真夜中の約束、君からのオブコニカ

些稚絃羽

6.“探偵”ではありません

「神咲君、でも君は、」
「お前、何なんだ」

壱さんの言葉を遮って、宇加治氏の警戒した声が問う。挨拶を交わした時の作り笑いさえない。僕は壱さんの“知り合い”だと言うのに。

「僕は、探し物探偵です」
「探し物、探偵?」

 訝しげな声に応えるには、依頼人に許可を取らなくてはならない。探偵には守秘義務があるからだ。本当の依頼人を失った今、顔を上げていた壱さんに、話しても良いですね、と声を掛ける。壱さんはまた目元を歪ませて項垂れるように頷いた。

「僕はその名の通り、依頼人が無くした物を見つけ出すという仕事をしています。そして、雪さんが無くされた婚約指輪を探し出す為に、ここに呼ばれました」
「指輪を!?」
「残念ながら見つかりませんでしたが」

指輪を無くした事について僕を睨まれても困るんですが。彼も行き場の無い悲しみを持て余しているという事だろうか。見つからなかった事に関しては僕にも非があるから、少し申し訳なさそうにしておく。

「それならもう用は無いだろう。部外者は帰ってくれ」
「確かに僕は部外者で、仕事は遂行されないまま終わりました。それに捜査権のある警察でも、事件に精通した本当の探偵でもない」

 しかし、と僕は続ける。決心した以上、ここで返される訳にはいかないのだ。依頼をされてここに来た瞬間から、僕は部外者より近い位置に居る。

「しかし、僕は探し物探偵です。皆さんが失った真実を見つけ出すのは、僕の仕事です」
「そんなの屁理屈だ」
「神咲君」

 侮る言葉と共に、弱く僕を呼ぶ声がする。壱さんだ。振り返ると、悲しみと決意の色が混ざった瞳で真っ直ぐに僕を見ていた。未だ暗い室内で、その瞳が光った。

「私達の為に、雪がどうして命を落としたのか、その真実を探してくれ」

 切実なその声を、志賀さんの泣く声が追いかける。主人の言葉で、死が事実として彼女の胸に刺さったのだ。執事達の事は分からない。ただ黙って死を受け入れようとしているのか、事の成り行きを見つめているのか。沈黙の中に女性の痛々しい涙だけが切れ間なく響いていた。

「そのご依頼、お受けします。必ずや、その手にお返し致します」
「……宜しく、お願いします」

 妻と共に座り込んだまま頭を下げる彼は、金や地位や名声なんて何も無い、ただの父親だった。

「正式な依頼を受けた今、依頼人の言葉が僕にとって第一です。皆さんもご協力下さい」

 志賀さんは涙に濡れたままの顔を上げて頷く。英君は拳を握り締めたまま俯いた。木村さんは恭しくお辞儀をしたが、その頬は震えていた。宇加治氏は僕を睨みつけてから、舌打ちをしながら視線を落とした。
 皆思うところはあるだろうけど、はっきりとした異論は無いようだ。

「ではまず、現場検証といきましょうか」



 全員をここに残す事も考えたものの、ご両親を近くにべったり貼り付けたままではやりにくいし、気持ちを落ち着けてもらう為には少し離れて置いた方が良いと判断し、食堂へとご移動願った。宇加治氏もここに置いておけば何かに付けて噛み付かれそうな気がしたので一緒に食堂へ。この三人の世話の為に英君も共に移動してもらった。というのは建前で、雪さんの友達であった英君に立ち会わせるのは酷だろうとの配慮の上だ。
 そしてここには木村さんと志賀さんに残って立ち会いをお願いした。勿論二人にとってもひどく辛い事だというのは十分承知している。でも何年も使えている使用人だからこそ気付く事もあるかもしれない。そして身体に異常がないかは流石に女性に確認してもらいたい。変な疑いをかけられたら捜索どころではなくなる。
 僕はパジャマからスーツに着替えて気合いが入っている。さっき格好良く名乗った時にあのパジャマ姿だったのは正直消したい過去だ。

