幸せから一を引くと辛い

ノベルバユーザー173744

幸せから一を引くと辛い

一言申し上げるが、私は酒乱ではなく、元々隠していた本性に毒舌、記憶力がよすぎて、
『酒の席では無礼講、ですよね?』
と、本来の意味を知っているが知らない振りをして、今まで受けた嫌がらせ、セクハラ、パワハラに対しての仕返し…ではなく口撃する時々一気のみや、寿司桶で殴り飛ばす人間である。

人と言うのはたちが悪く、良いことをしていただいたときには、感謝して終わるものの、嫌がらせは表面上終了したとしても、根に持つ…。
いや、私はした相手の名字や顔やされたこと、受けた嫌がらせなどはほとんど忘れている。
一番傷ついた事だけ覚えているものの、他は記憶がない。

消去したのだろうと…主治医は言う。

消去…それだけ苦しかったのだろうか?
私は、小学校4年生から、中学校2年生の記憶と、苛められてないが、追い詰められていたのだと主治医が言った高校三年生の記憶が半分以上ない。

学生時代、友人と話をしていたことすら覚えていない。
担任の名前も忘れていて年賀状で思い出した程であり、同級生等は結婚して姓が変わってしまうと……?となり、他の友人に、
「ねぇねぇ!!○○さんって誰?」
と電話をする。

私の時代は父親や母親が、好きな俳優さんの名前をつけるのが流行っていたので、下の名前が一緒の子が多かった……致命的である。

『はぁ?○○さんって◇◇ちゃんでしょ?何で解らないの?』
「◇◇ちゃん……って誰?小学校?中学校?高校?」
『そこから分からんの!?だいじょうぶ?病院に行く?』

本気で心配されるほど、人の顔と名前を覚えるのも苦手だった。
高校二年の時にドイツからの留学生が一年在籍されたのだが、美人な金髪の女の子だなぁ……と覚えていたものの、名前も、目の色も覚えてなかった。

『はぁ!?二年はクラス違ってたけど、あの人有名だったでしょ!?』
「そうなの?う~ん色白で、美人な女の子!!金髪きれいだなぁ……しか覚えてない」

友人は本気で頭を抱えた。

自分も一応、何で覚えていないのか悩んだものの、良いかぁと思っているのだが、あまりにもひどいと気にかかり、それで必死になって情報集めをするが、高校以外はやめておくことにする。
小学校、中学校は、忘れたいのだろうと思ったのだ。
しかし、向き合ったことが良かったのか悪かったのか……いまだに苦悩している。
今年に入ってからの様々なことに……。



私は頑固である。
完璧主義者で人には要求しないが、自分を追い詰めるほど努力をする傾向がある。
それはどうしてなのか、覚えていなかった。

だから、年末に自力で忘れたかった過去を…一つ一つ暴いていったのだ。
自分でも…馬鹿だったと思う。
でも、これはしておかないと、私の友人はそんなことはないが、私が嫌悪する、恐怖に怯えるものに立ち向かえないと思ったからだった。



私は、周囲の兄弟も特別な才能を持っていたし、記憶が怪しくても、幼馴染みと私を信じて笑ってくれる友人の名前やあだ名は覚えている。
琴の師範となったこと、そして三味線と尺八の勉強をしていることを羨ましかったし、ピアノの先生をしているお母さんに習っていると言う友人が羨ましかった。

それよりも、『家』が羨ましかった。



私の実家は祖父が田舎から県庁所在地に出てきて、一代で財を為したと言われていた家である。
一時期は料亭に、旅館などなど手広く商売をしていたらしいのだが、かなりルーズで酒が入ると大盤振る舞いをしていたらしく、私が生まれた頃には、旅館二つを弟妹に譲り、弟を大学に行かせたり、妹にもう一つの食堂を譲り、自分は残った食堂の仕事をするわけでもなく、地域の民生委員や、娘や孫の学校のPTA会長をしたり、その仕事だと飲み歩き…はっきり言って財産を作る→使い果たす→でも、何かの行事で金品を包む事になった→見栄を張るために、多額のお金を包みたい→でも、財布の中のお金は酒につぎ込んで、ない→じゃぁ、と食堂の金庫からお金を抜き取る→翌日、ほぼ食堂を任されていた父が、金庫の中身を見て愕然とする→バブルがはじける前とはいえ、中学校を卒業したばかりの少年少女全員に一人10万円を包んでいたと最近聞いて、祖父が生きていないことを後悔したことはない。

