柊木さんと魑魅魍魎の謎

巫夏希

ウラシマ村と竜宮城 第一話

「浦島太郎?」

 少年は私が投げかけた質問を聞いて、作業の手を止めた。
 作業、と言っても私がぐちゃぐちゃにしていた書類や雑誌、資料を棚に戻すだけの簡単なお仕事で――ではその簡単なお仕事をどうして出来ていなかったのか、と言われてしまえばそこまでだが。
 話を続ける。

「そうだ。浦島太郎の物語、と聞けば何を思い浮かべる? 亀か? 乙姫様か? 玉手箱か?」
「……まあ、今言ってしまった言葉、それが殆どすべてですよね。しいて言えば、浦島太郎が竜宮城から戻った後の世界が数百年後の世界になってしまっていて、浦島太郎が玉手箱を開けたことで浦島太郎本人もその姿になってしまった、というところでしょうか」

 少年は脚立から降りて、手に持っていた書類を床にそのまま積み置かれていた本の上に置き、ソファに腰掛けた。
 私と言えば、大きなリクライニングチェアに腰掛けていて、書類を見つめていたわけだけれど、少年の挙動を一応確認してみた。
 少年はすっかり手を止めて、休憩していた。

「どうした、少年。もう休憩かな?」
「それは実際にやってから言ってください。結局、大掃除は二人で手分けをするって言ったのに、夏乃さんは殆ど掃除していないじゃないですか。割合は九対一くらいですよ」
「九対一、か。それは言い得て妙だな。……まあ、それについては許してくれ。今私は仕事に関する資料を確認しているんだよ。それで、さっきの質問に戻るわけだ。少年、竜宮城についてはどこまで理解している?」
「竜宮城? ……亀に乗って向かう、ってところですか。水中に沈んでいる巨大なお城ですよね」
「ニュアンスについては一部否めないところがあるが、まあ、間違いではない。……では、その竜宮城は実在するものだと思うかな?」
「そんなことあるわけないじゃないですか、あれは童話ですよ? 童話が実在するわけが……」
「竜宮城が実在しているわけではない。だが、浦島太郎の伝説は各所に点在している。例えば、これ」

 私は写真を少年に見せる。その写真は、海面ギリギリまで家が競り出ている場所。正確に言えば一階に船を置くスペースがあり、二階に住居がある形になっている。それを少年が知っているかどうかは解らないが。

「……これは?」
「伊根の舟屋、と言えば多少は解るかもしれないな。京都の丹後半島にある集落だよ。船の収蔵庫を一階に置いて、二階には住居を構えている。実際に重要伝統的建造物群保存地区として登録されているくらい、伝統的な建造物だよ。……それはそれとして、ここにも浦島太郎の伝説は残っている。そうして、浦島太郎の伝説が色濃く残っている場所としても有名だ。竜宮城があると言われている場所も、ここにあるからな」
「竜宮城のある島?」
「……その島は沓掛島と呼ばれている。定期船は出ていないから、向かうには誰かの船を借りねばならない。しかし、そこには未だに竜宮城があると言われている。多くの研究者がその地へ赴いたが……、誰も帰ってきていない」
「誰も……ですか。まさか、夏乃さん、そこへ向かおうとしているんじゃ……!」
「……京都に住む友人から、一通のメールが来てね。彼の妹が天橋立に向かってから行方不明になったらしい。彼女は伝承を色々と調べていたらしく、京都に眠る竜宮城の伝説も調べていたらしいが……。もしかしたら沓掛島に行ってしまったのではないか、と考えている。実際に、沓掛島へ向かう船に同行していたのを目撃した住民も居るらしいからな」

 つまり、沓掛島に向かうのは確定事項となっているわけなのだが――。
 それを言ったところで少年はきっと危険だと言って止めるだろうな、私のことを。

「……沓掛島に、向かうんですね?」

 私のほうを睨んで、少年は言った。
 少年もまた、かつてそれに近い――正確にはもっと残忍な――因習が残る集落で生まれた人間だ。私もその集落の生まれではあるが、私が集落を出て行ってから少しして、その因習を知るものは殆ど居なくなってしまった。だから、自ずとその因習も風化していったという。現在は、どうなっているのだろうな。あの集落は。噂によれば、子供たちの殆どは集落から市街地に出て行って、とっくに限界集落に突入していると、知り合いの売れない作家から聞いたが。どこまでほんとうなのか解った話ではない。

「私は向かうつもりだよ。少年は?」
「……行きますよ。僕だって、この事務所の一員です。そして、夏乃さん、あなたの助手ですから!」
「そう言ってもらえて何よりだ」

 そうして私たちは沓掛島へと向かうことになった。
 友人の娘を探すために――、竜宮城伝説の残る島へ。

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