ノアの弱小PMC—アナログ元少年兵がハイテク都市の最凶生体兵器少女と働いたら

稲荷一等兵

第7節—民間軍事会社、配属—

 センチュリオンテクノロジーという、この方舟センチュリオンノアの中でも一、二を争う大企業の入隊試験に落ちた雛樹。
 すぐさま、アルビナのツテがある中堅企業への配属を勧められた。が……。

「あの、どうせなら私の知り合いが経営している会社に入ってくれませんか?」
「知り合い?」
「ええ、その子は非常に優秀な子なのですが若さからか、女性だからかなかなか人が集まらず……その、困ってるみたいなんです」

 個人で経営している会社。なんの会社かと問うと、民間軍事会社だという。
民間軍事会社、Privateプライベート Militaryミリタリー companyカンパニー、PMCと呼ばれるその会社は、いわば軍事活動の民間請負業を生業とする。
 より多様化し、細分化する軍需にビジネスの一端を見て生まれた業態。

 個人経営ということで、組織化、標準化された下手な企業なんかより気楽にやれると思った雛樹は二つ返事で了承したのだが……最後の一言が気になった。

「……お給料がまともに出るといいのですが」

 ……自分から入ってと言っておいてそれはないだろうと、雛樹は口をとがらせるが、生活費なら任せてくださいとフォローを入れる静流。
 その申し出に、雛樹は情けないからやめてくれと断固拒否の姿勢をとった。

「海上都市、夜刀神やとがみ民間軍事会社……」

 静流が持っているような、端末をもっていない雛樹はプリントアウトされた地図を片手に、その民間軍事会社の前に立っていた。
 今は太陽が丁度一番高いところに登っている頃。清々しく眩しい空の下、灰色の石造りのこじんまりとした事務所が立っている。

 自分からすれば、未来都市的ビジュアルのこの土地で、こんな味のある……時代を感じさせる図書館のような建物を見てしまうと……。

「……なんか、落ち着く装いだな」

 金属質な地面に、強化ガラスとこれまた金属質な抽象モニュメント建造物を
眺め続けていた自分にとって、この建物は自分の心にすとんと落ちるものがあった。

 胸板の上でドッグタグを揺らしながら門まで行くと突然、目の前空中に現れたホログラムモニター。どうやら時代を感じさせるのはこの建物の見た目だけのようだ。

《えと……その風貌と時代遅れの認識票。静流の幼馴染の、祠堂さん?》
「はい。本日配属と言われて……」
《わー、本当に来てくれたのね……。入って入って。汚いところだけど、ね》

 かなり食い気味に喜ばれてしまった。まだ挨拶の途中だったのだが、気の早い社長様のようだ。
 かなり若い女性の可憐な声。凛とした静流の声とは少し違う。

 モニターが消え、門が勝手に開いてゆく……。その向こうに見える玄関扉も開く。
 かなり勢いよく開いたためにとんでもない音と共にまた閉まり……開き直された。
 驚いた雛樹は、踏み出した足を止め、まるで火を恐れる獣のような様子だったが……。

《ごめんなさい。そこちゃんと開かないの。手動じゃないと……。この前も、入社面談に来た男の人の鼻をへし折って逃げられたのよね。やんなっちゃう》
「……ほんと、やんなっちゃう」

 半ば呆れ気味にそう軽口を叩く雛樹は、止まっていた足を動かし、その玄関をくぐっていった。

 案の定というべきか開いたときと同じで、玄関扉が異常な速度で閉まってきた。それを予想していた雛樹は、振り返ることもせず、右手で攻撃性玄関扉を受け止めてゆっくりと閉める。そして見渡す建物内。

 会社というにはあまりに散らかっている荒廃地帯だと、雛樹はそう思ってしまった。この民間軍事会社は、先進的な都市の中にありながらも外見と同じくシックな内装となっているのだが……。木板張りの床には有象無象の紙束が積まれており、ひっくり返った食器やらコーヒカップなどが書斎机の上に転がっている。
 そんな瓦礫の山の中、ごちゃついた書斎机に我が物顔で座っていた……女性。

