レディ・ヴィランの微笑み

ノベルバユーザー91028

狂気の光

この身体に、価値なんかない。
この生涯に、意味なんてない。
どれほど粗雑に扱おうとも、誰にも非難などさせはしない。
わたしは、わたしを大切になどしてやらない。やるものか。
–––––生きている限り永遠に、幸せになどなれはしないのならば。




夜は更けていく。世界を隔てたこちら側にも月は変わらずに昇る。地上を淡く照らす冷たい輝きが、神経を麻痺させていく。狂気の光とはよく言ったものだ。……ああ確かに、見ているだけで心がざわめき出す。
深い、暗い、夜空。
それとは対照的な、眩い月の色。
いつだって、遠い。
「ねぇ、狼男の伝説って知ってる? 満月の光を浴びると獣の姿になって人を襲うんだってさ」
「……レオンハルト様は民間の伝承にもお詳しいのですね。博識で素晴らしいですわ」
これから事に臨もうという時になんとくだらない台詞を宣うのか、とジュリアは内心で吐き捨てた。こっちはさっさと終わらせて帰りたいのに、まるで二人きりの会話を楽しむ素振りを見せる青年に彼女は苛立ち始める。
「早く始めましょう、それともわたしのことがお嫌いになりましたか?」
「せっかちだねぇ、ほらさっきも言ったじゃん。気楽に行こうよってさ」
にたりと笑う魔術師が、急に理解不能の生き物に思えた。まだ上着を着たままのジュリアは無意識に一歩後退する。
「……ねぇ。ここには確かあの女の子と二人だけで来たって従者からは訊いてるんだけどさあ。……なんで、もう一人の気配を感じるのかなあ」
–––––バレた。
もう一歩、ジュリアは後ずさる。いつでもこの部屋から出られるように。
「間者とか護衛の類ではなさそうだね。どっちかというと俺の同業者っぽい雰囲気がするよ。……もしかして、魔術師かな?」
「よく……お気付きになりましたわね。いつからわかってましたの?」
濃い赤茶色の髪をわさりとかき上げ、レオンハルトはうっすらと口角を吊り上げた。
「んー……、君があの子を迎えにもう一度俺のラボへ来た時かな。あの時、微かにだけど魔法薬の匂いがしたんだよ。それも、俺の研究室に置いてない種類のものがね」
–––––君の傍に居る者。あれはなんだ。
青年の瞳が真っ直ぐにジュリアを見据え、問い質す。嘘を許さないと告げている。
「……わたし、魔術に関しては全くの素人だから、そこまで気が回らなかったというのが敗因なのかな。ふふ、仕方ない、教えますわ」
ピュウイ、と口笛を吹いてジュリアは「そいつ」を呼び出す。
「紹介しますわ、我がオーウェル家と代々盟友にある『風の民』に属する方です。残念ながら名前はわたしも知りませんの。わたしは勝手に『風人かざびと』と呼んでますけれどね」
「『風の民』か……聞いたことはあるよ。凄い魔術の使い手が集まる精鋭の集団なんだってね。一度はお目にかかりたいと思ってたんだ。会えて光栄だよ」
よろしく、とレオンハルトは風人に向かって手を差し出す。風人は困ったように首を傾げ、チラリとジュリアに視線を寄越した。
「いいわ、握手してあげて。彼はわたし達の敵対とはまだ決まってないから」
「ひどいなぁ、ジュリアちゃんは俺と敵対するつもりだったのぉ?」
クスクスと苦笑を滲ませるレオンハルトに彼女はまさか、と笑い飛ばす。
「いえいえ、我が家は貴族としては新米もいいところですしマクバーレン家に比べれば弱小ですから、敵対なんてとんでもない。ただ、可能性というのは無視出来ませんでしょう?」
「あははは! バカ王子も案外隅に置けないというか、一体どこでこんな面白い子と知り合ったんだか! ウチに堂々と喧嘩売るような真似してきたのは君が初めてだよ。……楽しくなってきた、ワクワクするなぁ」
ヘラヘラした笑い顔から一転、急に笑みを深めて凄む男に令嬢はビクリと肩を震わせる。けれども声音にまでは動揺を表さない。
「お褒めに与り光栄ですわ、レオンハルト様。けれど早く始めませんこと? ……わたしもう、我慢できませんの」
睦言にこんな会話、相応しくはないでしょう。–––––と、ジュリアは言外に告げる。
「……は、何、言ってるの? 俺がね、興味を持ってるのは最初からあの子だけだよ。君はただの付き添いでしょ? 分かったらさっさと出ていってくれない、邪魔だから」
無邪気な子どものように、レオンハルトはひどく優しげに言葉を紡いだ。