「お二人の目から見て、この部屋にいつもと違う点はありませんか?」
「オブコニカが生けてある事、位でしょうか」
「それは誕生日だからだろう」

 部屋を見渡す。照明を付けた部屋は隅々まで明るく照らされているが、空気の暗さと重さだけは少しも変わらなかった。何か無くなっている物がないか、置く位置が変わっている物はないか。本棚、机の引き出し、バスルームもトイレも、ごみ箱の中も一緒に確認したが、二人は首を横に振るだけだった。白いプリムラ・オブコニカを生けたのは彼女だろうか。
 次に雪さんの死因を見つけよう。……自分から彼女に触れるのがまさか亡くなってからだなんて、なんて質の悪い皮肉だろう。明かりの下の彼女は今も尚、ただ眠っているだけに見えた。
 目を赤くした志賀さんがそっと掛け布団を捲り、全身が見えるようにしてくれる。僕は同時に垂れ下がったままだった左手をベッドに上げようとした。

 ――死後硬直は始まっていないらしい。多少皮膚の緊張のようなものは感じるけどその程度だ。そのままそっと引き上げてベッドに載せた。何かの本で筋肉の弱い人はなりにくいと読んだ事がある。彼女のか細い身体もそうであるなら、ここから死亡推定時刻は分かりそうにない。
 それでもまだ、大した時間は経っていないだろう事は明白だった。最初に確認の為に首筋に触れた時、普通より少し低い位しか体温は消えていなかった。正確な事は知らないけれど、心肺が停止した瞬間に体温も発さなくなる筈だ。

「暖房はいつも切って眠られるのですか?」
「はい。以前から、眠る時にはご自身で切っておられました」

 今の室内の温度は大体15℃から17℃。体温が急激に低くなる室温でもないし、今も先程より少し冷たい程度だから体温の降下というのはかなりゆっくりという事だろう。
 つまり確実に日を跨いでから、もしかしたら発見される一時間前後が死亡時刻と言えるかもしれない。

 ……今の僕、かなり探偵っぽいんじゃない?


 寝姿も荒れた所はなさそうだ。何というか本当に、眠るように死んでいる。自殺でも他殺でも、ここまで綺麗な状態で死ぬ事は可能なのだろうか?

「雪さんは何か病気をお持ちではなかったですか? 例えば心臓とか」
「いえ。定期的に検診を受けますが、何もありません」

 木村さんが言うから間違いはないだろう。それならやっぱり外傷を調べなくては。とりあえず男の僕でも見れる所を探してみる。顔や頭には特に変わった様子はない。ワンピースの丸首から伸びる首にも。裾から見える膝から足にかけても美しい白い足だと思うだけだ。
 これは、ワンピースの下なのかなぁ。どうしようか。

「袖、捲りますか?」
「え、あ、そうですね。そうしましょう」

 志賀さんがそう言ってくれたお陰で腕に進む事ができる。僕は難なく左手の袖のボタンを外して捲くり上げるが、志賀さんはベッドに触れないよう身を乗り出してやりにくそうにしている。現場保存の姿勢がよく表れている。あれ、そういえば。
 ――雪さんはどうして、ベッドの左側に寄っているんだろう。
 ダブルベッドに寝るのにどうして端に寄る必要があったのか。僕ならど真ん中で悠々と寝るけど。

「いつもこうですか?」
「はい?」
「いつもこう、端に寄って寝るのですか?」
「いや、見た事無いですけど」
「そう、ですか」

 それはそうだよな。誰だってわざわざそうする人は居ない筈だ。じゃ、やっぱりこれには意味があるのかもしれない。右腕は志賀さんに任せて、左腕を観察する。内側も外側も、小さな痣の一つすらないまっさらな状態だ。腕は関係ないのかもしれない。

「あっ!!」
「どうしました?」
「ここに点みたいな傷が」

 僕は急いでベッドの向こう側へと回り込み、指し示されている所を覗き込む。肘の内側、丁度真ん中辺りに目を凝らさないと分からない位の赤い点があった。言われなければ気付かなかったかもしれない、顔を近付けると微かに酒の匂いがした。小さな傷、アルコール。まるで注射した時みたいな――。

「そうか、注射だ!」
「え?」
「これは注射の痕ですよ」
「ですが、前回注射をしたのは二月も前ですが」
「この家に医療系の免許を持つ方は?」
「おりません」
「雪さんの利き手は?」
「元は左でしたが、今は両利きでございます」

