三題小説第十八弾『光線』『風車』『砂糖』 タイトル『甘い毒薬』

山本航

三題小説第十八弾『光線』『風車』『砂糖』 タイトル『甘い毒薬』

 彼女は任務を終えたばかりで短い休暇をセーフハウスで過ごしていた。休暇と言っても彼女に楽しみはない。その時も締め切ったブラインドから僅かに漏れる光で読書をしていた。
 とはいえ電話がかかって来た時は舌打ちをする。

「はい。オルファノ」
「やあ、オルファノ。ジェラルドだ。休みのところ悪いがやって欲しい仕事がある」

 枯れてひび割れたような男の声だ。

「ただでさえ短い休暇がさらに短くなるのね」
「申し訳ない。急ぎでね。その上君にしか出来そうにないときた。もちろん報酬は弾む。引き受けてくれるね」

 有無を言わさぬ口ぶりだ。しかし今日はいつもと何かが違う。

「いつもなら任務について少しは概要を話すと思うのだけど」

 沈黙が電話線を何度か往復した。

「そうだね。だけど今回はあまり話せる事はない。私自身の私的な仕事でね」
「つまり局の任務ではないという事ね」
「そういう事だ」

 政治ごっこね、という言葉を彼女はぐっと飲み込んだ。

「分かったわ。三文ミステリーにも飽きてきたところなの」
「すまないね。手筈はこちらで全て整える。君は良い酒と良い食事で英気を養っておいてくれ」

 その言葉通り、次の日には偽の身分も毒薬も連絡手段も全てがセーフハウスに届いた。オルファノは早速準備を終えて出かけ、対象のいるツッケロへとやって来た。



 ツッケロの港町を覆う青空は雲一つなく、ほんの少し傾いた白い太陽が照りつけている。彼女は潮風に攫われまいと抑えていた帽子をさらに深くかぶり、強い光線から目を守る。

 人っ子一人見当たらない。誰もがこの暑さから食堂か酒場に避難している。カモメがつんざくような鳴き声で飛び交っていた。

 彼女の表情には不満が見て取れた。軽く焼けた肌に汗が滲んでいる。服の襟を摘まんで空気を入れながら、幾つかに折りたたんだ地図を読む。

 古くからの港町であるツッケロは現代では避暑地として多くの別荘が立ち並んでいる。

 彼女は何度か地図と町と標識を照らし合わせて、目的地を見定めて歩きだした。町はずれの高台に建つ屋敷へと向かう。



 古めかしくも大きな屋敷だ。オルファノはしばらく外観を眺める。この通りには何人かの人が行きかっている。暑さも少しは和らいだ。
 彼女は鷲頭装飾の真鍮製のノッカーを一つ叩いて一歩下がった。

 しばらくして音もなく扉が開かれる。黒服の大男が待ち受けていた。縮れた黒い髪の下に円らな緑の瞳が覗いている。
 オルファノの知人ではなかったが、その男が局の人間だという事を彼女は知らされている。

「初めまして。こちらで家政婦を務めさせていただく事になっております。ルアーナ・バローニです」
「お待ちしてました。ルアーナさん。こちらで警備を務めております。コスタです。よろしく」

 コスタは彼女がコードネーム:オルファノだとは知らない。

「お時間には間に合いましたでしょうか。少し道に迷ってしまいまして」
「いえいえ。特に急いでもらう必要はなかったので差し支えありませんよ。中へどうぞ」

 オルファノは黙ってコスタに付いていく。中は冷たい空気に満たされていた。通された客間には誰もいなかった。

「主人を連れてまいりますのでお掛けになって今しばらくお待ちください」

 オルファノは指された革のソファに座り部屋を眺めた。カーテンが開かれ、斜に差し込む光線が部屋を二分している。また窓も開かれており、潮の匂いのする風が吹き込んでいる。マントルピースにはいくつかの写真立てが並び、その上の壁には大きな肖像画がかけられていた。赤茶色の髪に鳶色の瞳の女性だ。テーブルにはガラスの花瓶が置いてあり、そこには紫の花のような装飾をあしらった風車が挿してあった。潮風を受けた風車はからからと回っている。