「初めましてこんにちは、お兄さん。私は夜刀神民間軍事会社の取締役、夜刀神やとがみ葉月はづき。お兄さんは元本土国籍の兵士だって、静流から聞いてるわ」

 くったくたの黒いスーツに身を包んだ、静流と同い年くらいの女性だ。
 綺麗に切りそろえられた前髪、そして長い後ろ髪もまた、切りそろえられている。
 猫目に、不健康そうな真っ白な肌、そして漆のようなツヤをもつ髪と相まって、日本人形のような容姿をしている。
 その細身の女性はフランクに挨拶を済ませると、言った。

「静流を泣かせた男だから、どんな奴が来るのかと思っていたけれど……へえ、これは……案外、普通な感じな」
「ターシャを泣かせたっ? 俺がですか——……」
「ああ、その前に、敬語は止して欲しいかな? 私、お兄さんより年下なのよ」

 年下っぽいとは思っていたが、本当に年下とは恐れ入った。まさか、自分より歳が下の女性が一軍事会社の社長をやっているとは。

「……わかったよ。えー……夜刀神さん」
「葉月でいいわ。堅苦しいのは無しでいきましょう」
「え、あー……葉月さん。俺がターシャ……静流を泣かせたってのは」

 とりあえず聞きたい用件を先に済ませることにした。本当はこの時点で、社長とその部下の線引きの仕方に疑問を覚えていたのだが。
 軍事会社の社長ともあれば、部下の命をある程度切り捨てる覚悟は必要なはずだ。アットホームを社風にするなど、お話にもならない。

「私のとこに静流から、お兄さんをお願いできますか、なんて電話かかってきたときの……今まで聞いたことのない震え声。お兄さん、静流とアルビナさんのお膳立てをふいにしちゃったんだって?」
「わざとじゃない……とも言い切れないのか。VR戦闘試験の事をほとんど覚えてないからな……」
「覚えてないと?」
「そう。覚えてないんだ。その時に起こった時の記憶がおぼろげで思い出せない」
「……お兄さん、あなた……いや、それはいいか。とりあえず。取り急ぎ、契約だけすませたいの」

 そういって、自分の眼の前に展開していたモニターを、こちらへ押すようにしてよこしてきた。
 雛樹の眼前で止まったそのモニターの内容は、小難しいことがちらほら。
 戸籍登録の欄にはすでに情報が入っていた。アルビナが用意してくれたものだろう。

「そこ、左手の平押し付けられる?」

 言われるがまま、モニターに左の手のひらを押し付けた雛樹。その時点で、雛樹のこの会社への登録は完了したようだ。

「はい、これでお兄さんは夜刀神民間軍事会社の一員よ? これからガンガン仕事取ってきてもらうから、ふふ、覚悟しなさいね?」
「……」

 この和風美人。登録が完了したと同時に目つきが変わった。アットホームがどうたら……という、気持ちの片鱗をこそぎ落とすことになってしまった。

 その女性は、その場から一歩も動かず……立つことすらせず、雛樹へこの会社の概要を説明してきた。

「ここは、他の企業から下請けで依頼を受け持ったり、企業連が提示する任務を“競り落として”きて仕事にするのね。軍事だけにとどまらず、いろんな仕事があるし、多分君の思っている軍事会社とはすこし違うものになって——……」
「……あの、夜刀神さん」
「……なに、話の途中なのだけどー?」
「怒ってるみたいだけど、なにか気に障ったのかと」

 先ほどから、かなり気になっていたのだが……夜刀神葉月は雛樹と目を合わせることはなく、山積みになった書類に目を通しつつ投げやりに説明していたのだ。
 声の調子の乗りも悪い。どことなく、怒気を含んだ物言いが雛樹を地味に追い詰めていた。

「しずるんはね……」
「し、しずるん、だと」
「士官学校に在籍していた時、寮のルームメイトだったのね。本当に、真面目で賢くて、しかも教官すら圧倒するほど強かったのよ。でも、部屋で二人っきりの時に見せる笑顔にやられちゃってねー。もう骨抜きにされたわけなの」

 これはどう解釈したものかと、雛樹はしばらく迷ったが。まあ、あまり複雑に考えず、この夜刀神葉月は結月静流のことが友達として好きなどだということにしておいた。

「ほんと、どんなに辛いことがあっても泣かない子だったの。そんなしずるんを……泣かせた男がここにいるかと思うと……怒りと嫉妬でまともじゃいられないわ」
「と、言われても……。ターシャとは昔馴染みだからな」
「ターシャって呼んでるところがもう……社員じゃなかったら抹殺してるところだわ。社会的に……悪い虫がつかないように見ててって言ってるのに、“姉さん”は何やってるのかしら……!!」

