つのつきのかみさま

きー子

領地の時代/3

 時は変わっても季節はめぐる。春が来て、夏が過ぎ、秋が暮れては冬にこもる。つのつきたちの領地はずいぶんと賑やかになったけれど、そればかりはどうしようもなく変わらない。冬のおともになる羊毛の寝具は、まさにつのつきの発展の象徴ともいえる代物だろう。冬に倒れてしまうつのつきはよほど少なく、もっとも気をつけるべきといえば病気くらいのものだった。誰かが病気をこじらせればみんなが家族のように暮らすつのつきの間ではかなり大きく広がってしまうので、こればっかりは一個屋根の下に暮らすつのつきたちの欠点といわざるをえないだろう。傷病人が療養するためにと薬師小屋に拡張された療養棟があるけれど、病気は潜伏している時点ですでに拡散してしまっていることもある。
 だから薬師のつのつきは、今日もすこぶる元気に薬草摘みに励んでいた。冬だからこそ寒さに負けじと雪の下に潜む草花もまた少なからずあり、季節は休む理由にはならないとのこと。むしろ、病が猛威を振るう冬だからこそ備えなければならないという感じ。主に野を駆け草を摘むのは彼女に師事している弟子のつのつきの役目で、けれども老婆の彼女は必ず弟子に付き添っていく。それは既知の知識を叩きこむためでもあり、ほとんど趣味で散策をやっているようでもある。
 最近は対処療法だけでなく、あらかじめ病を防げないものかというのが薬師のつのつきのもっぱらの関心ごとだった。彼女がたくさんの子どもにものを教えていたおかげで、つのつきたちの間では公衆衛生やら簡単な薬草の調合なんかがかなり広く浸透している。汚い話ではあるけれど、屎尿の扱いなんかもその一例。ともあれおかげで、薬師のつのつきの興味もまた先へ先へと進んでいってしまうみたいだった。
 薬師の後任をめざす弟子のつのつきは、まだまだちいさな女の子だった。足腰はしっかりとして舌もよく回るみたいだけれど、角は生えきってないし身体もまだまだ伸びそうな感じ。はっきりいってしまえば奇特極まりない志の少女なのだけれど、薬師のつのつきはそれを特別な違和感なく受け入れている。少女の祖父母はかつて薬師に教えをいただいていた子で、婚姻の際にもつらつらと祝詞をあげた間柄であったからかもしれない。
 師弟のつのつきはふたりして寒風の中、領地の後方をすっぽりと守るような森を散策する。森のなかでは自然と獣や鳥に虫などが跋扈するようになるから、困ったこともあるけれど拠点の近くにあれば利することも大いにある。それでも木こりのつのつきたちが年々手を入れてきたおかげで、もともとよりずっと歩きやすくなっていることは間違いがないだろう。
 森は今やつのつきたちが領する北方の土地の一部であって、それはともすれば領地の拡大を自ら阻んでしまっているみたいなもの。けれどもその実は違っていて、森という自然の要害を用いて一方面の守りとしているらしい。仮にそこが戦場になったとしても森の中はつのつきの庭のようなもの、侵略者とどちらが有利になるかは火を見るよりも明らかだった。むざむざ狩られるために森から拠点内に入りこんでくる獣もあまり多くはない。
 だから薬師師弟のつのつきたちは、それを見ては一瞬あっけに取られた。老婆の薬師さえ目を丸くしていて、まだまだ子どもの弟子は面白いものを見つけたように目を光らせる。寒風に吹かれた頬がすこしだけ赤い。
 それはつのつきによく似ていた。けれどもあからさまに違う。角がないのだから。よもやこんなところにいるはずのない、彼女のような子どもは話にしか聞いたことのないような、つのなし。それがたったひとりで、しかも着ている布の服がぼろぼろに擦り切れている、あきらかに普通じゃない様子でうつぶせに倒れこんでいた。よく食べられてなかったなあ、とわたしは思わず感心してしまう。なにせ森の中は薄暗いので、つのつきもそれを近くで見るまではわからなかったみたい。
「おや、おや」
 腰のひん曲がった薬師のつのつきも屈みこんで見る。すっぽりとフードを羽織った彼女は怪しいことこの上なくて、倒れたつのなしを覗きこむ姿は完全に野獣の目をしている。どうやって取って食べようか考えているときの目だ。こわい。
「師匠、なにこれ」
「ものではないよ。ヒト様をそんな風にいうものではないな」
「でも、角がないです。なくしちゃったの?」
「そういうやつもいるのさ。角はなくならないからね」