「あぁ、それと。オーウェル家が昔っから風の民を駆け引きに使ったり武力の一部としていること自体はとっくに知ってる。安心しなよ、王家には黙っといてあげるから。……その代わり、あの子俺にちょうだい」
交渉している、つもりなのだろうか。この男は。先ほどの苛立ちなど比にもならない、凍えるような憤怒が彼女の心を覆い尽くした。こいつは柚葉も自分も一切尊重していない。全てが玩具扱いなのだ。或いは実験動物と同じにしか見ていない。–––––これが、魔術師の本質だというのか。だとすれば、あちらの世界の科学者と何の変わりもないではないか。いつだって興味や知的好奇心を喚起させる対象であるかそうでないかで物事を判断する、その冷酷さにジュリアは唇を噛む。
「柚葉さんの名前も呼ばないくせに、興味があるですって? ふざけるのも大概になさい、若造が……っ!」
「若造? 言ってくれるね、アンタだってこの間成人したばかりじゃん。俺と大して変わんないくせに」
「はっ、わたしは確かにこちらの世界じゃガキかもしれないけれど。『あちら』の分を含めれば、お前より何倍も年上なのよ。……そんなことより、さっきの発言を撤回なさい。あなたに柚葉さんはあげないわ」
「……あんた。一生消えない傷を付けてやるよ。いいから、黙って柚葉あのこを寄越せ」
それまでずっと彼の顔に浮かんでいた微笑がふっと消えた。色気のある眼がすうっと細まり、ジュリアを射殺んばかりに睨めつける。
「やれるものなら、わたしを傷つけてみなさい。でもね、そう簡単に折れてなんかやらないわ。あなたの喉笛を食いちぎってあげる」
人をヒトと見なさない輩に、彼女を差し出すなどできない。例え少女に対する情など欠片さえなくても。あの娘に僅かでも期待をしている間は、せめて守ってみせる。
家のために、自分のために。–––––「彼女」のために、ジュリアは今、形を変えた戦場に立つ。喪うものがあるとしても、怖くなかった。今なら、なんだってやれる気がしていた。
「黙れ……、黙れ! たかが貴族の小娘に、俺を罵る権利があると思うのか! 俺はマクバーレン家の次期当主だ、筆頭宮廷魔術師なんだぞ! お前などに……嘲られる筋合いなどない……!」
「勘違いしないでよ。わたしはアンタなんかどうだっていいの。わたしはね、わたしのやりたいようにするだけ。……それだけよ」
そして、ジュリアはこの場におけるただ一つの駒を呼ぶ。
「風人よ、わたしに力を貸してちょうだい。……あの男に裁きを」
「はっ。了解しました」
短い言葉で了承し、類希なる魔術の才を持つ彼は即座に呪文の詠唱に入る。
「待て、やめろ、その魔法は……っ」
怯えを露にするレオンハルトへ、ジュリアは冷たい眼差しを向けた。
「……安心なさい。あなたは貴重な人材らしいから、せめて魔術の実力は奪わないでおいてあげる。でも、二度とその力を思うがままに操れるとは思わないことね!」
呪文の詠唱が完了し、レオンハルトを中心に魔法陣が展開する。月光と同じ冴え冴えとした光が陣より溢れ、決して狭くはない彼の部屋を眩く染め上げる。
–––––そして、空気そのものを震わせるかの如き轟音が夜気を切り裂いた。
「これであなたは終わりよ、レオンハルト=マクバーレン様……」
この先、レオンハルトは二度と魔術を自由に操れない。例えば非人道的な実験を行う時、魔術を悪事に用いようとした場合、必ず激痛が彼を襲うだろう。発作が男を苦しめる。さながら「呪詛」のように。その身を苛み続ける。そういう「魔術」を風人が掛けた。


床面にくずおれ、細身の身体をビクビクと跳ねさせ痛みにのたうち回るレオンハルトを見下ろして、悪役令嬢は薄く笑う。
「……一生、そうしていなさい。あなたは永遠に苦しむのよ……わたしの分まで、ね」
これは禁術に当たる魔法だ。本来使うことは許されない。わかっていて彼女は風人に行使させた。けれども『風の民』が公式には存在していないことになっているため、誰も彼を–––––命じたジュリアを裁けない。
何より、この国の法律は、魔術師以外が魔術を行使することを想定した法整備を行っていないのだから。



「柚葉さん……大丈夫。わたしがあなたを守るから……だから、どうか期待をさせて。あなたがわたしの救いの神となってくれるって」

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