 そこからグダグダと、静流に対する愛やら雛樹に対しての嫉妬やらの言葉を垂れ流した後……。ようやく本題へもどってきた頃には雛樹の顔は冷や汗で濡れていた。

「お兄さんの実力は確認したから。しずるんとあなたの模擬戦闘映像を送ってもらったことでね。だからこそ、こんな弱小のPMCに来てくれるなんて思ってもみなかったわ。少なくとも中堅企業の部隊には、この映像だけで入隊できるんだもの。いくらしずるんの勧めがあったとはいえ……」
「俺は別にどこでもいいのさ。この都市に慣れてもいないし……あまり大きな組織だと、後々やっていけなさそうだから」

 ……と、そこで気になったある一言。弱小のPMC……、とはどういうことか問うてみると。

「アタシ一人で切り盛りしてる会社だから、小規模底辺は当たり前でしょう。あなたが来ても二人目」
「……嘘だ」
「本当よ。見てよこの散らかりっぷり」
「それはあなたの怠慢の賜物だろ……」
「3ヶ月前まであと3人ほどいたんだけどね……優秀だったから、他の企業に引き抜かれちゃって困ってたところなの」
「ターシャが言ってた、助けてあげてほしいっていうのはこういうことか……!」

 雛樹が言った、散らかっているのはあなたの怠慢だという言葉を気にしているのか、自分の書斎机の上だけでも片付けようとしている夜刀神葉月。その正面まで移動してきた雛樹は、静流の言葉を思い出していた。

給料がまともに出るのか云々……。

「お給料は、取ってきた仕事の報酬、その一部よ?」
「一部ってどのくらい……」
「簡単に言えば会社7割、お兄さん3割」
「……」
「そうしないと、立ち行かなくなるのよ……。あ、でも会社分の7割から、お兄さんの働きに合わせてプラスαするわよ。そのへんはちゃんと考えてあるから心配しないこと。社員あっての会社だってことを3ヶ月ほど前に学んだから!」

 3ヶ月前……大事な3人の社員をヘッドハンティングされて初めてそれを学んだのかと、雛樹は苦笑いするほかなかった。

「お兄さんと私だけでこの会社を背負っていけるとは思っていないわ。新しい社員も随時募集しているから……」
「あの……いや、いい」
「……言って」

 何か言わんとした雛樹だったが、酷かと思い止めた。しかし、夜刀神葉月はその言葉を言うように催促してきたのだ。

「……この会社を畳んで、他の会社に雇ってもらうっていう選択肢はなかったのかと」
「ありえないわ!!」「うるさい」

 とんでもない剣幕で否定されてしまい。雛樹は驚きで片目を閉じ肩を竦めてしまった。ついでに食い気味に口からぼそりと出た感想。この反応は予想していたために言いたくなかったのだ。

「いい!? 士官学校を卒業してからどんな思いで私がここに会社を構えたか知ってるの!!?」
「知ってるわけないぞ。止めてくれ、怒りに任せてそういうこと言うの。困るだろ」
「知らないんなら、そんなこと言おうとしないこと!!」
「……ごめんなさい、マム」

 もう、手の施しようがなかった。美しくツヤのある髪を逆立てる勢いで食いかかってきた葉月に対し、雛樹はただただ圧され、萎縮してしまっていた。

「……っはあ、はあっ……ああ、めまいが……」
「一気に頭を沸騰させるからだよ。血色が悪いのに無理しないほうがいい」
「だれが……沸騰させたか思い出させてあげようか」
「俺……私です、マム」
「わかればよろしい……」

 どうも、不健康そうな血色の肌は伊達ではないようだ。ひ弱な印象を受ける彼女がどうやって今までこの会社を保たせてきたのか……。

「そうそう……ここで、一兵士として働くにあたってのことを言っておくわね」
「一兵士……階級などのこと?」
「そう。しずるんは少尉、アルビナさんは大佐といった風なこと……そうね、これを見て」

