花嫁、高額買い取ります!

いぬがみクロ

6.


 さっきからなんなのだ。男たちのめまぐるしい変わりようは。
 今度は先にマハが動く。マハは腰帯の中へ手を突っ込んだかと思うと、なにかを取り出し、頭上高く掲げた。天に向いた彼の拳からは、先端の尖った金属がはみ出している。マハの握っているそれは複数の突起が特徴的で、まるで星のような形をしていた。

「とうっ!」

 気合を込めて一声ひとこえ発すると、マハは片足を踏み出すと同時に、持っていたなにを小太郎に投げつけた。

 ――なんで突然、バトるの!?

 ラシャは、しかしそれよりも、もっと驚いたことがある。
 小太郎だ。
 あの庭師は攻撃を受ける直前、後ろへ退いたのだが、それがなんと、庭の木をはるかに越す高さまで飛び上がったのだ。
 小太郎はそのままくるくると軽やかに宙返りを繰り返し、危なげない足取りで地面に降り立った。
 ――庭は、静まり返る。
 安っぽい漫画のような展開に、ラシャの口はぽかんと開きっ放しになった。
 やがて上ずったマハの声が、静寂を破る。

「やっぱり! あなたはニンジャですね!」
「そして貴殿は、マニアだな?」

 小太郎はうんざりした様子で、自分の着地地点よりだいぶ手前に落ちた、マハの放った「なにか」を拾い上げた。

「質の悪いレプリカだ」

 吐き捨てるように言いながら、小太郎は手にした星形の金属を、水平にしゅっと投げた。小太郎の放ったそれは、だいぶ離れた物置小屋の壁に、ドスッと重い音を立てて突き刺さった。
 たったわずかな動きでも、小太郎のフォームは堂に入っており、素人目から見ても、先ほどのマハのそれとは比べものにならないのが分かった。

「すごい! すごい! すごい!」

 マハは興奮し、その勢いのまま激しく手を叩いた。

 ――なにがなんだか、ついていけない……。

 置いてけぼりになってしまったラシャは、おずおずと小太郎に近づいた。

「ねえ、小太郎。ニンジャってなに? 小太郎がそうなの? 今投げたのは、なんの道具?」
「忍者というのは、諜報活動を行う――まあ、東国におけるスパイのことだな。俺は抜け忍で……。ええと、つまり早期退職者だ。忍者は独自の妖術と武道の使い手で、武器も特殊なものが多い。さっき投げたのも、そのひとつだ。『手裏剣』というんだが」

 小太郎はラシャの質問にかいつまんで答えた。そのあとを、鼻息の荒いマハが引き受ける。

「小太郎殿は、ニンジャの中でも精鋭と誉れ高い、風魔一族の一員なのだ! 手の甲の刺青がその印!」
「ふうま……?」

 つまり小太郎は、サムライではなく、ニンジャだったらしいが……。
 いくら説明してもらっても、ラシャにはちんぷんかんぷんである。

「ラシャ、別にそんなことは知らんでいい。大体俺は、昔のことを忘れるために、庭師に転職したんだ。それなのに……。いるんだよなあ、時々こういうマニアが。これじゃいつまで経っても、過去を振り切れないではないか」

 小太郎はよっぽど迷惑なのか、露骨に眉を潜めた。

「大体なんで手裏剣なんて、持ち歩いている?」
「オークションで買いました! 大きな合戦で使われた、本物だって聞いてます! 俺の宝物なんです! 肌身離さず持ち歩いています!」

 ラシャは小声でそっと小太郎に尋ねた。

「小太郎、さっきあの手裏剣、レプリカだって言ってたよね?」
「……黙っておいてやれ」

 使用人同士の内緒話は、幸いなことにマハの耳には届かなかったようだ。
 憧れの存在を前にしたマハの瞳は、キラキラと輝いている。

「小太郎殿! あとであの手裏剣にサインしてください! あっ、今度我が家にもお出でくださいませんか!? うちの兄貴も弟も、ニンジャが大好きで……!」
「……………………」

