三題小説第四十弾『実験』『広場』『刀』タイトル『妖刀と母』

山本航

三題小説第四十弾『実験』『広場』『刀』タイトル『妖刀と母』

 鉄のような血のような苦い臭いが満ちている。澱みつつもじわりと流れてくる。その狭く暗然たる独房の前に佇む事は、大きく開かれた屍の空虚な口を覗きこむような気持ちにさせた。
 スミは意を決するように幾分新鮮な空気を吐き出し、代わりにその腐臭に似た空気を吸い込んだ。異なる所へ入っていくのではなく、異なる物を取り入れる事の方がスミにとっては自然な事のように思えたからだ。

 そうして一歩を踏み出し、固い地面を素足で踏みしめる。鋼の板の上に砂を敷き詰めたかのようだ。冷ややかな石壁に囲まれ閉塞感がいや増す。
 後ろで錆び鉄の軋む音を聞いて慌てて振り返る。髷も結わずに白い布面をつけた男が手燭片手に格子扉を閉めようとしていた。揺れる影が左から右へ動く。

「ちょいと。私は逃げやしないよ」

 慌てて振り返った時点でまだ真に覚悟を出来ていない事は自覚していたが、そう言うしかなかった。

「規則なんだ。あんたの他は全員囚人でね。もちろん志願者のあんたは言ってくれりゃいつでも出してやるが、錠の確認の時に一々あんたを確認するのは面倒なんだ。基本的に閉じたままにさせてもらう。もちろんそれが嫌なら辞めてもらっても結構だ。どうする……」
「私にも囚人のような生活をさせようってのかい」
「食事、入浴、他にも言ってくれれば多少は便宜を図るとの事だ」

 これは取引で、彼らも自分を必要としている事をスミは理解していた。しかし絶対的にスミでなくてはならない訳でもない、という事も理解していた。

「分かったよ。それで、例の刀ってのは……」

 男は太く骨ばった腕を伸ばして独房の隅を指した。藁布団の上、石壁の角に小刀が立てかけてあった。

「それだ」
「また随分と粗末な扱いをするんだね。これが呪術の実験とやらの要じゃないのかい……」
「要の内の一つだ」

 屈んでその小刀を拾い上げる。薄暗くて色合いはぼんやりしているが、艶めく鞘の感触を感じた。その刀の柄はこの寒々しい部屋にあって熱を帯びているかのように感じた。ともすれば鼓動をも聞こえそうでスミの掌にぴたりと合った。まるで元はこの掌にくっ付いていたかのように。
 鞘から一寸引き抜くと刃が冷たく閃いた。

「妖刀だってんだから本差かと思ってたよ。脇差の妖刀ってのはありなのかい……」

 男はその言葉には答えなかった。代わりに格子扉を閉め、錠をおろした。

「最初の死闘は、いや、あんたにとっては生き残ったとしても最初で最後か。数日中に行われる。刻限は常に午の時だ。ゆっくり休め」
「あいよ」

 スミはここに来るまでにこの実験の要旨を説明されていた。計八人の実験参加者が一振りずつ刀を握り、殺し合いをする。一人が生き残るか、全滅すれば死闘は終了する。それを何度も何度も延々と繰り返す、繰り返してきた、らしい。そうして血を吸い続けた刀は霊性を帯び妖刀となる。あるいは既に妖刀となっている可能性もあるが、さらに強力なものにする事が可能なのだそうだ。この蠱毒という呪術を応用した呪術実験を行う事で。
 だがスミはその実験に興味を持っていなかった。呪術とやらを信じる信じない以前に自身の目的とは無関係だからだ。
 スミがここにいるのは次の死闘に初めて参加する男に用があるからだ。
 話を聞きたかった。できれば殺したかった。
 しかし呪術師達はそれを許さず、この実験に参加する形でのみ事を成す事を認めた。

 その数日の日々は春の朝の穏やかな川のように淡々と流れていった。

 この独房に入る為の格子扉の反対側の壁にもまた鉄の扉がある。中は、あるいは外は、見えないがそこには直径十丈程の円形の広場がある事をスミは呪術師の一人に聞いていた。
 ここはどこぞの山奥で呪術師達の研究の為に切り拓かれ
 その広場を囲うように八つの独房が設置されており、時間になると何らかのカラクリ仕掛けで八つの扉が同時に開く。

