名を知らず、愛おしく

ノベルバユーザー172401

名を知らず、愛おしく


長い長い金曜日の学校がようやく終わった。明日が休みだと思うからか、授業がいつもより長く感じてしまう。
そして待ちに待った授業が終わり、今日も一日無事に終わったと友達と帰宅して、私はいつもと同じように幼馴染の壱くんの部屋に入り浸っていた。
私の家と高校は徒歩で20分。今日は早く帰ってくるって言っていたから、私も急いで帰路についたのだ。
幼馴染の壱くんは、大学二年生のお兄さん。私が高校二年生だから、4歳差がある。小さいころから一緒に遊んだり、寝たり、遊んだり。私はいつも壱くんの家に入り浸って、大好きな壱くんと壱くんのお家にお世話になりこうして今に至る。壱くんも、壱くんのお母さんもお父さんも大好きで、3人とも優しく私を甘やかしてくれるので余計に入り浸る結果になっている。

今日も、家にいったん帰って、お母さんに壱くんの家に行ってくると言って、こうしてお邪魔させてもらっているところだ。ちょうど壱くんのお父さんとお母さんはこれからデートに行くところで、私はお留守番を任されている。
壱くんのお母さんにもらったお菓子を壱くんの部屋のテーブルに置いて、私は壱くんの部屋でテレビをつけた。お菓子は壱くんが帰ってきてから。一緒に食べた方が、2倍美味しく感じるのだ。だから、私は壱くんの抱き枕(といっても、これは私が壱くんの枕を抱きつぶしていたのを見かねて買ってくれたもので私専用となりつつある)を抱えながらテレビを眺める。
今流行のものにクローズアップした番組で、アニメや漫画、流行の商品などがカウントダウンされている。ふむふむ、と頷きながら見ていると、玄関が開く音がして階段を上がってくる足音が聞こえた。
この足音は、壱くん!私が壱くんの足音を間違えるはずが、ない。

「壱くん、壱くんおかえりなさい!」
「ただいま、千里」
「あのね、おじさんとおばさんはね、デートだって」
「ああ、留守番しててくれたのか?ありがとな」

と、言って。私の頭を優しくなでてついでに頬に触れて、壱くんの手は離れていった。鞄を放り投げて、上着を脱いだ壱くんは、飲み物取ってくると出ていった。しまった、お菓子に頭がいっぱいで飲み物まで気が回らなかった。こうしてさっと飲み物を持ってきてくれたりするあたり、壱くんは本当に年上の男の人なんだなあと思う。
私にとって壱くんは、昔からずっと変わらず優しくてかっこいいお兄ちゃんで男の人だ。
大学生になった壱くんは、確かに忙しくなったけれど、私との時間を大事にしてくれるし、休みの日にはほとんど全部私と過ごしている。友達はいいの?と聞いたら、千里が大事と笑っていたので、壱くんはもれなく私バカだ。でも私も壱くんと同じなので、あまり人のことは言えないのだけれど。

「お待たせ、千里はミルクティーな」
「わあ、ありがとう!ミルクティーすき!」

私の好みを確実に把握して持ってきてくれたミルクティーをにやにや笑いながら受け取って、のどを潤す。テレビに夢中になっていて気付かなかったけれど、私の喉はカラカラだった。にやにやするな、と壱くんが私の頬をつねった。でも痛くないから気にしない。
リツくんはコーヒーを持ってきていて、とんとテーブルに置くと私を抱きかかえるように後ろに座った。
抱き枕を抱えた私を、抱きかかえる壱くん。抱き枕の代わりか、と思って枕を渡そうとすれば断られた。なのでそのまま抱えて、私と壱くんはテレビを見る。
番組ではタレントたちが話題の商品を食べ比べて感想を言っているところだった。私も壱くんにこれが食べたい、これが美味しそうだと訴えれば、食いしん坊だなと顔を覗き込んで笑われた。新製品とか、大人気とかいう宣伝文句に弱いのは人間の性だと思うのだけど。むっとしながら頬を膨らませた私を見て、壱くんはくすくす笑った。

壱くんは、茶色の髪に優しげな顔立ちのお兄さんだ。決して精悍という顔立ちではないけれど、十分カッコいいし、むしろ壱くんが一番カッコいいと私は思っている。
二人でお菓子を食べていたら、ちょうど番組がエンディングを迎えたので壱くんが手を伸ばしてテレビを切った。壱くんは私がいるときはあまりテレビをつけていてくれない。子供にあまりテレビを見せちゃいけないとか思っているのだろうか、と私は昔から想っているけれど、おばさんが言うには家では結構テレビを見るの好きらしいし、謎だ。

「あ、そうだ。今ね、顎クイと床ドンも流行ってるんだって」
「壁ドンはもうブームが過ぎたの?」
「うーん?わかんないけど、さっきテレビでやってた」
「ふうん…顎クイに床ドン、ねえ」