 小太郎は一旦背中を見せて、重いため息をついてから、子犬のようにきゃんきゃんまとわりついてくるマハに向き直った。

「――アレをやってやるから、俺のことは忘れてくれ」

 恐らく小太郎は、マハのような東国オタクに会うのは、初めてではないのだろう。対処の仕方もこなれている。

「アレ?」
「はっ、はい! 是非っ! 是非!」

 ラシャには小太郎がなにをしようというのかさっぱり検討もつかないが、マハはぶんぶんと頭を縦に振っている。

「じゃあ、いくぞ……」

 ラシャとマハに注目される中、小太郎は両手の指を不思議な形に組んだ。すると男性にしてはいくらか小柄な彼の輪郭が、ぼやけ始めた。

「えっ……」

 はっと気づけば、小太郎が増えているではないか。
 二人、三人、四人……。どの小太郎も元の小太郎と寸分違わず、全員本物としか思えなかった。

「こ、小太郎がたくさん……!」
「おおおおおおお!」

 あっという間に十人ほどに増殖した小太郎は、マハとラシャの周りをぐるりと取り囲んだ。

「ははははは。どれが本物か分かるかな?」
「よ、よーし! 見破ってやる!」

 棒読みの台詞に挑まれて、マハは懸命に小太郎たちの姿を見比べている。
 しばらく悩んだのち、マハは正面の「小太郎」に狙いを定め、突っ込んでいった。

「こいつだ!」

 だがマハが触れる直前、たくさんいた小太郎たちは、幻のようにすっと消えてしまった。
 そして、一体だけが残る。
 それがすなわち、本物の小太郎だ。本物はマハが選んだ、つまり偽物の真横にいたらしい。

「ハズレ」

 猪のように突進してきたマハに、本物の小太郎はひょいと横から足を掛けた。

「うわっ!」

 小太郎の足に躓いたマハは、無様につんのめり、地面に倒れ込んだ。――そのまま、しばらく動かない。

「小太郎、かっこいい!」

 マハの心配よりもなによりも、同僚の意外な特技に感動したラシャは、小太郎のもとへ走り寄った。

「さっきのあれは手品なの!?」
「忍術だ。ま、一種の手品には違いないが」
「へええ! 技の名前とかついてるの? すっごいやつ! ゴールデンとか、ファイヤーなんちゃらとか!」
「ああ、それは……」

 ラシャたちの会話を遮るかのように、絶叫が響く。

「すっげえええええ! 本物の『分身の術』だあああああ!」

 マハの叫びを聞いてから、ラシャは小太郎の顔を見詰めた。

「……ぶんしんのじゅつっていうのね?」
「……そうだ」

 ようやく起き上がったマハは大地に正座し、両の拳を握り締めながら、やたらと叫んでいる。

「ニンジャ、サイコー! ファンタスティィィック!!!!」

 熱い。熱すぎる。しかし熱狂的なマニアとは、こういうものなのかもしれない。
 ラシャの頭の中に再びジーンが現れ、「男っていうのは、いつまで経ってもガキなのよ」と冷笑し、去っていった。

「忍者というのは、決して正義のヒーローではないんだがなあ。どちらかというと、汚れ役で……」

 小太郎は腕を組み、不可解そうな表情をしている。

「マハ様、そろそろお立ちください。お召し物が汚れますよ!」

 放っておけばいつまでも感動に浸っていそうなマハを立たせると、ラシャは跪き、彼のだぼっとしたズボンに付いた泥を払ってやった。

「あ、破れてる」

 見れば、転んだときに擦ったのか、マハのズボンの膝には小さな穴が開いていた。

「すごい勢いでコケましたもんね……」

 ラシャも立ち上がると、おもむろにマハの手を掴んだ。

「え、ちょ、な」

 いきなり手を握られ、ぎょっと驚いているマハに構わず、ラシャは彼の大きな手のひらを改めた。

「ほかに傷はないようですね。でも、泥だらけ! あそこに井戸があるから、洗っていらっしゃい!」
「お、おう」

 ラシャに促されると、マハは口うるさい母親から逃げるように、走り出した。

「まったくもう……。ん?」

 視線を感じてラシャが振り返ると、小太郎がなにか言いたげにこちらを見ていた。

「なあに?」
「いや……。睦まじいなと思って」
「え! だ、だって、あの人、なんか子供っぽくて……! 放っておけないよ! それだけだって!」

 思いもよらないことを言われて、ラシャは焦った。
 確かに少しお節介だったろうか。だがなんとなく、マハを構いたかったのだ。
 近所の悪ガキを叱るような、犬や猫を可愛がるような、そんな気持ちと同じのつもりだった。……多分。
 小太郎はニヤニヤ笑っている。居心地が悪くなって、ラシャは強引に話題を変えた。

「それにしてもニンジャって、人気があるのね」
「うーん……。俺の国では忍者は、『きつい、危険、卑怯きたない』の3Kで、なりたがる人間は滅多にいなかったんだがな」
「そうなんだ。でも、だから数が少なくて、そこがマニア心をくすぐるんじゃない?」