 そうして死闘が始まる。

 特に決まった時間もないし、特段急き立てたりもしないそうだ。いずれにせよ残り一人になるまで食事が出る事も無いので殺さざるをえないそうだが。元になった蠱毒という呪術もムカデや蜘蛛を容れ物の中で共食いさせ、残った一匹に霊性をもたせるというものらしい。
 スミは数日中与えられた小刀を弄んでいた。この狭い部屋で出来る事と言えばこの小刀に慣れる事くらいだ。それは然程の苦労も要しなかった。元々体の一部だったかのように、その小刀の長さや重さ、あるいは癖のようなものを掌握した。

「そろそろだよ。おや、たすき掛け……」

 そう声をかけたのは呪術師だった。何人いるかわからない呪術師達の一人だ。初めて会うのか何度か会うのか布面越しでは分からない。
 キミは死闘用に与えられた白装束の裾を裂いてたすき掛けにしていた。

「駄目だったかい?」
「いや、でもその方が良いわな。ここだけの話、生き残ろうって考えてる奴はそんなにいない。元が死罪人だからな」
「そりゃいい」
「ほれ。こっちへ来てくれ」

 スミが振り返ると呪術師はいつの間にか轡を取り出していた。

「それも規則かい……」
「ああ」

 呪術師はその事に何の疑問も持っていないようだった。白布の面で表情からは推し量れないが。

「あんた聞いてないのかい……。私はある男を問い質す為にここに来たんだよ。轡なんてつけてどうやって喋ればいいんだよ」
「それもそうだな」

 呪術師の男は布越しに手の中の轡を見て呟いた。

「そもそも何でそんなもの」
「いや、一応罪人共の共謀阻止のためだ。共謀したところでどうなるものでもないが念の為」
「じゃあ尚更私にはいらないじゃないか。それより殺す前に轡を引っぺがさなきゃなんないね。面倒なことを」

 何か金属の軋む音が広場側の扉から聞こえてくる。扉の端から光が漏れてくる。ゆっくりと地面を擦りながら扉が開く。一層の血の臭気と衝撃的な腐臭が広場から漏れ出てきた。

 死闘が始まった。

 スミは一息に小刀を抜き放ち、両手に刀と鞘を握りしめた。逸る気持ちで、隙間から外を覗く。
 多少の凹凸はあるが平らに均された黒土の円形舞台がそこにあった。あったのだろうけれど赤黒い屍の山が広場に起伏を作っていた。血が染込んだ土が斑を描き、干乾びた臓物には足跡がついている。岩爪草のように白いあばらが花開き、幾つかの虚ろな瞳が天高い空を見つめていた。肢体の損傷も腐敗の度合も様々な百を超える屍が、怨みと憎しみを抱えて呪術の新たな犠牲者を待っていた。
 圧するように照りつける太陽の下、七人とその影がが一斉に広場に躍り出た。いかにも厳つい面持ちのやくざ者風情もいれば、虫も殺せなさそうな痩せっぽちもいる。誰もが本差しを持っている事にスミは気付いていたが、疑問を抱くのは後回しにした。
 スミを含めて七人出てきた時点で一々顔を検めるまでもなく、まだ独房から出てきていないのがあの男だという事をスミは分かっていた。奴はそういう男だ。

 スミが刀を持つのはこれが初めてのことだった。それまでには木刀を一度持った事があるだけだ。ただ一度握った木刀で流派を背負う父を打ちのめしたその日を最後にスミは刀を振るうのを封じていた。

 無縁仏を踏みつけて、立ち居並ぶ男達をシカトして、誰も出てこなかった独房に飛び込む。併せて我が身に振り下ろされた刃をスミは鞘で払い、放たれた矢尻のように小刀の刃が空を撫でる。
 独房に隠れていた男の片手に生える五本の内、四本までが切り離される。声にならない怒りの声が轡の裏から滲み出て陽の届かない独房の冷たい壁に染み込んだ。
 男は倒れ、血の噴く右手を左手で抑える。スミは念のために広場を振りかえり、誰も背後を狙っていないことを確認すると、主に放り出された刀を拾い、主の肩に突き刺した。
 男は幾重に呻く。最早その呻きに感情は籠っておらず、より原始的な、声ではない音として、生を渇望する肉体の軋みとして漏れ出ていた。
 スミは男の胸を膝で押さえつけ、頭の上で小刀を振りかぶる。ふくら付く切っ先は真っ直ぐに下を向く。
 男は眼球が飛びださんばかりに見開き、涙し、言葉にならない言葉を轡の裏で繰り返していた。

 気ままな男だった。自信に満ちた厳格な父とも、自信を失った気弱な父とも違う、女の自分より弱くとも笑い飛ばせる、そこに惹かれてしまった。
 若い娘だったスミを今のスミは叱り飛ばしたい気持ちだ。憧れを抱くべき男ではなかった。駆け落ちをしなくともいつかは家と縁を切っただろうけれど、何もこの男と共に生きる事はなかった。今となってはそう思う。

