腹ぺこ令嬢の優雅な一日

ノベルバユーザー172401

3夫人、お昼を楽しみにする



娘が出ていったあとで、ベアトリスは無邪気な笑みを消して、とうとう床にへたり込んだ侍女を冷徹に見つめていた。
美しいからこそ、恐ろしい。恐怖に慄きながら見上げた女は、美しい夫人の指が砂糖に伸びるのを見るよりほか、ない。
ベアトリスは一粒砂糖をつまんで、自分の前に置かれたティーカップの中に落とす。冷めきった紅茶の中で、砂糖は溶けずに沈んでいった。


「ねえ…わたくしの娘に、何を食べさせたのかしら?――といっても、わたくしの可愛い子がこんな三流品でどうにかなるとでも、思ったの?確かに、国王や宰相たちだったらイチコロだったでしょうけど。――お前は隣国の、どこの貴族に雇われたのかしら。それとも、貴族のご令嬢?」

うふふ、と笑うその声はどこまでも妖艶。だからこそ、背筋が凍るように、恐ろしかった。
ベアトリスの言葉は、女の回答など期待していない。
侍女――隣国の女は目に涙を浮かべながら必死で謝罪と言い訳を繰り返し青い顔でわめく。麗しい笑みを浮かべながら見ていたベアトリスにとって、女の事情も何もどうだっていいことである。

「それにしても、運が悪かったわねえ?お前の様子を見る限り、あの砂糖に何かあったわけだけど。わたくしが飲んでいれば、何かしら起こったわ。――でもねえ、アナスタシアには、効かないのだもの」
「そ…んな、わけが…!だってあれは、あれだけ食べて死なないはずが…っ」
「あら、お前って子は恐ろしい子ね?わたくしの娘に、死ぬような毒を食べさせたなんて。
さあ、跡形もなく片付けてしまわなくては。ああ、でもその前に。…ひとつ教えてあげましょうね」

傍に控えていた侍女に砂糖の入った瓶を渡すと、ベアトリスは席を立って、女を覗き込むように見下ろした。
蠱惑的に笑う顔は、凄絶な美しさと共に女を圧倒する。ひい、と喉の奥から悲鳴を上げた女を笑いながら、ベアトリスは茶目っ気たっぷりに人差し指を突き付ける。

「この世には、たくさんの不思議があるのよ。――たとえば、何もかも食べてしまえる娘。毒を食べても平気なのは、どうしてかしら?娘はなんだって食べてしまえるのよ、そう、食べられると思ったものはなんだって。
そして何もかも食い散らかしてしまう忠犬。アレは優秀よ、すべてを闇に葬り去ってしまうの。王宮騎士の中に化け物がいたことをご存じかしら。国一つ消し去った化け物、真実は闇の中だけれど…、忠犬は主に忠実に職務を全うする。敵とみなしたものは、須らく消し去ってしまう。
…それと、わたくしは初代の王の3人目の側妃だったのだけれど…まあ、そんなことはお前には関係のないこと」
「……っ、あ、そんなことあるわけがない!側妃が生きているはずが!今の王は6代目でしょう…っ、ルノエールの化け物だって、100年も前の話のはず…!」
「あらまあ、この国の事、よくご存じね」
「…っ、やっぱり、ばけもの…っ」
「うふふ、一応長く生きているだけでわたくしたちは一応人間よ?死ななかっただけで、死ぬこともあるの。
まあ、確かにわたくしは化け物かもしれないけど。…どんな事情があれど、手を出した方が悪いの。今回手を出したのは、お前。お前はわたくしの宝物に手を出したのだから、相応しい罰を受けなければならないの。可哀想に、ヴェルトレールに入り込んだ害虫たちは、もう2度と光を目にできない。まだ若いのに、もう、陽の目を見れないなんて」

喘ぐように震える女が叫ぶ。その言葉にくすくすと笑って、ベアトリスは腹心の侍女たちに目を向けた。
――さあ、よろしくね。
その言葉と共に、ベアトリスの侍女たちがするすると女に近寄った。
言葉もなく、生気もない。まるで死んでいるかのような侍女たちが女を捉えると、甲高い悲鳴を上げ、女は侍女たちに囲まれたまま意識を飛ばしたようだった。

ここに入り、この家の人間に手を出したのならば、絶対に光の外へは出られない。
この家は王から信頼を受けているのだ。だからこそその崩壊を狙われ、完璧に撃退する。――そして、それを恐れられても、いる。

ベアトリスは腹心の、それこそ生まれた時から一緒にいる侍女たちに後を任せて部屋を出る。大広間を通り抜け、するすると階段を上り、伯爵の自室へと向かう。
伯爵が仕事をしている部屋とは別の、書斎に近づいてドアを開けた。
部屋の中には美丈夫が一人。入ってきた妻を見て伯爵は首を傾げた。
巻紙と本とが積み上げられている部屋の中はごちゃごちゃとしている。パタン、と後ろ手に占めたドアの先にいた伯爵に、紙たちを踏みつけながら近づいて、ベアトリスはテーブルから持ってきた砂糖を渡す。

「アナスタシアが少し食べてしまいましたけれど」
「ああ、少しくらいなら構わない」
「旦那様、最近多いですわよ。いくら死なないと言っても、こうも多いと、嫌になりますわ」

伯爵はその砂糖にそっと鼻を近づけて匂いを確かめた。匂いだけで毒だ、と判断した伯爵――アンドリュー・ヴェルトレールは宥めるように妻を見た。
40を過ぎたあたりの黒髪とサファイア色の瞳を持つ美丈夫は、懐の懐中時計を取り出して時間を確かめる。

