御曹司の召使はかく語りき

ノベルバユーザー172401

1話 過去と邂逅



少し、思い出話をしようとおもう。
私ははその時あたしであり、そのあたしはただの小さな子供だったときのこと。

子供のあたしは、“親のいない可哀想な子供”という勝手なレッテルを張られて生きていた。
親戚の、今は顔も思い出せない狭い狭いアパートで生活能力のないオジサンと二人で。オジサンはあたしの何だったのか、知らない。ただ物心ついた時にオジサンの傍であたしは生きていて、オジサンはあたしに一応生活する権利を与えてくれていたという事実だけがあった。
別に、親がどんな人だっただろうとかいう感傷はなく、産んだのだから責任をとれよとは思っていた。泣き叫ぶ時期ははるか昔に通り過ぎていたし、そもそも泣いているだけで生きていけるほど、権力のない子供にとって世界は優しいものじゃない。
あたしは有難いことに、児童施設に拾われ、そこの子供となった。周りから見た肩書は、親に捨てられた可哀想な子、に昇格。あたしからすれば、“安全な家持ちの子供”だったわけだけど。
あたしはそこで悠々自適に過ごしたし、施設の家族たちも、同じだった。みんな飄々と、――もしかしたら思うことはあったかもしれなけれど、今の状況を受け入れて生きていた。それは、もしかしたら傷の舐め合いをするよりもはるかに性質の悪いものだったのかもしれない。
傷を傷と認識してないから、痛くなんてないだけだったのだろうかとふと思い出した時に考える。それもまあ、あそこでの生活は終わってしまったことなので、もう今の人生には関係のない感傷だ。
あたしが引き取られた施設は、先生が3人と子供たちが12人の計15人が暮らしていた。入れ代わり立ち代わり子供たちは入れ替わった。更生した親が迎えにきたりとか、親戚に引き取られるとか、里親が見つかったとか。あたしは小学校に入学する一週間前に施設に引き取られ、優しい顔をした施設長に「ここが君の家になります」と真面目な口調で説明されていた。
あそこの先生たちは、あたしたちを子供として扱ったけど、奇妙なレッテルを張らず、人間として扱ってくれた最初の人たちだった。

さてあたしの生い立ちはこんな感じだ。とりあえず、死なない程度にご飯を食べて、オジサンと狭い部屋で話をするでもなくテレビを見て、オジサンが風呂、と口に出すのであたしは渋々たまにお風呂に入って清潔を保つ、そんなあたしの堕落的な、健全な子供とは言えない生活がまっとうな生活に変わったのは、なによりもオジサンが消えたからだった。
その日は、よく覚えている。
あたしはぼうっとテレビを見ていて、よくわからないドキュメンタリー番組を眺めていた。
オジサンはお風呂に入って、そしてスーツ(当時は知らなかったけれど、今はわかる。あれは背広というやつだ)を着て出ていった。がちゃん、という音がやけに大きく響いたのを覚えていた。あたしはそれを背中で聞きながら、テレビから目を離さなかった。
そして、つまらないドキュメンタリーが終わるころにドアが開いて入ってきたのは、見慣れたオジサンではなくて、知らない人だった。

「こんにちは、初めましてだね」
「ここに一緒に住んでいた人から、キミのことを頼まれました」
「一緒に生活しませんか、ここよりずっといい場所を提供しましょう」

真面目腐った口調であたしに語り掛けたのが、施設長。仕立てのいいスーツを着て温和な、まるで柴犬のような顔立ちに丸眼鏡、天然だかセットしてるんだがわからないパーマ頭のその人は、あたしが警戒心を解くには十分だった。こちらに牙をむかず真直ぐに柔らかなものを注ぐ人を、警戒しろっていう方が無理だ。そしてあたしは、どういうわけだかこの人についていった方がいいという直観を抱いてしまった。だから、あたしはこくんと頷いて、立ち上がったのだ。
テレビを消して、部屋の中にはあたしの物なんて何一つとしてなかったから、施設長についていくには“あたし”が在れば十分だった。

「ずいぶん、落ち着いてるね」
「……オジサンは?」
「ああ、彼は、どこかに」

遠い目をしていった施設長は、そのあと忘れてしまったかのようにオジサンの話をしなかったし、あたしも自分のことに気を使っていたので奇妙な同居生活を送っていたオジサンのことを思い出すことはしなかった。
あたしとオジサンは、ただほんのわずかの日々を同じ部屋で共有したにすぎなかったのだ。でも、あたしはあの人が嫌いじゃなかった。もう一生会わないかもしれないけど、あたしが死ななかったのは、オジサンのお蔭だったのかもと思うくらいにはほんのちょっと感謝している。

そして連れていかれた施設で、あたしは子供たちと同じ用に部屋をもらい、服をもらい学校に通った。食事は三食おやつ付、お風呂は毎晩、行事があるたびに施設の中で騒いだし、子供じみた喧嘩もして、そのたびに先生たちに叱られ、泣いた子は慰められた。あたしたちは今まで貰えなかった家族みたいな環境を手に入れて、けれどあたしたちは知っていた。
ここで一生を過ごすことはないという事。あたしたちはいつか、巣立っていかなきゃいけない。あたしたちは、ここではないどこかに住むことになるし、ここは通過点でしかないということを、知っていたし、わかっていた。だから施設に訪れる大人たちに早く貰ってほしいと思っていた子もいた。――自分たちにとって都合のいいこの施設は、長くいればいるほど、出ていく時間が見えるようになるほど、辛いと一番最年長の男の子が笑っていたのもあの時にあたしは、ああそういうものかと漠然と思ったものだった。