祖父だろうが何だろうが、蹴っている!!その自信がある。

そんな馬鹿げた…自分を大きく見せようと思ったのだろうか?それとも名士ぶりたかったのか?…行為に、今でも父は、金庫の中身を見たときの衝撃を時々呟く。



「わしの実家は田舎やけん、まぁ…親父…お前たちのじいちゃんは、白内障で若い頃から目は悪かったが、ええ人やったぞ?子供や孫に何かを残そうとがんばっとった。それにの…じいちゃんは、昔の差別的発言とか、行為を物凄くきろうとって(嫌っていて)、竹林をもっとったけん、そこに『竹を切らせてくださいませ、いえ、売っていただけませんか?』と来る人に、『あぁ、えぇぞ~全部切ったら来年困るけん、所々、頼むの~。後で、ここで待っとるけん、来てくれや~』と言って、ばあちゃんや、隠居のばあちゃんに頼んで、料理を並べてまっとったんやと」

ばあちゃんは祖母、隠居のばあちゃんと言うのは、祖父母の母ではなく、祖母の一番上の兄の奥さんで、夫である私の大伯父は、日清戦争で戦死している。

子供がおらず、家をどうしようと言うときに、生まれたのが祖母で、祖父は婿養子である。
しかし、祖父母も大伯母を実の姉のように接して、隣に小さい家を作り、そこに住んでいた。
昔ながらの隠居である。

そして、竹を取って戻ってきた人たちに、

「おつかれさん。めし食うておかえりや」

その声に唖然としていたと祖父の横で兄弟たちといた父は、言う。

「あの当時は…わしは全く知らなんだけど、色々な差別があったらしいわ。うちのじいちゃんやばあちゃん、隠居のばあちゃんは全く気にせんかったけど、大変やったろうなぁと思う」

膝をつくその人たちに席を勧めて、一緒に食事を取り、銀製のパイプを愛用していたのだと言う祖父に、一人の人が、自分の履いていた草履をひっくり返して、地面に座り、頭を下げたのだと言う。

「旦那さま、タバコをいただけませんか?吸いかけでも…」

と言うのを見た祖父は、

「膝をつくんじゃないわ。お前さんらは、わしが仕事を頼んだ職人さんや。増えすぎた竹を日が当たるようにしてくれて、だんだん…」

と、席に戻ってもらい、お酒を勧めたり、タバコに料理にと楽しんだのだと言う。

仕事をしてもらったからと、お金を出そうとした祖父に、職人さんたちは、

「いいえ、いいえ!!本当にありがとうございました。ご恩は…」
「恩?わしの方が助かっとるんやけどのぉ…わしはほとんど目が見えんし、その上ほらの?」

祖父は腕を見せたのだと言う。

「わしは目が悪いんよ。でも、昭和19年の春に召集令状が出ての?この山の中を重い荷物に、えっちらおっちら歩いて県庁所在地のお城の麓の堀の中のとこまで一月歩いて行ったらのぉ…審査に落ちたんじゃ。そらそうやわい、この目やけん。でも、えらい(とても)事言われたわい。まぁ、でも帰るか~思うたら、これが…」

と父の頭をポンポンとして、

「生まれとってのぉ?姉さんや嫁たちに、会えて良かったと、帰って良かったと思うとるよ。当時は嫌がらせもあったがのぉ。生きてなんぼや。それで、これは、目が悪いけん鎌で草刈りしよったらスパッときったんよ。で、慌てて行ったら、ちょうどそこにおったんが教育実習生とか言う医者の卵で、実験台にされたわ」

けらけらと笑う祖父。

「まぁ、血管とか繋がったけんよかったわい。それより、あんたらまた定期的に来てくれんか?わしはこれやし、息子もでかくてこれやろ?」

伯父と父を示す。
伯父と父は6才違いである。

「上のに一人任せといてもかまんけど、一人はのぉ…こっちはこっちで、まだちょこまかしよるし…」
「良いんですか!?」
「かまんよ?おいでや。来てくれたら竹の子もよう太るわ」

とにこにこ笑ってお金を渡して、

「あんたらは仕事に来た職人や。またおいでや。だんだん」

そういったのだという。

父は曖昧だったのだが、父の住まう地域から離れたところに、差別を受ける人々が住んでいたとかで、祖父は村の村長をやってくれと頼まれるほどの人だったという。
兄が生まれる直前、急死した祖父に会いたかった…話をしたかったと思う。



