三題小説第三十四弾『薬』『学園』『崖』タイトル『鏡映しの約束』

山本航

三題小説第三十四弾『薬』『学園』『崖』タイトル『鏡映しの約束』

 超国家的宗教団体「輪廻学園」はあらゆる人体改造・遺伝子操作・洗脳を推進し、その武力・経済力で超大国に比肩する勢力を築いていた。人間の成長・発展・拡張・増幅を是として究極の超人を目指す信仰の名の下に人々は実験体となり、素材となり、道具となっていた。


 『下水配管の侵入者』

 汎用補助端末・戦次郎の通信が睡眠に割り込んでくる。私は約一万五千秒ぶりに覚醒する。塔に沿うように縦に伸びる巨大な下水配管の中に私はいる。点検用の足場や梯子を通り、水平な場所を見つけ、そこで眠って作戦開始時間を待っていた。予定では後一万秒ほど眠っているはずだったのだが。
 瞼を開き、周辺を走査する。目覚まし時計もとい戦次郎の丸い姿を探す。
 金属質の球体が床に転がっている。転がり転がって縁ギリギリの所まで転がった。球体から四本の線腕が伸び、立ち上がる。そしてその内の一本で下への梯子を指し示す。
 戦次郎の感知器の一つに引っ掛かった何者かが下から昇ってくるらしい。
 私は睡眠に当たって戦次郎に任せきりにしていた他の感覚野も覚醒と同時に呼び覚ます。嗅覚域を除いて。

「おそらく監視蟲機だね。どうする、非未子?」

 戦次郎が赤外線通信で飛ばした言葉が頭の中で意味を結んだ。

「生け捕りにするわ。作戦に利用する」

 私は声帯を微振動させて微音発声した。

「了解。いや、待て。声で気付かれたね。でも信号は発してない。注意段階ってところかな」

 左手にはめた革の手袋を外す。薬箱から取り出した塗布薬を、痛覚を鈍くした左手に塗り込む。すぐさま極小機械群が作動し、放電しながら私の左手を小さな槍に作り替えていく。
 監視蟲機は梯子を一つ一つ注意深く登ってこちらに近づいてきている。あと一段登れば発見されるというところで、腕を素早く伸ばして槍を突き刺し、監視蟲機の電脳幹を正確に焼き切る。すぐさま戦次郎が取りついて電脳を支配し、代替電脳液で修復した。二頭身の胎児のような監視蟲機は一瞬だけ痙攣を起こし力が抜けたように止まった。

「とりあえず僕達の情報を流さないようにしたけど、どうする?」
「そいつはこの後どうする予定だったの?」
「こいつはひたすら下水配管を巡っているだけみたいだね。抜き取った配管図によると、やはりこの管が正解みたいだ」
「それなら作戦時に偽情報でも流させるように仕掛けよう。放していいわ」
「了解」

 戦次郎から解き放たれた監視蟲機は何事もなかったかのように私の臨時の寝床を踏み越えて反対側の梯子を登っていった。
 左手に纏わりついていた極小機械群が朽ちていく。私は左手を点検して手袋をつけ直す。

「じゃあまた寝るわね。後は任せるから」
「了解」

 私は再び感覚野を閉ざし、夢を見ない睡眠に戻る。


 『瓶詰めの手紙』

 その手紙を手に入れたのは全くの偶然だった。死没街の海岸で私は休息しており、戦次郎が百年か二百年前に海中に沈んだ街を探索していた時に見つけた。軽銀アルミニウムで蓋をした硝子瓶の中に手紙と薬が入っていた。
 その手紙の主は輪廻学園の生徒であり、そこからの脱出を望んでいた。そしてその字は私の字と同じだった。そしてその字は私の妹、不未子と同じ字だった。

 私はその記憶を持っている。かつて不未子が断崖の上に聳え立つ第二千百七十二号女子寮から海に向けて手紙の入った瓶を海に投げ入れた、その瞬間を覚えていた。
 そんな物がそこからの脱出に繋がるとは思えなかったし、もしも学園側に見つかれば命はない。それでも彼女は些細な可能性に全力で挑戦していた。
 不未子はありとあらゆる方法を試していた。学園の高密度電算機に侵入したり、清掃蟲機を乗っ取って反乱をおこさせたり。どれ一つとして脱出の助けにはならなかったが、彼女の尻尾が学園に捕まる事もまた一度としてなかった。

 その手紙が投下されたのは私達が生き別れになる前であり、その手紙が見つかったところで不未子が生きている確率は微塵も上がらないが、ずっと恐怖に怯えていた私の諦めきれない心をそっと目覚めさせてくれた。私は妹を探す事に決めた。

