レディ・ヴィランの微笑み

ノベルバユーザー91028

王子様と悪役令嬢

ぶっちゃけてしまうと、わたしはいわゆる「腐女子」であった。
腐女子というのは、男同士の恋愛が好きという特異な嗜好を持つ女性のこと。現実世界ではそう珍しくもない存在だが、常人にはなかなか理解はされにくい人々だった。
とはいえ、わたしはそれほどBL好きというわけではない。ただ、抵抗感がないというだけで普通に男女の恋愛物語の方が好きだ。
だから–––––、正直この状況は非常に気まずいものだった。




「こ、ここっ……国王陛下ぁ!? な、何故貴方が王子殿下の私室に、ぜ、全裸で……っ」


王子殿下の私室には通常警備のための騎士が必ず控え王子の身辺を護っている。
ところが、ジュリアが王子の部屋まで訪れた時周りには人払いがなされており、辺りは異様なまでに静かだった。不審に思いつつも極力音を立てずにドアノブを捻ると、これまたおかしい。鍵が掛かっていない。
–––––なんだか、酷く厭な予感を覚えた。
ほんの興味本位で殿下の私室を訪ねたのも、実際には護衛の騎士にすぐ追い払われると分かっていたから、こんな安直な行動ができたのに。これでは、まさに王子に危害を加えようとしている人間の図だ。
(まずいわ、妙な疑いを持たれる前に撤退しないと。……でも、正直中で何が起きてるのかすっごい気になる!)
ここまで徹底的に人払いを行うということは何か密談でもしているのだろうか。或いは何か企て事でもしているのか。
怜悧な頭脳で瞬時に計算を行い、彼女は此処に長居するのは極めて危険と弾き出す。しかし先ほどから漏れ聞こえる呻き声のようなものが彼女の心を掻き乱した。
(できればさっさとお暇するのがベストなんだろうけど……。どうせ周りに誰もいないんだし、ちょこっと覗いてみようかな。咎める人なんていないんだもの、平気よ)
今、このフロアにいるのはジュリアただ一人。それが彼女の行動を後押しした。
(よしっ、入っちゃえ!)
捻ったままのドアノブに力を込め、勢いよく開け放つ。–––––そして、見てはいけないものが彼女の瞳に飛び込んだ。


天蓋付きの大きなベッドの置かれた部屋は調度品がほとんどなく殺風景。豪華ではあるものの無味乾燥としており生活感が全く見受けられない。
寝台の脇にある小さな照明が灯っているものの、全体的に薄暗かった。その仄かな明かりに照らされる二つの影。
一つはベッドに横たわり組み敷かれ、もう一つは相手を強引に押さえ付け大きな手でその両腕を戒めている。
前者は恐れと怯えの混じった瞳で相手を睨みつけ、後者は欲望を剥き出しにして不埒な手を相手へと伸ばしている。
–––––どう見ても、合意ではない。
それだけで、彼女が動くには充分すぎた。


「何を……っ、しているんですか、この、外道が……っ!」
血を吐くような叫びを伴い、ジュリアは助走をつけて「彼」に飛び膝蹴りを叩き込む。
「ぐあっ、ぎゃあああ!?」
横っ腹に思いっきり硬いつま先が食い込み、相手は悶絶しながらベッドから転がり落ちた。もちろん、彼を介抱してやるジュリアではない。ついでとばかりに股間を踏みつけ、ベッド上で呆然としたままの青年に寄り添う。
「殿下、大丈夫ですか!? どこか、痛いところは……、」
「え? あ……。ジュリア嬢……?」
ぽかんとヘイゼルの目を見開いたままの王子にジュリアはにっこりと何の含みもない笑顔を向けた。
「ご安心ください、殿下を辱めようとした暴漢はこの私が成敗致しました。さぁ、今夜はもうおやすみくださいませ」
「え、いやでも、その……父上はどうするつもりで……?」
「は? 父上……? ってことは、まさかっ!」
ばっと背後を振り返り、さっき蹴り飛ばした男へ目をやり、彼女は思わず叫んだ。
–––––そして、上記の台詞に戻る。