 それにラシャだって、このミステリアスな庭師が生まれ育った国について、興味がないわけではない。

「ね、ニンジャって、アクダイカンより偉いの? ゲイシャとどっちが強い?」
「………………」

 しかしいざ疑問をぶつけてみても、小太郎は困ったような顔をするだけで、答えてはくれないのだった。
 マハはまだ井戸で手を洗っている。ラシャは声を潜め、小太郎の意見を求めた。

「小太郎から見て、マハ様ってどう?」
「うむ……。まあ、悪い御人ではなさそうだ。少々幼いところがあるようだが、馬鹿ではなさそうだし。それに……」

 一度言葉を切ってから、小太郎は眼前に広がる庭を見渡した。

「枯山水……。マハ殿とラグスットお嬢様が結婚すれば、枯山水を作らせてもらえるのか……」
「だ、ダメだよ! お嬢様は、別の人と結婚するんだからね!」

 ラシャがこのセリフを言うのは、本日二回目である。

「そうか……。やはりダメか……」

 いかにも未練たっぷりな庭師のつぶやきは、草花が咲き誇る美しい庭に、虚しく散っていった。

 ――油断ならない。

 マハ・マカルカというあの青年は、彼自身も無意識のまま、周りの人間を大いに誘惑する。大変危険な男だ。
 やれやれと、ラシャは顔を上げた。
 雲ひとつない空。その中にあって輝く太陽は、一日の中で今一番高い位置にある。

「あと、二時間、三時間といったところか」
「うん……」

 ラグスットの結婚式が無事終わるまで、あとそれだけの時間を稼がなければ。
 ここが踏ん張りどころだ。
 小太郎と目配せし合っていると、濡れた手を軽く振りながら、マハが戻ってきた。

「はい」
「うん」

 ラシャが腰に下げているバッグからハンカチを出して渡してやると、マハはおとなしく受け取り、丁寧に手を拭いた。

「痛いところはありませんか?」
「大丈夫だ。それよりお前、この家はすごいな! 御庭番がいるなんて! ショーグンみたいだ!」
「ショーグン……? 人の名前ですか?」
「違う違う」
「……………………」

 ラシャとマハのやりとりを、小太郎は黙って眺める。彼の胸の内には、ある予感が芽生えていた。
 例え今回の縁談話が消えて無くなってしまっても、なにかしらの「縁」が残るのではないか、と。




 屋内に戻ろうとしたところで、ラシャは小太郎に呼び止められた。
 マハは先を歩いている。それを確かめてから、庭師はラシャに耳打ちした。

「朝渡した薬のことだが……。マハ様には使わないほうがいい」
「え?」

 ラシャの指先が、腰のバッグに伸びた。小太郎からもらったあの小瓶は、そこにしまったきりだ。

「マハ殿は、オタク……いや、忍者のやり方をよくご存知のようだ」
「忍者のやり方?」

 小太郎はこくりと頷いた。

「毒に火薬。忍者はあらゆる薬の煎じ方に通じており、之をよく使う。だからお前に渡したあれでは、マハ様に気づかれる恐れがある。この庭を案内したのは――俺が彼に会ってしまったのは、失敗だった」

 マハが立ち止まり、ラシャたちを見ている。あまり長い間こそこそと話をしていれば、不審がられるだろう。
 行かなければ。

「分かった。あの薬は、使わないようにするね」

 小太郎に約束してから、ラシャはマハのもとへ駆けていった。







 応接間に入り、ドアの前に二人で並ぶ。最初に聞かれるのは、もちろん――。

「で、婚約者殿は?」
「ええと、口紅を塗っていらっしゃる頃なんじゃないかなー、なんて……」
「蕎麦屋の出前じゃないんだから、大概にしろよ」

 マハはムスッと顔をしかめると、荒々しくソファに腰を下ろした。
 そろそろ堪忍袋の緒が切れる頃合いか。いや実際、よくもったほうだろう。

「まったく……。いくら親の決めた許嫁が気に食わないからといって、お前んとこのお嬢様は、随分幼いことをするじゃないか。俺に会いたくないのは分かるが、あまりにわがままだ。お前たちも甘やかすなよ」

