真夜中の約束、君からのオブコニカ

些稚絃羽

9.“探偵”は推理する

 部屋を歩き回りながら、思考を巡らしている。僕は止まって考える事が苦手だ。
 いつもの探し物の仕事のように一筋縄ではいかない。ただその人の行動パターンを読んで足を使って探すだけでは駄目だ。これには行動を起こした人の心理や雪さんとの事が関わってくる。隙間に手を突っ込んでいるような、見えているのに手が届かない、そんな歯痒さがいつも付き纏う。一つ分かる度、新たに一つも二つも分からない事が出て来て、迷子になりそうだ。
 冷静にならないと。必ず、真実を見つけ出すんだ。

 コンコン。ノックの音が聞こえて返事をする。失礼します、の声と共に英君がお盆を持って入って来た。

「もう十二時なりましたので、宜しかったらお召し上り下さい」
「ありがとう」

 今日はサンドイッチだった。少々不格好な気がする。もしかしたら今日は志賀さんが作ったのかもしれないな。並べられたティーカップから湯気と共に紅茶の良い香りが上がった。

「では失礼します」
「あ、ちょっと待ってくれ。聞きたい事がある」
「何でしょう?」

 振り返った彼をまじまじと見つめる。雪さんの友達だった彼なら他の人よりも知っている事があるかもしれない。少しでも真実に近付ける材料が欲しい。

「君が執事見習いとしてここに来たのはいつ頃?」
「一昨年の秋です」
「どうして執事見習いに?」
「……お恥ずかしい話ですが、高校卒業後、一向に就職先が見つからずに困っていたところをお嬢様に雇って頂いたんです」

 はにかむ彼は急に歳相応で、話す言葉とのギャップに不思議な感じがする。友達の屋敷で働くというのは、一体どんな気持ちなのだろう。勘繰ってしまう僕はいつの間にか卑しい大人になっていたのだろうか。

「君と雪さんは高校の友達なんだよね? 学校での雪さんはどんな人だった?」
「神咲様が見たお嬢様が、ありのままです。明るく、賢く、優しい」
「そして、悲しそう?」
「はい?」
「僕は昨日だけで何度も、幸せな話をしている筈の彼女の笑顔が悲しそうに見えた。まるで、幸せな時が終わる事を知っているような」

 彼は苦虫を潰したような顔で僕の声を聞いていた。いや、もしかしたらただそんな彼女の表情を思い出していただけかもしれない。
 溜息に似た儚さで、彼は話し始める。

「聞きましたよね。雪の過去を。
 雪はトラウマを抱えていた。思い出す事は無くても、心の中では怯えていた。大きな声が上がったり鋭い視線を見つける度、それが自分に向けたものではなくても全身を震わせていた。
 ……幸せが不幸せになるのは、簡単なんだ」

 独り言のように落ちた言葉。執事見習いではなく、彼女の友達の「匠君」がそこには居た。最後の一言が重く響く。彼は何かを知っている?

「申し訳ございません。食堂に戻ります」

 引き止める間も無く、逃げるように出て行ってしまった。
 英匠にとって、姫井雪は特別な存在だったのかもしれない。トラウマを持って震える彼女の隣に居たのは彼なのだ。――彼も、彼女の幸せが不幸せになる事と分かっていたのかもしれない。


 思考を事件に戻そう。初めから順序立てて考えてみる事にする。全員を容疑者として。
 まず、雪さんがどうやって睡眠薬を飲んだか。これには一つ思い当たる。花が生けてあっただ。恐らく犯人はあのコップで睡眠薬を飲ませた後、花を生けたのではないか。
 そうだとすると、あの花は贈り物だったと考えられる。犯人は裏庭からプリムラ・オブコニカを一輪摘んで、詩園さんのラッピング紙で包んだ。ラッピング紙が湿っていたのは、花が萎れないように濡れたティッシュか何かの上から包んでいたからだと思う。
 あの花は彼女の誕生花。だから誰が送っても不思議じゃない。それでも犯人が贈ったと確信できるのは、夕方に掃除をした志賀さんが部屋の変わった点としてあの花を挙げたからだ。

『お二人の目から見て、この部屋にいつもと違う点はありませんか?』
『オブコニカが生けてある事、位でしょうか』
『それは誕生日だからだろう』

 誕生日だからだと納得していた木村さんと違い、志賀さんはそれを不思議に思った。それはさっきまでは無かったから余計にそう思ったのだろう。頻繁に部屋を出入りしてよく知っている志賀さんだからこそ、普通に思える事に違和感を覚えたんだ。
 そしてもしもっと早くに贈られたものなら、彼女は花瓶を使った筈だ。あのきちんと整理のされた部屋と彼女の人となり。たった一輪の花だとしても彼女なら使ったコップに挿すなんてぞんざいな真似はしない。……そう信じている。