 戦次郎は初めは反対したが、私の決意が揺るがない事を知ると協力を申し出てくれた。しかし解脱戦線の上司から許可を得る事は出来なかった。戦線がかつて私を救いだした『第二千百七十二号女子寮救助作戦』以後、当然守りはさらに固くなっており、それに見合う結果も得られないからだ。そういう訳で解脱戦線第二強襲班隊員の私と同班専属汎用補助端末群二〇六号の戦次郎はただ二人、輪廻学園第三百二分校第二千百七十二号女子寮、通称『受浸荘』へと潜入する事になった。


 『月下の塔』

 作戦決行時刻十分前に正規の覚醒手順が実行される。私は手鏡を取り出して鏡の中の私を見つめる。鏡の中の私はおかっぱで化粧っ気の欠片もない。左目の上にある小さな傷は女子寮脱出時についたものだ。

「おはよう不未子」

 私は鏡の中の私にそう声をかける。鏡の中の私は私に微笑みかけた。
 戦次郎が線腕の四肢を使って私の肩に掴まる。

「準備は出来たかい非未子?」

 まだ出来ていない。戦次郎もそれを分かって言っている。
 手鏡と左の手袋をしまい、戦闘用感覚野を呼び起こす。最も処理しやすい感度に調整し、鈍い感覚野を戦次郎の感知器に接続する。
 下水配管の外が透けて見える。第二千百七十二号女子寮は一つの管理棟とそれを囲む四つの女子寮棟で構成されている。イ号女子寮棟の百二十四階、丁度中間の辺りに私達はいた。そしてイ、ロ、ハ、ニ、と四つの塔に囲まれた中央管理棟の頂上とほぼ同じ高さに私達はいる。空の雲量は多く、それなりに暗い。気休め程度だが。
 薬箱から錠剤を一つ取り出し、歯の間に挟む。そして外への出口を開ける操作把を握った。体のどこにも緊張はない。心もまた。

「いいわ」
「それじゃあさっきの監視蟲機に偽の情報を遅らせるよ」

 ほとんど同時に、増幅した私の聴覚野が遠くの警報音を捕まえる。

「作戦開始」と発声する。

 私は錠剤をかみ砕き、一気に操作把を捩じり、円い扉から外へ出る。懐かしい錆びの臭いを感じる。通路の先には、四つの塔が囲む中空、中央管理棟の三角屋根の先が見えていた。
 両足が錠剤からの命令信号を受け取って変異する。硬い筋肉と鱗に覆われた足へと変ずる。私の脳からの命令を受けて両足の筋肉が自身を押し潰さんばかりに収縮され、弾けるように解放される。戦次郎が警戒信号を出すがもう止まらない。通路を飛ぶように走り抜け、その勢いのままイ号女子寮塔を飛び出す。風を切る音の他に何も聞こえない。私は数十メートル離れた中央管理棟の屋根に取りつく。

「非未子。危なかった。寮監らしき人物の後ろ姿が廊下の奥に見えた」
「気付かれてはいないのね」
「ああ。問題ない。警報音に気を取られていた」

 錠剤の効果が切れたのを確認して、左手に薬を塗る。光熱鋸と化した左手で屋根を切り開いて侵入した。
 その薄暗い部屋には重低音で唸るいくつもの機械が置かれ、脈動する管が張り巡らされている。真ん中にはうずくまる百足のような形の高密度電算機が据え付けられていた。何もかも不未子に聞いていた通りの様子だ。
 戦次郎は四肢を回転翼として展開し、高密度電算機に着陸する。

「まさか本当に誰一人いないとはね」
「この下に詰所があるのよ。何も異常がない限りここには上ってこない」

 全て不未子に聞いた通りだ。実際に同じような策を使って不未子はこの部屋に侵入し、それまで盲目的に信じていた輪廻学園の実態を知ったらしい。

「記録上不未子は襲撃作戦時に死んだ事になっているね。どうする?」

 私は念のために入口付近で備え、戦次郎の通信を受け取った。

「他の被害記録はどうなの?」
「寮監一名、武装教師三名、生徒五百二十四名が死亡している、と記録上にはある。いや、戦線が救助した者も死亡者扱いになってるな。学園側は解脱戦線の卑劣な襲撃事件という事にしたようだね」

