レディ・ヴィランの微笑み

ノベルバユーザー91028

魔法使いと夜

シュバルツベルン王国は、魔術によって栄えた国だ。故に魔術師やそれに類する者達の立場というのは高く、時には貴族にさえ並ぶ。その中でも圧倒的な実力と地位を有するのが筆頭宮廷魔術師を代々歴任する名家中の名家である「マクバーレン」家。歴代でも優秀な人材であるレオンハルト様の生家である。
–––––この日、わたしはそんなマクバーレン家へと招かれた。ただし、柚葉も共に。



「この度はお招きに預かり大変恐悦に存じます、レオンハルト様。……ほら、柚葉さんも挨拶なさって」
「う、あ、お招きいただきありがとうございます、レオンハルト……様?」
ぽかんと棒立ちになっている隣の少女の頭を下げさせると、彼女は慌ててぺこりと一礼した。
「あはは、別に畏まらなくていいよぉ。偉いのは父上で俺は跡取りってだけだしぃ」
気さくに笑うこの青年が宮廷でも決して侮ってはいけない権力の持ち主と知っているわたしとしては、そんな風にはどうしても思えない。ただでさえ彼はルカ王子と懇意の仲なのだ、機嫌を損ねれば我がオーウェル家などあっという間に取り潰されてしまう。
「本日は柚葉さんの身体検査をしてくださるとかで。ありがとうございます、わたし共は魔術に関しては全くの素人でございますから」
「ジュリアちゃんって案外マジメなんだねぇ!あの馬鹿王子と違ってちゃんとお仕事するし、俺みたいなのにもきちんと気ぃ遣ってさぁ。もっとほら、気楽に気楽にぃ」
「……わたしはまだ爵位を継がぬ令嬢こどもに過ぎませんから。そんなわけにも参りません。あの、何かお手伝いできることはありますでしょうか?」
魔術検査には長い時間がかかると聞いている。その間何もしないわけにもいかない。いくら招かれた客とはいえど、人様の家でただ寛ぐというのは憚られる。
「やだなぁ、お客さんなんだしのんびりしていってよぉ。でもジュリアちゃんは優秀な人らしいし、よかったらウチの研究室を見学でもしてく? ほら、色々気になることあるでしょー?」
「……えぇ。お気遣い痛みいりますわ」
後々に与えられるポストによっては、魔術師連中と一緒に仕事をすることもあるかもしれない。ただでさえ我が家の領地は広いのだ、多少の魔術の心得くらいはあったとしても損にはならないだろう。……いいや、きっと役に立つ機会は巡ってくる。この不安定な世界はいつ動乱の時代を迎えるか分からないのだから。


