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私と執事さんの365日

ノベルバユーザー172401

7話 変わる、揺れる

お出かけをすることになってしまった。二人で。
私が望んだことなのだが、落ち着かなくてそわそわしてしまう。
こんな風に、服装に悩むこともなかった。限られた化粧品で少しだけ整えて、何度も考えた服にそでを通す。姿見の前でチェックをして、髪の毛を触ろうとして、視線を関じてドアを振り向いた。

「な、なん…!?」

見られていた。口元を手で覆いながら、私のことを見ている人がいた。
慌てて姿見の前から飛びのいてドアの付近で鼻血を出している我が家の執事をにらみあげた。それは、さすがに、ダメだと思う。

「すみません、ノックをしたのですが…。しかし大変良いものを拝見させていただきました。心のメモリーにしっかり録画しましたよ」
「今すぐ削除!して!」
「栞様は酷なことをおっしゃいますね…」
「どこから見てたんですかあ!!」
「お着替えのところは見ておりません」
「当たり前です!」

胸の高鳴りを無に帰すかのような出来事だった。鼻血をティッシュで拭いながら、旭さんは私を見て可愛いですね、と笑う。
よくお似合いですよというそのセリフは、たぶん鼻血が出ていなければもっと嬉しかったはずだ。
今のやり取りで破裂しそうなほど緊張していたのがリラックスできたので、肩の力を抜く。どうせなら、楽しまないといけない。そうして見上げた旭さんは、シンプルな格好のくせにとても良く似合っていて悔しい。
家を出て戸締りをして。さあ行きましょうか、と微笑んだ彼の手は、何のためらいもなく私の手を掴む。

「う、ひゃあ」
「どうなさいました?」

この人はこういう事を簡単に他の人にもしてしまえるのだろうかと思う。それはそれで、なんだかいやだ。
私の手を絡めとった大きな手は、私をしっかりとつかんで離さない。
さっき静まった心臓がまた暴れだしそうで私は空いている手で胸のあたりを掴む。のぼせそうである。

「どちらに参りましょう?」
「あ、と…」
「良ければ、私に付き合っていただけますか?」
「はいぜひ!」

是も非もなく首肯した。出かけることに浮かれすぎて、出かける場所にまで考えが及んでいなかったのだ。こういうとき、自分の考えの足らなさにいつも後悔する。楽しみなことに気を取られすぎて、中身まで頭が回らない私の悪い癖だ。
旭さんがさりげなく提案してくれたので有難く乗らせてもらう。ここまで見透かされていたようで、頭が上がらない。

「少し買い物をして、そのあとデザートバイキングなんていかがでしょう?」
「わあ!」
「有名なホテルのバイキングですのでご満足いただけると思いますよ」
「いっぱい食べて、そのあとお散歩して帰りましょうね」
「ですが、夕ご飯は私に作らせてくださいね。栞様が他の人間の作ったものだけで満足なさるのは、悔しいです」
「…………」

この人は、さらっとこういうことを挟んでくるので気が抜けない。
答える代りに触れている手をぎゅっと握った。
ふふ、と笑う声がして、私もなんだかんだで笑ってしまう。こうして歩いているだけで幸せを感じてしまうという、なんとも安上がりな自分に笑ってしまった。

二人で電車に乗って、雑貨屋さんを見たり家具屋さんを見て家に必要なものを選んだり、旭さんに頼まれて彼のネクタイやシャツを見立てているうちに時間は過ぎていった。
私から離れず、スマートにエスコートしてくれるその手腕がやっぱり手馴れているなと思う次第だ。
会話も楽しく、私の趣味を熟知しているかのようなお店のチョイス。私ばかり楽しんでしまっているようで、旭さんは楽しく過ごせているのだろうかと思う。

「そろそろバイキングに参りましょうか」
「ん、おなかすいてきちゃった」

楽しいですか。その言葉はきっと口に出せないだろう。
連れられて行った有名ホテルのスイーツバイキングは、有名なだけあってとても美味しく種類も豊富だった。
旭さんと二人ふんだんに取り分けたケーキにタルト、色とりどりのゼリーにチョコレートフォンデュ。女性ばかりの中にいても旭さんはよく目立っていた。
町を歩いているときも多かった視線は、限定された場所ではより多くの視線を集めている。
そんなことも意に介さず旭さんは、繊細な見た目とは裏腹の旺盛な食欲でスイーツを平らげていく。私も負けずにチョコレートタルトにかぶりついた。

