ルーツレス・クラン

井上数樹

海賊の少年

 カイル・ラングリッジが意識を取り戻すのと同時に鈍痛が甦って来た。気絶する以前の記憶も浮かび上がってくる。
「痛……ッ!」
 船を襲撃している最中に乱入してきた黒いクルスタ。一応抵抗してみたが、実力も機体性能も遥かに上手だった。格が違うという表現はああいう場合に使うのだろう。あまりの完敗ぶりに、悔しいと思う気持ちさえ湧いて来なかった。
「って、そんな場合じゃ……」
 セルヴィの、しかも海賊とあっては、ドミナに生かしておく理由がない。いっそあの時、機体もろとも吹き飛ばされた方が良かったと思うような目に遭うかもしれないのだ。セルヴィに対する司法など有って無いようなもので、行きつく先は死刑台。それもまだましなほうで、狩人の気分になったドミナの私刑に曝されるかもしれない。
 彼はベッドの上に、トランスミット・スーツを着たまま寝かされていた。出ようとしたが、右手首とベッドが手錠で繋がれている。仕方なく、上半身だけを起こして視線を巡らせた。壁も天井も真っ白で、薬品の臭気が鼻につく。部屋のほとんどを薬品棚が占めているが、中身の無い棚も多く、医務室として使う気はさほど無いようだ。とりあえず拷問部屋ではなさそうである。
 だからと言って油断出来る状況ではない。耳につけたピアスはピッキングツールの代わりになるが、生憎手錠は鍵穴が無いタイプで、遠隔式のロックが掛かっている。まさかベッドを背負って逃げるわけにもいかない。結局、紅茶のような色の髪を片手で掻きまわすくらいしか出来なかった。
「打つ手なしかよ」
 これはどうしようもないな、と脱力して枕に頭を落下させた。捕虜に使わせるには柔らかすぎるなと思ったその時、唐突にドアが開いた。
「ずいぶん呑気なのね」
 入って来た少女は、開口一番にそう言った。手にはスープとパンの置かれたトレーを持っている。一見するとカイルと同じ未成熟な少年のように見えるが、短く切りそろえられた黒髪や薄紅色の頬、唇がコケティッシュな雰囲気を醸し出している。ともすれば堅苦しい印象を与えがちな執事服ですら、どこか着せ替え人形のような愛らしさがあった。
 顔立ちは非常に端整で、東洋系の血を濃く引いているのか鼻梁はやや低め。肌の肌理は細かく、冷たさを感じさせるほど色白だ。肌に関してはここには居ないエルピス・ラフラと比べても見劣りしないだろうが、髪が黒い分余計に冷たい印象を与える。そのなかで、頬に淡く血の色が浮かび上がっているのが、分かりやすいセックスアピールよりもよほどエロティックであるようにカイルには思えた。
彼女の特徴がそれだけであったなら、カイルも「可愛いな」と思うにとどめたはずだ。
 だが、彼女の持つ海のように青い瞳が彼の目を捉えて離さなかった。
 いつか見た人類発祥の星を連想させる虹彩は、一方で、どこか澱んでいるようにも見える。光を受けて輝きながらも、全てを覗かせない陰がかかっていた。
 カイルはしばし見惚れた。仲間内にも彼女と同い年くらいの娘は何人かいるが、この少女のように垢抜けてはいないし、ミステリアスでもない。カイルにとっては初めて目にするタイプの異性だった。
「何、呆けてるの」
 少女の声は冷たく、愛想というものがどこにもない。コツコツと床を鳴らしながらベッド脇に近寄り、持っていたトレーをカイルの身体の上に置いた。
「起きれるでしょ」
「あ、ああ」
 ただのバターロールが二つと、一応湯気の立っているコーンポタージュが置いてある。食べなさい、と少女が促した。
 敵から出された食べ物に飛び付くのは、いくらなんでも不用心すぎる。入っている物が必ず毒であるという保証もない。もし自白剤の類だった場合、自分だけでなく仲間にまで被害を出す恐れがある。
少女はそんなカイルの危惧を読みとっていた。
「心配しなくても、何も入れていないわ。リュカに殺すなって言われているから」
「へえ。じゃあ、殺れって言われたらやるのか」
「そうね」
「……」
 少女の有無を言わさぬ態度に押され渋々一口すすってみた。何とも素っ気ない味がする。手順通りにやってはいるがそれ以上に手間はかけない、そんな調理人の意図が見えるようだった。恐らくこの少女が作ったのだろう、とあたりをつける。道理で無愛想な味がするわけだ。
 カイルがポタージュをすすっている間に、少女はリング・コムで誰かと通話していた。リュカという名前が聞こえてくる。恐らくこの船の主人だろう。が、召使いが主人に対してするには少し馴れ馴れしい呼び方の気がする。かと言って、この少女が貴種に見えるかというと、あまりにも執事姿が板についていた。貴種の執事というのもいるにはいるが、そもそも少女がやっているというのがおかしい。それならむしろ、ロリコン趣味のドミナが美しいセルヴィの娘に執事の衣装を着せているという方が納得できる。