「まさか、陛下が両刀とは思いもしませんでしたわ。けれどだからって、実の息子に手を出すなんて……、一体、何を考えているのですか!」
やり切れないまま、彼女は自分よりもうんと年上の男性を問い詰めた。このままでは、望まぬ行為をさせられそうになった王子があまりにも悲惨すぎる。
いくら至高の地位を持つ者といえど、やっていいことと悪いことがある。義憤のみが今の彼女を突き動かす原動力だった。
「ふん、私が自分の息子をどのように扱ったとして、それがお主らに何の影響がある?そもそもこれは王家の問題である。たかが伯爵令嬢に、口を出す資格などなかろう」
「いいえ、王家の問題ではございませんわ。これは、人間としての問題です。……陛下」
身分で全てが決まる世界で、頂点に君臨する者がモラルを無くしてしまえばそれは、社会そのものの終焉を意味する。人間には決して侵してはならない領分が確かに存在し、この男はそれを破った。
ゆえに、ただ一人それを目撃した自分だけが今、彼を裁けるのだ。
「貴方は、かの人の尊厳を踏みにじったのです。その罪は重い。謝ってどうにかなる問題ではございません。……さぁ、法の下にて裁きをお受けください、陛下!」
「法? ……くはは、何を言っている。この国にて、法とは私のことだ!」
言外に自分を裁ける者などいないと言い張る国王に、ジュリアはほんの僅かな時間、暝目した。
「……いいでしょう。この手はあまり使いたくなかったけれど、どうやら使わざるを得ないようですから。……風人かざびとよ、仕事です。おいでなさい」
ふわり、と黒ずくめの者が音もなく降り立った。真っ黒いコートを着込んでいるため性別さえもわからない。
ジュリアは普段よりも低い声音で命を下す。
「次期オーウェル家当主伯爵令嬢ジュリアの名において命令します。……国王ジェラルドに裁きを。彼奴の人格を改変してしまいなさい」
厳かな響きの声が奏でられた瞬間。
黒ずくめの者は口元に微かな笑みを乗せると、早口で魔法の呪文を唱え終え、魔法陣の彫られた掌を国王に向けてかざした。
カッ、と眩い閃光が迸り、暗い部屋を刹那照らし出した。やがて光が収まると、国王はそれまでの傲慢な態度などなかったように穏やかな表情を浮かべ、フラフラと覚束ない足取りで部屋から出ていく。翌朝には今夜の記憶などすっかり抜け、いつものように公務を行うはずだ。
「……相変わらず見事な腕前ね。さすが、風人だわ。今日はありがとう。お父様にはどうか内緒でね」
風人と呼ばれた黒ずくめは軽く手を振ると先ほどと同じく無音で立ち消えた。
「全く、少しは衣替えでもすればいいのに。見ていて暑苦しいったらないわ……っと、殿下、具合はどうですか?」
そこらに脱ぎ捨ててあった王子のものと思われる衣服を彼に着せようと、それを手にしたジュリアが近寄ると、彼はビクッと起こしていた上体を震わせた。
「あ、いや……その、助けてくれてありがとう。本当に、嬉しい。……もうダメかと思ってたんだ」
背の中ほどまで伸ばされた金の髪が動きに合わせてさらさらと揺れる。橙色の照明が優しく灯る中、ヘイゼルの瞳が潤んで小さく輝いていた。
その姿の、なんと儚げで美しいことか。思わず庇護欲に駆られ、ジュリアは熱っぽく囁いた。
「あぁ、殿下! 私、命に代えても貴方様をお守りさせていただきますっ! けれどどうか本日はおやすみくださいませ。……さぞ、お疲れでしょう」
「うん、ありがとう。……ジュリア嬢、今日は本当に助かった。……伯爵位からの昇格を考えておくよ」
「……! も、勿体なき、お言葉……! いいえ私は当然の行いをしたまででございますから! 王子殿下、ではおやすみなさいませ」
長居するのはどうかと思い去ろうとする彼女に、王子は静かな声で告げた。
「きみの秘密の従者。あれは良い腕をしている。どうか、大切にね」
その言葉に、彼女は満面の笑みで応えた。
「はい、私の……自慢の従者ですから」




翌日のことである。
早馬を飛ばして大急ぎで領地にある屋敷へと帰りついた彼女の元に密書が届けられた。王家の紋章が刻まれた封蝋がしてあり、ジュリアはすぐに王子直筆の手紙と悟る。



–––––親愛なるジュリア嬢へ。
そなたさえ良ければ、私はきみと友人になりたく思う。どうか、また王城へいらしてくれないだろうか。また、共にお茶をしよう。
–––––ルカ=セレスティアル=フォンテーヌ


「……全く、あの王子様ってば。本当、カッコつけなんだから」
彼本人にとっては、あまり良い思い出にはならないだろう。それでもこうして繋がりができた。それは、彼女にとって何より喜ばしいことだった。……打算を抜きにして。
微かに震える声で彼女は呟いた。
「仕方ないなあ。こんなに熱いラブコールを貰ったんじゃ、断れるはず、ないじゃない」

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品