 薬師のつのつきはさも当たり前のようにいう。それは実際本当のことで、つのつきたちの角は無くなったことが一度もなかった。煮ても焼いても形は崩れず、水につけても鹿の角のようにふやけてしまうこともない。遺族のつのつきは残された角を肌身離さず自分の一部のように身につけるし、なんらかの事故で見失われたときもその在処は自然と必ずわかるのだという。まさに"つののしらせ"とはこのこと。だからつのつきが減っても角の数が減ることは決してなく、わたしが見守っている間も角はずっと増え続けている。
「で、これはどうするのですか。師匠」
「放っておいても、いいんだけど」
 薬師のつのつきに言葉にちょっと薄情な気がしつつ、それも特にわるくはないとわたしは思う。なにせつのなしはたったひとりで、おまけによく見れば全身に傷跡がちらほら見え隠れしている。森の中に迷いこんでるところからして、北方から来たつのなしなのは間違いないだろうけれど、どこからどう見てもわけありだった。ちょっと見るくらいじゃ死んでるようにも見えるし、穏やかに上下する胸はいつ止まったっておかしくない。鳥の餌になってないのが不思議なくらいだった。
「食べますか」
「食べないよ。お腹をこわすからね」
 どこか覚えのある言葉と思ったら、わたしのいったことだった。忘れかけていた。いまだ言い伝えられていることに妙な感じをしつつも、薬師のつのつきだからかもしれないとわたしは思う。
「反抗しなさそうな外の民が、欲しかったところでね」
「師匠わるい顔」
「悪いのさ、年だからね」
 食べるなんてもったいない、くらいは言い放ちそうな薬師のつのつき。言葉が通じるかははなはだ怪しいけれど、つのつきたちが外の土地のことを知るのに実際聞くのが一番なのは間違いない。問題は、当のつのなしが乱暴者だったときのことだ。身体の大きさからしてどうやら男性らしいつのつきの彼。たったひとりでこんなところにいるのは元いた土地から追い出されたせいだと考えて、別段おかしな話ではない。むしろ自然な気もしてくる。
「こわいやつだったらどうするのですか。師匠」
「なんのために私が毒を持ってると思ってるんだい」
「師匠ほんとうに最悪」
 なんだかちょっと愉快な師匠のやり取りはさておき、つのつきたちの警戒と自衛の用意は万全みたいだった。わたしの心配なんて全くのよそに弟子のつのつきがつのなしの腕を取り、ずるずると引きずるようにしてぽいと手押し車の上にのせる。もちろん手には毛皮の手袋をつけている。外からヘンな病気を持ちこまれたらたまらないと、薬師のつのつきによくよく教えこまれた弟子の彼女はそれを徹底していた。そのまま弟子のつのつきは身体のちいささとは裏腹の力を発揮して、えっさほいさと傷病棟に傷ついたつのなしを運んでいく。がたことと手押し車の上で盛大に揺られるつのなしの安否はいかにと案じられたものだけれど、薬師小屋に運び込まれたとき、幸いつのなしにはまだ息があった。
 まずはじめに薬師のつのつきがやったのは、当たり前のように報告だった。酋長のつのつきに傷ついたつのなしを見つけて運びこんだと伝え、彼女はといえばまた厄介事をと額に皺を寄せながらもこれを了承。これまでに重ねてきた労苦を物語るみたいに手慣れた感じで「こういうときのため」の衛視がひとり薬師小屋に手配される。
 その間の弟子のつのつき。彼女のほうもなんというか師匠に似てしまったような感じで、なんのためらいもなくつのなしの服を剥ぎ取り沸かしたたっぷりのお湯に彼の裸体を放りこんでいた。薬師のつのつきでもそこまではしないだろう。身綺麗にすることが健やかであることに通ずるというのはつのつきにとってわりと当たり前の考え方みたいだけれど、どう考えたって行き過ぎだった。
 つのつきが湯浴みをやるときはたいてい、大きめの木樽を台にのせ、いっぱいの水を入れ、土台の下から火をかけるというやり方になる。あふれるお湯は土台のところに仕切りがあって、地面にこぼれて無駄になることはないという仕組み。つのつきはずいぶん昔からこれに慣れ親しんだものだけれど、つのなしがそうとは限らない。そして慣れがないであろうつのなしが目を覚ましたらどうなるだろう。わたしはちょっと気が気でなかった。ものすごくひやひやする。
 そして幸いにしてといっていいものか、案の定といったものか。つのなしが目覚めた。たっぷりのお湯は生傷にめちゃくちゃにしみるだろうし、伝わる熱は外気と比べ物にならないほどの温度差がある。気づかないほうがどうかしている。
 つのなしは呆気にとられたみたいに左右をきょろきょろと見回す。森の中で倒れたはずが、目が覚めたら肩まで熱いお湯につかっているのだ。当たり前といえば当たり前。むしろ手押し車に運ばれているときによく気が付かなかったとわたしは思う。