(ともかく、そのリュカって奴の面を見ないことにはどうしようも無いけど……)
 カイルはスプーンを皿に置いた。バターロールに手をつけながら、再度入って来た少女を観察する。
(案外胸もあるんだな)
 そんな余計なことを考えられる程度には度胸があった。そして、下襟に付けられたクローバー型の徽章を見て確かにあのクルスタと関係があるのだと再確認する。
 ドゥクス階級にあるものは必ず紋章を持っている。クルスタにペイントする場合もあるし、指輪や腕輪、懐中時計、あるいはバッジのような装飾品に彫刻する場合もある。社会的なステータスを誇示するためにも、こうした古臭い慣習を掘り出してくる必要があったのだ。ともあれ、紋章はそれを身につけているものがどこの誰か見極める上で最も重要な要素であり、海賊という職業の手前、カイルも有名な紋章はいくつか記憶していた。
 だが、クローバーなどという地味な意匠を採用している家など聞いたことが無い。あの黒いクルスタも全く見たことのないタイプだった。オーダーメイドのクルスタなど、力を持ったドゥクスなら当然のように所持しているが、もっと華美でヒロイックな印象を与えるデザインをしている。宇宙の闇に溶け込むような色調も、禍々しい悪魔のような外見も、一般的なクルスタからはかけ離れていた。
 黒いクルスタの印象は、カイルの中でずっと消えずに残り続けた。最初に遭遇した時の圧倒的な性能もさることながら、その持ち主と黒いクルスタの姿とが、あまりにも重なって見えたためだろう。
 ドアが開き、一人の青年が入って来た。
 青年は、白いシャツと黒いスラックスのみというラフな服装だった。にもかかわらず、黒いスーツを着込んだ少女よりも暗い印象を受ける。おそらく、髪のためだろう。豊かな髪は黒過ぎるほどに黒く、染料を用いていると見抜くのに時間はかからなかった。だが、不格好かというとそうでもなく、むしろ彼の纏っている雰囲気に馴染み切っていた。
 なかなか上背があり、肩幅が広く腕も長かったが、筋骨隆々というほどではない。歩き方はしなやかで、ボディビルダーというより、体操選手のような鍛え方をしていることが窺えた。
 端整な顔立ちだが強烈な特徴はほとんどなく、面白みのない顔と言える。それだけならカイルの記憶に留まることも無かっただろう。印象的なのは、少女と同じくその目だった。
 血が澱んだ赤い瞳がカイルを見下ろしている。彼も負けじと睨み返したが、その瞳の奥の奥までは覗き込めない。様々な不純物を取り込み、濃く鮮やかに精製された紅玉のようだった。その印象が顔全体を、さらには全身に妖しい雰囲気を纏わせている。
(悪魔みたいな奴だな)
 カイルの率直な感想だった。
 一方、悪魔みたいと評された青年……リュカの方でも、少年を冷静に観察していた。
 油断したとはいえ、自分に一杯喰わせて見せたクルスタのパイロットが年端もいかない少年だったことに驚いた。と同時に、自分も彼と同じ年齢の頃にクルスタを乗り回していたことを思い出して苦笑した。それを嘲笑と受け取ったのか、カイルがむっとした表情を作る。実に感情の読み易い少年だった。
 まだ幼さの抜けていない顔を赤い癖毛が飾り立てている。しばらく切っていないのか、耳が隠れるほど長く伸びていた。目を細め、口の端をキッと吊り上げているが、どちらのパーツも大きいため見るからに快活な印象を与える。所々傷跡があり、日常的に身体を張っていることが窺えた。背丈は中背と言った所だが、スーツ越しに見える肩幅が意外と広く、すでに少年という時期から抜けかけていることを表していた。
「なんだよ、人の顔をじろじろ見てさ」
 顔の印象とは裏腹に、声はやや低く、それでいてよく響いた。
「気丈な奴だ。ドミナに向かってそういう口を利くなんて」
 腰を曲げて顔を覗き込んでくるリュカの態度は、それだけで十分挑発的だった。リュカの方でも、挑発に対してどのように返してくるか試す意図があった。
「悪いかよ」
「常識的とは言えないな。第一、礼儀がなってない」
 その上品ぶった言い方に、頭がカッとなった。
「誰が……!」
 我慢の限界だった。どうせ命乞いをした所で無駄だと知れている。それなら一泡吹かせてやる方が痛快だ。
「お前らなんかに!」
 手錠をかけられていない左手は、毛布の下に隠してあった。二本の指で、すぐ目の前にあるリュカの顔に向かって突きだす。
 だが、指先が彼の目に到達する寸前で、カイルの身体はあっさりと捻りあげられていた。細身だが力は強く、情けないことに痛みで涙が浮かんだ。
「賢いとも言えんな。クルスタに乗っても敵わなかったことを忘れたのか?」
「糞っ……!」
 カイルは悔しさを隠そうともしなかった。リュカは小さく嘆息する。
(リュカ?)