 やはり不未子は死んでいた。だけどまだ徹底的に調べる。

「実際の救助者名簿と照合して」
「照合した。我々が救助者した者の名前を除くと生徒の死亡者は二百二十名。その中に……ん?」
「おかしいわね。あの作戦で救助されたのは私を含めて三百五名よ。一人多いわ」
「ちょっと待ってくれ。よく調べる」
「黙って」

 階下が騒がしい。各種感知器で見定める。明らかな武装教師が二人。そして未だ年端もいかない機械化もされていない少女が一人。当時と体制が変わっていないなら第二千百七十二号女子寮の生徒は生身しかいない。あの少女もここの生徒だろう。

「待てよ。せめてここの記録を精査してから」
「いいわ。一人でやる」

 筒状剤カプセルを呑み、数種の塗布薬を左手に塗り込む。

「分かったからこっちで扉を開けるまで待ってくれ。出来るだけ静かに頼むよ」

 機械扉が静かな擦過音と共に開く。開き切る前に飛び出て、階下の詰所に飛び込む。目の前には機械化した鈍色の体を持つ武装教師が二人がかりで学生服を着た少女を抑え込んでいた。
 私の全身の筋肉を一挙に駆動させ、禍々しく捩じれた刀剣と化した左腕を水平に薙ぎ払う。一瞬の閃きの内に二人の武装教師を詰所ごと断ち切った。その機械の身体が火花を放ちながらのたうつ。
 盛大に瓦解し始める中央棟上部から私は少女を連れて脱出する。ロ号女子寮塔へ飛び移って気絶した少女を置いた。

「人の話聞いてたのか? やり過ぎだ」

 戦次郎が不平を通信してくる。生身の人間の可聴域の外で警報音が鳴り響いている。

「それで?」
「分かったよ。我々が助けたはずの人間の内一人だけ、学園側の記録で生存者扱いになっている」
「それってもしかして」
「ああ、君がこの学園でまだ生きている事になっている」

 不未子だ。間違いない。不未子は生きている。非未子として、私として生きている。
 雲間から満月の光が差し込み、赤い警報灯がそこら中で点滅を繰り返していた。


 『双子の約束』

 私達は双子だった。姿形は似ていた、双子だから。だけど理由はそれだけではない。遺伝子情報だけでなく後天的なあらゆる影響も精密に調整され、生き別れるその時まで血管や指紋の型までそっくりそのまま同じだった。今でも同じかもしれない。違うかもしれない。
 でも性格は似ても似つかなかった、と思う。不未子は、むしろ輪廻学園の思想を体現していたように思う。成長・発展・拡張・増幅。ただただ貪欲に知識を吸収して、輪廻学園を窮屈に感じていたようだ。そうして得た知識を私にお裾分けしてくれた。
 昔は人から人が生まれていたとか。西の果てに大地というものがあるとか。輪廻学園はもうすぐ滅びるだとか。過去・現在・未来の様々な事を教えてくれた。どこまで本当かは分からないけれど、私は不未子の言う事は大体信じている。
 そして何より彼女は自由を求めていた。何年かかってでも不死者になってでも全てを知る為に全ての場所に行きたいと。それは旅という言葉で言い表されるらしい。
 私は旅をしたいとも、旅をしたくないとも思わなかったが、不未子はこう言った。

「ずっと一緒だよ」と。
「でもふーちゃんは旅がしたいんでしょ?」

 私はそう返した。

「ひーちゃんは旅したくないの?」
「どうだろ。分からない」
「そう。でも私はひーちゃんとずっと一緒にいたいわ」
「それは私もよ」

 およそ海抜一キロメートル程の高度にある自分達の部屋の自分達の寝台の上、私達は時に歌い、時に踊り、時に水平線を眺めながら語り合っていた。

「じゃあこうしましょう。ずっと一緒にいる、でなければずっと同じ恰好をするの」

 不未子は私と同じ顔で、私と違う楽しそうな表情で言った。

「うん?」
「そうすればどんなに離れていても私達鏡の中で会えるわ」

 理屈はよく分からなかった。けれどそれ以降戦線の救助作戦で私が助けられるまで、私達はずっと一緒にいて、ずっと同じ恰好をしていた。そして生き別れて以降も私はずっと同じ恰好をし続けた。同じ髪型、学生服に似たような服装であり続ける事くらいしか出来なかったが、鏡の中には常に不未子がいた。いつも不機嫌そうな恨めしそうな表情で私を見つめていた。
 環境が違えば双子でも差異が生まれてくるらしい。数年ぶりに不未子に会って私は気付く事が出来るのだろうか。