施設にやってきて5年目の夏休み、うだるような暑さに嫌気がさしながら、あたしは宿題を片付けたご褒美にカルピスでも飲ませてもらおうと自室から出てキッチンへと歩いていた。ぺたぺたと素足がたてる音はあたしの物だけで、その時施設のみんなは図書館とかプールとか買い物やらで留守にしていたので、施設にいるのはあたしと最近やってきたばかりの小さい男女の双子と施設長だけだった。双子は施設長になついていたから、仕事の邪魔をしない程度に施設長の部屋に入り浸っているだろう。
もしかしたら、カルピスを飲むかもしれないと思って、あたしはとりあえずキッチンに向かう足を施設長の部屋へ向かうように動かした。双子はまだ小学生になるには早い子たちだった。一番小さい子供。きゃらきゃらと笑う、屈託のない幼子。あたしたちが生きてくる中で忘れていたような純粋で人の裏を伺うことのない笑顔を持つその子たちをあたしたちは歓迎していた。

施設長の部屋のドアをこんこん、とノックをした後返事がないので部屋にはいないのかと諦めて後ろを振り向けば、あたしはあたしを見下ろす視線とぶつかった。
ぎょ、としながら一歩下がる。食い入るように見つめられて、あたしは眉根を寄せた。に侮蔑の視線だとか厭らしい目つきだったとかそういうわけではなくて、ただじっとあたしを見つめる目にびっくりしたのと同時に理由が分からなかったのだ。
あたしは自分で言うのもなんだけれど可愛い顔立ちはしているけれど、ものすごく美人ではない。それに、目の前の男の人(子、のほうがいいかもしれない)の方がとびきり綺麗な顔をしていた。切れ長の目が冷たそうに見せていたけれど。

「………おきゃくさま?」
「ああ。――君にしよう。歳と名前は?」

沈黙に耐えかねたあたしの質問にあっさり首肯したあと、その人はあたしに年齢を聞いた。脈絡がなさ過ぎてびっくりする。こいつ、何言ってんの?と、最初本当におもった。――どうも、頭の中で考えていたことを全部口に出さずに断片的に出す性質らしい。

「…11歳。名前は平仮名のみなぎ」

その答えに満足したのか、それともただ聞いただけだったのか。その人はあたしの返事を聞き流して膝をおった。
あたしの前で跪いて視線を合わせる。その人はとても背が高かったのだ。
見下ろされていた時よりもやわらいだ威圧感にあたしは少しホッとする。

「俺は俺の召使が欲しい。俺の生活を助ける人間が。俺は君を養い、君は俺にその身で仕えてもらいたいんだが、どうかな?」
「…………危ない人?」
「まさか。俺は性的なことは子供にしてもらわなくてもちゃんと発散する場所くらい持っている。ただ、俺は俺だけに使える人間が一人ほしいんだ。
やることは俺の身の回りの世話と俺の話し相手になること、そして息抜きの手伝い。十分な給料は払うし、俺の傍にいるのだから礼儀作法は叩き込ませてもらう。――今後君が生きていく上で手に職をつけて後ろ盾もあるというのはいいことだと思わないか?」

ひとつ言わせてもらえれば、こいつはこの時高校生だった。
そしてあたしは小学校5年生の小娘。そもそも、こんな難しいような会話をするにしては、今の日本においてあたしの年齢は子供すぎた。けれど、まあ、将来が安泰になるだろうし、この人の言葉を不意にしたらあたしはこの施設を出るときに大変苦労をしそうだという直観をまたも抱いたので、まあいいかと頷いた。
――あたしの直観は、まあ、外れたことがないので。
じゃあ決まりだな、と満足げに笑ったその人は、星城透哉と言った。星城という名前は、そのときのあたしでも知っていたくらい、急成長を遂げている昔からある由緒正しい大企業である。げ、と思ったのは時遅し。あたしは、その星城家の次男坊の召使として存在することとなった。

それからのことはめまぐるしい。星城家に連れていかれ、礼儀作法を叩き込まれ、ゴシュジンサマの両親、兄弟、使用人、会社の人間に何故か可愛がられた。ちなみにあたしは、凄絶ないじめと陰口の嵐を想像していたし、星城の家はきっとドラマであるようにドロドロの愛憎劇が繰り広げられていると信じてやまなかった。――現実は、真逆だった。
ゴシュジンサマの両親はあたしを待望の娘だと言わんばかりに猫かわいがりしたし、跡取り息子の長男と末っ子の三男はあたしを妹の様にかまった。ビシバシと指導をする使用人さんたちは、指導が終わればみんな気のいい人たちであたしは動き回るたびにお菓子の山に埋もれた。
――あたしの直観はばかにならない、と少しだけ肩の力が抜けたのは、その時だ。
ちなみにあたしの想像をゴシュジンサマに話したところ、呼吸困難に陥るまで笑われた挙句、イスから転げ落ちた。クールビューティを気取っているくせにつぼに入ると笑いが止まらない残念な人だ。

かくして。
駆け足になってしまったが、こういった経緯であたしは“わたし”となり、わたしは“親に捨てられた可哀想な子”もとい、“安全な家持ちの子供”から“大企業の子供に仕える人間”という大出世を果たしたのである。
オジサンと過ごし施設に入ったあたしは、施設を出て今のわたしとなったのだ。
あたしはもう居ない。過去のあたしは、いろいろなことを知ったわたしの中で静かに眠っている。オジサンとの日々も、施設での日々も、あの時あたしがいた小さな世界で得ていた今ではもう得ることのない最低限の幸せを全部、小さなあたしが抱きかかえて。

そして私は、16歳になり、星城透哉は大学生になっていた。
――クラシカルなメイド服を着て、今日も一日が始まるのだ。





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