 気づいたカーリーが囁きかけるが、リュカは答えなかった。仮面を必要としない少年の率直さを一瞬でも羨ましく思ったなど、自分でも認めたくなかった。
「子供じゃあるまいし」
 リュカは、カイルの腕を離した。
「マヤ、もういいぞ。銃を下ろせ」
「はい」
 執事服の少女……マヤは、カイルが動いた瞬間からコイルガンを構え続けていた。目は据わり、引き金を引くことに対して一切の躊躇いを持っていない。この少女が撃たなかったということはつまり、最初から反応を見ることが目的だったということだ。カイルは手首を振りながら歯噛みする。それだけに、次にリュカが放った言葉に彼は耳を疑った。
「その度胸と反骨精神を買おう。今の時代、セルヴィでそれを持っている奴は少ない」
 リュカは手錠の鍵を外し、マヤにカイルの丈に合った服を持って来るよう命じた。少女は警戒を解かないまま、それでも命令に従ってホルスターに銃を戻し、不安そうな表情を浮かべたまま部屋を出て行った。
「……どういうつもりだよ」
 拘束されていた右手首を回しながら、カイルは言った。この男は今まで見て来たドミナとは何かが違う、と直感が告げている。だが、善人かと問われるとそうとも思えない。まだカイルは彼を信用出来なかった。連中の悪趣味さときたら、いくら警戒しても足りないほどなのだから。
 カイルの質問に対してリュカは小さく肩をすくめて見せた。
「言った通りだ。お前の度胸が気に入ったんだよ」
 リュカはベッドの上に腰を下ろした。
「俺は少し訳有りなんだ。実際にはドミナじゃないんだが、その気になればスペルを使える。宇宙港のスペル・ディテクターを抜けるくらいどうってことはない。問題はその先にあるんだ」
「待てよ、ドミナじゃないのにスペルが使えるなんておかしいだろ! スペルが使えるからドミナなんじゃないのか?」
「ああ、ドミナということにしてもいいだろうな。でも本当は俺もセルヴィなんだよ」
「わ、わけがわからない……」
「今は真面目に話すつもりがないからな。わからなくていい。俺だってまだお前がどういう人間か見極めていないんだ。条件は同じさ」
「……それで、俺に何をやらせるつもりなんだ?」
「復讐」
 その一語があまりにも簡単に出てきたため、カイルはかえって意味が分からなかった。
「……の、手伝いだ。アルバイトだよ。もちろん金も払う」
 海賊という仕事柄、金という単語にだけは興味が湧いたが、すぐに話の不透明さに危機感を抱いた。易々と引き受けられることではない。
「冗談じゃない、そんなわけのわからないことに付き合わされてたまるか。あんたにどんな恨みがあるのか知らないけど、俺とは関係の無いことじゃないか!」
「そう思うか?」
「質問で質問に答えるなよ!」
「お前もセルヴィなら、連中が俺達を搾取の対象としか見ていないことは分かるだろう。それだけで十分反抗する理由にはなるはずだ」
 実感が無いとしても、現実にそれは起きていることだ。仮に自分が巻き込まれていなくても、隣人の誰か、友人の誰かは必ず巻き込まれている。その有様を想像出来るなら、少しは憤ることも出来るはずだ。それに、自分の怒りを他人の復讐に任せてしまうというのは、気楽だしストレスも無い。リュカはそう考えた。
「嫌いな連中に報復し、しかも金まで得られる。俺の言う通りにやれば危険も……比較的少ない。海賊をやるくらいなんだ、その程度の度胸はあるだろう?」
 そして、挑発する。直情的な少年だということは分かっていたから、単純な手口でも乗ってくるだろうと踏んでいた。
 だが、カイルはそれに至極簡単な言葉で返した。
「人に貰った理由なんかで戦えるか」
 リュカは少しだけ目を見開いた。頭で考えるより先に口が動いていたのだろう、あまりに率直な言葉で驚いた。そこから立ち直ると、返って自分の言い方の方が滑稽だったことに気づき苦笑する。
「そうだな、すまなかった。俺としたことが……」