 『不未子の生涯』

「不未子の記録を洗いざらい調べて」
「君が今何をぶち壊したか知ってるかい?」
「出来ないの?」
「出来るさ。時間はかかる」
「お願い」

 私達を、非未子と不未子を通常の手段で区別する手段はない。その目的は依然として分からなかったが、学園が私達をそのように造った。
 私達が助けられた時、全ての少女の体内に識別票が埋め込まれていた事が分かリ、取り除かれた。生き残り、取り残されたかの少女が非未子か不未子なのか判断する方法は、その識別票を照合するしかないはずだ。
 不未子はどうにかして学園の目を誤魔化せたらしい。あるいは自力で識別票を取り外していたのだろうか。
 不未子は非未子と名乗って生きている。それは私へのことづけのように思えた。
 ずっと一緒だよ。ひーちゃん。
 その言葉が頭の中で反響する。一緒にいる。もしくは同じ恰好をする。前者は全く守れていない。後者はほとんど守れていない。

 筒状剤カプセルの副作用で全身が熱を持ち、意識が歪む。人工心臓の鼓動が耳の傍で聞こえる。
「非未子! 後ろだ!」
 強烈な衝撃が背中を打ち据える。腹部から人工血液に塗れた黒く分厚い刃が飛び出た。私の身体は軽々と吹き飛ばされ、再び中央棟へ、その壁をぶち破って内部に転がり込む。
 一瞬たりとも怯む事なく薬箱から錠剤を一種掴めるだけ掴んで口の中に詰め込む。少し遅れて腹の辺りから幾本もの赤黒い触手が出てきて傷を塞ぎこんだ。痛覚を切っていなければ、先ほどの攻撃で助かっても、この治療の痛みで死にうるだろう。歪な肉塊となった腹を抱えて、私は立ち上がる。塗り薬をまだ刀剣化したままの左腕に塗り込み、変化を固定する。
 舞い上がる埃を凝視する。感知器を総動員する。追撃が来ない。警戒しているのだろうか。反撃する? だけど中央棟をこれ以上壊す訳にはいかない。

「大丈夫か! 非未子!」

 戦次郎の通信で少し冷静さを取り戻す。

「今のは?」
「寮監だよ。それだけ暴れりゃ飛んでくるさ」
「とにかく作業を続けて」
「でも」
「いいから」
「……了解。無茶していいけど死ぬなよ」

 生き別れて以後の不未子の記録を戦次郎が送信してくる。『第二千百七十二号女子寮救助作戦』は多くの犠牲を生んだ。一部の生き残りでさえも治療より再生産の方が安価という事で処分されたようだ。不未子には、あるいは非未子には生かす価値を認められたという事だろう。

 感知器の感度を跳ね上げて寮監を探す。情報の嵐を掻き分ける。後方の壁の向こうに寮監の姿シルエットが見えた。私が振り返ると同時に壁が破裂し、分厚い刃の薙刀が迫る。肉薄する刃を硬質化した左腕で防ぎ、右手で寮監の襟を掴み、その巨体を外へ投げ飛ばす。私も後を追う。

 戦次郎の送信は続く。それ以後不未子は改造に改造を重ねていたらしい。どちらかというと有機的人体改造が主だったようだ。
 双子の片割れがいなくなったことで実験の方向性は変わったのだろうか。そこまでは分からない。しかしこの改造箇所の多さを見るに、同じ恰好を保つ約束は守れていないだろう。

 私達は再びロ号女子寮塔の周縁廊下に降り立つ。寮監は全身に機械式の鎧を纏っている。鎧は毒虫のような色彩で蠕動するように光の筋を点滅させている。各関節か、露わになって嫣然と微笑む口元を狙った方がよさそうだ。
 私は腹部の治療が終わった事を感じ、余った肉を左腕でそぎ落とす。別に隙を見せたつもりもないが、寮監が薙刀を構え、突進してきた。左腕で受け止める、と見せかけてきわどいところでかわし、私の刀剣と化した左腕は流れるように寮監の右肩に吸い込まれる。普通の人間とは違う肉の感触を感じる。斬り飛ばされた寮監の右腕が宙を舞う。私はがら空きになった目の前の背中に左腕を渾身の力で突き立てた。貫き、その勢いのまま寮監の方から引きぬける。鈍い音を立てて寮監の身体は周縁廊下を転がった。

 結局不未子はその双子としての特性を利用される事なく、改造と実験の日々を過ごしていたようだ。十分な記録が得られれば、彼女は不要となり、しかし無用ではないので再利用された。機械式の、世代遅れの、今の私には到底敵わないような体で寮監を務める事になったようだ。