 マハはぷりぷり怒っている。
 そうか。ラグスットはこの縁談に乗り気でないから、だから姿を現さないのだと、彼はそういう解釈をしているのか。

「申し訳ありません……」

 頭を下げて詫びながら、ラシャは安堵した。マハの誤解は、こちらにとって都合がいい。そのままそのように思わせておいたほうがいいだろう。

「おい、お前。針と糸と、あとハサミだな。持ってないか?」
「えっ、ああ、ありますよ。ハサミは小さいですが」
「悪いが、貸してくれ」

 ラシャが腰のバッグから裁縫セットを出してやると、マハはソファから立ち上がり、いきなりズボンを脱いだ。

「な、なにをする気ですか!?」

 ラシャは目を逸らす。マハはソファに座り直し、片手には脱いだズボンを、もう片方の手には小さなハサミを持った。

「膝に空いた穴を塞がんと、みっともないからな。うーん、やっぱりこの布は少し脆いな……」

 マハはズボンの裾を下ろすと、上げてあった余分な布をちょきちょきと切り出した。ラシャはなるべく下着姿の下半身は見ないようにして、彼のやることを覗き見た。
 マハは次にズボンを裏返すと、裾を切り抜いて得た布を、膝の穴に当てて、縫いつけた。
 マハの針使いは素早く精密で、まるで機械のようだ。ラシャは思わず見とれてしまった。
 ラシャだって裁縫はひととおりできるが、マハの腕前はそれよりもずっと上をいっている。

「マハ様は、お針仕事がとってもお上手ですね」

 ラシャが褒めると、マハも悪い気はしないらしく、口元を緩めた。

「まあ、これが俺の仕事だからな」
「え? マハ様はお店を任されているのではないのですか?」
「今はな。本当は俺は、服を作る側の人間だったんだ。ところが店を増やしたら、店長以上の仕事をできる奴が足りなくなってしまってな。それで俺も、駆り出されたというわけだ」
「それは……。少し驚きました……」

 マハの生まれ育ったマカルカ家は、布や糸を売る商いから身を起こし、現在では衣料品の製造、販売までを行う、国内屈指の大商家に成長している。
 マハはそこの三男坊、つまり経営者一族の一人だ。そんな立場の男が、物を作る側に籍を置いていたなんて意外だった。

「……俺は管理職、というか商売人には向いていない」

 ぼそっとどこか心細そうに、マハは漏らす。ラシャはポンと手を打った。

「確かに! 商人っていうのは人当たりが良くて、腰の低いイメージがあったけど、マハ様はすっごく偉そうですもんね!」

 マハが商人ではなく、職人だというのならば、彼の振る舞いについて感じた数々の違和感も頷けるというものだ。
 職人というのは大抵妥協を知らず、自分の考えを譲らないことが多い。自尊心が高く、媚びを売らないから、傲慢に見えることもある。もっともそれは、己の腕に絶対の自信があるからこその態度なのだが。

「……………………」

 押し黙るマハを見て、ラシャは慌てて口を押さえた。
 ――正直にものを言い過ぎた。

「す、すみません」
「いや、気にするな。言い訳になるが、俺は針仕事の師匠に『安く見られるから、意味もなくへいこらするな。堂々としていろ』と教えられてきたのだ。――しかし、そんなに偉そうか?」
「えーと、あはは……」

 マハの最後の問いにラシャは答えず、笑って誤魔化しておいた。

「俺はまた服を作りたい。結婚相手に店を任せたいから、だから俺の嫁はしっかり者でないと困る。ちょっとやそっとでは凹まないくらい気が強くて、でも面倒見が良くて、働き者で……。あと、まあまあ美人で、胸のサイズの割に尻がデカくて……。えーと、髪は長くて金色で、それを馬のしっぽみたいに結んでいて……。あとは……」
「???」

 マハはもうすっかり縫い終わったズボンの生地に、プスプスと針を刺しながら、なんだか変に具体的な希望をダラダラと垂れ流し続けている。なぜか顔が真っ赤だ。

「へー。マハ様は理想が高いんですねー」
「……………………」

 ラシャが適当な相槌を打つと、マハは悲しみと悔しさが入り混じったような、複雑な表情を浮かべた。

「えっ」

 なにか悪いことを言ったろうか。
 ラシャが戸惑っていると、扉がノックされた。返事の前に遠慮なくドアを開けるのは、何度言っても直らない、ジーンの悪癖である。

「失礼しまあす。お茶をお持ちしましたあ」

 トレイを片手に現れたジーンの、垂れた目が丸くなる。
 ジーンはズボンを脱いだままのマハを見て、次にラシャを見た。

「……お邪魔だった?」
「や、全然全然全然! 全然だから!」

 ラシャは倒れそうなほど勢い良く、首を振った。





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