 近くにあるごみ箱を探るが紙屑しか出て来ない。引き出しの中も再度見るが、無い。あの傷から見える血の赤さが、ごく最近注射をした事を物語っている。他に外傷が無い事から、彼女は注射された何かによって死に至った筈。そして誰も注射器を扱える者が居ないのなら、彼女自身がしたとしか考えられないと思ったのに。
 どうして注射器と酒の匂いのする布のような物が無いんだ? 他の場所でやった? でももしそれで誰かに見つかってしまえば、中身を知らないとしてもまず止められる筈だ。これから自分で死のうと決意した人は、きっとそんなリスクは犯さないだろう。部屋で一人隠れて、の方がしっくりくる。
 自殺をする時に、人はその方法を隠したがるものだろうか? 例えば家族に保険金を遺す為に他殺に見せかけて自殺する、という話を読んだ事がある。小説だけど。でもこの家は十分過ぎる程の金持ちで、娘がそんな事を決意する必要性が無い。だから、注射器を隠す意味がない。

 という事は、他殺、なのだろうか。

「皆さんの所に行きましょう」

 そう声を掛けて、上がったままの袖を直す。ふと見ると、握っている手から小指だけが少し浮き上がっている。

「志賀さん。手には触れましたか?」
「腕しか触ってないです」
「そうか。分かりました。先に降りて下さい」

 振り返ってなされた返答に頷く。この小指は不自然だ。手の動きが硬くなってきている。一度もこの手が動かされていないという事は、この状態で雪さんは亡くなったという事。左手はきちんと指が揃って握られている。
 右手を持ち上げてみる。だらりと垂れる手首を支え、じっくり手を観察する。まるで指切りを求められているような指の形。この小指はどんな意味があるのだろう。他には特におかしな点はなさそうだし。

「ん?」

よく見ると、掌が赤くなってぶよぶよしている。荒れている、というよりもかぶれている感じ。あまり動かさないように指も見てみると、全ての指の腹も同じように赤くなっている。他に損傷が無かった分、際立って見える。どうしてここだけ、こんな風になっているんだ? この右手、何かありそうだ。


 乱れの無い部屋。注射の痕。部屋に無い注射器と酒。端に寄った遺体。不自然な小指。かぶれた手。
 これらの真相が全て分かった時、求めている真実が見つかる。焦らず、一つ一つ。確実に明らかにして見せる。


 雪さんの身体に布団を掛け直してやる。見えなくなった二人の背を追って歩き出すと、ベッドの際で何かが足元に当たって、床を滑って行った。
 器用に入口の方まで一気に滑って行ったそれは、内開きのドアに当たって止まった。駆け寄って見ると、値の張りそうな万年筆だった。艶々と光る黒いフォルムはいかにもな感じがする。安物でも万年筆を使った事の無い僕は、やっぱり金持ちは万年筆を使うんだな、という位にしか思わなかった。だけど女性が使うには、些か男性的だろうか。雪さんには似合いそうに無い。

 部屋の電気を消して廊下に出る。ドアを閉じてしまえば何ら変わりの無い光景で、余計物悲しくなる。僕の靴音だけが響いた。
 万年筆は持って行く事にした。明らかに雪さんの物では無さそうだし、もし他殺であるなら、犯人の落し物かもしれない。反応を見るには良い材料になりそうだ。良い頃合に出せるように胸ポケットに仕舞っておこう。



 僕が食堂に入ると、忙しなく動き回っていたらしい宇加治氏が足を止めた。そして喚く。

「一体何をやっていたんだ!」
「調査ですが?」
「一人になる時間があったら、立ち会いを付けた意味が無いだろう!」
「あんた、ちょっと黙れねぇのか」
「宇加治様、落ち着いて下さい。奥様のお身体に障ります」
「……チッ」

 稲葉さんの威嚇と英君の制止でようやく黙ったが、不機嫌そうにどかりと椅子に座った。僕が何かするとでも思っているのかこの男は。何て下らない。これが婚約者を亡くした人間の態度か!
 奴の事は無視する事にして、居住まいを正す。そして宣言した。

「これから全部屋の捜索を行ないます!」

 驚く程の沈黙が、広い食堂の中に広がった。

 

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