そういう環境で育った父には、全く家という機能を果たしていない、家に来て、ストレスで現在の鬱になった。
祖父が生きていたらきっと実家に連れ戻すに違いない…しかし、父の入院は、母方の祖父に隠されていたらしい。

父はいつも言う。
私が心を病んで出家したい…と願うと、

「お前、知っとんのか!?悟りを開くって言うものは、素晴らしいもんじゃない!!あれは、自分を追い詰め、責め続けて、狂っていく…幻惑を見たり、幻覚、幻聴を聞く…狂人じゃ!!わしは絶対、お前を出家だの寺に預けたりせん!!わしの娘をこれ以上追い込むような世界に、いかせん!!」
「八十八ヶ所徒歩で回りたい!!」
「アホか!!心も体も弱いお前ができるか!!わしが、引退したら車で連れていってやるわ。待ちよれ」

父は基本、私に甘い。
私を認めてくれる数少ない存在…それが父である。



母方の祖父を、好きか嫌いか…聞かれたら即答える。

『大嫌い』

だと。

借金に、口しか出さないお荷物とがらくたの溜まり場でしかない実家を残したからである。
父は常識人であり借金の返済のために、実家を売ろうと提案したが、却下された。
しかも優柔不断な母が、妹たちに食って掛かられ意見を翻したりしたからである。



現在、母は変わろうと努力し、父と弟も刹那の生き方を支えてくれるようになった。
妹と二人きりだったのが、増えている。
でも、甘いのかもしれないが、哀しみは自分の心をさいなむ。
兄一家と仲直りがしたい。
そうすると、妹と弟はバッサリと、

「姉ちゃんが悪いんなら謝りに行けばいいけど、手紙にメール返してこないんなら、ほっとけば?」
「そやで?姉貴悪くないやん。アホ兄貴が『ごめんな?』言うてくるまで待てば?」
「でも、多分……このままやったら、甥姪が可哀想……」

俯いたら、二人がため息をつく。

「二人が、姉ちゃんの子供やったら、相当溺愛してるよね」
「そうやなぁ。絶対、可愛がっとる。でも、姉貴の子供じゃないけん、姉貴に兄貴が謝るまで無視!!」
「……喧嘩したくなかったよう……我慢しとったら良かった……」

心がうずく。

今年は甥の小学校入学式がある。
ランドセルに新しい机、ベッドも揃えるんだと言っていた。
そんなときに自分があんなことを……。
起こったことや口に出したものは元に戻らないが、家族の仲直りが出来れば嬉しいなぁと思う、今日この頃……。
そして、どうして自分は弱い人間なんだろう……我慢していたら良かったのだろうか。
でも、その場合、今でも兄たちの命令は続いていたのだろうな……弟も、父も、母も変わろうとしてくれなかっただろうなと……そう思う。



話し合いがしたい。そう提案した。
すると、いつもは大人しい妹が激昂した。

「何でよ!!むこうが、謝罪なり、連絡するのが筋じゃん!!姉ちゃんが頭下げる必要なし!!」
「そうや!!姉貴が何でそこまで甘いんか、それがわからんわ、逆に」

弟も頷く。

「でも……私が我慢してたら……」
「姉ちゃんが本当に死んどったと思う!!私はいややけん!!兄ちゃんよりも姉ちゃんとるけん!!」

妹は本気で怒る。
昔から余り表情の変化がなかった妹が、最近急に喜怒哀楽の怒りの表情が増えた。
大人しい、感情の上下の余りない淡々とした印象の妹が怒ると本気で怖かった……。
怒らせないようにしようと思っているのだが、怒られてしょげると、

「姉ちゃん怒っとる訳じゃないよ。呆れてるだけ。毎回毎回同じ罠にかかってるタヌキじゃあるまいし……姉ちゃんアホ!!」
「だってぇ……」
「何で、学習能力がないわけ?人の悪意をどうやって善意ととらえるんよ?」

と言う感じである。

もうちょっと学習して……兄夫婦と仲直りができたらいいなと思っている。
でも、そう言うと、妹は、

「兄ちゃんは、姉ちゃんに土下座させてやる!!ついでに、私がグリグリ頭を踏んでやる!!待ってろ!!バカ兄!!」

と吠えて……兄は、この大人しく、人の悪口を言わない妹をどれ程怒らせたんだろうとゾッとしたのだった。

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