 振り下ろされた刃は男の轡を切り裂き、舌に触れて止まった。スミは少し膝を緩め、男の肩を貫く大刀の柄を掴んだ。些細な刃の揺らめきが男を何度も嗚咽させる。

「私の子供をどうした……」

 男は嗚咽するばかりで意味ある言葉を話さない。それもスミが男の肩を抉るまでの話だが。

「売った。売ったんだ。相手は知らん。買うというから売った。金はもうない。やめてくれ。もうやめてくれ。痛い。痛い。痛い。助けてくれ」

 男の悲痛な叫びとスミの悲痛な問いが繰り返される。

「あんたの子供でもあったんだ」
「分かってる。すまなかった。分かってたけど、他に金を返す当てが無かったんだ。分かってたんだ。本当に本当に」

 再び小刀を強く握りしめる。

「今どこにいるのかは知らないんだね……」

 男は何も答えられなかった。スミが再び刃を振り上げても、スミが再び刃を振り下ろしても。
 男の真っ暗な口蓋からどろりと血が溢れ、生気が抜けていく。

「目的は果たしたようだな」

 どこからか声が聞こえてきた。深い深い地の底から反響を重ねて届いたような暗く重い声だ。
 しかしそこには、その独房にはスミしかいなかった。少なくとも生者は。
 格子扉の向こうは明かり取りからの光と影が揺らめいているだけだ。広場側の鉄の扉の方からは男達の叫びや呻きが遠く聞こえるだけだ。
 誰もスミには話しかけていないはずなのに、確かに声が聞こえた。

「誰かいるの……」
「貴様の右手に握られている者だ」

 慌ててスミは小刀を放り出した。格子扉に当たって鋭い音が鳴る。

「どうかしたのか……」

 呪術師がやってきた。格子扉の向こうからこちらを眺めおろしている。口ぶりから会ったことのある呪術師のようだが、どれなのかはスミには分からなかった。

「もう帰って良いかい……」
「悪いが、一度始めた死闘は終わらせてもらわないと困る」
「そう」

 スミはおずおずともう一度小刀を握る。声は聞こえてこなかった。

 スミが六人の男達を屠るのはそれまでの時間よりも早く済んだ。その後、半刻かけて七人の男の死体を広場の端に集め、半日かけて男か女か人間かもわからない死屍累々を同じく広場の端に集め、形ばかりの供養をした。

 スミが元の独房に戻ると外への格子扉は開いていた。そして呪術師の一人が待っている。

「ご協力ありがとうございます。どうです……。刀に何か変化はありましたか……」
「変化だって……」
「具体的にどうのという事ではありません。妖刀らしい何か、尋常の刀らしからぬ何か、です」
「そういえばさっき口を利いたね」

 呪術師は何か言いかけて押し黙った。

「何だい。尋ねといて疑ってんのかい……」と、スミは言った。

 小刀を呪術師に渡し、格子扉を潜る。

「いえ、しかし、私には聞こえません」
「そうかい。まあいいよ。私は私の目的を果たしたんだから。これからどう生きようかね」

 スミは左右に伸びる通路を見渡し、やって来た方である右へと進む。等間隔に並ぶ明かり取りからモズの鳴き声が聞こえてくる。

「スミさん。待ってください」

 スミははたと歩を止めて身半分振り返る。

「まだ用があるの……。ここの事を漏らさないって話なら弁えてるよ。話したって誰も信じやいないだろうけどね」
「いいえ、まだ取引を継続しませんか……」
「もう殺したい相手はいないよ……」
「探している人がいるでしょう」

 スミには思い当らなかった。およそ人の縁というものを切っていく人生を生きてきた。我が子を失ってからは誰かと関わる事を積極的に避けてきた。だから自分の元から去る者も存在しえない。
 スミが困ったような微笑みで首をかしげると呪術師は答える。

「あなたの子供の居場所だ」
「生きているの……」

 戸惑うスミの震える問いに呪術師は答えなかった。

「その答えも含めて取引って事ね」
「ええ」

 スミは歩を返し、脇差を受け取り、独房へと戻っていく。

「それでいつになれば教えてくれるの……」
「実験終了までです」

 スミが呆れた顔で振り返る。

「だからそれはいつ……」
「八つの刀の中に一振りでも妖刀が生まれた時です」
「喋るだけじゃ駄目なの……」
「私には聞こえませんでした。呪術師達が明らかに確認せねば実験を取りやめる事は出来ません」
「分かったよ。殺すより説得した方が良さそうだけどね。あんた。聞いてんだろ……。返事しとくれ」