 『血雨降る』

「彼女が不未子だったのか」

 戦次郎がそう言った。

「不未子。私が分かる?」

 不未子は力なくよろめきながら立ちあがり、振り返る。相変わらず微笑み、片腕で薙刀を構える。

「中枢神経系だけ引き抜いて連れ帰る。さっきの子を連れて船に戻って保存槽を準備しておいて」
「了解。慎重に頼むよ」
「勿論」

 不未子は片腕で薙刀を投げつけた。私は左腕で軽く受け流す。私の後ろで壁か何かを貫いたようだ。不未子は左腕だけで頭を抱え込んだ。否、左腕に仕込んでいた何かを頭に突き刺したようだ。
 私は走り、力が抜けたように崩れ落ちる不未子に飛びつき抱きかかえる。

「ごめんなさい。不未子。ごめんなさい」

 不未子の頭が痙攣を始める。痙攣というよりは振動という言葉の方が近い。頭の中を滅茶苦茶に掻きまわされているかのようだ。次の瞬間不未子の頭が爆発的に膨れ上がり、私の身体が弾き飛ばされる。不未子は肉の塊に包み込まれてしまった。頭に突き刺した薬の効果だろうか。不未子から噴出した液体が私の刀剣の左腕についている。

「戦次郎。この薬、分析できる?」
「もうやったよ。あの瓶の中に手紙と一緒に入っていた薬だ」
「ありがとう」

 自殺用とは思えない。死の間際に学園に一矢報いようとしたのだろうか。
 肉の塊が内側から引き裂かれ、何かが出てくる。その姿は不未子そのもの、あるいは私そのものだった。だけど機械的改造まみれの私とも、有機的改造だらけだった不未子とも違う。少なくとも見た目だけはまるで生身の女性の姿のようだった。身に纏う肉の衣は純白で美しく艶めいている。柔和な笑みを私に向けて、とても小さな美しい声が震えるように歌っている。それは昔、二人で歌った他愛のない歌だ。
 次の瞬間私は後ろ向きに吹き飛ばされていた。増幅された認識速度を上回る速さで拳を腹に叩きつけられた。内容物や極小機械群を吐き出す。みるみる不未子の姿が遠のいていく、と思った私の認識と共に目の前に不未子の足の甲が現れた。次は横薙ぎに蹴られた事を認識出来た。
 落ちていく。私の身体は百階超の高さを落ちていく。遥か高みで悠然と私を見下ろす不未子は女神のようだ。

「非未子。もう諦めろ。不未子は無差別に人を襲い始めてる。武装教師と生身の生徒の別も無くだ。君がさっき考えた通り学園に一矢報いる為に造った薬なんだろう。というよりは既に彼女の中に用意されていたあれを起こす為の鍵だったんだ、あの薬は」
「戦次郎はそのまま船で逃げて。戦線にこの事を伝えて対策を考えて」
「馬鹿言うな。無意味な死だ。早く戻ってこい」

 地面に体が叩きつけられた。不未子の放った蹴りと比べれば毛ほども損傷はない。
 丁度満月が四つの塔の真ん中に差し掛かっている。上空では不未子が殺戮しているのだろう。血の雨が降り注ぐ。

「あの瓶詰めの手紙は何故私の所へやってきたんだろう」
「偶然だよ。理由なんてない。不未子が何を考えていたにせよ」
「不未子自身が出来なかった場合、私に引導を渡して欲しかったのかと最初は思ったんだけど」

 戦次郎は黙って聞いているようだ。覚悟してくれたようだ。言葉をつなぐ。

「そうよ。約束したんだもの」
「了解」

 月の中に人影があった。不未子が自由落下してくる。不未子が走るよりずっと遅い速度で落ちてくる。
 私は薬箱の中に手を伸ばし注射器を取り出す。中にはあの薬が入っている。

 ずっと一緒だよ。ふーちゃん。

 迫る不未子の微笑みを見つめながら、私は注射器を頭蓋に深々と突き刺した。


 『双子の天使』

 気がつくと目の前には白い肉の衣の天使ががいた。柔和な微笑みを浮かべて、歌い、踊りに誘うように手を差し出してくる。応えるように私も手を差し出す。私もまた同様の姿をしていた。
 私はほとんど何も分からなかった。目の前にいるその女性は私なのか。私ではないのか。
 だけど衝動とも言うべきものが私を突き動かした。他にすべき事は何もない。私もまた微笑み、歌い、私以外の全てを殺す為に、私の手を携えて、月の下で踊るのだ。

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