 少し馬鹿にし過ぎていたのかもしれない。他者を見下し過ぎるのは良くないな、と反省する。同時にああいう言葉を素で吐けるカイルにあらためて興味が湧いた。
 調度、衣服を抱えたマヤが部屋に入ってきた。リュカが手ずからそれを広げ、カイルに渡す。ジャケットと白いシャツ、肌着、そして黒いスラックスが揃っていた。ジャケットはマヤが着ているものよりも裾が長い、所謂フロックコートと呼ばれるもので、どこか懐古趣味的な感じがする。そして、襟元にはクローバーのバッジが留められていた。
「しばらく一緒に行動してもらう。何、用事が済めば仲間の所に返してやるさ」
 カイルは男から作意が消えたのを感じた。だが、結局彼の自由が制限されていて、選択肢などどこにもないという状況は全く変わっていなかった。
「……何も手伝わないからな」
 それが出来る限りの抵抗だった。リュカは鷹揚に頷き、「結構」と言った。
「だが、絶対にバッジを外すなよ。貴種の街に、野良の劣種が紛れ込んでいるなんて知れたら大変だからな」
「ふん」
「ヴェローナについたら、調度昼食時だ。貴種の食い物を食べさせてやる」
 リュカは踵を返す。その背中に、カイルは「待てよ」と声をかけた。
「何だ?」
「名前。まだ言ってなかっただろ」
「……そういえば、そうだったな」
「俺はカイル・ラングリッジ。あんたたちは?」
「リュカ、だ。人前ではエドガー・ドートリッシュと呼べ」
「そっちは?」
 代名詞で呼ばれた少女が不満げに鼻を鳴らした。無愛嬌に「マヤ」とだけ言い捨てそっぽを向く。
「マヤ、お前も上陸の準備をしておけ。船の各部署もしっかりロックしておくように」
「分かりました、リュカ」
 今度こそリュカは部屋から出て行った。ベッドから立ち上がってジャケットを広げていたカイルは、続いてドアを出ようとしたマヤに声をかける。
「なあ、お前とあいつって、どういう関係なんだ?」
「あなたには関係ない。余計な詮索はしないで」
「そんなにつんけんしなくて良いだろ……堅苦しいな、これ」
「っ、わたしが出て行ってから着替えてよ!」
 スーツを脱ごうとしただけで、マヤは顔を赤らめそっぽを向いた。そんな初心な反応につい悪戯心が刺激される。
「意外と初心なんだな。てっきりあいつのイロかなにかと思ったんだけど」
「いろ?」
(こんな比喩も分からないレベルかよ)
 ならもう一歩踏み込んでも良いのではないかな、という邪心が芽生えた。
「つまり、こういうことをやってるんじゃないかって……」
 カイルはおもむろにマヤの尻を握った。見た目通り小振りだが、弾力もある。
「お、意外と鍛えてるな」
「ッ!」
 返答は全力の平手打ちだった。


 そんな生熟れのやりとりが行われていた一方、リュカはカーリーに手伝われて服を選んでいた。
 今は彼の持ち物となった『エレクトラ』号は、元々統一政府の高官が恒星間を移動する際に利用した戦艦で、当時はまた別の名前を与えられていた。シャンバラⅦに係留されていたのを脱出のために頂戴し、以後使い続けているというわけだ。
 戦艦といえば聞こえはいいが、実際にはダンスホールや不必要に広い高級士官用の食堂等々、機能的とは言い難い設備が多く、戦闘能力自体はそれほど高くない。艦内に小型のゴルフコートを造るためにビーム砲の加速装置を短くしていると知ったときは、さすがに唖然とせざるを得なかったが。「そりゃあ、戦争にも負けるよね」とカーリーが苦笑していたのをよく憶えている。
 とはいえ、昔は不必要とされたこれらの機能が、今のリュカにとっては実に有難いものとなっていた。『銀河を股にかける流浪の青年貴族』という設定を納得させるには、それ相応の船がなければならない。その点『エレクトラ』は形状も美しい流線型で、武装も護身用という名目をはみ出すほどのものは積んでいない。一方で、曲りなりにも戦艦であるため、ダメージコントロールについては並みの船よりもはるかに高い水準を誇っており、海賊程度の襲撃ではびくともしないときている。
