大きかった。もう少し小出しにしてほしかった。

「ち、ちひろくんなんて…、き、きらいじゃない…!」

いたたまれなくなって靴をさっさと履き替えて、教室まで全力疾走する。後ろから、千尋くんが笑い転げる声が聞こえてきて、そしてそれ以上に。
最初にあった時より、友達になった時より、今の方がずっとずっと千尋くんを好きになってしまっている。いつか、あの余裕な顔を真っ赤に染めてやるんだと思いながら、私は廊下を駆け抜けた。



***

「逃げられてやんの」
「可愛いよね、照れると逃げるところとか」
「あんまりいじめすぎないでよ。っていうか独占しすぎ、私らにも貸して」

穂乃花の友達は呆れたように言うとさっさと歩きだした。
確かに、四六時中独占してるきらいはあるけど、彼女たちだって学校の中では頑なに俺をほのかに近づけないのだ。お互い様である。――そして、俺も穂乃花を追いかけるべく教室に向かう。

初めて会ったときは、入学式。
きっと覚えていないだろうけれど下駄箱で一緒になったのだ。よろしくね、とはにかんだ顔にすべてを持っていかれて、そこから俺の恋は始まったのだ。
電車が一緒になるように時間も合わせて、一人になった彼女が心細そうだったのを狙って話しかけた。じっくりゆっくり、距離を詰めてじわじわと。
穏やかだとか優しい、とかそういう評価の方が多いけれど実際は。なんてことはない、俺だってただのオトコノコだ。
欲しいものはどんな手を使っても手に入れるし、手に入れるなら心からほしかった。
じわじわと距離を詰めて、そして穂乃花の感情が俺の方を向いたと確信したからこそ、こうして恋人という立場をとれたのだ。付き合う前から家に連れて行ったりして、家族に紹介済みなところも、用意周到だと友人には言われたが。

隣で笑ってほしい、と思った。隣に居ることが心地よくて、毎朝が楽しみで。
好きだと笑ってくれた赤く、けれどそれ以上に柔らかな笑顔が焼き付いて離れない。

「千尋くん、」

俺の名前を呼ぶ声が好きだ。
――そして今日も、俺は大好きな女の子と緩やかに特別な日々を過ごしていくのだ。








コメント

  • ノベルバユーザー601499

    恋の少しずつの成長が、健気でキュンキュンしちゃいます。
    こんなした学生時代を過ごしたかったなぁ。

    0
コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品