そんなわけで、わたし達はレオンハルト様のラボに出入りすることを許可された。
王都でも特に広い敷地を与えられたマクバーレン家は大小様々な研究室がいくつも存在し、各研究室はレオンハルト様やその他マクバーレン家の人々が用途に合わせて使っているらしい。宮廷魔術師が日頃詰めている研究所もたいそう広かったが、こちらも負けてはいない。
マクバーレン家はわたし達貴族のように爵位を持っているはいないが、その分かなり金銭面において優遇されている。だからこそ研究予算を気にせず好きなだけ魔術の研究に取り組めるのだそうだ。
もちろん、タダでというわけにもいかず研究で得た成果は全て国に捧げることになる。そして王国の更なる発展に活かされるという仕組みだ。いち早く魔術の持つ利点メリットに気づきそれを幅広い分野で活用することで栄えてきたこの国らしい制度といえよう。
「うわー……、広いですねぇ……。ここがレオンハルト様の研究室ですか?」
敷地いっぱいに無機質な白亜の建物が並び、その中で最も大きく立派なものがレオンハルト様の所有するラボだ。油圧式の自動扉に白熱灯、その他何に使うんだか分からないマニピュレーターらしきものやビーカーにフラスコといったおなじみの実験道具などが所狭しと置かれ、広いのにごちゃごちゃで雑然とした印象を抱かせる。
「うんっ、すごいでしょー? 仕事であっちにいる時以外はずっとここに詰めてる。やっぱりさ、ここで実験とかしてる方が好きなんだよねぇ、落ち着くっていうかさぁ」
国内きってのエリート魔術師のくせにどっかの引きこもりみたいなことを言う青年は、若干薄汚れた白衣をひらめかせつつ歩いていく。向かう先には実験道具などが山積みになった作業台だ。
「えぇっとぉ……確かここに試薬を置いてたはずなんだけどなぁ、おっかしいねー見つからないなぁ、やっぱり定期的に片付けないとまずいかもっ」
ガチャガチャと音を立てながらメスシリンダーや試験管をなぎ倒しつつ彼は薬剤の入った入れ物を探している。
「手伝いましょうか?」
「いやー、女の子に薬品触らせるのもマズイし大丈夫だよ、せっかく綺麗な手なのに火傷したくないっしょ?」
「いえ、それこそ治癒魔法ですぐ治りますから平気ですよ、それに柚葉さんにあんまり負担をかけさせたくはないですから」
魔術を用いた検査を行うと身体に結構な負荷がかかる。ただの健康診断ではなく、魔術的な障りがないかなど隅々まで調べるからだ。現代医学における精密検査のようなものだ。ああいうのは大抵一日がかりで入院が必要な場合がある。それに近い。だからこちらに着いてからは少しでも負担を減らすために柚葉をわざと睡眠状態にさせている。
「……それもそうだね。ぱぱっと済ませちゃわないとだし」
手のひらサイズでオレンジ色の液体が入った小瓶を探してくれないかな、と言われ手がかりをもとに薬品棚を漁る。こうした魔法薬には滅多に触れられないので少し心が踊った。
魔術は魔術師の専売特許なので、法律で貴族は一切魔術に関わること・魔術を扱うことを禁じられている。本当はこうして魔術師の家を訪れるのだってあまり良くないのだ。魔術師と貴族が結びつくと大抵魔術が悪用されたり禁術が行使されるケースがあとを絶たないためである。……何故かはなんとなく予想できそうなものだろう。
「見つかったー?」
「え、あぁはい! これで合ってますか?」
薬品棚の一番上にあった小瓶を渡すとレオンハルト様は軽く頷き、にこりと笑う。
「うん、これだよ! ありがとねー、お客さんなのに手伝わせちゃってごめん」
「いえ、わたしから言い出したことですから」
「いやいや、本当は貴族が俺達と関わるのってあんまり良いことじゃないんでしょ? だからねー、申し訳ないなぁって。あ、しばらく外に出てくれる? ……魔獣の召喚なんかもするから、関係者に見られると少ーしやばいんだぁ」
魔獣の召喚なんて行うのか。ちょっと……いやかなり気になるけれども覗くのはさすがにマナー違反だ。大人しくわたしはラボから出て用意された客間に向かう。入った時と同じく自動扉を抜け、林立する研究棟をいくつか通り過ぎ、一番初めに案内された屋敷へと戻る。あとはマクバーレン家の従僕フットマンが客間まで付いていってくれた。
用意された部屋はいかにも魔術師の家らしく質素で飾り気というものがなかった。置かれた調度品は全て既製品で安っぽく、花の一つも生けられていない。庶民の家と言われても納得しただろう。
だが生活するには申し分ない。そもそも貴族が贅沢をしすぎなのだから。こちらが軽く見られているということに多少腹立ちはしたものの取り立てて文句はなかった。どうせ明日には別邸に帰るのだし。
とはいえちょっと暇である。中途半端に時間が出来てしまった。本当はあちらで色々見学させてもらう予定だったのに。
どうにかして、マクバーレン家をオーウェル家と繋ぐことができればいいけれど。この家と「仲良く」なれれば、この先伯爵家が王城で実権を握る時にかなりの助けとなるはずだ。魔術には、それだけの「力」がある。わたし達貴族は、それをよく知っている。
なんとか柚葉をダシにして上手く繋がりが作れたらいいが。
……それに、わたし自身レオンハルト様が「攻略」できればな、という思いもある。このまま柚葉が自分が「ヒロイン」だと自覚せずにいれば、わたしが彼女に代わり王子やレオンハルト、その他攻略対象をものに出来るかもしれない。別に逆ハーレム状態を狙っているつもりはないが、どうせ乙女ゲームの世界に転生したなら少しは恋愛を楽しみたいという気持ちはある。もちろん、真っ先に優先すべきなのは伯爵令嬢としての役目を全うすることだけれども。
「……お嬢様、そろそろレオンハルト様の施術が終わる頃合いかと」
フワリと音も立てずに一人の青年が降り立ちわたしに耳打ちした。
黒のフードコートに靴底に綿を貼ったゴム製のブーツ、背嚢を背負った男は「風人かざひと」とわたしが呼んでいる者だ。
「……あら、そんなに時間が経っていたの?」
「はい、そろそろ二時間が経ちます。予定通りならばもう終わる頃かと思われます」
「じゃあ、迎えに行かなくちゃね。あなたも決して『彼ら』に見つからないように。くれぐれも気をつけてね」
「はっ! 了解であります」
そこで会話を打ち切り、元来た経路を辿る。
ラボの中央にはぐったりと意識のない柚葉が寝かされていた。人間ドックと違って一日がかりではなくともやはり疲れただろう。しかも今回だけでなくこの検査は定期的に行わなければいけないものだ。さすがに少し同情した。
「いやー、つっかれたぁ……。あ、ジュリアちゃん迎えに来てくれたんだぁ。大丈夫だよー、検査の結果は異常なし! どっからどー見てもフツーの女の子だよ、この子は」
「ありがとうございます、それを聞いて安心いたしましたわ。それですと彼女は晴れて王家預かりということになりますかしら」
異世界の人間を召喚する実験は宮廷魔術師の独断で実行されたのではなく、もちろん王家の命令によるものだ。来たるべき戦の時代に対する備えの一つとして兵力増強のために柚葉は世界を隔てたこちらへ連れて来られた。もちろん年端もいかぬ小娘に銃を持たせたところで大した戦果は望めない。だからこれからも召喚実験は何度も繰り返されるだろう。ただし今回の実験の成果として彼女は王家に召し抱えられることとなるはずだ。貴重な実験サンプルとして、だが。
「そうだねぇ、この子には何の価値もないけどやっぱり実験の成果として王家の所有物にはなるんだし。でもまだしばらくはオーウェル家に預けとくよ。その方がこの子にとってもいいでしょ?」
王家預かりとなれば行く先は魔術研究所だろう。そして扱いは実験動物と同じだ。それよりは確かにまともな生活ができる我が家の方が彼女にとってはいいだろう。少なくとも人間としての尊厳は保てる。
「……レオンハルト様の言う通りですわ、研究所送りになれば彼女はもう生涯檻の中ですものね。なるべく我が家で過ごせるよう、こちらといたしましても尽力させていただきますわ」
戸籍もなく、この世界の住人ではない以上柚葉は研究所に入った瞬間もう二度と「ヒト」とは思われない。一生檻の中で過ごすか、或いは戦場へ連れて行かれて兵士の慰みとなるかの二つに一つだ。
……現に、フェミニストであるレオンハルト様はまだ彼女の名前を一度も口にしていない。わたしに彼女の処遇を決めさせてくれるあたり、一応人間とは認めているのかもしれない。それでもあくまでサンプルでしかないのだろう、彼の中では。


