土の下で数十年

海沼偲

土の下で数十年

 彼は農家である。だが、彼は無駄というものを愛しているのかはわからないが、必要以上に時間をかけて作物を育てている。それは、金持ちの道楽と呼ぶにふさわしいほどの仕業であった。この文明のシステムでなければ破産していただろう。
 彼の作業は他の文明から取り寄せた劣悪なものだった。種を植えそれを育て秋ごろに実がなり、それを収穫するというのだ。それを他の人に話してみろ。バカにされて終わる。だが、彼はそれを続ける。そうまでして、それに固執する必要はわからないが。
 彼は今日も朝起きて畑に水をやりに行き、それが終わると本に書いてあった適当なレシピで料理を作る。そこにも無駄が入る。いっそのこと料理そのものを出せばいい。熱を入れた状態で生み出すことだって造作もない。義務教育で習う初歩の初歩だ。しかし、いちいち野菜を生み出しそれを切って炒めて料理を作る。バカバカしい。この文明の恩恵を全く得ようとしない。
 彼はその無駄を詰め合わせた最低の料理を食べ始め、しばらく経ったのちにふと、窓の方を見ると誰か女性が彼の畑の中に入っていた。
 彼は思った。どうせ物好きが自分の畑を珍しがって見に来たのだろう、と。彼はしばらく無視していた。すぐに飽きていなくなることは知っていたのだから。しかし、彼女はいつまでたっても出ていく気配が見えない。それどころか自分で椅子なんか生み出してそこに座って畑をスケッチしている。何を考えているんだ? 今までそんな人間に出会ったことないぞ。彼は困惑した。
 彼は悩みに悩んだ。彼女が何をしているのかを聞くべきか。しかし、彼女がここに留まっている理由によっては何やら厄介なことが起こりそうな予感がした。だが、ここで彼が動かない限り彼女も動くことはないだろう。そもそも、理由なんか聞かなければいい。さっさと追い出してしまおう。彼はそう決断すると、玄関の扉を開けて、彼女の前に立った。
「おい、君――」
 ここは僕の家だ。さっさと出て行ってくれないか?
 彼はたったこれだけの言葉を言うことが出来なかった。彼は動揺したのだ。それほどまでに彼女は美しかった。
 もし、完璧な女性と呼ぶ存在がいるのだとしたら、今の彼は間違いなく彼女を指名するだろう。それほどまでに彼女の美貌は彼を惑わせるだけの力を持っていたのだ。
「これは……失礼しました。あまりにも、人の住んでいる気配がなかったもので、空き家だと思ってしまいました」
 彼女は深々と頭を下げた。その一挙一動にすら彼は心を奪われてしまう。彼は目の前にる女性の虜になってしまったのだろう。
「あ、ああ、そうか。ええと……君はどうしてここへ? そして、ここで何をしていたんだ?」
 彼はなんとかそう聞くことが出来た。彼は自分をほめたくなった。
「私は、ここへ旅行に来ているんですよ。あなたのおこなっている栽培方法で育てている世界から」
 彼は、そういえばこの世界もそういった旅行者が来れるようにしていることを思いだした。
「それで、ふとこの辺りに寄ってみたら、ここじゃ珍しいことをしている人がいたものですから、つい気になってしまいまして」
 なんだか、彼はこれを評価されたような気がして誇らしくなった。しかも、絶世の美女に。彼は明日死んでも後悔はしないだろう。
「……好きです」
 突然の告白。彼は思わぬ出来事に心臓が飛び出るかと思った。そして確認した。大丈夫だった。早鐘をうっているだけで位置がずれたりはしていない。だが、今の言葉はかなり衝撃的だった。彼は経験豊富な色事師というわけではないが、未経験者というわけではない。だから、女性からのアプローチというものにもある程度は慣れているのだが、これほどまでの美女に初対面で告白されることは彼の人生で一度もないことであろう。いや、恐らく全人類の誰もが経験したことのないことである。彼は彼女の顔を見れないでいた。恥ずかしくて見たら死んでしまうだろう。目を合わせたら心臓が止まるほど今の彼は危険であった。
「あなたが育てた作物」
 彼は冷静になった。だろうな、と。知っていたから動揺していないふりを装った。だが、先ほどとは逆にひどい失望感に襲われた。なんというか、彼はひどく疲れたのだ。先ほどまで彼女とデートをしている自分に思いをはせているなんて考えただけでも殺したくなる。だが、自分が育てたものを褒められるというものは嬉しいものがある。彼はどうして好きなのか理由を聞いてみた。ひどくぎこちない口ぶりで。
「この世界の作物って簡単に作られるじゃないですか。だから、おいしいにはおいしいんですけど、何か物足りないんですね。味付けとかじゃなくて心に何かぽっかり穴が開いているような、そんな感じがするんです。だから、この文明の料理はおいしいんですけどおいしくないみたいなあいまいな味になっちゃって食べてて楽しくないんですよ。まあ、よそ者がこんなこと言うのはどうなのかわかりませんけどね」
 しかし、彼は別に怒りはしなかった。彼の文明はたしかに他の文明の人間から「何か物足りない」と言われているからだ。それが何か彼女の話を聞いていれば分かりそうな気がしているのだ。
「だけど、あなたが作るものは違うんです。確かにこの文明から見れば最低な効率だし、両だってそんなにない。だけど、この作物には愛があります」
「愛?」
「そうです。あなたは彼らを一生懸命育てている。他の人たちが生み出したどの食材よりも美しくおいしくなるように。そこには愛があると思うんです。そういうものがあなたの作るものにはあって、他の人が生み出すものにはないと思うんです。って、なんか変なこと言っちゃってすみません。ただの素人が変な口出ししちゃって」
「……いや、ありがとう」
「そ、そうですか?」
「うん。君のおかげでわかったよ。だからさ、これからもどんなに言われてもこのやり方を変えないで死ぬまでやっていこうと思う」
「ほ、本当ですか?」
「まあ、僕が止めちゃったら君の言う『愛のある料理』がこの文明で食べられなくなっちゃうからね。君たちのところとは土壌も違うし、また違ったおいしさの発見もあるかもしれないしね」
「あ、あの……お名前をお伺いしても」
「ん? あ、いいよ。僕の名前はビル・サンダースだ」
 それから数十年後、ビルブランドと呼ばれる野菜たちが彼の文明で人気になるのは言うまでもない。

「その他」の人気作品

コメント

コメントを書く