 そのとき不意に、弟子のつのつきと目があった。つのなしの目は青くて、髪の色は淡い金色。全体的に色が薄めで顔立ちも柔らかく、けれども身体つきは痩せた感じがなくしっかりとしている。ほとんどお湯につかっているからわからないけれど、それくらいはわかる。
 そして盛大に暴れた。さいわい大きな木樽がひっくり返るようなことはなかったけれど、ほとんど身体が飛び出してしまうくらいに暴れた。弟子のつのつきが当然の蛮行にあんまり女の子らしくない素っ頓狂な悲鳴をあげる。
 それはあまりに考えなしの衝動的な動きだけれど、無理はなかった。わたしは今さら気にならないけど、もしつのなしたちにお風呂というものがないとしたら、大きな鍋で煮こまれているような気分になってしまっても決しておかしくはないだろう。取って食われるのではないかと考えて、そして目の前にはまさに彼を煮込んでいた張本人らしい女を目にして、色々と弾けてしまったような感じ。しかたない。
 ともあれ、事態は薬師小屋の騒がしい様子に気づいて駆けつけた衛視が割りこんで事なきを得た。そして全裸のつのなしの男性がほんの子どものつのつきを前にしているという光景に、衛視のつのつきはひどく怒った。座らせ、濡れた髪と身体を手早く拭き、服を着せ、神妙に説教した。言葉をわかっているわけではぜんぜんなさそうだったけれど、つのなしも怒られているというのは伝わったようで沈痛な顔をしておとなしくしていた。
 実際、衛視のつのつきの言葉に耳をかたむけるつのつきは意外なまでにおとなしかった。肝が座っているというか、なんというか。衛視のつのつきが槍などは持たずにそうしているのが大きいのかもしれない。言葉はまず通じていないだろうけど、少なくともすぐに彼をどうこうしようというような心配を与えてしまうことはない。そういう風にふるまうことができるのは、つのつきたちにしても好印象なのはまちがいない。なにせ、一番はじめに出会ったつのなしたちといったら出会い頭から夜襲をかけてくるような手合だったのだから。
「以後、すぎた行いはつつしむように、彼女のいうことをよく聞いてください。いいですね」
 少しだけ顔を赤くし、薬師のつのつきを指さしていう衛視のつのつきに、つのなしの男性はゆっくりと頷く。言葉はわかっていなくても、いわんとしているところはなんとなく理解しているのだろう。身振り手振りのほうはつのつきと似たり寄ったりのようで少しだけ安心する。言葉が通じないからといって、まったく気持ちを交わせないというわけではなさそう。角さえあれば面倒がないのに、とわたしは思う。
 ともかくその日は絶対安静にするということでお開きになった。騒動の真っ只中にいた弟子のつのつきはというと、まるで動揺したところもなく平然としていた。また当たり前のように服を剥いでは傷のひどいところに薬草を貼り付けたりして、薬師のつのつきに見守られながらだいたいの処置をほどこしていく。実際何度もつのつきを治療して回っているのだから、男性の肌身なんてとっくに見慣れたものらしい。まだ子どもなのに。有望このうえなかった。
 次の日。まだ陽ものぼっていない肌寒い朝、弟子のつのつきが包帯をかえるために傷病棟の様子をうかがいにいくと、寝床はもぬけのからだった。彼女は盛大にずっこけた。
 めちゃくちゃにあわてて薬師小屋を飛び出すと、小屋の前でつのなしの男性が薪割りをしていた。二度盛大にずっこけた。格好は寝間着のまんまなのでとても寒いはずなのだけれど、つのなしの彼はぜんぜん気にした様子もない。弟子のつのつきがまるで問い詰めるような勢いで迫って、けれどもつのなしは曖昧に笑うばかり。特に震えた様子もなく寒そうな感じでもなくて、ひょっとしたら彼は寒さに強い民なのかもしれない。北方はつのつきたちの領地よりずっと寒いのだとしたら、そういう民がいたとしても決しておかしくはないと思う。
 傷病人の自覚を叩きこむためにもまた小屋のほうに引きずっていったわけだけれど、つのなしは実際に元気そうだった。弟子のつのつきに引きずっていかれる間はおとなしくしていたし、働く意欲もあるみたいだからいうことはない。
 ともあれ、薬師のつのつきはそのために彼を助けたわけもなく。なんにしても言葉が通じなければはじまらないので、薬師のつのつきは指差し確認を交えながら話すようにした。身体の部位や身近なもの──道具や口にするものから始まって、小屋の材料になっているものや外の景色にいたるまで。同じ単語はひとつとしてなかったけれども、幸いなのは不思議と似た発音をしているということだった。いわゆる枝葉の部分は違っているのだけれど、言葉の成立する過程のような、いわば根っこの部分は存外に似通っているのかもしれない。もともと角を除けばよく似た姿形をしているのだから、そんなこともあるのかもしれない。