「これももうすぐ終わるよ。ようやく首謀者が見つかったからね、もうリアンとルイスが葬っているだろう」
「まあ、あの子たちが」
「ああ、ネズミとりに行かせている」

笑ったベアトリスはそっと目を伏せる。
この世には不思議が満ち溢れている。たくさんの不思議は、解明できるものとできないものがあるのだ。
そして、ベアトリスたちは後者。

いつからかなんてそんなものはもう忘れてしまった。
生まれたのは、このファンベルクが国として形成されるより前のこと。
生きていた場所は、ファンベルクの初代国王がファンベルクとして国にしてしまった。ベアトリスは原住民の一人として、和睦の証として国王の3人目の妃となり、ただこの土地の歴史を見守る立場となったのだ。
アンドリューは初代国王から初めて爵位を賜ったヴェルトレール家の始まり。始まりにして、終わり。彼はベアトリスが見たものをそのまま記憶し、記録する。

ベアトリスは気が長い方ではない。むしろ、短気だ。そして面白いものを愛している。だからこそ代わり映えのない宮廷での生活に飽き飽きして、2代目の王が死んだときに眠りについた。
それから、勝手に人々は童話を作ったが、あの話がすべてではない。宮廷での生活は可愛らしいものではないし、いつだって王は、他の妃たちは恐れるようにベアトリスを見ていた。
自分たちと違う人間を見ると、人は排他的になるものだ。しばらく眠って、気がすんだらひょっこり現れて驚かせてやろう、と思たのに。ベアトリスは、人を驚かせることも好きである。
それに、土地を見守れと言ったのは彼女の祖父だったが、それも全部を見続けろとまでは言われていないので。適当なものである。
そうして意気揚々と趣向をこらして作り上げた棺桶に、侍女たちと入り眠りについたところで――、彼女は今の夫であるアンドリューに叩き起こされたのだ。
曰く。君の見たものを記録する立場であるのに、眠られては手持無沙汰でつまらない。さっさと起きろ、と。

あの時は起きるのは嫌だったが、今にして思えばこうしていろいろなことが起こる生活を送れるようになった。初代国王とはどんなに寝所を共にしても子供を授からなかったのに、こうして我が子が3人も生まれ、その3人とも可愛らしい。

――きっと、これはベアトリスに流れる血がそうさせたのだろうと思っている。
ファンベルクの王の血を宿さないようにという、祖母から受けた言葉がベアトリスを縛っていた。もちろん、彼女自身も王の子供が欲しかったわけではない。
ベアトリスは幸せだった。生きている年月はもう覚えていないが、それでも、生まれた時から一緒にいる侍女たちと共に、こうして過ごせる日々はこれからも続いていく。


「それで、これはどうなさるの?」
「陛下に報告に行く。この家で起こった事すべてを包み隠さずに報告せよ、との命だからね」
「あらあらまあまあ、知ったところでどうなるものでもないのにねえ」
「伯爵家と言っても別に国のために仕事をしているわけでもないんだが、どうも国に影響を及ぼすような輩たちが我が家にばかりやってくるお陰で、結果的にファンベルクを救っているようなものだからなあ」
「今回の事は宰相殿の手引きでしょう。アナスタシアに食べ物を貢ぐように言ってやって頂戴」

冷徹な美丈夫という印象を与える癖に、間延びしたようなおっとりとした口調で言った夫に、ベアトリスはそっと笑みを深くした。
――決して国の政治に携わっているわけでないヴェルトレールが王に重宝されているのは。国に仇を為すようなことを考える輩がすべて、何をどう考えたのかヴェルトレールを崩せば混乱が起こると勘違いしている点だ。
招かれざる客はすべてヴェルトレールから出られたことがなく、また、ヴェルトレールは決して崩れない。まるでネズミ取りだ、と笑ったのは長男だったか。だが、それに引き換えて生き易い地盤を得ているのだからたいして気にはしていない。
宰相とその息子も、ともにアナスタシアに入れ込んでいるのは周知の事実。決してファンベルクにやりはしないが、彼らが持ってくる菓子は娘をとても喜ばせているので、それも忘れずに。


「では、わたくしはこれで。そろそろこの部屋片付けてくださいな、大事な記録がなくなってしまいますわよ」
「大事な記録を踏みつけるような真似をしたくせに何を言うんだろうね、君は」

その言葉には答えずに、ベアトリスはさっさと身を翻した。
もうすぐ昼食の時間になるし、久しぶりに娘と食事をする約束をしたのだから、遅れてはならない。
そろそろ息子たちも帰ってくるだろうし、一緒に食事をとるのもまたいいだろう。

「では、旦那様。わたくしはアナスタシアと食事をしてまいりますので、これで。陛下にどうぞよろしくお伝えくださいませ」
「え、ええ?」
「報告は早くなさらないと、またお忍びで突撃されますわよ」
「………ずるい」

うふふふ、と笑った美しい妻がドレスの裾を翻して出ていくのを、悔しげに見送った伯爵は、ぼそりとそうつぶやいた。
父親は、いつだって娘が可愛いのである。正直、報告など放り出していきたいくらいであるのだが。そうしたらきっと、ベアトリスが許さないだろうと、昔からベアトリスに逆らえない夫は、毒入りの砂糖を土産に王宮に向かうのだった。





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