 オルファノはじっとそれを見つめて何もない時間をすり潰した。

「気にいったかい」

 彼女は即座に立ちあがり声の主の方を見た。声の主は12,3くらいの子供だ。赤茶の髪に青い瞳。少し痩せていて同年代の中では背が低い。しかし立ち居振る舞いは堂々としている。
 子供は向かいのソファに座りオルファノも座るように促す。オルファノは周囲を見回し、もう一度ソファに座った。

「ドナートです。ドナート・ギルランダ。一応今はこの家の主。もちろん僕の家って訳じゃないけど、ルアーナさんを家政婦兼家庭教師として雇っているのは僕という事になってる。まぁこれも一つの勉強ってやつだね」
「貴方がギルランダ氏……ですか」
「ん。何か手違いでもあったのかい」
「いえ、すみません。こちらの手違いだと思います。思っていたよりもお若くて。家庭教師の件も聞いておりませんでした」
「ああ、そうなの。でも経歴書を見たけど、あの出身大学に間違いはないんだよね。それならまあ問題ないよ」
「はい。そうですね。仕事に問題はないのですが、少し驚いてしまって」

 ドナートはくすくすと笑った。

「大人になれるものならすぐにでもなりたいんだけどね。それじゃあ早速仕事に取り掛かってもらおうかな。今、この家には男しかいなくてね。家事全般を任せる事になるけど」
「問題ありません。荷物を片づけ次第取りかからせていただきます」
「よろしく。それと掃除をする時もこの風車には触れないでくれ。警備の人達の夕食はいらないよ。彼らは交代で外で食事を取ってくるんだ。あとは、そう、朝食だけはいつも同じメニューなんだ。キッチンにレシピがあるからね。他は……特にないね。そんなところかな。君の部屋を案内するよ。付いて来て」

 同世代の少年と比べても小さいように思える彼がドナート・ギルランダ。今回の対象だ。



 オルファノは冷蔵庫の中身から必要な買い物をリストアップし、夕食の準備にかかりそうな時間を計算した。逆算して時間の許す限り掃除を行い、買い物に出かけた。
 太陽はオレンジ色に輝き、水平線の少し上でたゆたっていた。港町には多くの人が行きかっており、市場は足の踏み場もないほど混雑していた。

 全ての買い物を終えた後に、町の裏路地に入る。尾行がない事を確認し、誰もいない所まで来ると携帯電話を取り出して電話をかけた。

「ジェラルドだ」
「オルファノよ」
「やあ。まさかもう仕事を終えたのかい。いつもの任務以上に滑らかに進むだろうとは思っていたが、それにしても早いね」
「まだよ。聞きたい事があるの」
「何か問題でも。持ち物検査すらされないくらいに今回用意した身分は信頼されているはずだが」
「それはその通りだったけれど。対象が子供だった」
「……それで、何か問題でも」
「子供は殺さないと決めている。貴方も知っているはずよ」

 電話口の向こうで深いため息が聞こえる。

「ああ、勿論知っている。情報局においてその事を知らない者はいないだろう。コードネーム:オルファノは子供を殺さない」
「じゃあなんで」
「だからこそだよ。子供が死んだ時、その犯人が局の人間である可能性がある時、コードネーム:オルファノは真っ先に容疑者から除外される。皆、知っている。奴はとても優秀だが、奴は子供を殺せない。子供を殺すくらいなら局に刃向うような局員である、と。そして私は知っている。君は私には刃向わない」
「それは、そうだけど。でも、子供は」

 オルファノは携帯電話を強く握り、唇を噛みしめる。

「よく考えてくれ。君はこれまで何人の人々を処理してきたと思っている。もう数も覚えていないだろう。その数えきれない者達の中に人の親である者がいなかったと思うのか。多かれ少なかれ大なり小なり子供を不幸にしているんだよ我々は。直接間接問わずにね」

 ジェラルドの低く単調な声を聞いているだけで、オルファノは言葉が出てこなかった。

「覚悟を決めてくれ。君のその苦しみに見合う報酬を用意しているんだ。孤児院の経営も楽になるだろう」
「知っていたの」
「君が出身の孤児院に寄付している事かい。もちろんだ。情報局において君の優秀さを知る者は数多いが、君の優しさを知る者は私だけだ、リオネッラ」