 ひとりふたりの食い扶持で左右されるほどつのつきたちは切羽詰まっていないので、冬の間のほとんどは言葉を呑みこんでいくのに使われた。つのなしの彼も協力的だったおかげで解析ははやく進み、むしろ彼のほうから進んでつのつきの言葉を学び取ろうとするところもあった。なぜだろうとはじめは不思議に思ったけれども、なんのことはない。つのなしは時折り思いつめたような顔をしていて、つまり、彼もつのつきに向けてなにか伝えたいことがあるのだろう。あいにくわたしはさっぱりわからないけれど、早いうちに伝わってくれればいいと思う。ひょっとしたら歓迎できない話かもしれないけれど。
 冬の間につのなしの青年のことはすっかりつのつきみんなにも知れ渡っていて、全体的にはあまり歓迎されていないような雰囲気があった。やっぱりつのつきにとって角の有無というのはとても大きい。それでも決して拒絶一辺倒というわけではなくて、ちょくちょく様子見にくる衛視のつのつきたちから悪くない評判が流れることもあった。言葉の方は通じなくても、性格というのは振る舞いや物腰からなんとはなしに伝わってくるもの。つのなしの彼ははためにも落ち着きがあって品があり、物音ひとつ立てるのにも気をかけるような感じ。だからというわけではないだろうけれど、まあいいかな、となった。その辺のつのつきの大雑把さはいいことなのやらわるいことなのやら。はじめてのつのなしとの邂逅からずいぶんと時間が経っていて、また話に聞く彼らとぜんぜん実態が違うというのはやっぱり大きいことなのだろう。
 ともあれ薬師のつのつきのはからいもあって、妙な病気が広まってしまうようなこともなく。春が来るころにはたどたどしいながら、おたがいの言葉を交えながら簡単な意思疎通ができるようになっていた。薬師師弟のふたりに限るというのはすこしばかり難だけれども、それにしたって進歩は進歩に違いない。もちろんわたしもわからないというか、みんな覚えていられるわけがなかったので、正真正銘のふたりだけ。
 冬がすぎればつのつきの多くが農地に出るようになって、狩人のつのつきも冬眠から目覚めた獣を狙うべくこぞって拠点の外へと繰り出していく。"つののしらせ"で飼い慣らされた獣も冬の寒さに倒れてしまうようなことはなく、ところどころにゆるやかな変化をはらみながらも例年通り平穏な春を迎えたといえそうだった。
「────伝えたい、こと?」
 普段の優しげながらも曖昧な感じとはちがい、どこか堅い表情を浮かべているつのなしの青年。たどたどしい言葉で伝える彼に弟子のつのつきが聞き返せば、首を縦に振ってうなずいてみせる。
 弟子のつのつきはちょっと要領を得ない様子で、彼女に代わって薬師のつのつきが衛視のつのつきを当たり前のように呼び寄せる。たぶん、酋長への伝令にやるためなのだろうと思う。このあたりはさすがにたくさんの年月を重ねているものと感心してしまう。長さでいうならわたしももうちょっと頭が回ったっていいじゃないかと思うのだけれども。
「わけあり、というのは承知のうえだからね。遠慮せずにいって。なにごとも遅すぎることはないよ」
「そんなこといって、手遅れだったらどうするんですか」
「私は、嘘はいわないよ」
「師匠悪い顔」
 まさに弟子のつのつきのいうとおり。薬師のつのつきがひひと思いっきり悪い顔をして笑っている。いじわるばあさんな笑顔。
 けれどもいざとなって、つのなしはすこしばかり戸惑っている様子だった。気圧されていたり、遠慮したりしている、というわけでは別になさそう。言葉に迷ったり、どう言っていいものかということはものすごくあるだろうけれど。それ以上に──なにから言えばいいものか、迷っているような感じがあった。
「簡単に。すくない言葉でいってみな」
 薬師のつのつきが端的にうながすと、それでようやく心が決まったようだった。つのなしの青年はつたない言葉遣いで、一番明確にわかりやすい事実を真っ先に伝えてくる。
 それはわかりやすいだけに、どうしようもないくらい、彼が浮かべている表情と同じくらいには深刻だった。
「冬の前、北にある村がおそわれた。ぼくはひとり逃げてきた。────次は、この村かもしれない」

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