宮原柚葉に対する情などわたしにはない。だってわたしは彼女の敵で、いつかわたし達は敵対関係になるのだ。シナリオの上では。
……でも。同じ女性で、同じ国を故郷とする彼女は、もしかしたらこの世界で唯一の理解者になりうるかもしれないと思った。
そんなわけないと否定するのは容易い。だからこそ期待する気持ちが消せないまま残っている。もしかしたら、もしかしたら。彼女に出会ったあの日からそんなことばかりをずっと考えている。
たぶん、わたしはあの子が好きになりたいのだろう。好きなままで、いたいのだろう。
願わくは。「ハッピーエンド」であって欲しいと祈っている。




陽が沈み、夜が深くなる。よほど身体の負担が大きかったのか、柚葉はまだ目覚めないまま与えられた部屋で休んでいる。
–––––そして、わたしはレオンハルト様の「自室」に居た。
湯浴みを終えたばかりなのか、彼の長髪は濡れたままでベッド脇に置かれたランプの光を弾いている。
甘い顔立ちを彩る切れ長の瞳がうっすらと笑みを佩く。ああ、なんとそ微笑の妖艶なことか!男性のものにしては華奢でほっそりした腕が躊躇いもなく伸ばされた。
「–––––さぁ。……おいで、ジュリア」
家のためだ。そして、わたしのために。


わたしは彼の手を取る。

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