 雛樹の目の前に現れたモニターに、この方舟における階級制度の概要が表示される。
 かなりシンプルで分かりやすいものだ。


 一番上から、将官クラス……大将、中将、少将、准将
 次点、佐官クラス……大佐、中佐、少佐
 尉官クラス……大尉、中尉、少尉、准尉
 そして、曹長、軍曹、伍長、兵長、上等兵、一等兵、二等兵と下がっていく。

 その中でも、所属部隊の役割で呼び方が変わってくるのだが。
一例として、静流は戦闘兵のため、センチュリオンテクノロジー所属戦闘部隊少尉となる。
 エンジニアなどの、技術兵となるとまた呼び名が変わってくるのだが……。

 それぞれの企業が持つ軍隊に、陸海空のカテゴリー分けがないためにこういった階級で統一されているらしい。

「で、その階級は企業連の定めた点数を稼ぐことで上げていくことができるわ。より困難な任務、苛烈な仕事には高い階級点クラスポイントが付くの。それを兵士が獲得し、ある一定のラインを超えると昇格するわ」

 なるほど、と。雛樹はどこか合点のいった表情でモニターに見入った。

 階級クラスを年功序列ではなく、完全実力主義を匂わせる、点数ポイント制にすることで、より実力のある者が権力を持てるようにされてある。
 だからこそ、静流のように19歳という若さで尉官につく人間もいるということだ。

「あ、しずるんは流石に特別よ。膨大な階級点を稼いだ上で尉官クラスになると、企業連による審査があるの。それをクリアできる19歳なんて、彼女くらいのものだわ。流石はしずるんよね」
「……そうなのか、やっぱり。で、俺は二等兵なのか?」
「いえ……あの、ここが弱小のPMCと言われる弊害なのだけれど……。小規模民間軍事会社の兵士に階級は付きづらいの」
「……あ、そうなの」

 あまりの拍子抜けっぷりに、雛樹は脱力してしまった。一応、少年兵として戦場に立っていた昔の自分には、ある程度の階級は付いていたのだが……。

「ひとりひとりに階級点クラスポイントがしっかり入って階級が付くのは100を超える兵士を保有しする方舟企業の軍隊、と……まあ、色々ルールがあるのだけど」
「こういった、PMCならどうなるんだ?」
「任務でついた階級点は、すべてその会社に入るわ。そしてその階級点の10分の1が、任務を全うした兵士に入る」
「少ないな……任務報酬のポイントが会社に入ると、どうなる?」

 兵士に入らない代わりに、会社に入るということは……会社自体にも階級というものがあるのかと考えるのが妥当だ。雛樹はそのことを具体的に教えて欲しいと言うと、彼女は目を輝かせながら答えてくれた。

「ある程度会社に階級点がつくと、様々な制約が解放されていくわ。保有できる兵士の数だったり、兵士に振り分けられるポイントの上昇、基地や格納庫の保有許可、二脚機甲などの兵器所有許可……それに、名が上がっていくと入隊志願兵も増えるし、企業連の正規部隊から兵士の配属も検討されるの」

 いうなれば、PMCが階級点を稼げば稼ぐほど、規模が大きくなり、兵士ひとりひとりに階級点がつけられるほどの企業となっていくわけだ。

「まあ……点数だけじゃなくて、他国からの要請受理やその他ビジネスでのお金稼ぎによる、方舟に対する貢献度も重要になってくるのだけどね……。それは追い追い、なんとかしていくわ」

 そこで、心機一転とでも言うように夜刀神葉月は雛樹がくる前に受注していた任務内容をプリントアウトした冊子を渡してきた。

「今回は、私が仕事を取ってあるの。あなたの初任務となるものよ」

「……“セントラルストリートパレードの警備”?」

 それぞれの企業の腕の見せ所。最新鋭の兵器を並ばせる防衛力誇示のためのイベント、その警備。

「あっ……」
「何かしら? 嫌だとは言わないわよね?」
「いや……、大丈夫」

 アルビナが言っていた。パレードの日は静流に休日をくれてやっていると。一緒に楽しんで来い、と。

(これは、ちゃんと話しておかないとな……)


