つのつきのかみさま

きー子

暗黒の時代/1

  わたしが目覚めたとき、わたしは彼らを遥か高みから見下ろしていた。彼らはわたしよりずっと低いところに立っていて、それが"地面"というのだとわたしは漠然と理解した。
 彼らは不思議な姿形をしていた。一見すれば脚が四本ある獣のようで、実際には二本が地面についていなかった。脚は地面についている二本で、地面についていないほうの二本はどうやら"腕"ないし"手"というらしい。身体の上にまるい頭が乗っていて、そこに毛並みのような髪がふさふさと生えていて、頭のてっぺん、額にはぴんと誇らしげにまっしろな角が立っていた。獣と違い毛皮はほとんどなく、むき出しの肌を粗末な革の服に包んでいて、わたしにはそれがずいぶん寒そうに見えた。
 角には木でいう年輪のような渦が巻いていて、つのつきによってそれぞれに紋様が違ってくる。子どものうちはちいさいけれど、大人になれば男女の別なくとても立派な角になる。強いていうならば男性の角は野太く無骨で、女性の角は流麗でしなやかな流線型を描く向きがあった。みんなの角があまりに目立って見えたものだから、わたしは彼または彼女たちを"つのつき"と呼ぶことに決めた。
 つのつきたちはだだっ広く青々とした平原を転々として暮らしていた。数はせいぜい二十人くらいで、それがたまに減ったり増えたりしている。ある程度大きくなったあと減ることは珍しいのだけれど、ちいさいうちはすぐに減ってしまうことが多い。わたしは減った数を見逃してしまうこともしばしばあったけれど、減ったということはすぐにわかった。彼らはどんなにちいさなつのつきがいなくなったときも、必ずお墓を残していたからだった。一処ひとところに留まらないのだからはじめそれはまるで無意味なことに見えたけれど、つのつきたちは時間をかけて同じ場所をぐるぐると回っていることにしばらくして気づいた。そのとき、二十人くらいだったつのつきたちは三十人くらいに増えていた。
 つのつきたちはもっぱら狩りをしてごはんを食べていた。緑の葉っぱや色鮮やかな果物を採ったりもしていた。食べなければ生きていけないんだ、とわたしは不思議に思ったものだけれど、つのつきたちにとっては当たり前のことらしい。
 主な獲物はひつじ、いのしし、そしてとり。大きなつのつきは肉を食べ、ちいさな子どもは骨をしゃぶり、こそぎおとされた脂身を汁物にしてすすった。毛皮もあまさず刈り取って、それらはみんな女子どもに回された。なんでだろうと思ったわたしが断眠してずっと見続けていると、どうやら彼らは寒い季節を乗り越えるのに四苦八苦しているようだった。そのときわたしは、大変そうだ、とはじめて思った。数が減ったりするのを見ているだけじゃわからなかった。彼らは、生きていた。
 肉と毛皮だけではなく、彼らは骨までしっかりと使った。無駄がきらいなのか、ごみを出したくないのだろうか。出汁をとった骨を綺麗に洗ったあと石で削ったり、かたちを整えたりして、彼らはその骨を装飾に使っていた。飾り付けるのは身体や衣服ということもしばしばあったけれど、一番に人気なのは、つのだ。わたしにも一番特徴的に見えたつのは、彼らにとってもやっぱり大切なものなのかもしれない。
 彼らのつのはいわば、何も持たないで生まれてくるつのつきの唯一無二の生来の財産、所有物なんだと思う。わたしには身体もなんにもないものだから、つのつきたちをひどくうらやましく思った。そして同時に、つのつきたちを見守るのがずいぶん楽しくなっていた。

 大変なことが起きたのは、つのつきたちが五十人くらいに増えたときのことだった。各地を転々としていたつのつきたちに、突然大荒れの天気が襲いかかったのだ。何日も嵐が続いたかと思ったらかんかん照りでずっと雨が降らなかったりして、つのつきたちはそれはもう大変なことになった。数がずいぶん増えたのもかえってよくなかったみたいで貯蓄が底を尽き始め、無理をおして狩りに出たつのつきが嵐にやられたりする有り様だった。
 みるみるうちにつのつきはとおほど減ってしまって、わたしは思わず呆然としてしまった。増えるのには結構な時間が要ったというのに、消えるのはほんとうにあっという間。おまけに嵐は去っていなくって、立ち上がれないでいるつのつきの数も多くはないけどちらほらあった。このままだと、もしかしたら、いなくなってしまうかも。
 気が気でないくらいはらはらとしていたとき、ふとわたしはつのつきがおかしなことをしているのが目についた。つのつきの若い女性が獣の頭の骨をすっぽりをかぶり、誰もいない高いところに向かって必死になにかを呼びかけているのだ。ふたつの手をひとつに絡み合わせていて、わたしはつのつきがごはんを食べる前にもいつもしている仕草だとすぐにわかった。けれども、なぜ今そんなことをしているのかわからない。頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
 そんな心配をよそに、奇行に走るつのつきの女性はものすごい勢いで増えていった。揃ってどうかしてしまったのだろうか。一体全体どうなってしまうんだろう。わたしが不安に思っていると、ひとりのつのつきの男性が全く違うことをし始めた。ひどい悪天候であるところを押して何人かで、とても大きないのししをしとめてきたのである。それだけでつのつきたちみんなが何日も食べていけそうなおおきさ。そんな絶好の獲物を彼らはどうしたかというと、食前のいのりをやり始めたにも関わらずまるで食べる様子がないのである。そんなことをしている場合じゃない、早くしなければ腐ってしまうではないか。彼らは一様に、誰もいない天に向かって一心にいのりを捧げていた。
 そのとき、わたしはようやく気づいた。
 ────いた。わたしが、いた。
 そんなばかなと一瞬思う。だってわたしには身体もない。彼らにわたしが見えるわけがない。なのに、わたしにいったいなにが出来るというのだろう? そんな疑問を彼らにどうやって伝えたらいいかもわからなかった。彼らは一向に祈りをやめてくれなかったし、だからわたしはいっそのことと腹を決めた。
 わたしは平原をめちゃくちゃに荒らしまわる嵐を見つめる。羊まで巻き込む、ものすごい暴風だった。雨も横殴りで、今もつのつきたちはとても困っている。じっとそうしているとはらはらしていた以上になんだか腹が立ってきて、わたしはそれを引っ掴んでえいやっと放り投げた。
 すると嵐はふっと掻き消え、あらぬ方向に吹き飛んでいった。さぁっと穏やかな風が吹き、雨が止み、開けた雲間から陽の光が覗きはじめる。気づけばつのつきたちが歓喜の声を上げ、泣いたり、笑ったり、お互いに抱き合ったりしていた。はじめにおかしなことをし始めたつのつきの女性が、朗々と綺麗な声で天に向かって歌をささげている。祈りを、感謝の言葉を伝えてくれる。
「本当に、本当にありがとうございます。誰とも知れませぬ天の高き神君きみ────」
 言葉はよくわからなかったけれど、なにを言っているかはだいたいわかった。わたしはそれに応えようと思った。応え方はわからないけれど、さっき嵐をどかしたみたいにやってみれば、ひょっとすれば簡単にできるのかもしれない。
 だからそうしようとしたところで、わたしは、はたと気づいた。気持ちがぱったりと止まった。
 ────わたしは、だれ?

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