 加えて、前述したとおりの戦闘艦としては無駄な機能の数々が、貴族に化ける上で非常に有用なアイテムとなるのだ。今使用している衣装部屋もそうした機能の一つに数えられる。羽振りの良い貴族の振りをするためにも、衣装の力は必要不可欠だ。何種類ものスーツやコート、ジャケットをはじめ、装身具である指輪や腕輪、ピアス、ネックレス等も大量に保管してある。元々シャンバラⅦにあった物もあれば、この七年間で購入した分もまとめて置いてあった。
 同化を解いたカーリーがクローゼットにもたれかかっている。
「なんで居候をさせてやる気になったの?」
「あいつが気に入ったからさ。子供だからって見くびっていたよ……人に貰った理由なんかで戦えるか、か。違いない」
 リュカは自分の姑息さに苦笑した。ああいうことが言える少年なら、自分のやったような手口では乗ってくれなくて当然だ。あれこそ反骨精神の発露とでも言うべきだろう。なまじ自分が屈折していると自覚している分、少年の真直ぐなところを笑わずに見ていたいという気持ちがあった。
「マヤもあれくらい率直に感情を表現出来れば良いのだがな」
「そう? 結構素直な子だと思うけど」
「そうなのか?」
「鈍いねえ」
「言うな……どうだ、悪くないか?」
 黒いダブルのタキシードに着替えたリュカは、一旦評価をもらうためにカーリーに向き直った。
「うん。それで良いと思う。ダブルの方が大きく見えるからね。燕尾服ほど堅苦しくもないし、見栄えは十分じゃないかな」
「そうか」
「でも、もうちょっと冒険してもいいと思うよ」
 林立するクローゼットの間を行き来して、カーリーはいくつかの品を持ってきた。金糸で装飾されたアスコット・タイ、白い手袋、そして黒地の外套。特に外套の印象は強烈で、派手さと懐古趣味とが見事に調和したデザインだった。
「これくらいやった方が、それっぽく見えるかな」
「お前がそういうのなら、そうなんだろうな」
 それらの衣装をすべて身にまとい、最後に青色のカラーコンタクトをつける。ファッション用の派手なものではなく、元の光彩の色を隠す実用的なタイプのものだ。鏡に自分の姿を映す。七年前の貧弱な姿などどこにも無い、成人した大人の姿だ。加えて今は、この無数のクローゼットに全く隙間を作らせないほどの財力も持ち合わせている。すべての札は彼の手の中にあり、相手は自分がテーブルについていることすら気づいていない。しかし、万事は既に始まっているのだ。
「そう、ここからが始まりだ」
 誰に言うでもなしに、リュカはそう呟いた。


 船内の通信室で、エルピスは彼女の主に対して大事なかったと伝えていた。
『エルピス! ああ、無事なようで良かった』
 目の見えない彼女は、スクリーンの向こうにいる人物の顔が分からない。だが、慌てふためいたその声音から、極度の緊張と安堵が感じられた。
「御心配をおかけしました、閣下」
 エルピスは小さく頭を下げる。
『私のせいだな……無事だったとはいえ、護衛にカタフラクトを三機でもつけていれば、こんなことにはならなかったろうに』
「護衛が要らないと言ったのはわたくしです。どうか、お気になさらないでください」
『しかし……』
「わたくしには大丈夫だという確信がありましたから。ですから、少しも怖くありませんでした」
『それは、以前話していた予言のことかね』
「予言だなんて。ただの勘ですわ。でも、この事件は良い出会いをもたらしてくれます」
 エルピスは画面の向こうの男に対して薄く微笑んだ。穏やかながらも確信に満ちた声は、無根拠な発言にも関わらず、相手を信じさせる力が宿っていた。
『エドガー・ドートリッシュというのかね? その、お前を助けてくれたドゥクスというのは』
「はい。たった一機で、五体のクルスタを倒したそうです」
『それはすごいな! ぜひ一度会ってみたいものだ』
「ええ。すぐにでも、御紹介出来るものと思います」

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