 あらかたの説明を聞き終えると、『今日のところは帰っていいわ』と言われて
雛樹は外へ出ることになる。外に出るやいなや聞こえる、車のクラクション音。
 門の向こうに見える黒と青の乗り物。車輪が存在せず、浮遊しているそれの窓が開いたかと思うと、迎えに来たとぶっきらぼうな一言。

 雛樹は何も言わず、門の向こうのその乗り物の助手席に乗り込んだ。

「仕事はどうしたんです?」
「今日は家族全員早上がりだ。余計な気を回さなくていい」

一瞬体を包む浮遊感、そして座席の背もたれに押し付けられる加速感。窓の外を見ると、みるみるうちに先ほどまでの地上の風景が眼下に広がっていっていた。

「本当にすごいですね。この都市の技術は……車まで空を飛ぶのか」
「この程度でいちいち驚いていては身がもたんぞ」

 この海上都市メガフロートでの、雛樹の住居は結月家が用意することになっていた。
 結月家が所有している巨大な屋敷。そこはセンチュリオンノア、一等居住区にある。
 ヨーロッパの、石造り石畳の中世を意識した街並みの一等地に構える豪邸は医師である結月家の大黒柱と、アルビナの稼ぎで建ったものだ。

 まるで宮殿とも言えそうなその豪華で古風な外観は、元々本土、そしてロシアの地に住んでいた両親の意向から、あまり金属質な場所には住みたくないとのことで、わざわざ高額を支払い、リゾート地でもある一等地に屋敷を建てたという。

——……。

「入隊もできなかったポンコツが、こんな豪勢な屋敷に住めて良かったですね」
「……辛辣しんらつぅ」

 目を疑うほど広大な応接間。暖色の明かりに照らされたそこは、アルビナが他国から取り寄せたという豪華でシックな調度品が置かれ、赤く肉厚の絨毯がぴっちりと敷かれている。
 そこで凛と立っていた、黒いドレスを身につけた女性……結月静流は、ふいと顔を逸らせてそんなことを雛樹に言い放ったのだ。

 それにしても、なんとも露出の激しいドレスだ。ぱっくりと割れた胸元からは、豊満な胸の谷間が余すことなく見えているし、もう尻が見えるのではないかというほどのスリットが入ってしまっている。
 普段はおろしている髪も、頭後ろでまとめあげ、薄く化粧までしてしまっている始末……。

「……嘘です、すいません。悪い子ですね……私」
「いいよ、別に。入隊試験に落ちたことはこっちの落ち度だしな」
「今日は母の部隊の人たちも交えた、あなたの私たちとの再会パーティーです。かなりの実力者が揃うので、うまく溶け込んで入隊する日に備えてくださいね」

 辛辣な言葉を放ってきたかと思えば、急にしおらしくなる静流。自分が口にしている言葉の意地の悪さに気づいていながらも、やり場のない虚しさをぶつける相手に飢えていたのだろう。しかし、すぐに思い直したようだ。
 しかもどうやら静流からすれば、いつか雛樹はセンチュリオンテクノロジーに所属するということが決定しているらしい。その期待に応えられるのかどうか、怪しいところの雛樹は力ない苦笑いを浮かべることしかできなかった。

 働く場所も、住居も、食料も。何もかも世話になりっぱなしな自分が嫌になる。世話になりっぱなしなのは気を遣うし、何より柄じゃない。
 静流は、自分に何か恩を感じているようだが……。別に、恩を感じて欲しくて、世話をしていたわけではない。

 大企業である、センチュリオンテクノロジーへ所属してほしい。そしてまた、肩を並べて戦場に立ちたい。そう願う静流の気持ちは、雛樹もわかっていた。
 どうも釈然としない気持ちの中、歓迎会は始まった。

 今まで見たことのない空間で、豪華な料理を前にした立食パーティー。静流に渡された赤ワインの入ったグラスを傾けながら、雛樹はバルコニーで一人夜風に当たっていた。

「ふぅ……すまないね。アルビナの部隊がいるのは、先日重要任務を終えた労いも兼ねた宴席だからなんだ」
「ん、恭弥きょうやさん……それこそ、俺だけのためにこんなの開かれてたら居心地悪くて仕方なかったよ」

 グラスを傾けるたびに顔をしかめる雛樹に、白髪交じりの頭に眼鏡をかけた優男は苦笑いしつつ、『口に合わないなら置いておけばいいよ』と言うが雛樹がグラスを離すことはなかった。