 既に日が沈んでいる。夕食の支度を始めなくてはならない時間だ。

「分かったわ」
「ありがとう。恩に着るよ。頼んだよ」

 通話が切れる。
 オルファノは携帯電話をしまい込み、夕陽に背を向けて屋敷への家路についた。



 オルファノは4時には目を覚まし、身支度を澄ませるとダイニングの空気の入れ替えに窓を開き、朝食の準備を始めるまで他の家事をこなした。

 警備、というよりボディーガードの男の一人は既に起きていて――あるいは、まだ起きていて――ドナートの部屋の前で本を読んでいた。3人の警備員の内2人は名前を知らないし、挨拶すらしていない。

 時間になると用意されていたレシピ通りに二人分の粗末な朝食を作る。トーストにスクランブルエッグにサラダ、それとコーヒー。レシピには書いていなかったがミルクと砂糖もあったので用意しておいた。

 ドナートの分だけダイニングに持っていく。
 彼女は開けておいた窓を閉じた。先ほどは気付かなかったが、いつの間にかダイニングテーブルに風車が移動している。昨日と同じく花瓶に挿されており、それが潮風を受けて勢いよく回っていたが止まった。

「それは母の形見なんだ」

 またもやオルファノの気付かないうちにドナートが部屋に入っていた。

「おはようございます、ドナート様」
「おはよう、ルアーナ」
「形見ですか。では、お母様は」
「うん。もう5年になるかな。とても美しい人だった。客間の肖像画がそうなんだよ。瞳の色がルアーナと同じだ。ところで、それは砂糖……」

 ドナートの指さす先には砂糖の入った瓶があった。

「左様でございます。棚にございましたので」
「僕がまだ子供だから……」
「とんでもございません。むしろコーヒーは砂糖を入れて飲むものだと認識しております。もちろん地域や国によって様々なバリエーションがある事は存じておりますが。少なくとも、この国では」
「そうなの……。僕の父がそう言ってたんだ。でも合点がいった。父は元々この国の人間ではないしね。ブラックで飲むのが大人の証だってね」
「ただ苦いだけですよ」

 オルファノは呟き、それを受けてドナートは大いに笑った。

「そうだよね。うん。僕もそう思う。早く大人になりたいからさ。今日から挑戦するつもりだったんだけど」
「どうされますか」
「うーん。まあいいや。大人になるのは明日にするよ。砂糖をたっぷり入れてくれ」
「承知しました」
「ところでルアーナの食事は」
「後で取らせていただきます」
「良いよ。一緒に食べよう。君ともっと話がしたいんだ。父は黙って食事をしろといつも言うんだけどね。良いさ。何たって僕はまだ子供だからね」
「お相伴にあずかります」

 それからオルファノは自分の食事も持ってきて、ドナートの指示通り向かい合って食事の席に着いた。

「しかし僕が言うのもなんだけど大学を出たのに家政婦と言うのも難儀なもんだね」
「不景気ですので。ひと夏の間だけでも仕事につけただけマシというものです」
「どういう仕事につきたいの」
「新聞社での職を探しているのですがなかなか上手くいきません」
「そうか。僕も早く大人になって仕事をしたいな」
「ドナート様はどういった職に就きたいとお考えですか」
「詳しくは言えないけど父の手伝いをしたいんだ。ねえ。ルアーナ。どうすれば大人になれるんだろう。大人と認められるにはどうすればいいんだろう」
「大人と同じ事が出来るようになった時、大人だと認められるのだと思います」
「なるほどね。例えば砂糖抜きのコーヒーを飲めるようになるとか」

 そう言ってドナートはコーヒーを口に含んだ。そして少し顔を顰めた。

「あるいは沢山勉強するとか」
「そう来たか。コスタはただ一定の年齢になるだけって言ってたよ」
「それもまた真実でしょう。むしろ期限のように私は思えます」
「期限?」
「その年齢までに大人になっておきなさい、と」
「それは随分プレッシャーになる考え方だね。それなら少し急がないと」
「お勉強はどこでなさいますか?」
「僕の部屋で。先に行ってるよ」
「片づけが終わり次第参ります」