「おいしい!」
「栞様は甘いものがお好きですからね」
「タルトおいしい…!」

チョコレートタルトを食べ終わって、フルーツタルトに取り掛かる。
サクサクしたタルト生地にとろりとしたカスタード、フレッシュな果物のコラボレーションが素晴らしい。
旭さんはそんな私を見て微笑んだ。優しい笑顔だった。慈しむ、というような。

「貴方にそこまで愛される甘いものがうらやましくなりますね」
「………旭さんって天然たらし」

とたんに味がしなくなった。
胸がいっぱいで、顔があげられない。
どこまでが本気で、どこまでが振りなのだろう。私はこの人のこういうセリフにどれだけ浮かれているのか。
高鳴った心臓の沈め方なんて、私たち向けの雑誌には書かれてなかった。そういうことも、ぜひ書いておいてほしいものである。
たくさん詰め込んだおかげでお腹はいっぱいになり、胸もいっぱいで、もう何が何だかわからない状態で私は旭さんとホテルを出た。
腹ごなしにゆっくりと歩いて散策する。いつもは素通りしてしまう小さなお店や本屋さんに目を向けたり、公園で子供たちが遊んでいるのを見たり。
まるでデートのようだ、と思って一人赤面した。

「栞様は表情がくるくる変わるので見ていてあきません」
「そ、そんなに見なくていいです…!」
「可愛いですよ?」

ナチュラルに口説き文句をぶち込んでくるの、本当に心臓が持たないのでやめてほしいのだが。
再度撃沈した私は俯きながら歩くことにした。ひとまずこの顔の熱が収まるまでは。

「あ、旭さん!?」
「…おや、」

聞こえたのは、女の人の声だった。
私たちはちょうど公園の出口にいた。後ろから声をかけられた旭さんが振り返るのに合わせて私も少しだけ振り返る。少しでも体を隠そうと旭さんの陰に隠れてみた。

「ご無沙汰しております。もしかしたら旭さんかもと思って声をかけちゃいました」
「そうですか…、お久しぶりです」
「あ、妹さんですか?」

女の人は、綺麗に巻いた髪の毛を揺らしながら立っていた。
綺麗に化粧をした顔。爪の先までぴかぴかで、私が付け焼刃で施した化粧もなれない手で巻いた髪の毛も、何もかも敵わない。子供だということを見せつけられたようで、わかっていたことなのに胸が痛んだ。
――妹さんですか?何気ないその言葉も、痛かった。
周りの人から見たら、私は旭さんの隣に無条件で立てるほど、大人じゃ、ないということを突き付けられた。

「お邪魔してしまってすみません。私はこれで」

女の人は、挨拶をするためだけに話しかけたらしい。すぐに公園へ戻って行ってしまった。
いきましょう、という旭さんの柔らかな声に押されて私も歩き出す。
下げた視線は上げられなかった。
沈んだ心はなかなか浮上してくれない。どうしてこんなことで落ち込んでいるのか、いくら色気より食い気だと言われ続けた私でもわかる。
私は、この人が好きだ。
旭千景さんが、好きになってしまっていたのだ。

この人の、隣に立ちたいと思うのも。対等な立場でいたいと思ったのも。
全部全部、私がこの人の特別になりたいと思ったからだったのだろう。
それから静かに歩いて家まで戻った。
力を込めて握られた手から伝わる熱に、胸が締め付けられるようにきしんでいる。
――貴方が好きです。
その言葉が、このつないだ手から伝わればいいのに。そんなことを想いながら私は少しだけ握った手に力を込めた。旭さんも何も言わなかった。

その日、初めて私は旭さんと一緒にいて気まずさを感じて、夕食の片づけを終わらせた後宿題があるからと早々に部屋に引きこもってしまった。
そうですかと彼は静かにほほ笑んだだけだった。――そして、私はそれが何よりも悲しかった。




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