ああいうの、彼氏とやるのかな、と笑えば喉の奥で笑った壱くんが私から少し体を離した。後ろの温かさがなくなったので、壱くんの方を向けば、手が伸びてきて私の顎をくい、と持ち上げる。

「教えてあげようか?」

上から見下ろされるそれに、私の心臓は知らずどきどきと早鐘を打ち始めた。いつもより耳に響く声。私の中に響いて、きゅんと胸が疼いた。
すう、と細められた目はいつもの優しい光ではなくて色っぽさを宿していて。そのまま私は、押されるままに床に押し倒された。
ひゃ、という声が、私が出した声だと理解するより先に、私の顔の横に壱くんの手が置かれる。真直ぐ、笑っていない壱くんが私を見つめる。
そのまま私にまたがって顔を近づけてくる。片手を私の頬にあてて、そっと唇をなぞった。すう、となぞられる感覚に震えるほどの甘さが宿る。
こんなの、こんなの知らない。壱くんの傍はあったかくて、気持ちよくて、安心できていたのに。今はこんなにも落ち着かないし、どきどきと煩い心臓が口から出てきてしまいそうだ。

「い、ちく…ん…?」
「せーんり、顔があかいよ」
「ふ、や…!」

私の唇をなぞっていた指は、そのまま私の顎を伝ってのどに降りる。ひんやりとした指先の温度が私の体を震わせて、甘い疼きを残す。
覗き込まれた壱くんの目の中に、私の顔が写っている。――壱くんの目の中の私は、とろんとした顔をしていた。それが、やけに恥ずかしい。

「これが、顎クイと床ドン。どきどきした?」
「…っ、い、壱くんのけだもの!」
「あのね、千里。男はみんな獣なんだから、千里も気を付けろよ」
「う、うん」
「で、この後どうするか、知ってるか?」

なんだか今の行動と矛盾するようなことを言われたような気がしないでもないけれど、そのあとに続いた言葉に私の頭は簡単に停止した。
どうしてこうなったのか、私の頭はパニックだ。でも決していやじゃないし、怖くないのは。壱くんがいつだって私が本当に嫌がることはしないと知っているから。
そしてこうされていても、私自身が怖いとも嫌だとも、思っていないから。

「い、ちくんの。好きにして…いいよ?」
「…っ、!」

壱くんがすることなら、きっとなんだって受け入れてしまえる。そう思ってしまった等私が答える言葉なんて一つしかない。
そういう思いを込めて、まっすぐに壱くんを見上げて言葉を告げた。
そうしたら、一瞬動作を止めた壱くんが言葉に詰まって、そのまま顔を落とした。私の胸の上に。

「え、え?」
「千里がかわいすぎてどうしよう…」
「ひゃあ、壱くんそこでしゃべらないで!」

胸の上に顔を押し付けたままもぞもぞしゃべるので、くすぐったくて、息があたるところが熱くて思わず身をよじった。そうすると、意地になったみたいに私の体に腕をまわしてぐりぐりと顔を余計に押し付けてくる。子供みたいで、可愛い。

「壱くん、かわいい」
「…千里に言われたくないな」
「えへへ、でも、こうしてるとあったかいね」

ぎゅう、と抱き込むように壱くんの頭を抱え込む。ところで、これって息できなくならないかな、大丈夫かな。
ちょっとだけ力を緩めて、そっと頭を撫でた。こうしてくっついていると温かいし落ち着くし、ずっとこうしていたいくらい。壱くんが離れていく気配に少し残念に思いながら腕を緩めれば、私の横に寝そべった壱くんが、私を見ながら笑っていた。
もう少し近づきたくて、体を寄せれる。そうしたら少し笑った壱くんが、腕を頭の後ろに突っ込んでくれたので有難く借りることにして。でももう少し温度を感じていたくて私の方を向いて横に寝ている壱くんの胸に額をくっつけるように私も態勢を変えた。

「千里は、甘えん坊だね」
「いいの、壱くんにしかしないもん」
「まあ、俺以外にしたら怒るけどね」
「じゃあ、見張っててね」

壱くんの匂いと、温度が私を包む。明日は休みだから、今日は壱くんの部屋に泊めてもらおう。
こんなに安心できて、温かい場所を、私はきっと手放すことなんてできないから。うとうとと閉じてきた目を頑張って開いていれば、優しい声が私の耳をくすぐった。
――寝て良いよ、千里。
その声に引き込まれるように、私は目を閉じる。

暖かな存在の近くで、大好きな匂いと温度に包まれながら眠る幸せは私が小さなときから変わらない。私の大好きで大切なものだ。
さっきのにはびっくりしたけど、もう一回くらい、やってほしいな。とも思って。
目が覚めたらまたやって欲しいとおねだりしてみよう。
眠りに引き込まれた先で、私は温かな夢を見ながら、少しだけ残った意識は額に暖かな感触を感じていた。
――どうか、目が覚めてもこの温かさがありますように。明日も、明後日も、ずっと。私の傍には壱くんがいてくれますように。
壱くんも、同じように思っていてくれますように。




「名を知らず、愛おしく」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く