 次に進もう。何故注射器が二つあったのか。正直これは、分からない。実は睡眠薬も注射で注入した、という可能性も考えてはみた。だけど流石に無理がありそうだ。
 例えば睡眠薬の錠剤やカプセルを飲ませるのは簡単だ。それを睡眠薬とは言わずに何かのサプリメントだと言って飲ませたり、何なら飲み物に溶かしても良い。そうやって寝かせてしまえば注射をするのは造作も無いだろう。
 そんなに簡単な方法があるのに、寝かせる為に注射器を使おうとすれば流石に怯えさせてしまうだろう。そうなってしまえば目的を達成する事はできない。犯人は恐らく、念入りに計画した筈なんだ。

 ――それなら、“今日”である事にも、意味があった?

 二月十一日。彼女の、姫井雪の誕生日。そして宇加治順と彼女の結婚記念日、になる筈だった日。

 犯人は何が目的だった?
 ――何を壊そうとした? 彼女自身を? 宇加治を? それとも、取り巻く人達かぞくを?


 整えられた部屋。争った様子も荒らされた形跡もない。それは彼女自身にも言える。皺一つ無い真っ白なワンピース。きちんと掛けられた掛け布団。――憎んでいるのなら大きく傷を負わせ部屋をめちゃくちゃにしても不思議ではない。それでも全てが綺麗に保たれていた事に、意味があるような気がしてならない。
 犯人は雪さんにとって容易に招き入れられる間柄の人物。これは全員に当てはまるだろう。そして犯人は容易に睡眠薬を飲ませられる信頼された人物。これも除外される人は居ない筈だ。

 ここで思い出すのはベッドの端に寄ったまま見つかった事。その事に気が付いた時ふと過ぎったのは、そこに誰かが居たのではないか、という事だった。誰かがそこに寝転ぶ為に空けられたスペース。そこに入る事を認められた人物が。


 有力候補は婚約者の宇加治だけど、奴は偽の手紙によって呼び込まれている。もし奴が犯人ならわざわざそんな物を用意しておく必要が無い。それは万年筆にも言える事。第一発見者になり万年筆を見つけられれば否応なく疑いの目を向けられるのに、そんな事をするメリットは一つも無い。よって宇加治順は犯人ではない。
 両親。どれにも該当する対象ではあるけど、二人には動機が見当たらない。これまで必死に守ってきた娘だ。もしそれを雪さんが息苦しいと感じていたとしても、それを知って殺してしまう程、歪んだ思考の持ち主とは到底思えない。

 そうなれば使用人が残る。消去法で消えるのは木村さんと稲葉さん。この二人は……無理があるだろう。いや、ドロドロの昼ドラならそんな展開もあるかもしれないけど、隠れた恋仲として挙げるには厳しいものがある。二人には申し訳ないけど。
 どちらかと言うと、英君の方が有り得る。同い年で高校の友達。それも執事の仕事を斡旋する程だから、仲が良いのは間違いない。名前で呼ぶ間柄で、彼に至っては呼び捨てにしていた。トラウマに怯える彼女を支える彼。二人の間に恋愛感情が芽生えても不思議じゃない。動機の点では微妙なところだ。
 志賀さんは歳の近い女性として、可能性はある。友達のように接していれば同じベッドに入る事も抵抗は無いだろう。第二発見者というのも、確実に宇加治を第一発見者にする為に監視していた、と勘繰れない事も無い。でもそんな器用な事が出来るとは思えなかった。全てが演技だと言われてしまえばどうしようもないが。

 この時点で僕の中での容疑者は、英匠と志賀むつみの二人になった。

 殺害の動機として多いのは怨恨、金絡み、痴情の縺れといったところだろうか。金絡みで雪さんが殺されるとは思えない。そもそもこの屋敷に篭りがちな使用人が金の問題を抱えていると考える方が難しい。英君なら痴情の縺れ、志賀さんなら怨恨になるだろうか。
 ――僕はあの時の震えて動けなくなった志賀さんを信じたい。志賀さんは捜索に尽力してくれた。その姿は初めて見る人にはあまりにあっさりしているかもしれない。でもその瞳はいつも震えていて、立ち止まってしまえば涙を溢しそうな程に弱々しい。だからこそ、動き回っているように僕には見える。雪さんの袖口のボタンを外す時、手間取っていたのは遠かったからだけではない。伸ばした手の震えを止められなかったからだ。そんな志賀さんの犯行には思えなかった。