「あなたの娘さん、人気者だな」
「ああ……こういう席ではいつものことさ」

バルコニーから見える部屋の中では、アルビナの部下である優秀な男性兵士に囲まれ、困り顔で対応している静流の姿があった。ちらちらとこちらを見ていることから、なんとかして抜け出してきたいという気持ちが見えるが……。

「皆優秀な兵士だ。静流にふさわしい男達だよ。特にあの……」
「興味ないな。……あんたのその意地の悪さは昔から変わってないのな。そういうところは親父も嫌ってた」
「はは、君のそういう不機嫌な顔を見るのが好きでね。しかし……残念だ。CTF201が壊滅したと聞いた時に覚悟はしていたが……本当だったんだね」

 バルコニーの手摺に肘をついて夜景と向き合った雛樹とは対照的に、静流の父……結月ゆいつき恭弥きょうやは夜景に背を向け、パーティ会場を眺めていた。
 結月恭弥はCTF201の軍医を離れた後、このセンチュリオンノアで小規模な医療施設を開いた。もともと腕のいい軍医だった恭弥のことだ。ここで成功するのはたやすかっただろう。
 今や、センチュリオンテクノロジーに所属している兵士たちの面倒も一手に引き受けられるほどの規模の医療施設、その責任者にまでなっていた。

 ただ、昔から性格はどことなく悪かった。雛樹の父も“あの饐えた腹のヤブ医者にはかかりたくない”と。一切の医療行為を拒否していたほどに。
 だが、それでもアルビナに好かれる部分があるのは確かなのだ。

「体つきを見ればわかる。長い間、鍛錬を欠かしていなかっただろう。怪物殺しの腕は鈍ってないと見た」
「俺のことはいいから。早くアルビナさんのところに行ってやればどうだよ」
「彼女は彼女で楽しんでいるよ。飲兵衛の酒盛りに巻き込まれてはたまらないからね」
「……下戸だしな、あんた」

 雛樹のため息が深く長く続き、虚空に消えていく。隣にいる静流の父は、黙っていれば余計な口しか叩かないらしい。成長した娘はどうか、君もパートナーを見つける時分じゃないのかなどと……。

「静流が本格的に困り出したみたいだねぇ……。どうだい、王子様。連れ出してあげるというのは」
「あんたそれ……ターシャに言い寄ってるあれらに何言われるか……」
「彼らと馴染んでおけって娘に言われたかい? 君がそういうことを気にするのは違和感あるな」

 どこか小馬鹿にしたような調子でそんなことを言われ、雛樹は小さく舌打ちした後、バルコニーの手摺てすりから離れた。そして静流の父、結月恭弥に右手の人差し指を突きつけつつ……。

「行ってやるけど、別にあんたに言われたからじゃないからな。俺も話したいことがあっただけだ」
「はは、そういうことにしておくよ」
「くっそ……腹立つな」

 結月恭弥のしたり顔を背に、バルコニーから部屋へ入っていった。雛樹は、アルビナの部下である優秀な兵士たちに囲まれた静流の元へ、一直線に歩いていく。

「今度、私と食事でもどうかな? 静流さん」
「あはは……食事なら今しているじゃないですか」

 随分と押しの強い男性兵士に、静流は困り顔で対応していた。アルビナの部下、かつ自分の同僚で、このねぎらいを込めた宴の席ということもあり、邪険に扱うことなど出来ないでいたのだ。
 これが、関わりの少ない人物ならば一蹴してやるところなのだが……。

「私と二人きりで——……ん?」

 屈強な男性兵士の方が先に、こちらへ向かってきた男に気がついた。今は自分のアピールタイムだとでも言うように、他の兵士たちを近づけさせなかったのだが……。これはとんだイレギュラーだ。

「おい君、私と静流さんは二人で話しているんだ。少し放っておいてくれないか」
「二人で話したいなら相手の顔色くらい伺えって、昔アルビナさんに教えられましたが、どうです?」
「なんだ、静流さんが嫌がっているとでも……」
「ターシ……結月さんにも、話し相手を選ぶ権利はある。いいからその怪しい右手を離してやってほしい」