 スミは小刀に向かって強く言ったが言葉は帰ってこなかった。

「別に喋る以外でも構いません。触れずに斬るとか、鬼に化けるとか」
「恐ろしい事だね。そんな事になるのかい」
「今のは思いつきで言っただけです。とにかく妖しい事が起こればいいのです。それではよろしく」
「そんな事が出来るようになるのやら」と、刀が言った。

 スミには確かに聞こえていたが、呪術師には聞こえていないようなので黙っていた。

 それから死闘の日々が続く。おおよそ週に一度、どこからか集められた八人がスミに殺される。皮を裂き、肉を斬り、臓腑を穿ち、骨を断ち、血を浴びる脇差は徐々に徐々に赤黒い色を帯びていった。その一尺五寸の刃に暗い執着と粘りつく憎悪が染込んでいた。
 途中からスミも気付いた事だがあまりに強い罪人は用意されないようだ。おそらくスミと、この脇差に賭けているのだろう、という事が実験全体の運用から察せられた。
 その間、時折刀はスミに語りかけた。
 スミに渡るはるか前から意識があった。おそらくはその前から人間で言う五感のようなものがあった。言葉を認識出来るようになったのはスミに渡る五代前辺りからで、口調はその影響を受けている。何度も何度も言葉を発したが、それを聞いたのはスミが初めてだった。
「あんたは随分お喋りだね。って話は何回目だかね」
 もうすぐ太陽が南中に至る。スミは土も気にせず地面にぺたりと座り、格子扉に背をもたれかけていた。
「ああ、他に出来る事もないからな。手足でも生えれば伊勢参りにでも行くのだが」
「さんざ殺した刀風情が今更信心もったところで地獄行きだね」
「俺はただの道具さ。殺したのは貴様だろう」
「ふん」

 広場側の扉からカラクリ仕掛けの軋みが聞こえてくる。スミは立ち上がり、刀を抜いた。より強烈な腐臭が独房に流れ込んでくるが、スミは最早慣れてしまっていた。
 体が通り抜けられるだけ開けば待ちに待った犬のように飛び出す。自分の独房の側に死体が積まれているので最早左隣の独房の扉が見えない。
 スミは円形の広場を右回りに走る。男達は悲鳴をあげる暇もなく喉笛を掻き切られた。振り返る事なく浴びる血も気にせずスミは走り抜ける。四人目に斬りかかった時、初めて受け止められるが、柄で頬を打ちつけ、体勢を崩した男の心臓に刃を突き立てる。引き抜く際に周囲を見渡すと、残りの三人はまだ呆けていた。最も近い男に目がけて迫り、滅茶苦茶に振られた刀を避けて喉を裂く。刀を構える一方の男を捨て置いて、他方の戸惑っている男に走り寄り、これを難なく切り捨てる。
 最後の男の元へ走ろうという時、刀が右手の中にない事に気付いた。血で滑って落としたのかと、慌てて振り返ると、そこに童子がいた。

「今のが千人目だった。だからなのかは自分でも分からないが」と、童子が言った。

 スミは呆気にとられ、反応が鈍った。最後の男の接近に気付いた時には既に刀が振り下ろされ、咄嗟に構えた左手が斬り落とされた。
 しかし次の瞬間、男の左手もまた見えない何かに切り落とされた。一瞬何が起こったのか分からなかったようで沈黙の後に叫び声を上げた。童子がスミの隣に立つ。

「これであんたも立派な妖刀ってわけだね」と、スミは言った。
「そう言う事だ。見ろ」

 童子の指さす最後の男はまだ立っていたが、立ちながら見えない刀になます切りにされ、次々と肢体が切り離された。

「恐ろしいもんだね」
「なに、まだ一人目だ。千人を斬った貴様には遠く及ばんよ」
「いいや、そうじゃない」

 スミは自分の独房へと戻る。格子扉の外には三人の呪術師が待ち構えていた。
 いつの間にかスミの左手の中には鞘に収まった刀が戻っていた。スミは鞘の先を呪術師達に向ける。

「ま、待て。我が子の居場所を知りたくないのか……」
「教えてくれなくとも知ってるよ。もう二度とこの子を手放す事はない」

 呪術師達は何も答えず黙っている。

「あんた達の大将に伝えな。何をどうしたか知らないけど我が子をこんな姿にされた怨みは深いよ」
 三人のうち、二人までが血を噴き出して斃れると、残りの一人は悲鳴を漏らして慌てふためき去っていった。




 以上で応用蠱毒実験の主目的自体は成功裡に終わる。ただし対象の妖は精神に異常をきたし、刀を我が子と思いこんだ様子で逃走した。目下捜索中。

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