 オルファノは綺麗に平らげた皿を重ね、2つのコーヒーカップを持ってキッチンに向かった。片方のカップには褐色の液体が少し残っていた。



 与えられた部屋で寝る準備をしていると、今度はジェラルドの方から連絡を寄越してきた。さしものオルファノも慌てて電話を開いた。

「ジェラルドだ」
「盗聴の可能性はないの……」

 オルファノは小声と言える範囲で怒鳴る。

「簡単な仕事だと言ったろう……。言ってなかったかな。まあいい。とにかくそんな心配はいらないよ。出なけりゃこちらから連絡したりはしないさ」
「それでも用心に用心を重ねて」
「分かった分かった。しかし首尾をを聞こうと思ったがまだ終わってないようだな」
「明日には出ていけるわ」
「そうか。それならいいが。何かしら死の証を持ってきてもらいたいね」

 少し間をあけてオルファノが言う。

「疑ってるのね」
「それもあるが、それは君の播いた種だ。子供を殺したと見せかけるなどそうそう出来はしないと思うが、私もまた用心深い男なんだ。これは私的な仕事だが通常の任務と変わらない事もある。失敗を許される事があったとしても放棄は決して許されない。それとは別に今回の対象の死は隠匿される可能性が高い。つまり君が死を偽装しなくとも私が死を確認できないという事が起こり得る。そういう意味では君の為でもある。」

「分かったわ。そうは言っても体の一部を持ちかえるなんて出来ないわよ。この状況では」
「風車があったろう。それを持ち帰ってくれ」
「それが証になるとは思えないんだけど」
「私とてそうだった。かの少年の風車に対する執着を知るまではね。彼が生きている内に風車を手放す事はないだろう」

「まあいいわ。貴方がそれで納得するなら」
「そういう事だ。しくじるなよ。風車の受け取りには人を向かわせる。アクムリノに部屋を取ってあるからそこで待っていてくれ」

「彼が大人なら躊躇う事もなかった」
「またその話か」
「かつては貴方もそうだった」

 少し待ったがジェラルドは何も言わなかった。

「お休みなさい」
「ああ、お休み」



 買い忘れがあったので少し出かけます。朝食はお先にお召し上がりください。お勉強の時間までには戻ります。ルアーナ。と、オルファノは小さなメモにそう書き記した。
 昨日の朝とまったく同じ家事を少し早めにこなし、昨日の朝とまったく同じ朝食を少し早めに作った。そして砂糖壺に毒薬を仕込んだ。

 結局、とオルファノは考えた。私は殺すか殺さないかを自分で決める事も出来ない。ドナートはコーヒーに砂糖を入れるだろうか。今日飲まなければ、戻らない私に警戒して何もかもが調べられ、彼が毒入り砂糖を口にする事はないだろう。

 ドナートが死ななかった場合、ジェラルドは私を殺すだろう。ドナートが死んだ場合、誰が私を殺すのだろう。

 ダイニングに行くと風車はそこになかった。客間にもない。

「どうかしましたか?」

 声をかけて来たのはコスタだった。遥か高みから見下ろしている。

「風車が見当たらなくて」
「どうして貴女が風車を探すのです?」

 コスタの声はただただ平坦に連なっている。

「それは、もしかしたら私が掃除をしてどこかにやってしまったのかと」
「そういう事ですか。ご心配は無用ですよ。風車なら廊下の花瓶にありましたよ」
「……そうですか。それなら良いんです」
「それにしても早いですね」
「買い忘れがあったので少し出かけます」
「別に今でなくとも。それにこんな時間に開いている店なんてまずありませんよ」
「午前も午後もお勉強の時間で埋まっておりますので。もし買えなければその時は改めてまた午後に出かけます」
「そうですか。まあ家事の事は貴女に一任されていますしね。差し出がましい事を言いました」
「いえ。コスタさんはどうして?」
「私は今交代しまして、これから寝るところです」
「そうですか。お休みなさい」
「ええ、お休みなさい」

 コスタが立ち去るのを確認してオルファノは風車があるという廊下へ向かった。はたしてそこに風車はあった。風車を花瓶から抜き取り、そのまま屋敷を出る。
 朝日の光線に目を細め、一度も振り返ることなく駅に着くと、電車に乗ってアクムリノ市の指定された宿へと向かう。



 今朝(26日)、アクムリノ市のホテル・ギアンルーチェで、女性の遺体が見つかりました。同日午前10時前、同ホテルのボーイから「食事を運んだ際、部屋で宿泊客の女性の遺体を発見した」と、警察に通報がありました。身元などの詳しいことはわかっていません。アクリムノ警察署によりますと、遺書のようなものが見つかっており、自殺の可能性もあるとみて身元と共に詳しく調べています。

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