 その男性兵士は、静流を逃さんとするためかグラスを持つ方とは逆の手で静流の手を握っていたのだ。
 その、握っている箇所を雛樹はちょいちょいと人差し指で指し示しながら、呆れた表情でそう言ってやった。
 自分でもよく言えたものだと感心する。男のしたり顔に腹が立ったのか、ターシャを取られまいとしているのか……。

「……申し訳ない、静流さん」
「はい。もう少し、余裕を持って接していただければ助かります」

 話がわかる人間だったのか、その男性兵士はすぐさま静流から手を離した。

「あ、俺は余裕ないので、遠慮なく結月嬢借りていきますねー」
「は!?」

 離れたと見るや、雛樹はすぐさま静流の手首を握り引っ張ったのだ。これを見て男性兵士は面を食らった。このヒナキは自分のことを棚上げして自分に放してやれと言っていたのかと。

「えっ……ちょっ、ヒナキ?」

 前につんのめりそうになりながらも、静流は引かれるがまま、いや、惹かれるがまま雛樹の背中を見つめ追いかけた。
 そのまま薄暗いバルコニーへ出ると、雛樹は静流の手を離し一息つく。

「悪い。もうちょっとうまい連れ出し方があったんだろうけど……。睨むんだものあの野郎。怖いわ……」
「なんですかそれ、かわいいです」
「……ターシャに真顔でかわいいなんて言われる日が来るとはな。うわあ、複雑な気分だ」


 先ほどまでバルコニーにいたはずの、結月恭弥の姿は見当たらない。どうやら、いらぬ気を使って何処かへ行ったようだが……。

「あの、申し訳ないですヒナキ。楽しめてないですよね……」
「いや。十分楽しめてるよ。本土にいた頃では考えられない豊かさだ。その日の食料にも困ってたくらいだからさ」
「とんでもなくよく食べますものね」

 そう言って笑う静流……の、その胸元にどうしても目がいってしまう。パックリと開いた胸元……下弦の月を思わせる、魅惑の弧。
 そしてその膨らみを強調させる腰の谷と、程よく突き出たお尻が目を引いて離さない。

「そんなに気になります?」
「いやだって昔はもうドラム缶みたいな体つき」
「あはっ」
「ドラム缶風呂によく一緒に入ってたから。ドラム缶風呂に入ってたって話なんだどこから出てきたそのナイフ。真顔で刃先を向けるなこわい」

「一兵士たるもの、いつでも己の身は守れなければなりませんから」と、平然と言いながらドレスのスリットをめくり、太ももに備えたナイフの鞘に刃を納めた。
 絹のような肌とムッチリとした肉付きの脚にも瞳がついていってしまうことに、静流がそれだけ魅力的な女性になったと認めざるを得なくなる。

「私のナイフなんて、どうせかすりもしませんし」
「何拗ねてる。流石にナイフを振られたら捌けるかどうか……」
「試していいですか?」
「その格好でか。胸が出るぞ」
「見たいならどうぞ。ここには他に誰もいませんし、見せて恥ずかしい胸ではないですから」

 そんなことを平坦な声でかつ、ジトッとした目で言うものだから雛樹は静流の本心を探れないでいた。本気で言っているのか、違うのか……。
 静流は昔から感情が読み取りにくい女の子だった。数年経った今、日本語をほぼ完璧に習得し、流暢に話すようになったが……それでも彼女の表情の変化の少なさには不安を覚えていた。
 言葉の端々に見える感情を汲み取って、なんとか静流というものが見えて来る程度だろう……あまり静流を知らない人間にとってはだが。

「……ヒナキ、戯れにおしゃべりするのもいいですが、何か私に話したくて連れ出してくれたのでしょう?」
「そうそう、そうなんだ。流石はエリート」
「貴方にそう言われると皮肉にしか聞こえないです、ええ」
「なんでお前の俺への評価はそんな高いんだ……」