 英君、なのだろうか。雪さんの過去を知っていた彼が、そんな選択をするのだろうか。発見時の、震える程に固く握り締められた拳を思い出す。変わらない表情と違いすぎたのが不思議だった。表情に出さまいとしていたのか? ――彼が犯人なのだろうか。


 近付いている気がするのに、手応えが無いのが不安だ。乾燥し始めたサンドイッチを口に運ぶ。冷めた紅茶を啜る。疲れた体をベッドに倒した。
 昨日もっとシャンパンを飲んでおけば良かったかもしれない。そうしたら頭の回転の遅さも言い訳が出来たのに。まぁ、どんなに思ってもあれ以上は飲めなかっただろうけど。
 どうせなら、やっぱり雪さんの飲む姿も見てみたかった。昨日はまだ十九だったけど、今日彼女は二十歳になって酒を飲める歳になって。……酒、飲んでみたかっただろうな。自分の二十歳の誕生日を思い出す。初挑戦したビール三口でノックアウトして、一緒にいた友達には未だにあの時の事を馬鹿にされる。散々な誕生日になったけど楽しかったのを覚えている。雪さんだって、飲んでみたいって思っていたんじゃないかな。

 ――あのコップは、本当に酒が入っていたんじゃ?

 自分の頭に過ぎった考えに思わず飛び起きる。
 水や他の飲み物なら他のコップでも良かった筈だ。それなのにあのコップを使ったのは、本当に酒が入っていたからだったんじゃないか?
 英君は既に二十歳になっているようだし、誕生日を一番に祝う名目で部屋を訪ねて酒を勧めてもおかしくはないかもしれない。それに睡眠薬を溶かしておけば簡単に飲ませられる。
 そうだ、彼女の注射の後を消毒したのもそれだ! 消毒用のアルコールではなく酒の匂いがしたのはその所為だろう。消毒液を用意しなくても酒で消毒できる。そうしたら証拠隠滅も簡単だ。そして飲ませた事をバレないように、そこに贈ったあの花を生けた……。

 そうか、そうだったんだよ。ほっとして倒れ込んだ僕をベッドは優しく受け止めてくれる。
 正直まだ分からない事はある。注射器が二本ある理由とか、不自然な小指の形とか、かぶれた手の原因とか。分からない事はあるけれど、“本当の探偵”初心者の僕に完璧を求められてもね。ここまで分かれば皆納得してくれるんじゃないかな。あとは本人が自白するように仕向ければ、分かってなかったって事も隠せるかもしれないし。
 お、という事はこれから初の推理ショー、か?

 寝転んだままうんと伸びをしたら、右手に硬いものが当たった。角のあるそれを掴んで掲げると、借りてきた本だった。季節の花図鑑。

「借りたの忘れてたよ」

 思わず独り言が溢れる。折角借りたからと思い、プリムラ・オブコニカのページを探す。どうやらプリムラという花の種類の一つにオブコニカというのがあるらしい。鮮やかな写真と共に幾つもの説明がなされている。<特徴>と書かれた欄を目で追っていく。

「……葉や茎に生えている毛に含まれる成分、プリミンによってかぶれを引き起こす場合がある。一度かぶれると、症状が悪化していくので注意が必要……。かぶれ、か」

『雪も大好きで、肌が弱いからあまり触っては駄目、って言うのにどうしてもって、よく手伝ってくれ、て……』

 詩園さんの言葉を反芻する。あの指のかぶれはオブコニカが原因だったという事か。以前にもかぶれた事があるから症状が早く出たのだろう。
 でもどうしてだ? 花を完全に握らないとあんな風にはかぶれない。ラッピングをして贈ったのだから彼女はその上からしか触れないだろう。
 グラスに生けたのが彼女だった? いや、それならグラスが一度空になっていなくてはいけない。貰った花をすぐにいけないのは不自然だ。
 ――それならどうして、いつ、彼女はあの花の茎に触れたんだ?

「くそっ!」

 僕の推理のどこかが崩れてしまいそうな予感がして、頭を掻き毟る。どこだよ。何が違うんだよ!!

 ふとページの下の方に視線が行く。赤いペンでアンダーラインが引かれていたからだ。<花言葉>の欄。その内の幾つかに太くラインが走っていた。傍には彼女の字だろう線の細い字で、ありがとう、と書かれていた。

「これは……。もし、もしも彼女が、それなら……」

 突然行き当たった答えらしきものを、すぐに受け入れる事は出来なかった。

 

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