 取り急ぎ伝えなければならないのは……、自分の初任務についてだ。一緒に行くと言っていたパレード、その警備につくことになったと雛樹は伝えると。

「は、づ、きぃぃいぃぃぃい」

 歯ぎしりしながら心底恨めしそうにそう唸り……すぐさま、静流は通信端末を取り出してどこかに繋いだようだ。

《こんばんは、しずるん。どうしたのかしら?》
「葉月……あなた、わざとですね……」
《なんのことかしら?》
「私とヒナキがパレードを一緒に観に行くと知っていて、任務を押し付けましたね……」
《ふふ、それもあるけど……。知ってる?しずるん。今回のパレードの警備、お金がいいのよ?》
「……知っていますが」
《例年に比べて、粒子性兵器が多く並ぶらしいから、それでよ。それに、うちの社員をどう使おうが勝手でしょう? しずるんとは今度私がデートしてあげるわ》
「……葉月」
《なあに?》
「今度会った時、泣かせてあげますから覚悟なさい」
《……えっちょっと私なにされ》

 そこまで聞いた後に無理やり通信を切った静流は、疲れた表情で残念そうにため息をついた。

「任務ならば仕方ないですね。とても残念ですが……」

 ため息まじりにそう言った静流だったが、ヒナキに会えたことだけでも幸運だったのだ。自分にとって都合のいいことばかりあっていいはずがないと、どこか強く自分を戒めている彼女は落ち込む自分を責めた。

「あと、言いたいことがもう一つあるんだけど、いいか?」
「はい、なんでしょう」

 雛樹の口から出た、もう一つの言いたい事。それを聞いた静流は、さらに自分の感情を抑えることになった。


……——。

《お父様、勝手なことしてごめんなさぁい……》
「まだ気にしているのかい、ステイシス。怒ってないと、何度も言い聞かせているだろう」
《でも……。アルマのせいでたくさんお金無くなったんでしょぉ?》
「はした金だ。気にすることはない」

 企業連合・兵器統制局本部最上階。広いドーム状の暗い部屋は、所々にある青い明かりでぼんやりと照らされていて、その中央に浮いている大きな金属球。
 その巨大な金属球の中に、ステイシス・アルマは存在していた。

 金属球型の拘束室の表面にはグレアノイドの赤光を思わせる、電子回路のようなラインが走っている。そして周りには淡青に光るモニターが一定間隔で展開し、中に居るであろう方舟最高戦力の状態を可視化していた。

 その球の外で、この殺伐とした怪しい空間に似合わない書斎机に、優雅に座ってコーヒーを啜っているのは兵器統制局局長、高部総一郎たかべそういちろうだ。
 細身の男性。理知的だが、どこか畏怖を抱かせるような恐い顔には幾つかの傷がある。着ているスーツには一本のシワもなく、彼の潔癖さを表しているようだ。

「いつも言うことだが、私はお前に自由に生活して欲しいと……そう思っている」
《いっつも聞かされてるぅ》
「ああ、だができないでいた。人と触れ合えないお前の体質と、心身ともに不安定“だった”今まで……そして、方舟の最高戦力としての位置付けがそうさせないようにしてきたからだ」

 そう、つぶやくように言った後、カップに口をつけてコーヒーを啜る。そして、開いたモニターに表示させたとある一人の男性。
 これは、海上都市のみに巡る“電脳世界アークネット”に上げられた、結月静流と“祠堂雛樹”との模擬戦闘のキャプチャー画像から切り取った、雛樹の静止画だ。

「触れ合えたと、言っていたか」
《そうよ、触れたわ。もう何年も前からずっと感じてた気配の元の人間と、お口を重ねたのだけどぅ……なんであんなことしたのかしらぁ》

 祠堂雛樹にした、口づけ。まず、なぜ粘膜同士を触れあわせたいとなどと思ったのか、キスという言葉すら知らない彼女は本能でした自分の行動に疑問を持っていた。

「はは、それは彼のことが気になっている証拠かもしれない」
《しどーひなきのことがぁ?》
「ああ。物覚えの悪いお前が、もう名前まで覚えているのか。素晴らしいな。彼が来てから気配が強くなったかい」
《とても近くに感じるぅ……。もっともっと近くがいいけれど、わがままはもう言わなぁい》

 怒られるからぁ、と。それきりステイシスは黙ってしまった。高部総一郎はモニターにつらつらと並べられた祠堂雛樹の情報に目を通しつつ、呟く。

「彼が来てから、ステイシスの体調は身心共に安定している……。投薬も必要ないくらいに。ようやく、彼女を任せられる人間が現れてくれたか……?」

 その男はそう言って、心底うれしそうに……作った笑みを顔に貼り付けたのだった。


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